第116話 花びらの枚数
コンビニで地図を買おうとしている、この世界のマナ・クレイアを、俺は近くで見守っていた。
前回までを思い出す。離れていても、ルジに遠くから見守るよう指示されたり。わざわざ、ルジを牽制しなければならなかったり。色々と面倒なので、先んじて、ルジが干渉できないくらい近くに来てやった。
彼女の目の前に、クロスタが現れる。きっと、城を出て以来、初めての邂逅だ。
クレイアたちと旅をしながら、魔王幹部としての務めも果たしていた俺だが、城に出向く機会はほとんどなかった。
「いやあああっ!!!!」
甲高い叫び声。こうなることは予想していた。俺たちと過ごした記憶があればまだしも、それがないのだから、過去は過去にならない。
トラウマを乗り越えられるような、繫がりの温かさを、自分はすごいと思える成功体験を、今の彼女は知らない。
――それを、どこか、すっかり冷めた気持ちで、客観的に見ている自分がいた。
「お姉ちゃん、助けてっ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だあああ……!! お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」
完全記憶能力と、幾度かの繰り返し。一度として同じにはならない世界。
「来ないでッ!! 嫌だ、来ないでっ、来ないでえぇ!! 嫌だ、嫌だ!! お姉ちゃん、助けてっ!! お姉ちゃん!!」
けれど、こうなることは確信していた。このあとに、あかりが助けに来るであろうことも。
「これを見ても、まだお前は、彼女を追いつめるつもりなのか」
あかりの声だ。クロスタに敵意を向けている。
――なんとなく、世界が、灰色だ。
ここにいても、何もできることはないと判断し、俺はこの場を去る。
いつの間にか、モノクロの姿かたちに、色がつくようになって。
マナの白髪や、赤い瞳や、涙の色も、目の前で起こっている光景みえないにせよ、分かるようになって。
世界のほとんどが見えるようになって。けれど、あんなに鮮やかだった世界が。光で満ちていた世界が。
色褪せて見える。
マナが何年経とうとも、何もしないのを知ったからだろうか。あかりが俺より先に、彼女に告白してしまったからだろうか。王女の皮肉の痛みに、慣れてしまったからだろうか。
クレイアの悲鳴に、ほとんど何も感じない自分が、恐ろしかった。呆然と見ていられる自分が、まるで、自分ではなくなってしまったみたいで。
桜の花びらが落ちる速度も、枚数も、位置も、動きも。すべて、覚えてしまっている。この世界を丸ごとそのまま、記憶してしまった。
見たいと思っていた景色も、読もうと思っていた本も、ポンポンサイダーの色も、見えてしまった。
だから、飽きてしまったのだろうか。
――ジェニファーと話がしたい。
気づけば俺はチアリターナの元を訪れていた。チアリタンでジェニファーを呼び出すついでに、顔を見せておこうと思ったのだ。
「ほう。珍しい客が来たの」
懐かしい声に、震える心も希薄だ。
「しけた顔をしておるの」
ポールが、あんなにも怖がった意味が、やっと少し分かった。
人なんて、一瞬で消し炭にできてしまいそうな巨躯。高貴で純潔な、白銀の鱗は異様な存在感を放っている。いつの間にか、過去の光景と紐づけて、探知にも色がつくようになっていた。
これでは、チャームポイントのふわふわしっぽなど、目に入らない。それでも、俺は、怖いとは思わない。
「まあ、たまには、会いに来てやってもいいかと思ってな」
「よく言うのぅ。どうせ、妾など、ついでじゃろうて」
いつもと違う行動をしても、このもやもやが晴れないということは、飽きたわけではないのだろう。
とはいえ、あまりにつまらなそうな顔をしていても、相手に失礼だ。もう指摘されているので手遅れだが、気を取り直そう。
「――強くなったの」
「まあな。今なら、お前にも勝てる」
「秒殺じゃろうて。そちとは戦う気にもならぬ」
自分の実力が理解できるくらいには、俺は旅の中で強くなり続けた。修羅場も幾度となく、くぐった。自分より強いかどうか、見抜けるようにもなった。練習して得たものは、すべて、実戦に活かしている。
今なら、師であるドラゴンでさえ、簡単に倒せる。だから、怖くない。
「そう、怖い顔をするでない。妾は乙女じゃぞ。怖いじゃろうが」
「すまんすまん。ドラゴンの肉は美味しいのかなと、ちょっと考えていた」
「冗談抜きで怖いわ!」
ドラゴン殺しは禁忌とされている上、倒すことは不可能に近い。その肉を食べるなんて、人肉を食べるにも等しい、重罪だ。そもそも、ドラゴンの血は、特殊な儀式を通さないと、のめたものじゃないらしいしな。
そんな冗談も交えつつ、俺はチアリターナと言葉を交わした。時を遡ったことや、旅の道程など。人を超えた存在である彼女には、ほとんど隠さず伝えた。




