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第三十五話 『傷心』


 宴は終わってしまっただろうか。


 そんな疑問が生まれるほどの時間が過ぎていた。もうかなり長い時間を一緒にいるはずのヘルガとの間に会話はなんてものはない。


 ずっと泣いていた。二人してずっと泣いていた。


 抑えていたはずの感情が波のように押し寄せて、我慢しようにも、堪えようにも、涙は止まってくれなかった。だから、待つことにした。


 この感情の波が落ち着くのを、涙が止まってもう一度話せるようになるまで待つことにした。そして二人が泣くのを止めることができたのは満月がちょうど俺たちの真上を通り過ぎたころだった。その頃になって、ようやく涙が枯れてくれた。


 だが、次に俺を襲ってきたのは強烈な羞恥心だった。人前で弱音を吐いて泣くのなんていつ以来だろう。幼稚園を卒業する頃にはもう人前で泣かなくなっていた気がする。いや、泣いたことも、弱音を吐いたことすらないはずだ。


 恥ずかしい。隣に座っているヘルガになんて切り出せばいいのかも分からない。どう声を掛ければいいのか分からないままただ黙って俯いていることしかできない。そのことがとても情けない。


「ワタシは……」


 ずっと俺と同じように口を閉ざしていたヘルガが嘔吐くように言葉を発した。


「ワタシはね…」


 その声はいつもの強気で鈴を転がすような声からは想像できないほど弱弱しくて、たどたどしい。しかし、彼女の緑の瞳からは何が何でも言葉にしようとするはっきりとした強い意志を感じた。


「ニンゲンとエルフのハーフなの。それがワタシの秘密」


「………」


「…ちょっと何か言いなさいよ」


「ああ、ごめん。どんな反応をすればいいのか分からなくて」


 人間とエルフのハーフだと言われて衝撃よりも納得の方が先に来た。だって彼女は明らかに他のエルフとは違ったからだ。


「もう、まあいいわ。それがワタシの誰にも知られたくない秘密よ。でも、みんな知ってるからあんまり意味はないんだけどね。アンタは知らなそうだったけど」


「確かに、知らなかった。だけど何で話してくれたんだよ。俺は知らなかったし、知ろうともしてなかった。それはお前が絶対に隠したいことなんだって思ったからだ。それなのに何で話してくれるんだ?」


「アンタが先に話したからよ。ワタシも話さないとフェアじゃないでしょ?」


 そんなことを平然と言ってしまえるヘルガの強さに俺は開いた口が塞がらなかった。芯が強いとでも言えばいいのか。それは俺が持っていない彼女の強さだった。


「………」


「ああ、ごめん。ちょっとだけ驚いてさ、人間とエルフのハーフなのが魔法が使えないって言われてた理由なのか?」


「分からないわ。でもワタシが四大精霊様の加護がないのってそれ以外に理由がないもの。ニンゲンの血とエルフの血が交わったから純粋な魔法が使えないんじゃないかってみんな慰めてくれるの。いつもね」


「……それは辛いな」


「そうなの、みんな賢くて優しいからワタシに気を遣ってくれるの。気にしないでいいよって、受け入れてるよって、さっきもカーリはあんなことを言ってきたけどそれはカーリが優しいからなの。ワタシのことを思って言ってくれたの、いや、違うわね。言わせてしまったのよ。わざと酷いことを言って、突き放して、恨ませてくれようとしたの。オマエのせいじゃないって、でもね、でもね。ワタシはみんなの中に優しさが生まれるのが、生まれてしまうこと自体が嫌なの」


 うん、分かるよ。その気持ちは痛いほど分かる。


「分かってるのよ。魔法を使えない、空を飛べないワタシがヒュドラ討伐に何の役に立たないなんてことは、だって、ワタシだってそこまでバカじゃないもの。でもワタシはみんなと一緒に戦いたかった、頑張りたかった、オマエも肩を並べて戦ってくれって言われたかった。我らと共に戦士として死んでくれって言ってくれたほうが何倍も嬉しかった。でもワタシはみんなと同じにはなれなかったみない、いつまで経ってもみんなからしたらワタシは対等な相手じゃなくて、ただの保護対象でしかなかったみたいなの。その事実が、ワタシはたまらないほど苦しいの」


 俺はヘルガの心に長く沈殿していた不満を、彼女の静かな絶叫を黙って聞いていた。だって、彼女の気持ちが全て分かってしまうから。自分のことのように思ってしまうから。だが、俺は敢えて口を挟むことにした。


「みんなのそれは、その優しさは、本当に温かいものだよ」


「うん、知ってるわ。みんなワタシを愛してくれてるんだって痛いほど伝わってくるの。ワタシのために橋を架けてくれて、部屋を作ってくれて、贅沢すぎるぐらいよ。でもね、ワタシは本当は普通になりたかったの。特別なんかになりたくなかった。”可哀想な子”のままでいたくなかったの!」


 そこでヘルガは一度呼吸を整えた。感情をなるべく出さないために。


「……ッ…母はワタシを望まぬ形で出産して、そのまま体力がなくなって、死んでしまったらしいわ。そのせいか、ワタシは”可哀想な子”としてみんなに、家族に囲まれていたわ。それは、とても温かいの。このままでいいかって思わせられるほどね。だけどね、それはただの同情なのよ。温かいって、みんなの優しさに触れて、情けなくなって、心のどこかでワタシがいなかったらって、消えてしまいたいって思ってしまうの。ワタシの居場所はここにはないって、思ってしまうの」


「……そうか」


「……そうよ、きっとワタシは産まれない方が良かったのよ」


 それは違うって言いたかった。みんなの代わりに絶対に違うぞって言いたかった。でも、俺には彼女にかける言葉が見つからなかった。これはヘルガの心の問題だから。外からの言葉を無意識に拒んでいるから。だから――


「なあ、聞いてもいいか? ヘルガの母さんに何があったんだよ」


 別の角度から捉えることにした。


「…さっき気を使わなくていいって言ったでしょ? ワタシの産まれる前の話だし。アンタ”ヴァイキング”って知ってる?」


 ”ヴァイキング”その単語には聞き覚えがあった。確か報告会の時にエドワードさんが言っていたな。『ヴァイキングと名乗った馬鹿どもと接触する。と言ってもただの話し合いだがな』と酒に喉が焼かれたような掠れた声で言っていたはずだ。


「ヴァイキングか、名前ぐらいは聞いたことがあるけど」


「…そう。そいつらがシュティレ大森林から遊びに出かけた母を攫ったのよ。その母を助けたのが”海賊”って呼ばれてたリーネルの父なの。そのときにヴァイキングから助けられて、帰ってきた母が身籠っていたのがワタシってことよ」


 ヘルガは心配をかけないためか平静を装ってはいるが激しい動揺を押し殺しているのが手に取るように分かった。


「なんて、言えばいいのか分からないけど。……だから、お前は人間が嫌いなのか?」


「……別にワタシはニンゲンが嫌いなわけじゃないわよ。恨んでるわけでもないし。種族問わず、嫌なヤツがいるってことぐらい分かってるから。でも、ただ自分がエルフだって、ニンゲンじゃないって認めたくないだけだったのよ。ワタシがエルフじゃないって魔法を使えないってことが一番の裏付けになってるのにね」


 悲しげに微笑む彼女に俺は何て言葉を掛ければいいのだろうか。


「そんなことはない。お前は魔法を使えるじゃないか?」


「その理屈ならアンタもエルフってことになるけど?」


「……う、ッ、ごめん」


「フフ、からかっただけよ。いじわるしてごめんなさい」


 確かに俺がヘルガに掛ける言葉を間違えたのは悪かったけど……。まあ、さっきまでの悲しげな微笑む彼女とは打って変わって楽しそうに笑う彼女を見れただけで良かったと思うことにしよう。そんなことを考えていると――


「アンタはさ、なんでそうなれたの?」


「え、何がだ?」


「だから! なんでアンタはそこから変われたのって聞いてるの!」


「変われた? 俺がか?」


「そうよ。不本意だけどアンタの話を聞いて、ワタシとアンタは思ったよりもどこか似ているって感じたわ。根っこっていうの、確かにそこは似てるかもしれないわね。でも、今のアンタは前向きっていうか、とにかくワタシとは違うって思ったの。だから、その理由を教えて欲しいのよ」


 ヘルガが言うならそうなのかもしれない。俺自身は死ぬ前の俺とまったく変わっていないと考えていたが、そうでもないようだ。ちょっとだけ嬉しい。いや、俺も変われているという事実がたまらなく嬉しい。


「…そうか、嬉しいな。俺が変わったってヘルガがそう思ったのなら、それはたぶんこっちに来て海賊たちに出会ったからかもな」


「……それってリーネルのこと」


「ああ、そうかもな。綺麗な死に方は選べないけど、生き方は自分の手で選べるって俺は死んで初めて気付いたんだよ」


 俺はもう死んでいるんだ。トラックに轢かれて、友達の前であっけなく死んだんだ。そこで本来は終わるはずだったのになぜか俺はここにいる。


 いや、違うな。なぜかじゃない。三途の川から逃げ出して、海賊たちに出会ったのはただの偶然だった。でも、俺は自分で選んだんだ。リーネたちと、海賊たちと一緒の船に乗るって選択したからだ。だから、俺はここにいる。自分で選んでここにいるんだ。


「………フン」


「…自分で聞いといてなんで不機嫌になんだよ。俺だって恥ずかしいから言いたくないんだけど」


「……別に」


「………?」


 自分で聞いといて不機嫌になる心理が俺には分からない。俺の答えに納得できなかったのだろうか? 似ていると思っていたがやっぱり違う部分もちゃんとあるんだな。いや、それは当たり前だけどさ。


 俺が彼女の不可解な変化に頭を悩ませていると――


「でも、そっか、アンタには翼があるのね。ワタシにはないわ」


 そんなことを言ってきた。声はいつものヘルガと変わらないはずだ。そのはずなのに何かが違う。まるで何かに懺悔しているような声音だった。


「そんなことない。みんなにあったはずなんだ。ただ、俺たちは飛び方を知らなかっただけだ。羽搏く方法を忘れてしまっただけなんだよ」


 俺はそれが許せなかった。彼女が何かに詫びる必要なんかない。だって、一生懸命に頑張ってきたんだから、精一杯頑張ってたんだから。神でも、精霊でも、ヘルガ自身であっても、彼女の今までを否定するその姿勢が許せなかった。だから、苛立ちをぶつけるように口を挟んだ。


「そうかもしれないわね。でも、今のワタシにはもうないの。ワタシはみんなと同じように月には行けないの。届かないのよ」


「…そんなことを言ったらダメだ。初めて会った時に言ったじゃないか。人間でも月まで飛ぶことができたんだ。人間は世界で初めて月に立つことができたんだから。だから、諦めたらダメだ」


「……それってアンタの作り話でしょ?」


「まだ作り話だと疑ってるなら、俺を信じてくれないか? つまんない作り話でも現実に変えれるって、俺が絶対に証明してみせるから。だから――」


「もっと頑張れって言うの? それは、とてもキツイわ。みんなから認められないって、もう分かってるのに頑張るのはとてもキツイわよ」


「俺がいる。同じ経験をした俺がお前は凄いって知ってるから。何回でも言いに来るから、あ、そうだ。お前も俺たちと一緒に来ないか? 仲間になってさ………いや、ごめん。お前には大切な家族がいるもんな。残しては行けないよな」


 先走った。焦りすぎた。彼女を取り巻く環境は俺とは違うんだ。ヘルガには彼女のことを愛してくれる家族がいる。俺には何もなかったから大丈夫だったんだ。


「そうね、ワタシにはみんながいる。大好きな家族がいるのよ。この森にはワタシの全てが詰まってるの」


「やっぱり、そうだよな」


 俺の発言に驚いた彼女の顔が全てを語っていた。最初から分かっていた。ヘルガがエルフのみんなを置いて行くわけがないと。ちょっとだけ残念だけど予想通りだな。まあ、またここに来れば何時でも話せるんだ。死に別れるわけじゃない。


「うん。でも、そうね、考えといてあげる」


 そうやって自分の心を慰めていると思いも寄らない彼女の一言に今度は俺が驚いてしまった。だけど揶揄うような彼女の笑みに気付いた瞬間、それが冗談だと理解した。


「揶揄うなよ。本気にしたらお前の方が困るだろ?」


「何よ、本気かもしれないでしょ?」


「嘘だよ、どうせ。お前が家族を置いていけるとは思えないしな」


「…確かにそうかもしれないわね。なら、代わりにワタシがアンタに吐いた嘘を一つだけ訂正しておいてあげる。………アンタの話は面白かったわよ」


「………それはどっちだ?」


「さあ? どっちでしょうね? 嘘かもしれないし、本当かもしれないわよ?」


 そう言うとヘルガは楽しそうに笑った。悪戯好きな子供のように笑った。これは俺の主観になってしまうが、ヘルガの心の底から楽しそうなその笑みは他のエルフたちに負けないほど、いや、他のエルフたちよりも魅力的に思えた。


 俺は見惚れていた自分に喝を入れて、無理に口を開いた。


「――あ、そうだ。なんだっけ、えーと」


「どうしたの? 急に?」


「いや、な、なんでもない。そうだ、ヒュドラの話だ。明日の討伐の話だ。俺も頑張るって言いたかったんだ」


「討伐は明後日よ? 明日は準備よ?」


「あれ、そうだっけ?」


「フフ、まあ、無理もないわね。アンタはあまり話し合いに関わってなかったみたいだし」


「…い、や、……ごめん。ほとんど何にも知らないや」


「別に明日聞けばいいのよ。そのための宴だったわけだしね」


 部屋に引きこもっていた弊害がこんなところで出るなんて思わなかった。確かにヘルガと顔を合わすのが気まずくて最低限しか外に出なかったけど。こんなことならもっと話し合いに参加すればよかった。


「ワタシとアンタは中衛よ。前衛にはヒビキとリーネル、シュテン、ロバーツの四人以外はエルフしかいいないわ。中衛でもしもヒュドラが逃げた時に備えておくのよ」


「そうなのか、というか四人は参加して大丈夫なのか?」


「心配しないで、エルフのみんながサポートするわよ。ヒビキとロバーツはエルフに負けないほどの機動力があるし、リーネルは火の精霊に愛されているからね。それにシュテンの、鬼の馬鹿力はどこにいても役に立つからね。機動力さえホヴズ兄さんが補えば十分すぎるぐらいよ」


「そういうもんか。……というか、逆に四人しかいないのか。人間の割合が少なすぎる気がするけど」


「違うわ、四人もいるのよ。ワタシたちエルフは最強の種族よ。それについて来れるだけでも本当にスゴイことなんだからね?」


 そう言ったヘルガの顔は誇らしそうで、少し寂しそうに見えた。そうか、エルフはみんな参加するんだもんな。やっぱり思うところはあるんだろう。俺はヘルガに何て声を掛けようかと頭を捻っていると――


「大丈夫よ。ワタシはワタシにできることをやるから、アンタは『頑張れ』って言えばいいのよ」


 俺の考えを先読みしたかのようなことをヘルガは言ってきた。ここ最近自分のことで分かったことだが、どうやら俺は考えていることが顔に出やすいみたいだ。


 そこまで考えたところで俺は月に近づくようにゆっくりと立ち上がる。彼女に照れてる顔を見られないためにだ。


「そうか、そうだな。分かったよ。……一緒に頑張ろうぜ、ヘルガ」


 ヘルガに言われたことを繰り返すように言葉を紡ぐ。柄ではないが、恥ずかしくても言っておかないと後悔するってそう思ったから。


「フン、最初からそう言えばいいのよ。頑張りましょう、()()!」


 でもやっぱり少しだけ恥ずかしい。たぶん赤面しているはずだ。だけど後悔はない。あったとしても、ヘルガの出会った時と同じような勝ち気で満足げな笑みを見れただけでもそんなものは消え失せてしまうだろう。


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