第147話 彼女が泣けるのは
マナは、頑張ってくれていて。それが、微笑ましくもあり、嬉しくもあり、つらくもあった。
「ハイガル。今度、旅行にでも行きましょう。あたしが抱えていくわ。まあ、可愛いフクロウの姿で、色んな人に撫でまくられなさい」
きっと、俺が、暇をしていると思ったから。マナはそんな事を言ってくれた。俺の爪を整え終わると、マナは優しく、包み込むように、ぎゅっと俺を抱きしめて、頬にキスをする。
「うん、いい匂いがする」
そんなことを言いながら、羽毛に顔をうずめて、頬擦りをする。
――そこにはいつも、あかりがいた。
「今日は、ちょっと用事があるから、また後でね」
あかりがいれば、泣いてしまわないから。
そうやってたまに、あかりとどこか、遠くに出かける。それでも、声はちゃんと聞こえていて。
『私のしてることって、全部、無駄なのかな』
『無駄じゃないよ。きっと、ハイガルくんには、届いてる』
『ハイガルの方がつらいのに、私、自分のことばっかりで。いつまでこんなこと続けなくちゃいけないんだろうって、そう思ってる。最低だ』
『そう思うのも、仕方ないと思うよ』
『でも私、ハイガルに助けてもらわなかったら、ここにいなかった。なのに、心が、もうつらいって、もう無理って、もう頑張れないって、そう言ってる』
頑張らないでほしい。マナの心がすり減っていくのを、もうこれ以上、見たくない。
『ハイガルは、今でも、私のことが好きなのかな』
『私に、どうしてほしいんだろう』
『すごく怖い。――彼から、逃げたい』
マナを嫌いになることなんて、あるわけがない。
何もしてくれなくていい。強いて言うなら、幸せになってほしい。
怖がらなくていいように、言葉を、想いを、伝えたいのに、伝えられない。
『マナちゃんは、今でも、ハイガルくんが好きなの?』
『もう、分からない。大好きなはずなのに、一緒にいると、つらい。一緒にいても、私が一人で馬鹿みたいで、本当は何一つ、楽しめてないのかもしれないって、そう思う。もう、ハイガルとの思い出を作ることなんて、きっと、できない』
俺の中に積み上がっていくマナと、マナの中からこぼれ落ちていく俺は、あまりにも違いすぎる。
『そんなことないよ。ハイガルくんは、君が毎日、顔を見せてくれるだけで、すっごく、嬉しいと思う』
『なんで、そんなこと分かるの?』
『そりゃあ、まなちゃんみたいな可愛い女の子に、一から十まで世話してもらえるなんて、天国みたいなものじゃん?』
あかり……。それは、間違いない。
『……あははっ。馬鹿みたい』
『男なんて全員馬鹿だよ』
『そんなことないよ』
『それは、ハイガルくんのこと?』
『ハイガルは正真正銘、馬鹿』
『じゃあ、誰?』
『うちのユタ』
まあ、ユタ様は、利口だな。確かに。
『ユタくんだって、相当馬鹿だと思うけどねえ』
『大丈夫。私がちゃんと育てるから』
『そっか、それは安心だね』
『うんっ。だから、もう少し、頑張ってみるわね』
その頑張りは、果たして、いつまで持つだろうか。
そんなマナを見るあかりも、つらそうだ。
***
――夏休みが終わった。
これまでで一番、長かった。
マナの匂いは、もうしない。
『あ、ル爺。ぽっころ』
『ルジさん、ただいま』
マナとあかりの挨拶には返事を返さず、ルジは切り出した。
『マナさん。ハイガルのことで話がある』
ルジが「マナさん」と呼ぶときは、私生活に関わることだ。魔王に関係する話のときは、「マナ様」と呼ぶからな。
『何かしら?』
『このままだと、あやつが学校に通うことは難しい』
逃げたときは、通うつもりなんて、なかったんだけどな。今は、恋しくて、たまらない。
『……ええ、そうね』
『この宿舎は、学園の生徒向けに貸し出しているものだ』
『つまり、ハイガルを置いておけないってこと?』
少し躊躇いがちに、ルジは続ける。
『ハイガルはモンスターだが、人権がある。そして、ここは、介護施設ではない』
『そうね。ル爺の家で預かるなら、あたしも会いに行きやすいけれど、どこに移動させるの?』
マナは、気づかないフリをしているのだろう。
ルジの選択は、残酷なようでいて、俺が願っていることそのものだ。
『ハイガルの居場所は教えられない』
『え?』
『あなたはまだ若い。あんな鳥一匹に一生を捧げることなく、自分のために生きてくれ』
俺が言いたかったことを、ルジは、代弁してくれた。
マナは震える声で、
『……あたしって、迷惑だった?』
『そんなことは決してない。それに、ハイガルにとっては、たいそう楽しい日々だっただろう』
『じゃあ、なんで』
『声だけは取り繕っていても、表情は隠しきれていない』
――。
『凄惨な過去により、マナ様の表情は、死んでしまわれたものだと思っていたが、そうではなかった』
ルジは、吐息を一つ、ついて。
『あなたは、自分が傷つかないよう、心を大切に隠していた。それを、ハイガルに見つけてもらったのですね』
そう言った。
俺が、マナの心を、見つけた。
――ルジがそう言うなら、そうなのだろう。
心を見つけてしまったから、あんなにも、マナは悲しんで。
けれど、あんなにも無表情だったマナが、泣いたり、笑ったりしてくれるなら。
俺がマナと過ごした時間は、つらいだけの思い出にならずに済んだのだと、そう思えるだけで、救われたような気がした。




