9 蛇+水
「裕也は、浩一を利用したかったんでしょ」
というのが、光の第一声だった。何とも手厳しい意見だ。
僕がとりあえず説明したことを一言で述べると、「暇だったから裕也についていったら、精霊がらみの事件が起こったことを知った」となる。
「利用とは少し違うと思う」
「悪意がないだけで、同じでしょ」
光の口ぶりは、厳しかった。
僕と光が現在いるのは、裏庭だ。
中央校舎の北側、正門から見て中央校舎の裏に位置するから裏庭と呼ばれているが、実際は裏という呼び名がふさわしくないような場所だ。ブロックの敷き詰められた遊歩道や季節によって色鮮やかな花を咲かせる花壇が並んでおり、一面芝生の敷き詰められた広場もある。広場の端や花壇で区切られたスペースにテーブルやイスが並んでいたり、噴水が設置されていたりする。公園のような場所で、昼休みや放課後に利用する生徒も多いらしい。
文化祭中も広く利用されているが、生徒の数は少なく、一般の来場者がほとんどのようだ。芝生にレジャーシートを広げたり、イスに腰掛けたりしてくつろいでいる姿が目に映る。
そう言えば、どこかでレジャー用品を扱っている出し物をしているところがあったのを思い出した。こういう来場者を見越して準備していたのかもしれない。実際に売り子として商品を担いで外を歩いている生徒もいたりする。
僕と光がここに来たのは、別に憩いに来たわけではない。
精霊の話をすると、光もやはりその件にかかわることになった。それで光の考えを元に歩いている。
光曰く、「乾麺をそのまま丸ごと食べたら、のどが渇くんじゃないのかな?」というわけで校内の水場を回っているのだ。
精霊が人と同じようにのどが渇くのかフェイルに聞いたところ、「飲みたければ飲むよ」という答えが返ってきた。絶対にないとは言い切れないわけで、ほかに当てがあるわけでもなく、こうして裏庭の噴水を目指して歩いている。
裏庭にある噴水は、花や生け垣に囲まれたところにある。噴水の構造やデザインに凝ったところはなく、遠くからだと池のようにも見える。ただ、それだけしかないから珍しい場所ではない。普段は通り道としかならない。時間帯によっては建物の陰になる場所で寒いこともあり、わざわざ近づく者も少ない。
今日も噴水には水が張られている。水が噴き出るのはチャイムの鳴る時間と同じらしいので、今は噴き出ることはないだろう。
「いまさらだけど、フェイルは水に近づいて大丈夫なの?」
光が、僕のポケットに視線を向けながら聞いた。
ポケットから頭だけを出したフェイルが、光を見上げている。
「大丈夫だよ。火は水で消えるけど、精霊は水で消えないよ」
「でも、嫌だったりしないの?」
「水の魔力は嫌だけど、水は嫌じゃないよ」
フェイルの様子は、本当に大丈夫そうだった。
「特に温泉はいいよ。火の魔力の溢れている水は、一気に体が温まってね、何もしたくなくなるぐらい気持ちいいよ」
フェイルは、笑顔を浮かべている。その笑顔は、とても気持ち良さそうだと感じさせた。その気持ち良さは人にも十分理解できる。
「それじゃ、少し見て回ろうか」
「うん」
僕と光は、ゆっくりとした足取りで噴水の周囲を歩き始めた。噴水の周りには生け垣や花壇など隠れられそうな場所がいくらかある。そういう場所に気をつけながら見ていくことにする。
噴水の中に魚は泳いでおらず、落ち葉が少し浮かんでいるだけだ。石材の素材をそのままにした黒っぽい色の水底。わずかに揺れる水面と共に落ち葉が舞って浮かんでいる。
「……」
風は、今は吹いていない。しかし、水面が揺れている。少なくとも目の前の落ち葉は、動き続けている。
僕は、噴水に一歩近づいた。そして水面を覗き込んだ。端から順に、油断なくゆっくりと。
「どうしたの?」
光が隣から聞いてきたが、それに答えるつもりはなかった。その時の僕は、噴水の中を転がっている蛇を見て、困惑していたから。
蛇は普通ならば、直線的な体をくねらせて動くだろう。しかし、目の前の噴水の中にいる蛇は、スプリングのように体を巻いて浮かんでいた。それが横に転がるように動き、それにあわせて周囲の水面も落ち葉も揺れていた。
「……あれは、蛇なのか?」
僕は首を傾げて、落ち着いてそう言った。
隣で状況を理解していなかった光が、それを聞いて落ち着きをなくしてしまった。
「ど、どこ」
表情を怖がらせて僕の腕にしがみつき、僕を盾にするように背中に回った。忙しく周囲に目を向ける。しっかりと視線を向けないと分からない所にいるから、それで光が落ち着くことはない。
「ねえ、どこ!」
「そこ。噴水の中」
僕は、ゆっくりと噴水の中にいる蛇を指差した。
光は、その指先をジッと見ながら、しがみつく腕にギュッと力を込めた。別に痛くないけど、力を入れられるとなぜか緊張する。
「あの、白いの?」
光のか細い声が、スプリング状の蛇の色を言った。その蛇は、白かったのだ。
「蛇、なのかな?」
光も困惑気味だった。
たぶん、スプリングのような形の体をした蛇はいないだろう。時期的にも蛇が活発に活動するとは思えない。だから、蛇ではないと思う。水面に浮いているのは、別のものだ。
僕は、視線を落として周囲の地面を見た。白い渦巻きは、噴水の中ほどにある。手を伸ばしたぐらいでは届かない距離だ。枝などの棒のような物でも落ちていればと思ったのだが、あいにく使えそうな物は落ちていなかった。
仕方がないので、靴を脱いで噴水に入ることにする。
「……光、中に入るから放して」
「え?」
光は、言われてから自分の腕を見た。そして、僕の腕を光が拘束していることを確認した。それを確認した光は、すぐさまパッと手を放すと肩の高さに両手を挙げて見せた。大げさな動作だったが、聞き分けが良くて助かる。
自由になったところで、さっさと噴水に入った。噴水の水は、さすがに冷たい。噴水に足を踏み入れても、白いスプリング(仮定)が変わった動きをすることはなかった。ゆっくりと水面に波紋を作りながら白いスプリング(仮定)に近づく。
近づいてみると蛇という感想は、外れてはいなかったが、近くもなかった。顔の部分にえらのような突起物がついていた。えらのように平らではなく、角のようにとがっている。水生生物っぽくはあるが、水がなくても生きていけそうな雰囲気だ。
近づいて見たが、触って良いものなのか迷う。
「……あの、ちょっといいか?」
まずは、声をかけてみた。
「うーん……、後五分だけ……」
返ってきた声は、見当違いな内容だった。しかし、言葉が通じることは確認できた。
「いや、そうじゃなくて」
「後十分……」
時間が延びた。
「話をしたいんだけど」
「間に合ってまぁす……」
訪問販売のように断られた。
「あなたは、誰ですかー」
「……ぐー」
寝息をたててぐっすりだった。
僕は、早々に諦めて噴水の端に戻った。
「どうだったの?」
光は、不安げな表情を浮かべている。
「気持ち良さそうに寝てる」
「寝てるんだ」
それを聞いた光は、呆れ気味だった。
僕は、噴水の淵に座った。
「……」
さて、どうするべきだろうか。この状況を放っておく訳にはいかない。おそらく、白いスプリング(しゃべる)も精霊だろう。ならば、この世界のことは何も知らないはずだ。ほかに任せられる人がないので、うまく話をしないとならない。そうなると、起きて話ができるようになるまでここで待つことになる。その間は、暇になる。
僕は、噴水の水面を凝視している光を見た。せっかくの文化祭なのに、僕のわがままに光をつき合わせるのも悪い。
「光は、いろいろ見てきていいよ」
「いい。浩一と一緒にいるよ」
光は、首を振って僕の提案を断った。
「でも、お昼もまだろくに食べてないでしょ?」
「それは、そうだけど、少しぐらい大丈夫だよ」
僕の気遣いは、光にとって無用なようだ。
「……分かった。それじゃ何か買ってくる」
無用だとしてもそれぐらいはしないといけないと思った。しかし、それを光に制止された。
「待って、それなら私が買ってくるから浩一はここにいて」
「いや、そこまでしてもらうつもりは……」
「いいから!」
反論は許さないという雰囲気で光は背中を向け、グラウンドのほうへ行ってしまった。
「……」
僕は、何がなんだか理解できず、ずっと座っていた。
それから僕は、トイレに行きたかったとか、どうしても食べたい物があったとか、命令は聞かなくちゃいけないんだよなとか、後で裕也に連絡しないといけないなとか、あれこれ考えて、蛇(白いスプリング)のいるところに一人で待ちたくなかったという考えに至るまで悩むことになった。
◇
光は、多くの種類の食べ物を買い込んで戻ってきた。
こういうお祭り事では定番の焼きそば、お好み焼き、たこ焼き(十個セット)、イカ焼きの鉄板焼き関係が、それぞれ一パックずつ。それから、ピザ(四ピース、トッピングはすべて別)、餃子(五個セット)、豚汁、ミネストローネ、野菜ジュース(ペットボトル入り)、フルーツジュース(ペットボトル入り)、今川焼き(十個セット)と続いた。レジャーシートも買ってきて、噴水の一角の通路として使われないところに広げる。
当然、これだけの量を光一人で運べるはずはなく、売り子の人が配達員のように僕のところに運びに来た。「武野君ですか?」「武野さんですか?」とやや物珍しそうな目で名前を呼ばれた。何が珍しかったのだろう?
これらの食べ物は、二人と二体で片付けることとなった。
光が戻って来て、料理に箸をつけようとした時、白いスプリング(伸縮しない)が動いたのだ。
「た〜べ〜も〜の〜」
白いスプリング(もうスプリングじゃない)は、そう言いながらのっそりとした動きで光の後ろに立ち、瞳をランランと鋭く光らせて恨めしげに呟いた。
背後に立たれた光は、「ひゃう!」と奇声を上げて飛びのいた。見事な動きだった。
「……食べようか」
その時の僕の反応はそれだけ。
そして、僕の向かい側に精霊が二体、隣に光が座ることになった。
精霊は、握りこぶしに小さな頭がついたぐらいの大きさなので、レジャーシートの上で一か所の留まらずに食べたい食べ物の所に向かってちょこまか動く。
そのせいで光が、僕の隣に引っ付いて動かないのは困ったが、仕方がないこととして諦めた。
まずは、自分の名前を名乗り、相手の名前を聞いた。
「ヘレマトロニ。ヘレって呼んで」
ヘレは、渦巻きの輪を広げて座っている。渦巻きの輪を絞めれば細くて高くなるが、輪を広げれば平たくて低くなる。やっぱり、スプリングやバネの仲間みたいに見える。
僕は、咳払いをしてまじめな顔を作る。
「ヘレ、まず言っておくけど、人の食べ物は勝手に食べちゃいけません」
「知ってるよ〜」
ヘレは、ピザを一切れ、一飲みにした。
「でも、私は盗賊だから、盗んでこその盗賊でしょ」
「いけません」
「でもぉ……」
「駄目です」
「えー」
「わかったな」
僕は、ヘレの前にあるたこ焼きを遠ざけた。
「むー」
ヘレは、頬を膨らませた。膨らむ頬に合わせて顔の両脇にある突起物も伸びる。
「わっかりましたぁー」
ヘレは、鷹揚にうなずいた。
一応満足のいく答えだったので、遠ざけたたこ焼きをヘレの前に戻すとヘレの突起が元に戻り、たこ焼きに口を伸ばした。器用にくわえて口の中に運んでいる。
「それで、ここで何を?」
「さっきまでは、魔力調整をしてたわよ。ここに運ばれてから、かなり食べたから」
「ここがどこだか、分かってるのか?」
「なんとなくは、わかってるわよ」
「なんとなく?」
「別の世界なんでしょ。魔力の感じが違うし、今まで食べたことがない物があるし。この私が食べたことがない物なんて世界にほとんどなかったはずだもの」
ヘレは、体を反らして自慢している。渦巻きの体を反り返すのは意外と難しいと思うが。
フェイルよりは事態をのみ込めているようである。だから、ここまで落ち着いているのだろう。
フェイルが、首を突っ込んでいた豚汁の器から顔を上げた。
「ほとんど食べたの?」
「そうよ。私は、食べ物専門の盗賊だから食べ物には目がないの」
「たくさん食べたの?」
「たくさんの種類を食べたわ」
「おいしかったの?」
「おいしいのもあったけれど、そうでないのもあったわね。いろいろよ」
「いろいろ」
「そう、いろいろ」
「ふーん」
それでフェイルの興味はなくなったらしく、再び豚汁に顔を戻した。
「……全部盗んだのか?」
僕としては、そこが気にかかる。
「そんなわけないでしょ。人にしか作れない料理とかあるんだから。お金を払ったり、頼まれ事を聞いたり、盗んでばかりじゃないわ」
「それでも盗賊なのか?」
「いいのよ。盗賊っていうのは、手段を選ばないで貪欲に求めることにあるんだから」
「……手段は選ぼうか」
「や」
ヘレは、そっぽを向く。人の言葉を聞こうとしない。いや、それ以前になぜ、僕はこんな説教じみた話をしているのだろう?
「この世界に精霊はいないし、魔法のような力は使われていないからあまり目立った行動はしないように頼む」
「ふ〜ん、それがものを頼む態度なの?」
「……」
僕は、落ち着いて対応し、冷静に考えた。
こういう態度を取るのはヘレにとって自然体なのだろうか。隣の光を見てみたが、食はあまり進んでおらず、緊張は未だに取れていない。助力は仰げないと判断し、視線をヘレに戻す。目の前には、半分近く中身の片付けられた空のパックがある。
「……ただで頼んでいるわけじゃない」
「ほぉう」
ヘレの瞳が細められた。
「すでに払ってる」
「え?」
細められた瞳が、大きくなった。
「目の前の食べ物、誰がここに用意したと思っている?」
「う」
ヘレから言葉が出ずに息を呑んだのが分かる。
「そういうことで頼む」
「……わかりました」
結局ヘレは、力なくうなずいた。それでもヘレの食べ進める速度に変化はなかったが。
モニュメントと大岩と入れ替えられたのは、この二体の精霊で間違いないだろう。これで、今後は特に問題は出ないはず。まだ大元の精霊が残っているが、それはセリアに任せることにする。フェイルとヘレについてもセリアに相談することになるから、結局は全部セリア頼みだ。セリアのほうも何か収穫があるといいのだが。
「それで英雄様は、今は何をしているのかしら?」
イカ焼きに取りかかろうとしているヘレが尋ねてきた。どうでもいいことだが、様付けで呼ばれるのか?
これには、どう答えたものだか少し迷う。さっきまでは精霊探しだったわけだが、それは現在終了している。文化祭に来てはいるが、明確な仕事はない。今からやりたいことも特にない。
「……学生?」
とっさに出てきた答えは、それだった。疑問形になったのは、ヘレがその答えで満足するのか自信がなかったからだ。
「なんとも、もったいないわね。学生なんてやめて、別のことをすれば?」
「そんな気はないな」
「でも、英雄様だったらなんでもできるでしょ?」
「そうでもない」
「え〜、うっそだぁー」
ヘレは、大げさに驚いて見せた。英雄という言葉とその響きには、人を過大評価する魔法でもかけられているらしい。
「嘘じゃない。それに魔法のような力だって使えない」
それを聞いたヘレの動きが止まった。
「どうして?」
「簡単に言うと、記憶喪失なんだ。だから、力も使えない」
「加護の力も?」
「ああ」
僕は、きっぱりと肯定した。実際にそんなすごい力を使ったことなどない。
「それは、嘘でしょ」
しかし、ヘレの答えは僕とは逆だった。これはさすがに聞き返すべきだろう。
「なぜ?」
「加護っていうのは、魔法と違って知識は必要ないもの。魔法よりは、私たち精霊の使うスキルと近くて、体の一部みたいなものよ。そんなに考えなくても使えるはず」
「でも、魔力は必要なんだろ?」
「そうね。でも、魔力なんて深呼吸するみたいにすれば集められるものだし、自分の中にもあるんだからそんなに難しいことじゃないわ」
「……」
加護が、そんなに簡単に使えるものだとは思わなかった。そう考えると、かなり危険な代物だ。何しろ地形を変えられるほどの力を持っているのだから。
「……無意識に使ってしまうことはあるのか?」
無意識に使うことがあれば、意識下に置けていない、つまり、制御できていないことになってしまう。
「あるでしょ。私もスキルを弾みで使うことがあるし」
弾みで使うと無意識に使うは厳密には違うと思うが、ないとは言えないようだ。フェイルも弾みで看板や木の幹を燃やしてしまったようなものだろう。今までの生活で使われることがなくて良かったと思う。
加護については、いろいろ考えないといけなさそうだ。
「……今、悩むことでもないか」
結論を出したところで、今後のことを考える。
隣で相変わらず硬くなりっぱなしの光を見る。
「光、いいか?」
「うん、なに?」
言葉はよどみなく出てくるが、光の声に今ひとつ元気が感じられない。
「フェイルとヘレの世話に関してなんだけど……」
そこまで言ったところで、光の瞳の中に懇願するような輝きが灯った。その時、悟った。これは駄目だと。
「僕が見ることでいいか?」
「うん、悪いけど、そうしてくれると助かるかな」
「別にいい」
申し訳なさそうに謝る光に、僕はそっけなく、いつもどおりに答えた。それで言いたいことは伝わったと思う。
レジャーシートに広げられた食べ物の数も残すところ今川焼きが少しとなった。
「それじゃ、そろそろ片付けようか」
今川焼きを口に運びながら、空のパックを片付けていく。
フェイルとヘレには、これから当分の間はぬいぐるみと化してもらうことを言い含め、荷物を持って噴水の片隅から立ち去る。それに伴い、引っ付いていた光が僕から距離をとった。正確にはヘレから離れたのだが、さっきまで隣にいたから僕から距離をとったように感じる。
何か悪いことをしたような気分だった。