1977年11月前半Ⅱ
11月5日(土)
朝忘れるかもしれないからと、わざわざ、前夜、金を置いといてくれるようにお袋に頼んだのに、起きて机の上を見たら影も形もない。だが、何となく親父が帰ってくるような予感がした。ビンゴ!三男の哲美も居間に居た。
Aコープから出るとき、数人の同僚と買い物に来るお袋と遭遇した。浪人中の恥ずかしい姿を見られたくなかったので、直ぐにバイクを発進させた。Aコープを出て市役所通りを直進した、ふと1年前のことがありありと脳裏に浮かんできた。
晩飯のとき、お袋がそのことを激しく非難しやがった、「挨拶も真面にできんとね!」げな。
ダチが窓から入り易いように、地面にもう一個ブロックを重ねた方が良いようだ。
11月6日(日)
日曜日は金を貰えなくて非常に困る。目覚ましに四阿屋を上って行った。7月25日以来だ。結構車が多い。鳥居の前に着いた。これがかの有名?な四阿屋神社かいな。車族は庭で宴会でもするつもりなのか?
今日で漢文を終えることにした。最後までやる予定だったが、どんどん遅れていって、ついには半分までしかできなかった。やるべきところまではちゃんとやったし、別に嫌でサボって止めるのではない。漢文の読みは時々訓練する。何よりも英文解釈に力を入れねばならないというのが本音だ。
これで決まる。本当に決まる!
解説;牛原町に流れる河内川の四阿屋神社境内付近を「四阿屋」といい、その境内に流れる渓流はまさに天然のプール。夏休み期間中は子供たちの遊泳場になり、絶好の避暑地として人気がある。
周囲には樹齢600年を超すクスの木をはじめ、イチイガシ、サワラ、コバンモチなどの巨木が心地良い木陰をつくっている。
この時代、家にエアコンがある家など皆無、良くて扇風機だった。全く殻を破れてなかったこの頃の俺、叩き切られた左足を他人に晒すくらいなら死んだ方がマシだと思うくらい恥じていた。だから、プールや海水浴など俺には無縁だった。俺と同じ障害者手帳四級の田尻はまだ救われる。右足が無茶細くても、ちゃんとあるから。プールサイドや浜辺を自分の足で歩ける。実際水泳の授業には堂々と出ていたし、好きだとも言っていた。
頑なに半分しかない左足を隠し捲る俺を哀れに思った田尻が、高校三年の夏休み、「YMR、こげな(こんな)蒸し暑いんに堪らんやろ。俺も一緒に行ってやるけん河内川の渓流に浸かりに行こうや。誰も来ん穴場知っとるけんよぉ。俺になら見せられようもん」
今思い出しても、あの気持ち良さは忘れない。真夏のクッソ暑い日中に浸かる谷川の冷たい水、本当に生き返るようだった。このときが俺が切断した左足を家族以外に晒した最初だ。
11月7日(月)
毎週欠かさず見ていた「華麗なる刑事」が味気なくなってきた。もうあまり見る価値がない。
バイクで大正町通りを走っていたら、お袋が二人で連れ立って歩いていた。また晩飯時、思い出したようにギャーギャー言われるのが嫌だったので、走りながらさっと挨拶した。
晩飯のご飯が新米のような味がしたのでお袋に訊いたら、俺の勘違いだった。お袋が続けて言うには、本家は今年は新米を持って帰れとは言われなかったとのこと。それに爺さん婆さんに8時くらいにしか飯を食わせないとも憤っていた。
親父とも色々話した。俺なりに熟考し、あることを決心し、結論も得た。
解説;この浪人日記の原文を書いて40年も経って、清書しながら改めて気付かせられることがたくさんある。それがこの爺さん婆さんの記述、俺が18歳のときはまだ生きていたんだなぁと。
思い出したが、生きていた頃のお袋は結構猪町の本家に帰っていたし、幸子伯母(兄嫁)に対して腹に一物持っていた。
11月8日(火)
俺が目覚めたときには雨は止んでいた。今日は居間に行って寝直さなかったが、ちゃんと起きることができた。漫画本は昨日三男の哲美とちょっと出たときにちょっと見ただけだったので、改めて本屋に行って見直した。レジの女の人、美人とは言えなかったが、良い雰囲気があった。
昼間の眠気は激しかった。うとうとしながらやったので古典に二時間掛かった。昼飯のパンが今二個余っている。
晩飯のとき見た「おおヒバリ!」は出演者も中々良くて面白かった。
二男の賢二の奴、風邪をひいて頭が痛いと嘆いているぞ。ウヒヒヒ。
解説;舞台は横浜に新設された学園『私立港南若葉学園』で、ここで展開する日常、出来事、問題などを描いた青春喜劇。
11月9日(水)
お昼のワイドショーを30分見た。Aコープが休みと知らず行ってしまった。八起に行ったらおでんをやっていなかった。結局久しぶりに焼きそばを食った。
どうしても英熟語の瞑想確認が遅れてしまう。昨日、16時頃、またまたエロ本買いに行った。
夕方はいつになく寒かった。コタツの用意に30分ぐらい掛かった。すっかり壊れてしまっていると思っていたコタツだが、良い方と比べてみてコードだけが悪いと分かった。
今日の夜食、「弥次さん」がないので、きつねどん兵衛で我慢しなければならない。只今、未明の3時40分。
解説;鳥巣市には鳥巣市民で知らない人はいないと言われる、変わり種スイーツのお店がある。それが『八起キャンデー』だ。この八起キャンデーは70年近くも鳥巣駅の近くで営んでいる。創業時は飲食店だったが、甘いものが食べられる店が少なかったこともあり、しばらくしてアイスキャンデー屋となった。
「この浪人日記の原文を書いて40年も経って、清書しながら改めて気付かせられることがたくさんある」
また同じ表現を使ってしまったが、驚きの発見だ。あの『八起キャンデー』が1977年におでんを売っていた?本当かどうかネットで調べてみたが、そんな事実、影も形もなかった。だが、1977年に鳥巣で生きていた俺がはっきり書いている。
日清の「キツネどん兵衛」対サンヨー食品のカップきつねうどんの「弥次さん」
俺は「弥次さん」が好きだったのだが、いつの間にか販売終了していた。




