優しさと懐かしい匂い
「自転車を探してるって言ってたが、この店にはもう売るものなんてないがな」
売るものがない? 心の中で生まれた「なぜ?」という疑問を口にする前におじいさんが話始める。
「もう店を閉めるのさ。だから売るものなんてないってことだ」
「あ、あぁそうなんですか……」
なんとも気まずい雰囲気になった僕はここから去るべくタイミングを見計らうことに集中する。
「ねえ恵人。これ、私好き!」
まったく空気を読まないはずんだ声が少し離れた場所で響く。響くといっても僕にしか聞こえていないことは目の前のおじいさんを見れば明らかであり、そこは安心ではある。
チラッと横目で見ると古めかしい自転車が壁に寄りかかっていて、その周りをふわふわと浮くメー子が指さしてアピールしている。
必死に手招きするメー子を見て仕方なく僕は自転車を指さす。
「あの自転車は売り物じゃないんですか?」
「あ? あれか? あーあれはな……」
ちょっと戸惑った感じで言葉を濁したままおじいさんが自転車の方へ歩み寄るので僕もついて行く。
「こいつはな、わしが修理をしに外へ出かけるときするときに使ってたものでな」
そう言って古めかしい自転車に優しく触れたおじいさんは、壁から起こしてハンドルを握る。
ごつい傷だらけのフレームに大きなペダル。荷台はかつて道具を入れていたであろう自作の道具箱が括り付けられている。
「ねえねえ。この子可愛い」
「可愛い?」
メー子が触れられない手で自転車のサドルを撫でるように動かしながら言ったセリフに思わず反応し復唱してしまう。おじいさんには聞こえないメー子に答えた僕はただの古めかしい自転車を「可愛い」と言った人になってしまう。
焦った僕がおじいさんの方を見ると、呆れたではなく驚いたような表情で僕を見ている。
「可愛いか……」
呟いたおじいさんがふっと笑うと自転車を再び壁に立てかける。
「いまどき安くて、それこそ変速機能があって速く走れる自転車があるだろう。なんでこんなおんぼろの自転車屋に来た?」
ごもっともな意見を言われるが、メー子に案内されましたなんてことは言えないので困った僕がメー子の方を見る。僕の意図が分かったのかメー子は顎の下に手を置いて斜め上に視線を向け考える素振りを見せる。
「えっと、お店の写真があった。そこに優しそうなおじさんとおばさんが笑っていたから。この人たちに会ってみたいなって思った」
「え、えーと……サイトに載せていた写真を見て……お二人に会ってみたいなって」
メー子の言葉を聞きながら僕なりの言葉に変換して言ってみるが、自分で言っていておかしくないかと不安になってしまう。
「は? 自転車を買いに行くのに人に会いたい?」
案の定僕のことを変なことを言う、変わったやつだと不思議そうな顔で見てくる。
「パソコンに写真なんて載せた記憶なんてないが、どんなんだ?」
僕が言い訳を考えている間におじさんが食い気味に尋ねてくるので僕はスマホを取り出し『沖自転車』のワードを打ち込んで検索する。さいわいすぐに出てきて、メー子が話していたと思われる写真も出てくる。
「どれ、ちょっと待ってくれ」
覗いてすぐに顔をしかめたおじいさんは店内のカウンターへ行き老眼鏡をかけてもどってくる。その間にスマホに視線を落とし写真を詳しく見る。
自転車が歩道まで並んでいるお店は今の状態から想像もできないが同じ店なはずだ。そんな店の前にぎこちない笑顔の男性と優しそうに微笑む女性が並んで写っていた。
「あぁ……こいつはあれだな。ここいらがまだ商店街だったときに自治会でホームページを作るからって写真を撮ったやつだな」
老眼鏡ごしに眉間にしわを寄せて見て険しい顔をしているが、どこか柔らかさを感じる表情に感じるのは口元がわずかに笑っているからかもしれない。
「ほう、こりゃあずいぶんと若いな。ばあさんも生きてるし10年前くらいか? はぁーこれを見て会いたいってか? 兄さん変わってるな? でどうだ? 会ってみた感想は」
「え、えっと、はい。想像通りでした……」
おじいさんが矢次に質問され僕は言葉に詰まりながら答える。
「ねえ伝えてほしい。ここはすごくたくさんの楽しいって気持ちがあふれてる。あの自転車走りたそう。だから走らせてあげたいの」
メー子が僕の横で訴えかけてくる。その言葉をそのまま伝えるにはあまりに不思議ちゃんになりそうだったので、一拍置いて自分なりに考えて伝える。
「あの自転車を買いたいんですけど」
僕が端に立てかけてある自転車を指さすとおじいさんは目を見開き驚く。
「あれをか?」
「はい、このお店に入ったときすごく懐かしいなって感じたんです。鉄と油の匂いが染みついた店内と優しく光る蛍光灯の明かりで父に連れられ自転車屋さんに行った幼いころを思い出しました」
おじいさんは僕の話を黙って聞いている。
「懐かしい匂いのするあの自転車気にいったんです。だから走らせてあげたいなって思ったんです」
ここまで黙っていたおじいさんだったが、ふっと笑うと自転車の方へ向かって行く。
「こいつをねぇ……兄さん面白いな。こんなおんぼろの何がいいのやら」
自転車を撫でながら呟くおじいさんは僕の方を見る。
「こんなおんぼろでいいならやるよ。どうせ売るものなんてないんだ好きにしてかまわん」
「あ、いえ。売ってほしいんですけど」
「は?」
おじいさんは心底意味が分からないといった感じで僕を見る。
「せっかくのご厚意ですけど、なんというかすごく大切にしてる自転車みたいですし、自転車屋さんに来たからにはちゃんと買いたいなって、そう思うんですけど……変ですかね?」
自分で言ってて言葉がこんがらがって上手に伝えていられるか不安になった僕は思わず尋ねてしまう。キョトンとしたおじいさんだったが、口元を緩めると可笑しそうに笑いだしてしまう。
「いや、久々に笑った、笑った。本当に変わった兄さんだな。そこまで言うなら売らないのも失礼だな。兄さんがうちの店最後のお客ってわけだ」
目に涙を浮かべて笑ったおじいさんは自転車のサドルをポンポンと叩く。
「わしの元相棒だ。兄さんとこで面倒見てやってくれ。どれ、走れるように整備してやろうか、スタンドがあったかの……」
店の奥へと消え何やら探し始めたおじいさんを見送った僕はメー子に引っ張られ自転車の元へと行く。
古めかしいデザインは平成……いや昭和っぽさを感じる。お世辞にもカッコイイとは言えないが、味があって親しみやすさを感じる。
「この子可愛い~」
当初買おうと思って僕が想像していた自転車とはずいぶんと違うが、嬉しそうに自転車をなでるメー子を見てこれで良かったかなと思うのだった。




