第三十三話 『宴』
リーネとロバーツさんの一声で宴が始まった。
そしてさっきまでヒュドラ討伐の準備をしていたエルフの面々からは理解不能な生物を見た時とまったく同じ表情を向けられた。やっぱり海賊の船長ともなるとどこか頭のネジが緩いのだろう。いや、もはや外れてしまってるのかもしれない。
「何考えてんだよ、あの二人は!」
「飲み過ぎだよ、ジン」
「飲んでないよ、水しかね!」
どうかしているのは船長だけではないな。宴という単語が聞こえた途端、荷物を運んで疲れていたはずの屈強な男たちが武器を放り投げて、酒瓶をみんなに配り始めたのだから船員たちも頭が可笑しい。
「おい、おい、おい、オレへの悪口が聞こえたぜ、ジーン。獣人は耳がいいんだよ」
「酒臭いな、どんだけ飲んだんだよ。おっ、ロバーツさん!」
「いや、遠慮すんなよジン。オレたちの船長だからな、オッサンって呼んでも良いんだぞ? ほら、眼帯がなければどこにでもいるただのオッサンだろ」
「おい、オッサンはそろそろ傷つく歳だからやめろよ! カツキ、オマエもあと十年経つとその言葉がどれだけ鋭いか実感することになるぜー。言ったことは必ず自分に返ってくるんだからなー」
ロバーツさんってシュテンと同じ絡み酒タイプか。面倒くさい。正直な気持ちシュテンと同じノリでオッサンって言いそうになってしまった。
「それによー。オレがオッサンだったらアリアとエセ侍はどうなるんだよ。アイツらオレが海賊になった時からほとんど年食ってねえぞ。特にアリアだ。あいつはオレがガキの頃から見た目が全く変わってないんだぜ、もう実年齢を考えたらいい年のバ――」
「何か言いましたか、ロバーツ?」
ロバーツさんの背後にはいつの間にかアリアさんがいた。
にっこりと微笑んでいるはずなのに目だけが笑っていない。それどころか青い瞳からはその単語を口にしたら『殺すぞ』という強い意志を感じる。
「……何でもないよ」
「そうですか。ならよかったです。ところで話は変わるんですが久しぶりに会ったのですから向こうで一緒に飲みませんか? お酒ならまだまだありますよ?」
「いや、オレは――」
「飲みませんか?」
「…はい」
ロバーツさんは自らの失言の結果アリアさんにどこかへ連行されてしまった。
自業自得だと二人で笑い飛ばしてしまいたかったがロバーツさんのとても小さなあの背中を見ているとそんな気分にはならない。というかアリアさんの怒りという名の火の粉を被りたくない。
「ああ、知ってるか? 魔法が使える人間は普通に暮らしている人間よりも肉体的な年を取りにくいらしいんだ」
「へぇーそうなのか」
「ああ、エルフが半永久的に生きるのは人間よりも魔法を使うために肉体が進化したとかも言われてんだよ。他にも未練が強い人だったり、呪具を持っていると歳をとらないって仮説もあるんだとよ。もっともオレも本好きな弟からの又聞きだから間違いもあるかもしれないがな」
「…興味深いな。あ、そうだ。ヒビキに聞こうと思ったんだけどさ、呪具とか神具ってなんなんだよ? 報告会のあとで聞こうと思ってたんだけどうっかりして忘れてたみたいだ」
報告会の後で拗ねると面倒くさいヒビキのご機嫌取りを兼ねて呪具について聞こうと思っていたんだけど船に戻るとヒビキはもう気にした様子もなく『それよりも見てください、これボクも買ったんですよね。危うく忘れるところでした』と同じような刀を自慢してきた。いや、結局ご機嫌取りのようなことしてたな……
「ああ、えーと。呪具とかの話か。呪具が人や鬼、エルフにドワーフ種族問わず作れるもの、魔剣が古代ドワーフ、神具はそれ以外って感じだな」
「カツキは俺のことをバカだと思ってるのか?」
驚くほど雑な説明だ。噛み砕いて説明するにしても限度ってものがあるだろう。
「いや、そうは言ってもな。オレも詳しくは知らねんだよな。何だっけな、呪具は身体から漏れ出した魔素、いや、魔力だったな。それが道具に宿るみたいな話だよ。魔力を吸うが特殊な力を宿す道具だ」
「そうか……なら魔剣はなんだ?」
「なんか尋問みたいで嫌だな。えっと魔剣だったな。魔剣ってのは古代ドワーフが自分らの神が戦うために捧げる武器の総称だ。古代の技術らしく今は作れないと聞いたな。そしてそれ以外が神具だ」
「それって何が違うんだ? 同じじゃないのか?」
「オレも知らない。呪具でも魔剣でもない出自が不明なもののことって覚えてるな。これは東から来たって自称していた胡散臭い吟遊詩人の友人から聞いた話なんだけど……なんでも弓の神具の一射で大型の船が三隻も沈んだそうだ。まあ、こういうのは誇張されて伝わるもんだから当てにならないけどな」
はっはっはと楽しそうにカツキは笑った。だが、カツキのおかげでだいぶ分かってきた。呪具のことさえ覚えればいいってことだけはな。
「ああ、そういえばヒビキさんが神具を持ってるって聞いたことがあるな」
「は? そんな物騒なものを持ち歩いてるのか。ヒビキのバカは?」
「はっはっは、バカか。ヒビキさんにそんなこと言えるのは修羅道に行きたい命知らずだけだな。まあ、ウチの船長だったらそれに加えて『あのエセ侍の見かけに騙されるな。ジジ臭い香水でわざと誤魔化しているが、アイツはクソほど血生臭い。全身に血の匂いがこびりついてやがる。臭すぎて鼻が曲がるほどにな』と面と向かって言うだろうな」
「エセ侍ですか? 確かにそうかもしれませんね」
「ヤベ……」
「どうしたんですか、カツキ? さっきまで楽しそうにボクの話をしてくれていたじゃありませんか? どうぞ続けてください」
「あんまりいじめないでくださいよ、ヒビキさん。顔が怖いです」
引きつったように笑うカツキと胡散臭い笑みを貼り付けているヒビキ。二人とも顔のパーツが整っているがこうまじまじと見比べたらかなりタイプが違うな。
というかいつの間にここにいたんだ? 上機嫌に話している最中に音もなく、気配もなく、真後ろに立たれるのは恐怖以外の何物でもない。それが相手に聞かれたくない内容だったらなおさらだろう。
「あ、っそうだ。オレはアセビに用事があるんだった。そろそろいかないとな。そういうことなんでじゃあな、お二人さん。仲良くやれよ」
「……はい。アセビの足止めをしてくれるならさっきのことは聞かなかったことにしてあげます」
「それでいいのかよ。というかアリアさんもそうだけどウチの船って地獄耳しかいないのか?」
「ボクはただアリアさんの真似をしてみただけですよ。それにさっきまでアセビから逃げ回っていたのでカツキがボクの代わりを引き受けてくれるならちょうどよかったかもしれませんね」
コソコソと逃げて他のグループに『アセビはどこにいる?』と混ざりに行くカツキを横目にヒビキは俺の隣に座った。まるでカツキからバトンを引き継ぐように。
「何でそこまでアセビから逃げてるんだ? もうここまで来たら諦めて結婚した方が楽だろ。二人の間になにがあったのか知らないが純粋にあそこまで想われるのは羨ましいけどな」
「冗談をボクはまだ鬼籍に入るつもりはありませんよ」
ヒビキは小さな樽のようなジョッキに並々に注がれた琥珀色の酒に口づけしながらながらそんなことを言ってきた。その時にヒビキの腰に佩いていた刀が偶然目に入った。
「気になりますか? やっぱりどんな時代に生きていても男っていう生き物は刀が大好きなんですかね」
「まあ、そうだろうけどさ。……それが噂の神具ってヤツか?」
「そうですよ。これは神具です。かつてシュテンたちが力を合わせて退治した八岐大蛇の尾の身を切り裂くと見つかった刀です」
「それって古事記か何かに登場する天叢雲剣のことか? あれ、草薙剣だったけな。どっちでもいいか。だけど今は熱田神宮にあるって聞いたんことがあるんだけど」
「はい、たぶんそれです。それのレプリカ、いや、失敗作と呼称するべきでしょうか?」
「失敗作?」
「はい、これは神が作った失敗作です。そうでないと可笑しい」
「話のスケールに俺はもうついていけてないよ。俺の目にはヒビキの腰についているのはそれは普通の美しい刀にしか見えない。神具だの呪具だの違いがよく分からないよ」
「ならジン君は眼鏡を変えた方がいいです。今度はちゃんとレンズが入っている眼鏡にです」
「……気付いてたのかよ」
俺はレンズの入っていない眼鏡の位置を調節する。ヒビキの言う通りこの眼鏡にはレンズが入っていない伊達眼鏡で、なにも価値がないものだ。
「はい、それは伊達眼鏡というヤツですよね。眼鏡は男を三分上げると言いますがジン君もお洒落に気を遣うんですね。心配しなくともジン君は眼鏡がなくともそこそこ男前だと思いますよ」
「うん、ありがとう。ヒビキに言われても全く嬉しくないよ。……ただみんなに真面目って思われたかったからだよ」
「なぜですか?」
「……昔から人の視線が怖かったんだよ。なんて思われているか分からなくて、それに真面目ってことしか取り柄がなかったんだ。だから俺は真面目なヤツだって、他の人からもそう見れらたくて、ずっとこの眼鏡をかけているんだ。まあ、気付かれたのは初めてだけどな」
「そうなんですか、ボクには分からない価値観ですね」
「ああ、それはお互い様だろ。俺はお前らと違ってこんな死ぬかもしれないって時にも酒を飲むなんて考えられない。脳まで酒に侵されてるんじゃないのか?」
「みんなお酒で恐怖を誤魔化しているんでしょう。化け物と戦えと言われてるんですから仕方がないです。それにこれが仲間と酒が飲める最後のチャンスだと考えるとはしゃぎたくなる気持ちは分かるでしょう?」
「まあ、そうだよな。ごめん、言い過ぎたよ」
「構いませんよ。それに、どうやら震えは収まってきたようですしね」
ヒビキは俺の手を見ながらそんなことを言ってきた。自分でも気づかないうちに弱弱しく指先が震えていた。これは寒さからでななく、きっと恐怖からだろう。
「本当だ、気付かなかったよ。………なあ、つまらないことを聞くかもしれないが、ヒビキは、その、怖くないのか? グリフォンのときから思ってたんだけどさ、お前は、ヒビキは、いつも、どこか愉しそうだ」
「怖いですか? まだヒュドラの姿すら見ていないのに?」
「それはそうだけだろ。みんな心のどこか恐怖を隠しているんだ。酒を飲むのも、騒ぐのも、今会話をしているのだってそれを誤魔化すためにやっていることだ。でもお前からは恐怖の気配すら一切感じないんだ」
「ごめんなさい。揶揄いすぎました。でも、そうかもしれませんね、きっとジン君の想像通りですよ。ボクは恐怖を全く感じていません。むしろ心待ちにしています」
ヒビキはいつもと変わらず紫陽花のような着物に身を包み、胡散臭い笑みを貼り付けている。
「ジン君はボクの夢は知っていますよね? 初めて会った時に話しましたから」
「ああ、確か武の道を極めたいとかなんとか言ってたな」
「はい、ですがそれだけでは不正解です。……ジン君、ボクはね。神になりたいんですよ」
「は!? お前、いつの間にそんなに頭が悪くなったんだ?」
「フフフ、失敬ですよ」
ヒビキはこちらの表情を伺うようにゆっくりと目を合わせる。顔をいつもよりも楽しそうに歪ませているが、俺のすべてを覗き込むためか真っ黒な瞳をピクリとも動かさない。
「ジン君、人が死んだ後でも残せるものは何だと思いますか?」
「お前、前にグリフォンの巣で人は死んだら骨すら残せないって言ってなかったか? それを参考にするなら何も残せないってことになるだろ?」
「あれ、そんなこと言いましたかね? だとしたらジン君を励ますために言ったことでしょう。答えを引っ張っても仕方がないので言いますが、正解は名です。人が後世に唯一残せるものがあるとすれば愛でもお金でもなく、名前です」
「それで?」
「神の正体とは名です。名が神を形作るんです。だからボクも神になれる。自明の理でしょう? そのために必要な次の一歩がヒュドラ討伐です」
「……イカれてるよ、やっぱりヒビキは」
「ジン君がボクをイカれてると思うのはただ見ているものが違うからですよ。夢の大きさとでも言えばいいんですかね? ペンをとり絵を描くのも、刀を振るうのも、夢に向かって努力するという点では本質には同じです。ただ違うのは見ているものの大きさだけです。町で一番の画家になるのと世界で一番の画家になるは全く意味合いが違うでしょう。君がボクをイカれてると思うなら目指す場所の違いです。ただそれだけです」
「それだけって、とてもキツイことだと思うよ。少なくとも俺にはできない」
「ボクは自分のことを信じていますから。ボクの中には絶対にぶれない一本の芯がある。だからどれほど傷つこうとも前に進んでいけます。この夢を果たすためならばボクは自分の命すら賭けてみせましょう」
「命すら賭けるって言うのは簡単だろ? というか具体的には何をするんだよ。不敗伝説でも作るのか? 負けたら腹でも切るのかよ。それってどうやって証明するんだ?」
「ボクはまだ生きていますから、それが不敗の証明です」
俺の軽口を正面から切り捨てるようにヒビキは言った。いつもの軽薄な口調はなく、ただ淡々と事実を口にするかのように……
「ジン君もボクを笑いますか?」
「……笑わないよ。いや、笑えないって方が正しいか」
ヒビキのいつもの冗談だと思っていたが瞳はどこまでも真剣だった。そこで俺はやっと間違いに気付いた。どれほどヒビキの夢が馬鹿げていても、夢のない者がそれを笑う資格などないことにだ。
「少々喋りすぎましたかね。どうやらボクが思っている以上に酔いが回っているようです」
しばらく二人で沈黙の時間を過ごした後、ヒビキは静かに立ち上がった。
「もう行くのか?」
「はい、他にも話しておきたい相手がいるので、ジン君も早くヘルガと仲直りをしないといけませんよ?」
「なんでバレてんだよ」
「見ていたら分かるものですよ。人間関係というのは雰囲気である程度は分かります。……では、口が軽くなっているついでにアドバイスを一つ。ジン君、頑張り方を間違えたら一流の原石も磨かなければただの石です。逆に正しい努力をすると泥であっても価値がうまれるものなんですよ」
「…結局ヒビキは何が言いたいんだ?」
「仲直りは早くした方がいいということです。喧嘩っていうのは時間が経つほど後を引くものです」
「……ああ、分かってるよ」
ヒビキはいつも通りの胡散臭い笑みを貼り付けた笑顔で俺の返事を聞くとカランコロンと下駄を鳴らして走り去ってしまった。遠くから「あ、ヒビキ、見つけたし」とカツキとアセビの姿が見えたからそのせいだろう。
俺は二人がヒビキを追って遠くに行くのを確認した後、ヘルガを探すためにゆっくりと歩き始めた。どこにいるかも分からないと頭の中では理解しているのに足だけは歩くのを止めてくれなかった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ジン、あなたも宴を楽しめてる?」
「リーネか。見て分かる通り浮いてるだろ? 俺には場違いってことだ」
「そう? 私は意外と馴染めているように見えたわよ」
ヘルガの姿を探すために大広間に向かっている途中でばったりとリーネと出くわしてしまった。大広間がある方へとヘルガが走っていったという目撃情報をもとに俺はここまで歩いてきた。大広間に行ったということはおそらくカーリのことを探しているのだろう。
そんな自分勝手な推測を頼りにして取り敢えず情報通りに歩いていたのだが、リーネはなんでここにいるんだろう?
「ところでジンはなんでこんな場所に一人でいるの? あっちの方が人が多いわよ?」
「いや、ヘルガを探してたんだよ。ただ、それだけだ。というかそれを言ったらリーネの方もだろ? なんでこんなところにいるんだよ。船からわざわざ持って来た酒は向こうにしか置いていないぞ?」
「私はカーリを探してたのよ。船長として先に話をしておきたくてね。それに私はお酒っていうのが苦手なのよ。あれって苦いじゃない?」
そういうとリーネは可愛らしく舌を見せてきた。こういうことをされるとどう反応すればいいのか分からないので困る。
「……ロバーツさんはむこうで吐くほど酒を飲んでいるぞ?」
「ロバーツはあれでいいのよ。そうだ。ジンはヘルガを探してるんでしょ? 私もカーリを探すついでに手伝ってあげるわ!」
「…じゃあ一緒に行くか? たぶん大広間だと思うけど」
「いいわよ、じゃあカーリのところまでエスコートをお願いね」
「俺よりも強いくせに何言ってんだよ」
「もう! 違うでしょ? こういうのは気持ちよ。相手の行為に気持ちが込められてればなんだっていいのよ」
「……はい、はい。バカ言ってないでさっさと行こうぜ」
「あ、もう、待ちなさいよ」
リーネはゆっくりとこちらに手を差し伸べてきたが俺はそれを無視して進み始めた。いや、だって恥ずかしい。異性の手を繋ぐのも、握るのも俺にはハードルが高すぎる。それにただでさえ何処から見られているのか分からない場所だ。こんなことでシュテンに揶揄われるのはごめんだ。
「…? なあ、あれって何をしてるんだ?」
「何よ。ああ、あれね。あれは『エルフの輪』よ」
拗ねるように顔を膨らませてはいるが俺の質問にはしっかりと答えてくれるみたいだ。しばらく二人で歩いていると不思議なことを発見した。
エルフたちが手を繋いで輪っかを作り、焚火をグルグルと円を描くように周っているのだ。焚火の火に照らされて温かい虹色に輝く髪に青や緑など様々な眼の色をした美男美女が歌うように踊っている目の前の光景はこの世のすべての物事を差し置いてでも一見の価値があるだろう。
「エルフって四大精霊を信仰しているのは知ってる? あれは戦いを司る火の精への儀式よ。エルフたちは戦の前日に心に巣食う闇を火で燃やすことで心の闇が浄化されて戦士になるのよ。これで死の恐怖にも臆することなく戦えるらしいわ」
「……臆することなくね。なあ、俺があそこに混ざっても大丈夫かな?」
「ダメよ。あそこには人間が嫌いなエルフがたくさんいるわ。なんでわざわざこんな人気のないところでこんなことしてると思ってるの?」
「そうだな、そうだよな。よし、じゃあ気を取り直してカーリを探そ――」
「何でよ!!」
俺の言葉をヘルガの大声が遮った。いきなりのことで驚いた。
「なあ、いまの大広間の方からだよな」
「そうね。何か起こったのかもしれないし、少しだけ急ぎましょうか」
エルフの輪に目を奪われて本来の目的地よりも遠ざかってしまった。リーネの言葉を受けると同時に駆け足で大広間まで進む。まあ、そうは言っても大広間までは目前だ。すぐに着く。
「は、ドアが開いてるな? 入ってもいいのか?」
「大丈夫よ。何かあっても謝ればいいわ」
三分程度で両開きのドアの近くまで来たが開きぱなしで入っていいのか分からない。だから、リーネと一緒にドアから頭だけで中を覗き込む。悪いことをしている気分だ。
「だから、何でワタシがニンゲンたちと同じ中衛なの!? ワタシもエルフよ。前衛にしてちょうだい! 同胞を喰い殺したヒュドラに目にものを見せてやるわ!」
「……何度も言っているだろう? これ以上は時間の無駄だ」
「ワタシのことは心配しないで、足手まといにはならないわ! もしヒュドラにやられることがあったらワタシのことは見捨ててくれて構わないもの」
「……そんなこと出来るわけがないだろう! オマエはワタシの姪だ、ワタシの妹に託された大切な娘だ! オマエをみすみす死なせる馬鹿な真似をするわけいかない!」
「死ないわ! ワタシは絶対にヒュドラを倒して同胞の敵を討つ! だから安心して、ワタシを前衛に配置してよ、カーリ! みんなはもう覚悟を決めているわ、ワタシ独りだけ戦わないなんてありえないでしょ!」
俺やリーネがいるのに気付いていないのか二人の言い合いはどんどん白熱していく。俺たちが二人の間に入って止めようかと考えた瞬間、カーリが一度だけ深く溜息をついた。
「ならばはっきりと言ってやろう。貴様は我らと共に戦うには足手まといだ。ワタシは貴様を戦力としては数に入れていない」
「それでも、皆と戦いたいって言ってるの! ワタシもエルフの戦士なんだから!」
「……魔法を使えぬ者を我らは戦士と認めない」
「な、何を言ってるの」
噛み付くほどの勢いがカーリの一言によって殺された。先ほどまでの強気な彼女とは思えないほど弱弱しく震える声が聞こえた。まるで何かに怯えているようだ。いや、カーリの次の言葉に怯えているみたいだ。
一方のカーリはヘルガの顔を見ないように瞼を閉じた。そしてもう一度だけ溜息をつくとヘルガに向かって口を開いて――
「ヘルガ、貴様は四大精霊に愛されていない。ワタシたちとは違い、ヘルガ、オマエは――」
ヘルガはカーリの言葉を聞き終わるよりも早くドアに向かって走り出した。そこで俺たちの存在に初めて気付いたのか一瞬だけ目を大きく見開き、ヘルガは俺たちを押し退ける勢いでドアを出ると何処かに消えてしまった。
「悪い、リーネ、俺が追う!」
「…ええ、それがいいわ。頑張りなさいよ、ジン!」
リーネの励ましを背中に受けてヘルガの後を追う。人間とエルフが種族な差かは分からないが、絶対に俺では追い付けない速度でヘルガは走る。追い付けない。だけど彼女の背中を追いかける。
薄暗いシュティレ大森林を突っ切るように走るヘルガが何処に向かうか? なんで逃げるのか? そんな頭に浮かんだ多くの疑問よりも頭の中に残るのは大広間で告げたカーリの最後の言葉だ。
カーリはヘルガに向けて確かに『魔法が使えない』とそう言ったのだ。




