第三十六話 『ヴァイキング 前』
最初に言っておくとボクは好きで海賊をやっているわけではありません。
ボクの名前は秋晴といいます。ボクの名前は母と父から食物に不自由がないように、いつもお腹いっぱいで過ごせるようにという願いを込められて、付けられました。だから、一年で最も熟した麦が収穫できる豊かさを象徴している秋という字と、のびのびと大らかな印象がある晴という字を組み合わせて秋晴という名前を授かりました。
ですが、この船ではポールと呼ばれています。
なぜポールなのかは、ボクにもよく分かっていません。エドワード船長に助けられたときに『おめぇは、なんつうか……ポールって感じだなぁ。よっし、今日からおめぇの渾名はポールだ。気に入ったか?』と言って、勝手に名前を変えられたのです。
海賊にそういう文化があると噂程度に聞いたことがありますが……まさか、あそこまでいきなり名前が変わるなんて心の準備が出来ていませんでした。
ああ、言い忘れていましたがボクも訳アリです。皆さんと一緒で脛に傷を持っています。これは、もう言うまでもないことですが……
ボクは当初、夢を叶えるために禊木町に来ました。ボクは飲食店を経営して一国一城の主になることが幼き頃からの夢でした。その夢を叶えるために実家を出て、遠い遠い禊木町まで来ました。
最初は絵に描いたように順調でした。名のある料理店の店長の下に弟子入りし、料理の腕を磨いて、店舗を手に入れるのために貯金を貯め、だいたい三年ほど経つと師のもとを去り独立することを決意しました。
先輩たちからは『冷静に考えろよ』『早すぎるだろ』とも言われていましたが、そんな正論が耳に届かないほどすべてが順調で、調子に乗っていたのです。
だから、きっとボクに天罰が下ったのでしょう。
町の発展に大きく寄与してきたヘンリーという大商人が中心なって組織された”ギルド”は、これから商売を始めるものにとっては入り口とも言える場所でした。
そこの飲食店を専門にまとめるギルドにお金を払うことで商売の許可を得ることができるのですが、懐が心許ない当時のボクにとってはギルドに払うお金すら結構な痛手でした。だから、つい魔が差してしまったのです。
ボクも料理の腕を磨いていた三年の間にこの町にはギルドに許可を貰わずに商売をしている先輩たちの存在を知っていたました。なので、思い切って相談してしまいました。
今思えばバカな真似をしたと笑って言えますが、このときのボクはすべてが上手くいくという根拠のない自信に突き動かされていました。
まあ、何があったのか結論だけ先にを言ってしまうと騙されたのです。それはもう見事なまでに騙されたのです。開業資金に貯めていたはずのお金を持ち逃げされて、借金まで背負うこのになったのです。
それからはしばらく惨めな生活が続きした。両親から記念に貰った包丁を手入れする暇もなく、借金取りから逃げ回る日々でした。泥棒のように人目を気にして、太陽から隠れるようにその日、その日を暮らしていました。
しかし、ボクの他の人よりも一際目立つ大きな身体を借金取りどもから隠し続けるのはさすがに無理がありました。ついに千引町で掴まってしまったのです。ボコボコにされました。
ですが、捨てる神あれば拾う神ありと言葉があるようにボクは偶然通りがかった酔っぱらいに助けられたのです。それがエドワード船長です。エドワード船長がボクが騙されて背負った借金をすべて肩代わりしてくれるという条件で命までは取り立てられることはなく、ボクの身体は助かりました。
そして、その肩代わりされた借金を返す条件としてボクはエドワード船長の船に料理人としてお邪魔することになったわけです。
まあ、助けられたのがエドワード船長で良かったと言えるかもしれません。我ながら悪運だけは強いと言うべきか。もし、これが他の海賊船だったらボクはきっとここまで馴染めていなかったことでしょう。
ボクがまだまだ未熟な料理人として師の下で修行をしていたときに名前を聞いたことがある有名な海賊団はこの船を含めてだいたい四つほど。
ロバーツ船長のところは人数が二番目に多いですが、それに比例するように変わり者も多く、問題児が集まりやすいと聞きます。それに活動規模が広く、ボクがいたら足手まといになることでしょう。
ドレーク船長のところは少数精鋭でとても規律を重んじていると聞きます。ですが、どんなことをしているのかなど情報が不気味なほどなくて怖いです。もしかしたら何もしていないのかもしれません。それほど情報が出回らないのです。しかし、唯一ドワーフたちとは揉めているとエドワード船長から聞いたことがあります。ここでもボクがいたら足手まといになっていたでしょう。
最後にリーネル船長のところは超少数精鋭のイカれ集団です。正式には五人しかいません。ほとんどが元海賊の引退した人や外部の助っ人と聞きます。ですが、”海賊の娘”、”音鳴り”、”美食家”などボクでも聞いたことがあるほど有名人物の集まりです。そこにボクがいたら足手まといどころか命もなかったでしょう。
あ、そうだ。間違えていました。最近六人になったんでしたね。まだ名前は知りませんが、その新入りも初航海でグリフォンの背中に跨るイカれ野郎だと噂になっています。ボクはもう新入りとは呼ばれることがなくなるほどこの船に身を置いていますが、今でもそんなこと天地がひっくり返ってもできる気がしません。
そんなわけで船員が一番多いいけど、その分荒くれ者も多いエドワード船長の船がボクには向いていたという結論が出ました。確かにみんな顔は怖いけど、馴染むと気さくな人たちです。それにエドワード船長も普段はただの面倒くさい酔っ払いですが、一種のカリスマと言うんでしょうか? 人を引っ張っていくオーラみたいなのが確かにあると思います。贔屓目かもしれませんがたまに見せるあの”怖さ”は他の船長たちに比べて劣っているだなんてボクは感じません。
むしろ、陽気で軽口を叩きあうほどの仲になっても次の瞬間にはナチュラルに殺してきそうで……ボクは一応、他の船の船長と顔を合わせる機会がありましたが彼らにはない別軸の迫力があります。
いや、まあ、正直な話ボクは借金取りに追われずに包丁の手入れさえできればどこでも良かったのかもしれません。
「よぉ、ポール。おめぇはようやく船に慣れたのか?」
「……いつのことを言ってるんですか、船長。今日はさすがに酔ってないんですね」
そんな風に自分の身に降りかかってきた今までの不幸を頭の中で整理しているとエドワード船長に後ろから声を掛けられました。船長はフリントロック式ピストルを何十丁も身体に巻き付けているいつも通りの風体をしています。まるで武器庫が歩いているかのような姿です。
「当たり前だろ? オレだってよ、弁えてんだっぜ!」
僕の背中をバンと軽い衝撃が襲ってきました。たぶん、船長に叩かれたのでしょう。ボクの我が儘な身体は言うことなんて聞いてくれずに、背中に受けたはずの衝撃がお腹まで波打ってしまいました。さすがに少しくらい痩せた方がいいでしょうか?
「嘘は吐くなよ、エド。お前はさっき飲んでいただろうが……」
コツ、コツと硬い床を叩く革靴の音が響いてきました。まるで時を刻む時計のように、規則正しく鳴っているその靴音は床板を押し沈めながらゆっくりとエドワード船長に向かって進んでいきます。
「あんなの飲んだうちにも入らねぇだろうが。景気づけだ。景気づけぇ!」
「……まったく、無駄遣いを止めないといつか必ず後悔するぞ。酒なんて人生で最も無駄なものの一つだからな」
「その説教は聞き飽きたぞ。おめぇには分かんねぇかもしれねぇけどよ。オレにとって酒ってのは薬なんだよ。命の水だ。これを呑んでるときだけ、オレの命の穢れが落ちるんだよ」
「何が命の穢れだ。笑わせんな。全身雑菌みたいなお前が、一丁前に屁理屈なんて言ってんじゃねぇぞ?」
「おい、あんま、なめてんじゃねーぞ。背中から撃ち殺してやるからな! それにおめぇも人のことを言える立場じゃねぇだろうが! その靴はどうした? どうせ、また新しいのだろ? オレの何か月分の酒代なんだよ、タコじゃねぇんだからそんな同じような靴ばっか持ってっても意味ねぇだろうが! それが、おめぇの言う無駄遣いってやつだ!」
「……いくらお前でも許さねぇぞ。訂正しろ! 同じような靴だって!? どっからどう見ても違うだろうが! これはな、やっと手に入った一品なんだよ。ほら、光沢が、輝き方が違うだろう? ほら、こことかよ!」
「キレるところそこかよ。つーか、そんな大切なもんならわざわざ海に履いてくんじゃねぇよ」
「お前、何を言ってんだ? それだと自慢ができないだろ? アホか?」
「知らねぇよ!! ぶっ殺すぞ!」
あ、相変わらず仲がいいですね。ボクの目の前で船長と喧嘩しているこの男は副船長のロロネーさんです。ロロネーさんと船長はかなり昔からの付き合いだそうで、いつも何かしら些細なことで喧嘩しています。お洒落を気にしていて普段から頼りになるという一面がありますが、基本的には柄が悪いです。結構な頻度で隠せない根っこの部分がでています。ですが、同時に船長からの面倒くさい裏方の仕事を押し付ける節があるので苦労人だなとみんなは同情しています。
それとこれはもういつものことなのでもう気にしてはいませんが、他の船もこんな感じなんでしょうか?
「殺しか? 殺しか? なら、エドの代わりにオレがやるよ!」
「あーくっそ、おめぇもいちいち来るんじゃねぇ、めんどくせえな!」
ボクの背後からにゅるりと現れたのは病的なまでに真っ白な少年です。名前はジェーンです。死神のような鎌を持ち歩いている物騒な少年です。デカい鎌を用いたその独特な戦闘方法から巷では”死神”という二つ名で恐れられています。イメージ通りですね。想像力に欠けています。
これは聞いた話になってしまいますが、なんでも彼は昔、大人たちに酷い目にあわされたらしくそれが原因で血生臭いこと全般が得意になったのだと自分で言っていました。今、思い返しても不愉快な話です。
だけど、そんな状態から救ってくれたエドワード船長にはとても心を開いているようで、キラキラと目を輝かせている姿は褒めて欲しいとねだる子供のようで微笑ましいです。彼の発言にさえ目を瞑ればですが……
「どうしたの? 機嫌が悪いの? ねぇ、ロロネー。エドは何でこんなに怒ってるの?」
「そりゃあ、これから”ヴァイキング”と話し合いがあるんだ。気が気でないだろうよ、一歩間違えれば話し合いじゃなくて、また殺し合いになるからな」
「殺し合い? 大丈夫だよ、エドはオレが絶対に守ってあげるから!」
ジェーンとロロネーさんの掛け合いを黙って聞いていた船長の動きがピタリと止まった。
「……気が気でないだって? オレがか? それともおめぇがか? 履き違えてんじゃねぇよ。一歩でも間違えたらいけないのは向こうの方だ。あっちはただでさえ、舐めた真似してんだ。オレたちが話し合いに応じてやっただけでも有難いってもんだろうが?」
「……まあ、そうだな。俺が間違えてたよ」
「よし、それが分かったなら。おめぇらもさっさと持ち場に戻れ」
「ああ」「はーい」
それぞれがまったく違う声音で船長の命令に応じる。そうだ。ボクも厨房に顔を出さないといけないんだった。ボクにはここで道草食ってる余裕がなかったんだ。そんなことを考えて素早く行動に移そうとした瞬間、ふと風に靡く海賊旗が目に入ってしまった。
海賊旗には慈愛深い笑みを浮かべる女性が描かれていた。まるで自分のことを優しく抱きしめているかのような女性だ。ボクが乗っているマーメイド・アンズ号という名前的に人魚だとは思いますが、それだと特徴的な下半身を描かないのは変だ。人魚って言うなら魚の尾を描かないと分からないはずです。
「……なぁ、ポール。おめぇは人魚って見たことがあるか?」
そんなことを考えていると海賊旗を見上げていたボクの横にいつの間にか船長が立っていました。
「え、人魚って、本当にいるんですか?」
人魚を見たという噂は実家にいた頃にもたびたび聞いたことがありますが、それは噂の域をでることがありませんでした。だって、目撃情報はあっても捕獲したなんて話は聞いたことがありません。まあ、要するに人魚というのはただの酔っ払いの戯言ということです。
だからボクも船長の問いに揶揄い半分で聞き返したのですが、船長の目は海賊旗だけを見据えていました。
「オレは昔、溺れていたところを助けられたことがあるぞ?」
「え、冗談ですよね」
「………そう思うか?」
「すいませんが、信じられません。だって、それなら、もう見つかってるはずですよ。それに酒場で漁師のオッサンたちが話しているのはただのネタですよ? 与太話ってヤツです。それを本気にしろっていう方が変ですよ」
「……確かにそうだな。悪かった」
それなら、その寂しそうな表情は何なんでしょうか。船長はそんな言葉とは裏腹に寂しそうな顔で旗に絵描かれている女性を見つめていた。今日の船長はやっぱり変だ。酒が抜けているせいでしょうか? それともボクが間違えているのでしょうか? もう訳が分からなくなってしまいました。
珍しく真剣な表情をしているエドワード船長のせいで人魚が実在しているのかについてボクが真面目に考えていると――
「おめぇには、あれがどう見える?」
海賊旗を指さしてそんなことを聞いてきました。また今度はなんでしょう。もしかしてロバーツ船長との飲み会が中途半端に終わった腹いせに、ボクに意地悪をしているだけなのでしょうか?
「ボクにはただ微笑んでいる女性に見えますけど……」
だから、ボクは正直に答えることにしました。人魚かどうかは分からないけれど、この女性はすべてを慈しむように微笑みかけてくれている。それは間違いないはずだろう。いくらボクの感受性が豊かとは言えなくとも、さすがにこれは見れば分かるはずです。
「オレには悲しんでいるように見える」
「え!? どこがですか?」
「……オレだけが分かればいいんだよ。ただ気を付けないとな、たぶん荒れるぞ」
いくら見ても微笑んでいるようにしか見えない。船長は何処を見てそう判断したのかが分からない。だけど珍しく真剣な表情を浮かべた船長はそう言い残して歩き出してしまいました。
『荒れる』という発言が何を指しているのかは分かりません。海の機嫌か? 話し合いの行方か? もしかしたら腹の虫かもしれません。だけどボクは船長に触発されたように厨房に戻って、準備に取り掛かることにしました。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
マーメイド・アンズ号の船上では数時間前までにはなかった緊張感があります。殺気というのでしょうか? たぶんそれが充満している気がします。
ただ話し合いが行われるはずの雰囲気ではありません。まるで、これから殺し合いでも始まるような雰囲気です。料理人のボクはとても肩身が狭いです。いや、ですが、それも仕方がないかもしれませんね。
だって、ここには今二つの問題があります。
まず一つ目の地形が問題です。ここはかなり入り組んでいてボクたちの後ろをついて来ている船が、だいたい十隻ほどですが、それがほとんど機能しません。なので簡易的なこの港にはボクたちの船だけしかありません。といっても三隻がこちらに向かって大砲を準備しているのでボクたちを巻き込むかもしれませんが、最悪対抗できます。
そして、二つ目の問題は”ヴァイキング”たちです。いや、むしろこっちの方が問題なのですが、明らかに大砲がこちらを向いています。全員が最低限の武装をしていますし、乗り込んでくる気が満々です。本当に、本当に、ヤバい状況です。まんまと嵌められた形になりました。ボクは今蛇の口の中に手を突っ込んでいるかのような感覚です。怖いです。
ですが、ロロネーさんが双方にメリットが話し合いを向こうが提案してきたのであれはただの威嚇行為だろうと言っていました。あっちに有利に交渉を進めるために野蛮人が考えた浅知恵だと。そうですよね。話し合いという建前がある以上、向こうからも手出しができないはずです。
そんなことで自分を安心させなければやってられません。それに船長たちの話を聞いてしまったのですが、”ヴァイキング”たちの中にはいるかもしれないのです。
「ロバーツたちの船はもうリーネに合流した頃だろうな。アイツは『リーネルが助けてだってよ、行かないとな!』って一緒ん飲んでたオレに酒代を払わずに行ったんだから、もうついてないと可笑しいよな?」
「いや、たぶん、まだだと思うぞ。……それより、なあ、エド。お前は本当にいると思ってるのか? アイツらは海が、俺たちが嫌いなはずだろ? そんな奴らがなんで話し合いの場に顔を出すんだよ? 有り得ねぇだろ……」
「むしろオレたちが嫌いだからだろうよ。ほら、ここら一帯の地形が弄られてやがる。オレたちの地図と照らし合わせても微妙な変化だが、船で通るとしたらかなりの変化だ。こんなことが出来るのはアイツらだけだ」
エドワード船長とロロネー副船長の話し合いがまた聞こえてきました。やっぱりそうです。ここまで、船が通れないほどの変化を加えるなんて芸当は人間には厳しいです。それをボクたちに気付かれないような速さで実行できる種族なんて、答えは一つしかありません。
「……噂をすればってヤツだな。……ハッ、面白れぇ。少しだけノってやるよ」
「信じられねぇ、本当にいたのか? ヴァイキングの中に、ドワーフどもが…」
そうです。世界がボクたちの想像するよりも広いとしても、短い期間の内にこんなことが出来る種族はドワーフぐらいしかいないでしょう。まるでボクたちの疑問を答え合わせでもするようにマーメイド・アンズ号の上を我が物顔で歩いて、こちらに向かって来る影がいます。
その影は目算にはなりますがだいたいボクの三分の二ぐらいしかない子供のような背丈に、大樽のような体躯、顎まで綺麗に伸びた髭は一人前の証であると聞いたことがあります。そうです。影の正体はドワーフたちです。
角のある兜と金槌と槍の利点を最大限に活かすため、まるでグリフォンの頭部のような形状をした武器の名は、学がないと自称していた厨房の船員からも聞いたことがある”神への献身”だと思います。
「ようこそ、とでも言えばいいのか? もうよく分かんねぇな……」
「貴様らの持て成しなどいらん。手早く要件だけを済ませろ、海の害虫が!」
「おめぇらこそさっさと巣穴に帰れよ。モグラ。帰って、お互いのケツの穴でも掘り合って、独り善がりな自慰にでも励んでろ! 『神様~』って情けない喘ぎ声を出しながらな! 昔っから、ドワーフはそれだけしかできないんだからよ」
「ッ、貴様は!! オレたちの神を愚弄するか!!!」
「おい、落ち着けって」
濃青色の髪のドワーフが怒髪天を衝く勢いでエドワード船長に掴みかかろうとしたが、横にいた人間に止められてしまった。それでも止まる気配はなく、ボクたちへの敵意を示すように激しい怒りを顔に滲ませています。深い皺も相まってとても怖いです。
「船長、なんで喧嘩を売ってるんですか? 話し合いをするんじゃなかったんですか?」
「あ? そうだな。あのドワーフどもを静止したってことは本気でオレたちと話し合いをする気はあるのかもな」
「……はぁ、いつも疑いすぎなんだよ。お前は」
「なんだよ、新品の靴に買い換えたら今までの歩いてきた道のりも忘れちまったのか? オレはずっとこうだっただろ?」
「もっと安全にできたって言ってんだよ! なんでわざわざ自分を危険に晒す真似をするんだ!」
「うるせぇな! 黙ってろよ、ロロネー。ただおめぇが怖がってるだけだろうが、いつからオレの相棒はここまで腰抜けになっちまったんだ?」
「な、何を言ってんだよ。俺は――」
「昔のおめぇはいっつも冷静だったよ。オレが道を間違えそうになったとしてもおめぇが助言をくれたよな? でもよ、今のおめぇの目からは恐怖しか感じねぇぞ。冷静と臆病の意味を履き違えるな。年食ってついに死ぬのが怖くなったのか? 残虐で冷静だったあの頃のおめぇはどこにいっちまったんだ? その新品の靴が汚れるのが嫌ならオレの横に立つんじゃねぇよ。おめぇはよく知ってるだろ? オレは安全に舗装された道だけを歩くつもりはねぇ。オレはオレの目的のためだったらどんな悪道だってなりふり構わず進んでいくぞ?」
「………ああ、すまん。久しぶりだったからよ。場の空気ってのに飲まれちまってたわ」
「分かればいいんだよ。昔、吐いた唾は飲み込ませるつもりはねぇ。次、おめぇが腑抜けたとオレが判断したら、真っ先に撃ち殺してやるよ。だから安心しとけ」
「殺す? え、エド、誰を殺せばいいの? オレがやるよ!」
「またかよ、ジェーン。まだ呼んでねぇだろうが! 引っ込んでろ!」
ボクはロロネーさんがエドワード船長に説教されているのを初めて見たかもしれません。逆ならいつも見ていますが、これは珍しいものを見たかもしれませんね。ところで船長。やっぱりボクはもう厨房まで下がってもいいでしょうか。『おめぇは間抜けな面だからな、油断を誘えるかもしんねぇだろ』という無茶苦茶な理屈で連れて来られましたが、もう限界です。
「……相棒ってお前は俺のことも、誰のことも信じてないだろうが。……こんだけ一緒にやってきたのにまだ俺は、お前の”右腕”にすらなれてねぇのかよ……」
ロロネーさんが何か言っていますが、もうそれどころではありません。あちこちで暴言が飛び交っています。味方や敵なんてもう関係ないです。料理人って真っ先に逃げれる役職じゃないんですか? なんでボクだけをここに連れて来たんですか? もしかして船長はボクのことが嫌いなんですか?
そんな卑屈なことを考えていると――
「はーい、注目! 注目ですよ! 注目してくださーい!」
この場には最も場違いな明るい声が聞こえた。みんなもこの間が抜けたような声の主を探しています。当然ボクもです。するとドワーフたちの後ろから人波をかき分けるようにエドワード船長たちがいるところまでゆっくりと向かって来ている男が一人いました。
「いや、いや、遅れてごめんなさい。ボクが”ヴァイキング”の頭をしているウィリアムです。よろしくお願いしまーす」
そうやって登場したのは、えー言葉を選ばずに言うと阿保面をした男でした。気合が入ってないと言えばいいのでしょうか? 締まりがないとも言えますね。
口調と顔だけで判断したらただの愚昧です。しかし、身体には無数の縫い傷があり、自分の右手で白髪部分を撫で上げながら、左手を船長に突き出して握手を求めるその姿はどこか不気味です。
声と顔とのギャップが凄いです。それにたぶん船長よりも一回り以上は歳が離れていますね。かなり若いように見えます。傍目から見る分には親子ぐらいの年の差があるようにも感じます。
「……おめぇ、なんかヒビキに似てるな」
「ヒビキって”音鳴り”の? え、嬉しいな。オレってそんなに強そうに見えますかね?」
「胡散臭せぇって言ってんだよ。クソピエロが」
船長はそう言うと『さっさとその手をどけろ』と傲慢な態度で男に指図しました。きっと目で語るとはこのことを言うのでしょう。大丈夫かなと心配していたボクの気持ちなんて眼中にないのか船長は格下を相手取るような態度を崩しません。
「えー酷いな。クソピエロじゃなくて、ボクのことは気軽にウィリアムと呼んでくださいよ」
「男のくせして、オレに色目を使うやつは信用しねぇことにしてんだよ。オレの尻か首を狙ってるヤツだからな。どっちにしても危険度は大差がねぇだろ? なぁ、”ツギハギ”?」
「……”ツギハギ”。嬉しいな。ボクのことを知ってくれてたんですか? まだまだ無名の身ではございますが、今後とも末永くよろしくお願いします。ところで、もし貴方に好意を寄せているって言ったら貴方はボクをベッドで飼ってくれますか? ”銃架”のエドワードさん?」
「また、随分とふるくせぇ渾名を持ち出してきやがって……」
「エド、もし寂しいなら、オレが一緒に寝てやろうか?」
「ジェーン。てめぇ、男のくせして気色悪いことを言ってんじゃねぇよ。……悪いな、おめぇの気持ちは嬉しいが、生憎とオレは男は好みじゃなくてよ。まあ、相手を傷つけないといけないってのが、モテる男のつらいところだよな」
「……また同じセルフ言ってる。しかも、この前は遊女相手に言ってた。サービスだって気付いてないのか?」
「うるっせぇな! おめぇ、しまいには海に投げ捨てちまうぞぉ!」
ダメですね。ジェーンがエドワード船長の隣にいると話がまったく先に進まない。それをボクよりも早く察知したロロネーさんがジェーンを抱きかかえて後ろに下がっていってしまいました。たぶんこれで船長もウィリアムさんとの話し合いに集中できるでしょう。
「……さてと邪魔するヤツがいなくなったところでさっさと終わらせようぜ、お互いのためにな。あ、先に言っとくがもし嘘をついたとオレが少しでも思った瞬間、てめぇのど頭を吹き飛ばすからな」
「……そうですね。それで構いません。では、さっそくお互いに腹の底をすべて見せ合うような話し合いを始めましょうか?」
その一言が合図となったのか”海賊の船長”と”ヴァイキングの頭”がお互いに顔を見合わせながら一歩だけ前に出る。
だがどうやら雲行きは怪しいようです。挑発するような笑みと胡散臭い笑み。お互いに表情は明るいはずなのにピリピリと肌を刺すような緊張感がここまで伝わってきます。
まるで薄氷の上を歩かされているかのような感覚のせいで、突然の吐き気に襲われました。しかし、ボクたちの時間は止まってはくれません。
こうしている間にも二人の距離はゆっくりと縮んでいきます。ゆっくりと、ゆっくりと縮んでいき、手を伸ばすとお互いの身体をギリギリ触れることができるぐらいの距離で静かに止まりました。まるで最初から示し合わせていたかのようです。
こうして世界一物騒な話し合いが始まりました。




