第112話 世界の秘密
過去はやり直せない。起こったことは消えない。
だとすれば、そのうち「消えたい」なんて願うらしい、元王女とあかりの子どもが存在する世界があるはずだ。
この並行世界が果たして、この世界と何年ズレて進んでいるかは定かではないが、ともあれ、彼らの子どもも、ある程度は大きくなっていると思った方がいい。未来から来たマナの声は思っているよりずっと、若かった。
だとすれば、その願いはおそらく、発動している。いや、だからこその、この違和感なのだろう。
「二人の子どもができない不自然さ。それは、子ども自身が産まれることを望まなかった。いや、『自ら消えること』を望んだ結果だと、俺は思う」
「続けて」
「この世界は二人の間に子どもができなかったところから分岐している。――いや、分岐じゃない。彼女は消えたい、と望んだ。だから、彼女がいる世界そのものが、消えたんだ」
ジェニファーの息遣いが、肯定していた。
一人の人間の、消えたい、というたった一つの願いで、世界が丸ごと書き換わったのだ。
それほどまでに、願いの力というものは膨大で、たった一人の人間の可能性というものもまた、同様に計り知れない。
俺ですら、予想がつかないほどに。
「俺の中でももう、二人に子どもがいた世界の記憶が、なくなり始めてる。俺がまだ覚えてられてるのは、おま……ジェニファーの力と、俺自身の魔力。――それから、あまりにも大きい魔法だったから、あちこちに違和感がまだ、残ってるんだろ」
「そうよ」
「きっと、この違和感が消えたら――」
「その子は、完全に消えることになるわね。そうなれば、アタシもきっと、覚えていられないわ」
それは、ダメだ。あかりは俺の友だちだし、元王女は、癪だが、マナの大切な友だちだ。その子どもの命を、黙って見捨てるような真似は、できない。
――マナならなんとかできるかもしれない。あかりの声は、嘘ではなかった。
「なるべく早く動きたいのは分かるけれど、もう一つだけ、伝えさせてちょうだい」
気持ちは急くが、大丈夫。この一ヶ月、覚えていられたのだから。落ち着け。焦りは禁物だ。
「あなたが認識していないところでも、この世界は、繰り返してる。――アタシがこの会話をするのも、ハイガルチャンとの初めましても、もう数え切れないくらい」
ジェニファーと出会った経緯を考えれば、きっとそうなのだろうと、予想はつく。
俺は確かに、死に戻っている。
だが、未来のマナが俺に会いに来たように、俺の未来もどこかで、過去と繋がる。そうして、過去は作られ、繰り返す。
「それから! どぉーして、いつもいつも、アタシを呼んでくれないのよんっ、んもうっ!」
「す、すまん。ちょっと、色々、落ち込んでて」
「落ち込んでるときこそ! アタシ! ジェニファー! でしょっ!」
「は、はい……」
すごい勢いでグイグイ迫られて、返事はハイかイエスしかないようなものだ。
「それから。アナタの願い、勝手に一つ、叶えちゃったわよん」
「えっ。な、何を?」
「――マナチャンを見たい。あなた、死に際にそう願ったでしょ」
確かに、願った。
「魔人は願いに引き寄せられるのよ。プリハディート、なんて、唱えても、唱えなくても。死の間際に抱くような、ものすんっごく、強い願いには反応しちゃうの」
「そうなのか……」
となると、もう一つの謎も、すっきり解決する。俺のこの視界は、マナを見たいと願ったことにより得たものというわけだ。
とはいえ、目が見えるようになりたいとは願っていない。
マナの顔を見たいと思ったこれまでの瞬間を、俺は見たいと願ったのだ。だからこそ、見えるのは、過去のマナの顔なのだろう。
「瞳に焼き付いてる光景を、次の世界に情報として持ち越すときに、記憶の中の映像として送ってるのよ。――それにしても」
深刻な声に、少し身構える。何か、悪いことでもしてしまったのだろうか――。
「んもぅ! もうもう! ハイガルチャンったら、いつもかわいいんだから!」
「いや、えっと、その、照れるから、やめてくれ」
「あらやだんもぅ~~~♡」
この妙ちくりんな感じが、妙に、懐かしい。困りはするが、話していると、元気になる。
「それから、アタシは、ハイガルチャンが聞いてる声は、全部、聞いてるわ」
「そうか」
「ええ。盗み聞きは、品がないけれど、こればっかりは避けようがないの。聞こえなきゃ、願いだって聞こえないわけだから」
「まあ、どのみち、全部、覚えてるだろ。何度も繰り返してるんだから」
「――そういうことじゃないの。アタシが何度目でも、他の人たちにとっては、ずっと、一度目なんだから。聞かれたくないでしょ」
それもそうだ。それに。
「……今まできっと、すごく、寂しかったよな」
繰り返す世界。俺はバサイ――もとい、マナからランプを渡されたが、そのとき彼女がランプを持っていたのは、俺がこの世界でマナに渡すからなのかもしれない。
目の前のジェニファーは、すべての世界の中で、たった一人しかいない。そして、別の過去でも、俺の手に渡ることになる。
何度目かなんて、覚えていないくらいに、何度も、同じ光景を繰り返しているのだ。
彼女は、自分が要となって回る、終わることのないループの上でしか、生きたことがない。
そして、一人だけずっと、同じ景色を繰り返す。
「寂しいわよぉぉおんおん。ハイガルチャンも全然呼んでくれないし! まあ仕方ないって分かってはいるけれどっ。――だから、今回こそ、ループを終わらせて、先に進むわよん!」
ジェニファーはあまり暗くなりすぎないよう、冗談めかして言う。
「お前は、三つまで、願いを叶えられる。一つは、俺の視界。もう一つは、二人の子どもの願いを打ち消すこと。――残るもう一つの願いで、お前を解放してやる」
「……ありがとう」
ジェニファーは、慣れた痛みをなぞるようだった。きっと、俺は何度も、同じことを彼女に約束したのだろう。
それなのに、何らかの理由で、叶わなかった。だから、彼女は今も、ここにいる。
「けれど、アタシをマナちゃんに渡したら、あなたは、次の世界に記憶を引き継げなくなるわ。全部、忘れてしまうの。煙みたいにね」
――はっと気づく。いつが最後かなんて、分からないのだと。
いつからか、心のどこかで、自分が主役ではなくなっていたのかもしれない。
この世界は、確かに、すばらしい。が、消える世界だ。願いによって作り出された、うたかたの世界。
俺の中にしかない世界。
それに、俺が最後と決めた世界でも、マナは、過去に行ってしまうかもしれない。ランプを渡すために。俺に願いを託すために。
マナがいなくなるかもしれないのに、俺はその世界を選べるのか。
「今、アタシを解放するってことは、この世界以外の記憶を捨てて、この世界で一生を終えるってことなの。マナチャンのいない、この世界でね」
本来、一度きりしか与えられなかった鳥生。それを俺は、やり直してきた。
俺はまだ、マナを幸せにできていない。
「だから、いいの。アタシよりも、若い命が未来を繋いでいくほうが、よっぽと大事なんだからっ」
だが、茶目っ気たっぷりに言う、寂しそうなジェニファーを――どうにかして救ってやりたい。




