第8話 火種
<ヒスイside>
扉を開けると真っ先に、彼の弱々しく憔悴しきった丸くなった背中が目に入った。
「ホタルさん……鈴蘭の容態はどうですか」
「……。ぁ、うん。峠は越えたから、ひとまず。でもまだ予断を許さない状態なことは変わらない」
目の下は隈が凄くて、いつもの高貴な雰囲気はない。
鈴蘭が倒れて三日が経った。大会医師としてホタルさんがいてくれたからよかったものの、少しでも対応が遅れていたら鈴蘭は。
「ホタルさん、休んでないですよね。僕が見ていますから少し寝てきてはどうですか」
「いや、鈴蘭の傍にいたいんだ。目を離してる間に容体が急変したら――」
「その時はすぐに呼びます。本当にホタルさんが必要になった時にホタルさんの調子が悪かったらその方が適切に対応できないでしょう」
3日間寝食を蔑ろにしているこの人を無理にでも休ませるため、あえて強い口調で言う。
「……そう、だね。じゃあ隣の部屋にいるから、何かあったら、すぐに呼んで。どんな些細な変化でも」
「はい。必ず」
強く頷くと、それでも不安そうな顔をしながらも部屋をそっと出ていった。
改めてベッドの方に顔を向ける。鈴蘭が規則正しい呼吸で眠っている。あの痙攣と異常な呼吸を見た後だと少しばかりほっとする。そっと手に触れてみるが、少し冷たい。それが怖くて両手で鈴蘭の手を包み込んだ。
鈴蘭が倒れた後、全てがパニック状態だった。
フローラ様は特に取り乱していたし、観客は英雄を姑息な真似で攻撃されたことに対して激怒していた。いつも余裕そうなメイオールさんがあんなに焦った顔をしてるのを初めて見たし、パールさんは来賓席から鈴蘭のところまで走っていってた。カルセさんが鈴蘭に何度も声を掛けながら救護室に運んでいる間、ショールさんは真っ青な顔になっていたし、ライトは泣いてた。
そんな中フローラ様は国民を落ち着けるために堂々と言った。白き英雄の件は後日説明の場を設けること。鈴蘭の容態はまた追って発表すること。モルガの処遇は検討すること。部下を心配しながらも治世者として素早い対応をしたことで、国民はひとまずの落ち着きを取り戻した。
けれど世論は3日でかなり固まりつつある。
白き英雄が秘匿にされていたことに、王族に対して多少の不信感はあれど、支持率の高いフローラ様の側近としていたことから、そこまでマイナスに思われておらず、むしろ事情があるのだろうと認められていた。
そして白き英雄はその名の通り国民の英雄だ。それをあのような形で攻撃したモルガに対してかなり激怒し、死刑を要求している。
混乱の中、城も慌ただしかった。
結城が失踪したのだ。最後に会ったライトも、どこに行ったのかわからないという。
タイガ様がなぜ英雄の正体を明かしたのかわからないままだし、何を狙っているのかわからない。そんなタイガにショールが強く反発しているし、ホタルさんはずっとあんな感じだ。フローラ様も無理して働いているが、きっと立ち止まったら崩れてしまうからだろう。
「鈴蘭。君が英雄じゃなくても、こんなに心配してくれる人がいるよ。だから」
目を覚ましてほしい。
……そう願ったところで奇跡が起こるでもなく。
鈴蘭は眠り続けたまま、この日も目を覚ますことはなかった。
※
<フローラside>
鈴蘭が倒れて4日目。まだ目を覚まさない。
今日もホタルさんは部屋で休まずに様子を見てるのでしょう。
私も何度も鈴蘭のところに見舞いに行った。でもその度に今にも息を引き取りそうな冷たくて白い鈴蘭を見ていたら、泣き出してしまいそうで。国がパニックの今しっかりしないといけないのに、隣に鈴蘭がいないだけでこんなに私は弱い。
『どうしたんですか、らしくない。大丈夫ですよ、姫様なら』
「!」
頭の上で鈴蘭の声がした。
……とうとう幻聴まで聞こえ始めたらしい。
でも、そうね。鈴蘭ならそういうはず。私なら頑張れるって。
パチンと結構大きな音を立てるように両頬を叩いた。
「よっし、頑張ろう」
鈴蘭が目を覚ましても、安心できるように。彼女の望む居場所を守れるように。彼女が守ってくれた国を守るために。
今日も私は現実と向き合う。
そして今日も鈴蘭は目を覚まさなかった。
※
<ライトside>
鈴蘭が倒れて5日目。まだ目を覚まさない。
今日はタイガ様から国民に向けて説明の場が設けられた。俺はその警備について、その様子をぼんやり眺めていた。
説明は実にシンプルで、秘匿にしていたのは混乱を避けるため。フローラ様の側近になったのは本人の意思。というものだった。そもそも国民は秘匿にしていたことへの不満はモルガへの怒りで薄まっていた。だからこれについては特に何も問題なかった。
「今日はもう一つ、モルガの処遇について話がある」
すると周りから死刑を望む声が多数上がる。それは大きくなり、広がり、どんどん伝染していった。
「死刑だ」「英雄を汚した罰を」「死刑が妥当だ」
それは随分と恐ろしい光景に見えた。タイガ様はそれを止めず、しばらく黙って様子を見ていた。止める人がおらず、モルガに対する怒りは広がり、再加熱する。暴動が起きそうなくらいに高まった絶妙なタイミングで、タイガ様は再び口を開いた。
「モルガには、西の街がバックについていたことが判明した」
……え?
「今回モルガが行った英雄殺人未遂には、西の街も加担しているとみられる」
「そうなのか」
「やっぱり、あそこは王族に反発する変わり者の集まりだもの」
「そいつらが俺たちの英雄を……」
そんな声がざわめきの中から聞こえる。
ちょっと待って、待ってくれ!
西の街は過激派と穏健派に別れてる。穏健派は本当に無害で、ただそこに住んでるだでみたいなもんだ。なのに西の街で一括されて恨まれるなんて。少なくとも穏健派は今回の件に関わってないはずだ!
「西の街を潰そうよ」
「そうだ、あんな不穏分子を今まで放置してたから駄目だったんだ」
大体、西の街の成り立ちはカラア民族を迫害した王族に反発して、カラア民族が姿を消した後に残された一般の血筋の家族たちが作った村だ。その成り立ちを知っていれば、ただ王族に反旗を翻してる人たちじゃないことくらいわかるはず。
「ジェミニカを壊す集団だ」
「あの街は危険だ」
「温情なんていらない。英雄の無念を、今度は俺たちが晴らすんだ」
タイガ様の方を見ても、彼は表情も変えず何も言わない。まるでそうしたらいいと言っているように。
俺だって、西の街での嫌な思い出は確かにある。でも、全部が全部そうだったわけじゃない。楽しい思い出もあったんだ。
『お前は今後、何を優先させたい』
『西の街はもういいのか』
『……。まだ何も考えてないんだな。ライト、お前は優しいけど、優柔不断で決断ができない。そのままだと全てを失うぞ。――早く決めないと決断しないと』
この国のトップが無情な言葉を告げる。
「国民の想い、しかと受け止めた。これは国の威信に関わる重大事件と見なし、我々は西の街ジャスパ、並びにその地においてジャスピアンを武力で支援している犯罪組織リコリスに対して武力行使をする方針だ」
俺は決断しないと。




