第三十二話 『到着』
それから三日ほど、俺たちは船の上で過ごしていた。二週間ぶりに帰ってきた船は、見慣れた風景のままだった。というか、あまりいつもと変わらなかった様子はなかったが、リーネの「まずは掃除からね」という一言で、俺たちは総出で大掃除をすることになった。甲板を綺麗に磨き、ロープを巻き直し、埃を被った備品を拭き上げる。
何だか前までの日常に戻ったみたいでホッとする。ピリピリとした緊張感がないだけで、俺にとっては癒しだ。レインちゃんとヒビキの姿がないのは寂しかったけど、もうすぐ本格的なヒュドラ討伐が始まる。寂しさに浸っている時間なんて、本当はないはずなのに……
ダウンしていたメンバーたちも、徐々に元気を取り戻していった。三日の昼頃には、ノギさんもシュテンたちとどんちゃん騒ぎをしていたほどだ。昼間っからシュテンが隠していた酒を持ちだして、皆で美味しそうにそれを飲んで、食って、寝て、酔い潰れて、そんな騒がしくも穏やかな日々が、流れるように過ぎていった。
そして、三日目の夕暮れ。日が傾き始めた頃、港に四隻の船が姿を現した。どの船にも自分の尻尾を追う狼の海賊旗が高々と掲げられていた。つまり、あれはすべてロバーツさんの船だ。ロバーツさんが助太刀に来てくれたのだ。
「よー、リーネ。オレが来てやったぜェ!」
「遅いじゃない! 待っていたわよ、ロバーツ!」
港に着船した船から、次々と彼の大勢の部下たちが積み荷を港に下ろしている中、その中心でリーネとロバーツさんが再開を喜び合っていた。とても仲が良さそうだ。その様子を遠巻きに見ていた俺の姿を、ロバーツさんが目敏く見つけてズカズカと近づいてきた。
「お、よう。そこにいるの、ジンだったよな。どうだ。縄の準備は順調か?」
「げぇ、は、はい。順調ですよ……」
しまった。できるだけ目立たないように、わざと彼が眼帯を付けている側で作業していたのに。何故か、あっさり見つかってしまった。もしかしてこれが、獣人の持つ野生の勘というヤツなのだろうか? まあ、俺はシュテンから聞いた知識以上のことは獣人について何もしらないだけど。
「いや、無理を言って悪かったな。でも、勉強代だと思って頑張ってくれよ」
「……本当に、後悔してますよ」
ロバーツさんは、俺の首にがっしりと腕を回して、豪快に笑い飛ばした。正直言って、苦手なノリだ。体育会系のあのノリとでも表現したらいいんだろうか? 中学生のとき空手部で嫌というほど味わった、あのウザったい感じを思い出してしまう。
「ハハハ、そうか、そうかっ! まあ実際、あんまり量はいらないかもしれないけどな。無いよりはマシだろう!」
「……はぁ!? なら先に言えよ。ぶっ倒れるぐらい頑張った俺の苦労はどうなるんだよ!」
「どうにもならんな! オマエは頑張ったんだ。胸を張れ! それに無いよりましってのは有った方がいいとも言い換えられるらしいぞ。だからオレは、オマエの頑張りは無駄にしないぞ!」
「ッ、一応言うけど、あんたのせいなんだよな? 俺が苦労したのって?」
つい、タメ口になってしまった。一瞬『ヤバい、絞め殺さるかも』と身体に緊張が走ったが、ロバーツさんは何も気にした様子もなく『ハハハッ』と高らかに笑い、都合がいいことを言ってきた。
「あ、そうだ。そんなことよりもジン。アリアはどこだ?」
「アリアさん? アリアさんなら……たぶん船長室、リーネの部屋にいると思いますけど」
「ああ、持って来た武器とかの一覧表を渡せってカツキに言われててな。だから、押し付けちまおうと。オレよりもアイツの方が得意だろ? じゃあ、また後でな!」
「ああ、ちょっと………これって俺がアリアさんに怒られるのかな」
俺の言葉を最後まで聞くことなく、ロバーツさんは甲板まで跳んで行った。一飛びだ。比喩表現とかじゃない。素早く甲板まで駆け付けたとか、軽やかに登ったとか、そんなレベルじゃない。そんな次元ではない。文字通り、跳ねるようにして一瞬で彼は俺の視界内から姿を消した。あの脚力、やっぱり彼も人間じゃない。獣人の身体能力、恐るべしだ。俺は深い溜息を吐きながら、ロバーツさんのせいで、後からアリアさんに叱られる未来を想像して項垂れていると――
「ジン、何ていうか……やっぱり、あんたも苦労してんだな?」
「うん? ぁ、カツキか!」
ゆっくり振り返ると、敵意のかけらも感じさせない優し気な垂れ目に濃い眉毛を持つイケメンが話しかけてきた。カツキだ。藍よりも黒く染まった勝色の服に身を包み、どこか凛とした雰囲気を纏っている。相変わらずのイケメンぶりに、もはや嫉妬する気力も失せるほどだ。ただ以前と異なる点があるとすれば、彼がしっかりとした武器――薙刀を携えていることだった。
「カツキ、それって薙刀ってやつか? めっちゃかっこいいじゃん!」
「だろ? ジンのその刀を見てな、オレも自慢したくなったんだ」
俺がそう言うと、カツキは鼻を自慢気に指で擦り、照れくさそうに笑った。彼が持っている薙刀は、槍のように柄が長い刀とでも表現した方がいいかもしれない。突く、斬る、払う――といった多彩な敵の動きに対応できるように設計された美しい造形と刃物特有の迫力もあって目が離せない。というか、ヒビキの刀もそうだったが、美しく鋭い刃というのは、何故ここまで人の心を魅了するのだろう。俺はそんな疑問を振り払うように頭を軽く振り、心配そうにこちらを見つめてくるカツキと会話に意識を戻した。
「まあ、それは置いといて……久しぶりってほどでもないが、元気だったか?」
「元気だったよ。ただ強いて言うなら……オレ、報告会から特に仕事をしてないからな。身体が鈍ってないかだけが心配だな」
「……それは大丈夫だろ。そんなに重そうな薙刀を持ち歩いてるんだから」
「ハハ、それもそうだな。まあ、オレの薙刀の腕前はヒュドラ討伐の最前線には参加できない程度だから宝の持ち腐れだけどよ。……ああ、そうだった。ジン、聞いたぜ? もう”誓い”は済ませたんだって?」
「誓い? ああ、通過儀礼って言って、酒を飲まされたやつか?」
「そうそう、それだ。その感じだと、本当にもう済ませたみたいだな。相変わらずリーネル船長のところはやることなすことが早えなぁ! あれって、何十人単位でやるのが普通だろ? ジン一人のためにするなんて、特別扱いされてるみたいで素直に羨ましいぞ?」
「……そうだよな、やっぱり、あれってそんなもんだよな」
ずっと引っかかっていた。リーネが誓いを述べた後の宴会。あれって、本当は大勢で行うものじゃないのか、と。だって、六人でやるにはさすがに豪勢すぎたし、二次会みたいなのもあった。日向から聞いたバイト先の新人歓迎会の話を思い出すくらいには軽かった。任侠映画さながらの本格的な舞台セットだったのに、雰囲気が驚くほどカジュアルだった。もしかして、俺の歓迎が目的じゃなくて、ただ単に酒が飲みたかっただけじゃないのか?
そんなことを考えていると、カツキの背後から、角の生えた少女がイライラした様子でこちらに近づいてきているのが見えた。少女の表情は、誰がどう見ても『私は不機嫌です』と言っているようなものだった。
「聞こえたわ、うちのこの耳にはしっかりとアンタらの下世話な話が聞こえたわ! カツキ、こいつがヒビキのところの新入りなの!?」
「ああ、そうだぞ。こいつはジンって言うんだ。根性のあるヤツだからアセビも気に入ると思うぞ」
「んなことわ、聞いてないし!」
俺とカツキの間に割って入ったのは、インドの民族衣装サーリーのように細く長い布を、身体に巻きつけるみたいに纏った可愛らしい少女だった。褐色の肌を惜しみなく露出させ、踊り子のように鮮やかに着飾っている。少女はまるで異国の風をそのまま連れてきたような感じだ。彼女のその姿は、否応なく目を引いた。いや、引かないわけがない。だって、こんな格好をしているのは彼女一人だけなのだから。
「ジンにも紹介しておかないとなこいつはアセビって言うんだ。こんなガキみたいな見た目だが腕っぷしはかなり強いから気をつけろよ」
「気をつけろって何? っていうかセンパイずらしないでくれる。コウハイのくせに生意気よ! うちの方がセンパイなんだから!」
勢いといい、表情の忙しさといい、まるで小さな嵐のような少女だ。そんな二人のやり取りを前にし、て俺はふと『兄妹みたいだな』と場違いな感想を抱いていた。カツキの落ち着いたおっとりとした雰囲気と、アセビの爆発物のようなテンション。二人はまるで正反対なのに、不思議としっくりとくる。
「……?」
それにしても、この子も鬼なんだろうか? シュテンと同じ種族にしては、色素が薄い。禊木町で見かけて鬼たちは、シュテンみたいに肌が原色に近いイメージだった。濃いのだ。アセビという少女は、角さえなければ人間とほとんど見分けがつかないほどだ。
「何よ、アンタ。うちのことを気持ち悪い目でじっと見て、何か言いたいことがあるならはっきりといいなさいよ!」
「……き、気持ち悪いかぁ……」
明らかに年下の少女に『気持ち悪い』なんて鋭い言葉をぶつけられると、さすがに心にくるな。いや、俺が彼女の角をじっと見過ぎていたのがいけない。悪かった。悪かったのは分かっているけど、ちょっとばかり言い過ぎなんじゃないだろうか?
「はっはっ、止めろよ、アセビ。ジンが見るからにショックを受けているだろ? たぶん角が気になったんじゃないか? 海賊で鬼ってのは、シュテンさんぐらいしかいないからな」
「……ああ、そういうことね。うちは鬼と人のハーフだから、シュテンとはだいぶ違うの。これで分かった?」
「な、なるほど」
アセビの姿は、可愛らしい一本角を除けば、やっぱり普通の少女と何ら変わらない。角がなかったら、現世にいてもたぶん馴染むだろう。きっとスポーツ少女だ。ベリーダンスとか踊ってそうだ。なんて、そんなことを妄想していたら、いつの間にかアセビの視線がゴミでも見るような冷たさに変っていた。彼女の蔑む視線に気付くと、俺は慌てて視線を逸らし、海の方へと目を向けた。
「やっぱりエッチな目付きでうちを見てるし! こいつの将来は、きっと女好きの好色ジジイだし!」
「いや、見てない、見てない! 本当に見てない!」
「何度も否定してるところが余計に怪しいし! うちには心に決めたヒビキっていう男がいるんだから! 勘違いしないでよね!」
「おい、おい、二人とも? そんな一銭にもならない言い合いなんかしてないで、ボチボチ行こうぜ?」
俺がアセビに一方的に根拠のない言いがかりつけられそうになっている中、カツキは相変わらずのマイペースで、のんびりとした口調で場を収めようとする。完全に防戦一方だ。まるで嵐に巻き込まれた小舟のように大波で転倒しないように踏ん張って、耐えるしかない。すると、何かを思い出したかのようにアセビが間抜けな声を上げた。
「ぁ! そうだった。うちはこんなことをしている場合じゃないし! 確か、ジンだったわね? ヒビキはどこ? 今度こそ逃がさないし! 絶対に取っ捕まえて、夫婦としての契りを結んでやるんだし!」
「はぁ!? ああ、なんだ、そういうことか。ヒビキならエルフの里にいるから、ここにはいないぞ? 無駄骨だったな?」
「えっ! なら、さっさと行くし。ここにいる時間がもったいないし!」
さっきまで俺の胸ぐらを掴み、馬鹿みたいな力で激しく揺さぶっていたアセビは、ヒビキがここにいないと知った途端、俺への興味を完全に失ったらしい。くるりと背中を向け、カツキの後を追っていく。俺は喉が絞まる苦しさから解放されたのと同時に、ようやく息を吐いた。首元を少し緩めながら、アセビの小さな背中を追うように二人の後ろをゆっくりと歩き出した。エルフの里に戻るために。ここにいる全員で、ヒュドラを討伐するために。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「というかさ、そんなにヒビキが好きならロバーツさんのところじゃなくてリーネの船に乗ればよかったじゃないのか? ヒビキと一緒にいられる時間が増えるし、アセビにとってはそっちの方が一石二鳥だろ?」
「……そんなこと、うちだって分かってるし……」
俺はまた、同じような道を歩いている。シュティレ大森林では、やっぱり昼夜の感覚が曖昧になってしまう。雲一つない空は樹々の葉に覆われており、太陽の位置も分かりづらい。方向感覚も、気を抜けばすぐに狂ってしまいそうになる。けれど、そんな中でも退屈しないのは、カツキとアセビの二人と一緒に歩いているからだ。
さっきの話の続きで、アセビの恋愛相談に乗っていた。俺のふと思い浮かんだ、そんな簡単な質問に、アセビは唇を尖らせて、どこか拗ねたような声で答えを返してきた。舌ったらずな口調なはずなのに、彼女の声が溌剌としていて、耳に残る。矛盾だ。矛盾している話術だ。
「はっはっはっ、言えばいいじゃねえか。こいつは自分の村で偶然出会ったヒビキさんに惚れて、海賊の一員になるためにド田舎から都会にやってきたんだよ。それなのにアセビは肝心な乗る船を間違えちまったんだってさ。面白いだろ?」
「ちょっと言うなし!」
「……本当に? そんな間抜けな理由で?」
「そ、そうよ、悪いの! あの頃のうちは文字が読めなかっただけだし! それにヒビキのことだから、最も有力な勢力に属していると思ってたし! だから人に聞いて、聞いて、聞き回って、やっとの思いで知った船長に頭を下げていれてもらったのよ! なのに、いないだなんて……そんなことある?」
「なら、そのことをロバーツさんに言えばいいんじゃないか?」
「アンタ、阿保なの? うちが船長になんて言えばいいし? 『お世話になった船長よりも惚れた男のために船を乗り換えたいです』って言えばいいの? これでもうちは海賊なのよ? そんな不義理なことできないし」
「それなら、もういっそのこと恋を諦めた方がいいんじゃないのか? ヒビキは色恋より刀にしか興味ないようなヤツぞ?」
「なら、うちにもっと夢中にさせたらいいじゃん? それだけの話だし?」
「………スゴイな、尊敬しそうになったわ」
あっけらかんと、しかも自信満々にそう言い切ったアセビに俺は思わず圧倒されてしまった。素直に尊敬する。恥ずかしげもなく乙女の秘めた想いを口にしたことにではなく、それを絶対に実現すると自分の魅力を信じて疑わない、彼女の強さに対してだ。
「まあ、アセビはこういうヤツだからな。心配はいらないぞ。現に何回も振られているが、こいつは全然諦めてないからな」
「そりゃあそうだし! 何回負けたとしても最後の最後に勝てばいいの。勝負って本来そういうものでしょう! だから、うちはまだ負けてないしッ!」
「なぁ! 心配いらないだろ? こいつはこう見えてめちゃくちゃ打たれ強いからな」
「……そうみたいだな」
恋する乙女は最強――と、そんな陳腐な言葉をどこかで聞いたことがあるけれど、ここまでくると本当にそう思う。一直線な恋をできる彼女を俺は心の底から尊敬する。そして同時に、ヒビキには少し同情した。何をしたら、ここまで誰かに夢中になってもらえるんだろう。羨ましいような、逃げ場がなさそうで気の毒なような……複雑な気持ちが、胸の中で渦巻いていた。
「そうだろう。さて、アセビの恋愛相談はこれまでにして……次はジンの悩み相談だな!」
「え、な、何のことだよ」
「ん? 何か悩みがあるんじゃないのか? あんたの顔にそう書いてあるぞ」
「……俺って、そこまで顔に出やすいのか?」
ここまで、ヘルガのことはあんまり考えないように意識していたのに。まさか、こんなにあっさり見抜かれるとは思わなかった。俺が隠し事が下手過ぎるのか、カツキの洞察眼が鋭すぎるのか――いや、たぶん両方だろうな。
「……そうだな。悩みがあるのがバレたことだし、思い切って相談してみるのも手だな」
「それがいいと思うぜ、ジン。悩みってのは、他人に言ったら楽になるものだ。解決するかはともかくな。だから大船に乗ったつもりで、オレたちに話してみろよ」
「ちょっと、勝手にうちも頭数に入れないでよ? うちはそいつの悩みなんか興味ないし!」
「いいじゃん、暇なんだしさ。それに先輩ってのは、後輩の悩みを解決してくれるものだろ? 先輩としてアセビのカッコイイところを見せつけてやってくれよ」
「……まあ、そこまで頼りにされてるのなら悪い気はしないし。ほら、アンタもさっさと話しなさいよね!」
アセビはカツキに煽てられて、すっかりと乗り気になっている。やる気満々だ。さっきまでどうでもよさそうな態度だったのに……扱いやすいというか、単純というか。正直、俺が相談してもいいかもって思った相手はカツキであって、別にアセビには相談に乗ってもらおうだなんて微塵も思っていなかったんだけど。俺は助け舟を期待してカツキに視線を送ると、彼はまるで諦めろと言うように、意地悪そうな笑みを浮かべた彼は肩を竦めるように、顔を横に振った。
「ほら、アセビも乗り気になったから、もう逃げられないぞ。一度言い始めたら、こいつはしつこいからな」
そう言うと、彼の横にいるアセビは腕を組んでこちらをじっと見つめてきた。顎で使う。その目は、まるで『さっさと、話しなさいよ』と言っているようで逃げ場はもうなさそうだった。だから俺は、諦めるように一度だけ深い溜息を吐いた。
「……ああ、うん。なんて言うか……友達と喧嘩したんだよ。いや、友達と言えるかさえも微妙な距離感だな。知り合い、知人、顔見知り……お近づきになりたい相手? どの言い方が、一番適切なんだ?」
「何よ、言い回しがいちいち面倒くさいし! 現世からこっちに来たヤツって、みんなどこかジメジメしてて暗いのよね」
アセビが呆れたようにそう言い放つ。鋭い言葉に思わず苦笑いが漏れてしまった。この期に及んで、言葉を選びながら話す自分が少しだけ情けない。でも、どうしても友達と断言するには、あまりにも関係値が浅すぎた。というか、それよりも彼女の喋っていた内容の中で、一つだけ気になることができてしまった。
「ひ、酷い偏見だな。というか、何でアセビは俺が現世から来たって分かったんだ? カツキから聞いていたのか?」
「え、そんなの見たらわかるし。確かその服って『セイフク』っていうのよね? ってことは、トールと同じでしょ? つーか、堅苦しそうな服こっちじゃあまり見ないし、一発でバレるわよ」
「はっはっは、衣服に関して、アセビにだけは言われたくないだろうけど……ここに本人がいたら、『トールじゃなくてトオル』だって絶対に口を挟んでくるだろうな?」
「……アイツのそういう細かい所が面倒くさいし」
「ああ、なるほど。制服を見れば分かるのか。よくよく考えれば、当たり前のことだったな」
盲点だった。言われてみれば、確かにこの世界で制服を着ている人なんて見たことがない。制服を着ているトールさんって人は、レインちゃんが話してた現世から来た人のことか。というか、制服を着ているっていうことはトールさんも学生なのか。勝手に自分よりも大人だと思っていたけど、もしかしたら俺と同じくらいの年齢なのかもしれない。
「ってか、ジンの悩みって友達と喧嘩したことなのかよ? いやでも、さっきアリアさんやリーネル船長たちとは普通に話せていたよな? ヒビキさんの名前が出ても大丈夫そうだったし、そうなるとレインさんか? いや、レインさんは喧嘩になったら距離を置いて、気まずくなって関係を断ち切ってしまうタイプだ。それに友達かどうか微妙って言ってたよな。なら、最近出会った誰かだ。もしかしてエルフの誰かか? そうなると……まさか、ホヴズさんか?」
「……カツキ、お前のその洞察力はスゴイを通り越して気持ち悪いよ」
探偵張りのファイリング能力に、思わず絶句してしまった。何が気持ち悪いって、一人一人の性格まで判断基準にして推理してくるところだ。というか、喧嘩しているなら相手を推測してくるなよ。しかも、ほとんど的確なのがまた腹立たしい。こいつ、人間とあまり積極的に話したがらないエルフたちの性格まで把握しているのかよ。俺なんて、まだ三人としかまともに話したことがないのに。
「お、当たりか? でも意外だな。ホヴズさんって割と温厚な性格だと思っていたけど。怒っている姿を見たは、わざとヒビキさんの話題を出たときくらいだな。それ以外だとすべて受け流してくれると思うからよほどのことじゃないと……もしかして、よほどのことをしたのか?」
「いや、外れだよ。俺とホヴズの関係は良好、だと思うよ」
「ここは、自信を持って言い切ってくれよ。でも、やっぱりそうだよな。だけどなら、誰だ? エルフの人たちって基本的に賢くて、寛容な性格の人が多いから喧嘩にまで発展したって聞いたことがないな」
「………ヘルガだよ。ヘルガとちょっとな……」
「え、ヘルガってあのヘルガか?」
「たぶん合ってると思う。というか、あのヘルガって、他にどのヘルガがいるんだよ」
ヘルガ複数人説が出たな。まあ、そんなわけがないか。それよりも気になったのは、彼女の名前を出した瞬間、カツキが好奇的な視線をよこし、アセビに至っては眉尻を下げて、端正な顔をわずかに歪めていたことだった。
「スゴイな。あのヘルガさんと友達になれたのかよ。オレが話し掛けたときは無視されたが、どうやって口説いたんだよ?」
「うちはアイツ嫌い。ってか、エルフってすぐにうちらを見下してくるし」
「いや、口説いたとかじゃないけど。喧嘩……うーん、喧嘩ってわけでもないんだよな。怒らせてしまっただけで、友達ってわけでもないんだよ。話したのは一日だけだしな」
「ならよ、一体いつから友達っていえるんだ? オレは初めて話す相手でも、そいつを気に入ったなら喧嘩をするよ。酒の席にも誘うしな。それに喧嘩をしたってことは、そいつと喧嘩をしてもいいと思うくらい気に入ったってことだよ。だって、興味がない相手とは喧嘩に何て発展しないだろ?」
「だ、だから。喧嘩ってほどじゃなくて、俺が地雷を踏んだだけだよ」
「ジライってのは分からないが……喧嘩じゃないなら裏切られたとでも思ったんじゃないか? 期待でもしてなきゃ、初対面の相手に怒るなんてことはしないからな」
「………裏切られるか」
彼の言葉が、ちくりと胸に刺さった。カツキは何というか、本当に人との距離感を掴むのが上手い。悩みを相談してみて、素直に良かったと思った。カツキのおかげで、やっと胸の内にあったもやもやを言語化できた。俺がヘルガと関わっているうちに感じていたことと、ヘルガが初対面の俺に感じていたこと――それは、もしかしたら同じだったのかもしれない。
「なぁ、カツキ。ヘルガと仲直りってできると思うか? それ以前に、話を聞いてくれると思うか? 俺って、やっぱりこういうの向いてないっていうかさ……どうせ上手くできないって心のどこかで思っちまってんだ。仲直りどころか、他人と喧嘩なんてしたことないし。やっぱり、俺なんかじゃ――」
「『否定からは良いアイデアが生まれない』。これは社長が会議のときに、口癖のように言っていた言葉だ」
「え、何だよ? 藪から棒に……」
「だから、俺”なんて”って言うのを止めろ。『なんか』や『なんて』は一時的に自分の心を守ってくれる魔法の言葉かもしれない。けどな、それに頼り過ぎると、本当にいつかジンの心を腐らせるぞ?」
「……ああ、分かった」
「よし、背筋を伸ばせば、誰とだって仲直りできると思うぜ。……いや、もしかしたらそれは言い過ぎだったかもしれない。だけどさ、少なくとも俯いた暗い顔をしているよりはずっといい。相手が暗い顔をして近づいてきたら、ジンだって警戒してしまうだろ? でも、明るい顔をしていると相手の心だってほぐれるものだし、そっちの方が仲直りできる可能性が上がるぞ。だから、そっちの方が、きっといい」
カツキの言葉は、俺よりも遥かに経験を積んだ先達者のような重みを感じる。年齢の近さを忘れるほど落ち着いていて、何ていうか、人間として分厚い。だから、彼の言葉は異様なまでの説得力を伴って、スッと胸に染み込んでくる。こいつは、本当にスゴイ奴なんだな。心の底から、そう思ってしまった。彼みたいになれたら、俺は自分のことを少しは好きになれるかもしれない。
「……え、ちょっと、終わり? うちには?」
そんなふうな感慨にふけっていた俺の思考を、アセビのぽかんとした声がぶった切った。間が抜けた声だ。そこでようやく俺は、アセビが口を半開きにして、ぽかんとした顔でこちらを見てることに気付いた。そうだった。俺は二人に相談に乗ってもらったんだった。でも――
「いや、もうほとんど解決したけど」
「はぁー!? うちも手伝ってあげようとしなのに、何二人で勝手に解決してるし!」
「……そうは言われてもな」
俺がそう答えると、アセビの顔が一気に不満げに歪んだ。両手を腰に当てて、ぷんすかと怒る。彼女のその姿はまるで遊びに混ぜてもらえなかった子供のようで、ちょっとだけ可笑しかった。俺が苦笑いを浮かべると、すかさずカツキが勝ち誇ったように笑い声を上げた。
「はっはっは、ならオレの勝ちだな! アセビよりもジンの役に立ったんだから」
「うちがいつカツキと勝負したの! うちが勝負事に負けるわけないでしょ!」
「そうか、そうか、はっはっは」
アセビが顔を真っ赤にして叫ぶ。彼女の勢いに押さえて、思わず一歩下がりそうになったが、カツキはまったく動じた様子もなく余裕のない笑みを崩さない。彼の余裕そうな態度が、少女の怒りにさらに火を点け、油を注ぐ。彼はきっと分かっていてやっている。確信犯だ。案の定というべきか、少女の怒りの火花がこちらにまで降りかかってきた。
「カツキ、アンタのそういう余裕ぶってるところだけは気に入らないし! ちょっとアンタも黙ってないで何かいいなさいよ」
「……えー、俺が?」
俺がめんどくさそうに返すと、アセビの勢いがさらにヒートアップした。
「ほら、他に悩みはないの!? このままじゃ、カツキのバカがまた調子に乗るし! センパイとしての威厳を見せつけてやるし!」
「いや、もう本当にないしな」
「何でもいいし! ほらもっと頭を使いなさい。この頭は置物かっー!」
アセビが俺の頭をがっしと掴み、ぐいぐいと揺さぶってくる。彼女のその力は、小柄な身体からは想像できないほど強くて、首が痛くなるほどだった。俺は情けない声を上げながら、必死に耐える。カツキはそんな俺たちの様子を見て、楽しそうに笑っていた。まるで、騒がしい弟と妹を見守るような慈しみに満ちた笑みだった。俺もこれが他人事だったら、彼のように笑っていられただろうな。でも、今は無理だ。首が痛い。
「はっはっは、大変だなジン」
「お前のせいだよ!」
俺はアセビに振り回されながら、カツキに向かって叫んだ。こうして、俺たちは冗談を交わしながら、相談しながら、シュティレ大森林を三時間ほど歩いていた。樹々はざわめきと、足元でカサカサと鳴る大きな落ち葉の音。時折、鳥のさえずりのような鳴き声が遠くから聞こえてきて、透明なトンボみたいな巨大な虫が、羽音を立てて、真横を通り過ぎる。生々しい虫の羽音が、近くから聞こえてきた。森の静けさに、生き物たちの生活音が彩りを添えていた。この森に住む命の気配が、優しく溶け込んでいた。
暇だったとは、口が裂けても言えない。この穏やかで、心地良い時間は、俺の心に張り付いていた緊張を、ほんの少しの間だけ、忘れさせてくれた。まるで、喉に絡みついていた重たい唾液がようやく流れてくれたような、そんな感覚だった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっと、着いたな」
足の疲れが限界に達した俺は、思わずそう呟いていた。武器や食料、酒などを前よりも多く持ってきたせいか、全体の歩みがゆっくりだった。まあ、その分ペースが安定していたおかげで、初めてエルフの里に来た頃よりも体力的には余裕がある。それでも、やはり長旅による疲れは確かにあって、俺は倒れるように木の根に座った。
「おい、おい、情けないぞ。この程度でへばるなんて」
「そうよ。うちら海賊は体力が命なんだし! もっとジンは体力をつけるべきだし!」
カツキが笑いながら俺の背中を軽く叩く。アセビも負けじと口を挟んでくる。彼らの顔にはどこか得意げな笑みが浮かんでいた。カツキにやつ、出発前には『身体が鈍っていないか不安』とかいっていたくせに、今じゃ息一つ乱れていない。二人の姿を見ていると、さらに膝から力が抜ける。
「うるさい、よ。お前たちと違って俺は頭脳派なの。もっと丁重に扱ってくれ」
冗談めかして言い返すと、二人は顔を見合わせてから同時に吹き出した。馬鹿になれてる気がするが……まあ、いいか。それよりも、三日ぶりに見たエルフの里は時の流れが止まっていたかのように、変わらぬ姿でそこにはあった。竜の鱗のように重なり合う厳かな樹皮。その上に築かれたツリーハウスは、まるで森と一体化しているかのように自然と溶け込んでいる。丸く可愛らしいドアには、エルフたちがよく出入りしており、雲のように空を覆っている大きな葉の下では、魔法で風を纏って優雅に宙を舞っていた。エルフの里は、変わらぬ美しさと静けさを保っていた。ただ一つ、違うことがあるとすれば、それは――
「なんか、エルフの数が多くないか? こんなにいたっけ?」
俺はふと、周囲の様子に違和感を覚えてそんなことを口にした。視界のあちこちに見慣れない顔がちらほらと見える。
「そりゃあ、各里から集まってんだからそうなるだろうよ。ほら、青い瞳のエルフも混ざってるだろ?」
「ああ、本当だな。初めて見た」
カツキが視線だけで示した方向を見てみると、確かに青い瞳を持つエルフたちが集団で歩いていた。彼らの姿はどこか冷たく、こちらに向かって静かな威圧感を放っていた。というか、こちらを盗み見てひそひそと何かを話している。ちょっとだけ、嫌な気分になった。
「アンタたち、見惚れてないで気をつけなさい。青目のヤツらは緑目のヤツらよりもさらにニンゲンを見下して、嫌悪しているし。いくら愛想だけはいいカツキでも、無暗に近づくと痛い目を見るし」
「知ってるよ。まあ、無視されるぐらいだから大丈夫だぞ」
「……もう手を出してたのね。相変わらずアンタは節操がないし。そこまでいったら呆れるし」
「おい、おい失礼だな。リスペクトって相手を知るところから始まるんだぜ?」
アセビは真剣な表情で俺たちに忠告をしてきた。その目には、いつもの茶化したような色を潜め、どこか険しかった。だが、忠告するには一足遅かったみたいだ。彼が肩をすくめるように笑うと、アセビは深い溜息を吐いた。
「よぉ、オマエたち何楽しそうに話してんだよ。オレも混ぜろ!」
突然、背後からさっき聞いたような声が飛んできた。振り返ると、ロバーツさんがアセビとカツキの間に割り込んできた。さらにその背後には、やや呆れたような表情を浮かべたリーネの姿もあった。
「……あなた、いつもそんなノリなの?」
リーネは眉をひそめながらそう問いかける。すると、ロバーツさんは心底不思議そうな顔をして、逆に問い返した。
「アぁ? 何か問題があるのかよ?」
「船長としての威厳とか考えて行動しなさいよ。ロバーツの海賊団は二番目に人が多いんだから」
「威厳なんて家族の間には必要ないだろ。少なくともオレには邪魔なだけだ」
「……それもそうね、あなたはいつも、あなただものね」
リーネは呆れたように言いながらも、どこか諦めたように微笑んだ。ロバーツさんは、そんな彼女の言葉を気にする様子もなく、鋭く白い歯を見せて、にかっと笑った。
「ちょっと臭いし、船長もう離れて!」
「オレもさすがにこの距離は……いや、やっぱりかなり嫌です」
「ひでえな。オマエたち家族だろうが!!」
カツキとアセビは、ロバーツさんに抱き着かれたことを少し嫌そうにしながらも、受け入れていた。抵抗はしているが、きっと本心ではまんざらでもないのだろう。かなりの力でロバーツさんの顔を押しのけているが、嫌がっていないはずだ。若干だが嬉しそうにも見えてきた……見えてきた気がする。
「相変わらず、貴様らニンゲンがいると活気があるな」
その声とともに、空からゆっくりと舞い降りてきたのはカーリだった。霊樹からこぼれる微かな光を受けて、虹色に反射する長い髪が風に靡く。揺れる。まるで、朝露をまとった絹のように煌めき、強制的に見る者の目を奪う。俺たちを見下し、風を纏いながら降り立つ彼女の姿は、まるで神話の絵画から抜け出してきたような神々しさを放っていた。
「カーリじゃない。そっちこそ、みんなの調子はどうなの?」
「……心配するな。我らエルフには調子の良し悪しなど関係ない。いつでも万全を期している。それにしても”海賊の娘”に『半鬼』に『狼戻』に『交渉人』が勢揃いとはな」
リーネが軽く手を振りながら声をかける。カーリの美しい目は、順に俺たちをなぞるように動いた。
「ちょっと『半鬼』じゃなくて『舞姫』とか『踊り子』とか『鬼姫』とか、うちにもいろいろと可愛い呼び名があるし! なんで嫌いな呼び方で呼ぶし!」
アセビはいきなり眉を吊り上げ、声を荒げた。彼女の頬はほんのりと赤く染まり、嫌がっているのが一目で分かった。だが、カーリは何故怒っているのか皆目見当がつかないようだ。カーリは涼しい顔でそう声を返す。
「なんでと言われてもな。最も知られている名で呼ぶのは当たり前のことだろう?」
「理屈っぽい言い方はやめてよ。嫌って言ったら嫌だし!」
カーリには悪気がないかもしれないが、無自覚な一言ほど人を傷つけるものはない。というか、感情的なアセビと理屈っぽいエルフたちは根本的に相性が悪いのかもしれない。
「まあ、まあ、アセビは少し落ち着けって。あんたがスゴイことは、オレたちが良く知ってるからさ。それに、これからアセビの言う可愛い呼び名を定着させていけばいいじゃん。なぁ?」
「知らないし!」
アセビはぷいっと顔を背けると、そのまま拗ねたように俺たちから離れていってしまった。彼女の背中が、ゆっくりと小さくなっていく。その場に残された俺たちに、少しだけ気まずい空気が流れた。少女の姿が見えなくなってから、カツキは一瞬だけ深く目を伏せて、苦言を呈した。
「あんたもあんただぜ? もっと言い方には注意しないとさ。アセビは結構気にしてんだから」
「……すまない」
カーリは短くそう答えたが、彼女の声にはわずかな戸惑いが滲んでいた。彼女なりに反省はしているのかもしれない。だけど、それを素直に表現することは文化圏が違うエルフである彼女にはとても難しいことなのかもしれない。
「エルフは見た目だけで許されている最悪なコミュ障集団だからな。いまさらどうこう言っても仕方ねぇよ。まあ、お互いに学んだとでも思えばいいさ」
ロバーツさんが肩を竦めながら、軽く笑う。彼の言葉が気に障ったのかカーリの美しい眉がぴくりと動いたが、反論はなかった。代わりに、ムスッとした綺麗な眼でロバーツさんのことを鋭く睨むように見つめていた。だが、彼はまったく気にした様子もなく、一方的に話を続ける。
「それよりも準備は出来ているのか?」
ロバーツさんの声に少しだけ真面目な響きを帯びる。彼の声色の変化を前にして、カーリも表情を引き締めた。
「……ああ、ヒュドラ討伐への準備は今も着実に進んで――」
「それじゃねえよ? ヒュドラ討伐の準備なんて明日でもいいだろ? それよりもさ、もっとあるだろ?」
ロバーツさんが急にニヤリと笑い、話の流れを断ち切った。彼の笑みには何かを企んでいるような、悪戯っぽい光を帯びていた。カーリは眉をひそめ、わずかに首を傾げた。何がいいたいのだろう、とでも言いたげなその表情には困惑と警戒が入り混じっていた。恐らく、俺も似たような表情を浮かべていることだろう。
「……貴様が何を言っているのか私には理解ができない。いったい貴様は我々に何を求めているのだ?」
「決まってるだろ? そりゃあ……」
ロバーツさんが、眼帯を付けていない方に立っているリーネに向けて同意を求めるような視線を送る。その視線はまるで『な?』とでも言いたげだった。リーネの燃えるような赤い瞳が、彼に呼応するようにわずかに揺れる。彼女はその意図をすぐに察したのか、ふっと口元に笑みを浮かべる。ここまできて、この二人の間で何が行われているのか、俺にはまったく分からなかった。だが、二人はほとんど同時に口を開いて――
「宴の準備よ!」「宴の準備だ!」
二人の声が重なった瞬間、場の空気がおかしな方向へと一変した。二人の呼吸は、驚くほどぴったりと合っていた。風向きが変わった。周囲のエルフたちもざわめき始める。高らかに宣言するように、ふざけた調子で言い放った。その中心で、カーリは一瞬だけ目を見開き、完全に言葉を失っていた。完全なまでに整っていたカーリの表情が崩れた瞬間を、俺は一生忘れることができないだろう。




