母なる女王の願い
「女王陛下、そろそろ彼方に、行かれたお時刻になりますね」
女王の側仕えの傍ら、ブランカ王女に交代で身の回りを世話をしていた者達が、彼女の自室に集まっていた。
お茶を差し出しながら、話しかける女官長。主を見つめる目は赤く、涙で潤んでいた。
その場に居合わせいる者達は、皆目を潤ませ国を去った王女の行く末を願っている。
主がたてた計画により、幼い王女に厳しい対応をする様にと、密やかに言い渡されていた者達。
彼女達は己の心を消し、王女の幸せの為に女王の意を汲んだ者達。なので、目の前の主の心の内を思うと、涙が溢れてくる。
それに対して、お前達は良い日に涙等と!叱責を飛ばすと、女王は、申し訳ありません、とひれ伏す彼女達を冷たく一瞥した後、
席を立つと、ついて来ることは、まかりなりません、と 灯りがともされた燭台を手に取り、部屋を後にした。
×××××
カツン、カツンと足音を響き渡らせながら、独り歩く白の女王……
人々はこう呼ぶ、強く、聡明で、国を守る女王。時に情けもないのか、と、冷酷に呼ばれる強い女王。
そうでなければ、一国を『紅薔薇の呪い』という厄介な物を抱える、国を、民を守る事は出来ない。王座の重み、王族として人の上に立つ責務。
正直、押し潰されそうになることもある。彼女も一人の人間なのだから……
やがて女王は、広い城内でも最も奥の部屋の扉の前に立つ。そしてゆっくりと、その重い扉を開く……
その部屋は、今宵旅立った王女の部屋。今朝まで彼女が時を過ごしていた、二間続きの居室。
女王は、手にした灯りを掲げ、ゆるりと眺めた。
そして彼女は奥の部屋へと進む。そこは娘の寝室。かつて一度だけ、訪れた事がある一室。
×××××
部屋へと入り、後ろ手で扉を閉める。そして寝台へと近づく。
そこには後で片付けるのか、王女が今朝まで身に付けていた、寝衣がきちんと畳んでおいてある。
まるで主が帰って来るのを、待ってるかのように……
傍らの机に燭台を置く、ゆっくりと腰を下ろす女王。静かな時が満ちていた。
何かに耐える表情をして、物思いに耽っていた彼女だったが
やがて込み上げる想いが涙となり、溢れてくる。声を上げては誰かが来る、と両の手で口を塞ぐ、母と戻りし女王。
娘の残り香が、温もりが残る様に感じる寝衣を、抱き締め、顔を埋め、嗚咽をこらえる。
可愛い、愛しい我が子、王の代わりに自身があの時身を挺していれば、と、どれほど悔やんで生きてきたか、
隠したかった、かくして誰の目にも触れさせず抱き締め、日々言葉を交わし、頬を寄せ、過ごしたかった。
あの夜、にべなく告げた、あの夜、挨拶が出来ぬと言いがかりをつけて、寒いバルコニーへと追いやった、ひどい母親と過去を振り返る。
使者が来ても、居ないと言えばよい、皆そうしてきた。民の嘆きに目を瞑ればそれでいい。
しかし、愛する者を呪いで亡くす、その悲しみを知っている女王としては……『華』を手にしている、王家の者として、責務を果たさなければならない。
それが人の上に立つ者の行動、そして夫のいまわのきわ、残した言葉。
『国を頼む、民を……呪、を……く様に、ブランカの幸せを』
その時は最後の言葉の意味が、分からなかった。しかし、女王として人々の前に立つと、その深い言葉が、胸に刻まれていたことを感じた。
王は年がたてば、娘を迎えの者に託す、そして呪いをとく決意をしていた。
しかし、とてもながら自分には出来ない。このままの自分では、成し得る事は出来ない。
女王として人々の上にたってからは、心を押し隠し冷たく、情など持たぬ様に接した。
いずれ『黒の国』の者として、こことは別の人々の元で、生きて行かなくてはならない、我が娘。
国を救う為に、手離さねばならない、愛しいブランカ。
あの夜、王女の前で言えない、使者に対して自身の娘を差し出す言葉は、言えない。そしてその場から遠ざけた、弱い自分。
使者に直ぐ連れて行くように、まだ幼児の娘を、差し出した冷酷と呼ばれる女王。
しかし、常識ある者の判断で、その願いは持ち越された。
そして始まった、王女にとって辛く悲しい歳月、そして母なる女王の過酷で哀しい同じ時間。
彼女は日々心千切れん想いを抱き過ごした。
手を取りたかった。すがる様に追う瞳に、頬を寄せ抱き締めたかったと、姿を目にする度に狂おしく思った日々。
そして神を呪った。何故に両が揃ったのかと、髪の色と瞳の色……王家には、金の髪など滅多と産まれぬのに、
私か王の色ならば、手ずから育て上げられたものを、と人知れず涙を流した過去を振り返る。
そして彼女は、忍ばすように、身に付けているペンダントを、胸元からまさぐり出す。
それは密かに作らせた物。娘の瞳の同じ色の石。そして中には、一筋の金の髪が納められている。
硬く冷たいそれに、涙に暮れながら、唇を当てる。
その貴方のあたたかい柔らかな頬を、両の手で包む、するときっと嬉しそうに笑うわ
そしてこうやって、何度口づけしたいと夢見たか……彼女は狂おしくそれを懐く。
かつて一度、一度だけ、病に付した娘の枕元へと、闇夜の手配で、忍んだ事がある母なる女王。
その時彼女は、思いの丈をこめ、深く眠る娘に悟られぬ様に頬を寄せ、手で包み、いとおしく口づけをして、
今と同じく涙を流しつつ、去り際に一筋髪を切り取った。
胸に迫る万感の想い……そして聞こえぬ様に囁く。彼女の愛しき我が子の名前を、
「ああ、ブランカ、ブランカ、貴方の前で、名をよびたい、でも出来ないの、出来なかったの、わたくしが愚かだったから……呼べば『聡明な女王が』崩れて行く、なので貴方を呼べなかったのよ」
許してと、囁き涙する母親に戻りし女王。幸せを願った。心から、彼女の幸せを願い考えた。
どうしたら『異形のあの使者の国』で、幸せになれるのか。そう思い詰め果てた過去の時。
魔力があると、それに対して何も持たない娘。ならば出きる限りの事を学ばせよう、
そしてこの国に住む私達とは、違う姿に恐怖を持たぬ様にしなければ、どうすればよい?
幸い、見た目と違いやさしい心を使いをされた、あの使者。私達と同じ心を持っている。
ならば二度と帰りたくない、育った国は、ひどい国そう思わせれば……いいのではないか。
ならば憎む様に、冷たく冷たく過酷に接して、この国など見棄てる。私達を、捨て去る強さを、あの子に与えなければ……
幸せを、何処でも生き抜く強さを、それだけを願った今宵迄の時、王子を育てつつ、無理な事なのだか、
彼が早く成人になるよう、願った年月を送った母なる女王。
「退位したら、女王でなければ、愛しい娘と隠れてくらすの、可愛いあの子の歌声を聞いて、上手よと誉めて、ブランカを抱き締めて、笑って、それだけでいいの」
狂っていたとしか思えない、自身の行い。何故にあれ程冷たく接したのか、
しかしそうでなければ、果たせなかった責務。彼女の心は叫ぶ。
ブランカ。ブランカ、私の可愛い娘。
名前を、やっと、その名前を貴方が居なくなってから、呼べるのよ、
何故なの、何故なの、皆、容易く呼んでいると言うのに。
私はどうして、女王なのか、あらゆる事を乗り越えられずに、ただの弱い心の母親。
わが子の名前を、一度さえ呼ぶこともなかった。そう、今宵の、永久の別れになる時だって、
その時ですら、口に出す事が出来ぬ弱い私が、民を守り、国を導く事は出来ない……
こんな、愚かな母が『聡明な女王』ではないわ………
寝室で、儚げに残された娘の気配に包まれ、その残された衣に顔を埋め、
硬く冷たい瞳の色を握りしめながら、届かぬ声をあげる母親がいた。
ブランカと、ブランカと愛しい娘の名前を、
過去に想いをはせ、そして仕える者達に、悟られぬ様に、
密やかに囁き、涙する哀れな独りの母親がそこにいた……
「完」




