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浪人日記  作者: クスクリ
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1977年9月後半Ⅰ

 9月16日(金)

 11日に豊田が来て俺に言った。

「早うみんな合格してまた四人組で集まってトランプしたかにゃ」

 前々から俺は日隈に反感を持っていて、奴が何しようが気に掛けなかったが、やっぱり豊田の言う通りだ。浪人を半年もやっていると、下手な嫌悪感なんか捨てて四人組で遊び回りたいと思うようになってきた。

 その為には俺は勿論日隈にも国立SG大学に是が非でも合格して貰わないと、このことは夢に終わってしまうだろう。十代最後の来年は写真を腹一杯撮ってやる。


 解説;日隈は前にもちょっと紹介したが、鳥巣高三年のときの同級生。上背は俺と同じくらいで野球部でピッチャーをやっていたが、身長180超のエースの村山が居たから控え投手だ。この頃の鳥巣高野球部は弱小だった。今の広島の監督緒方など数人の名選手を排出するのはずっと後の話だ。

 俺は不幸にして隻脚になったが、健常者だったら迷わず部活は野球を選択しただろう。まだ健足だった小学校五年生まではソフトボールに入れ込んだ。だから、時折ブルペンで投球練習をする日隈を羨望の眼差しで見つめたものだ。

 日隈の家族は下に妹が居る四人家族、家は二階建ての結構大きな家だ。遊びに行くといつも気になったのは、階段を上がって右手の部屋に掛かっている女子らしいかわいいドアプレートで、男三人兄弟で、平屋の宿舎住まいの俺には妹が居る感覚が分からず、また憧れた。

 日隈は、江崎のように、学校の中心人物とまではいかないものの、クラスで音頭を取るのは上手かった。体育祭では一部(鳥巣高では体育祭のとき、三年を中心に学年を縦に割って、一年二年三年の五組までで五つの部を形成する。例えば三年一組の31ホームルームと二年二組の22ホームルームと一年四組の14ホームルームで一部、三年二組の32ホームルームと二年二組の22ホームルームと一年三組の13ホームルームで二部とか)の団長を務めたし、飲酒して担任の白水に叱責された体育祭の打ち上げも、卒業文集の「べらべら」も日隈が提唱した。

 鳥巣高在学時は、日隈が田尻と仲が良かったために仕方なく一緒に居たという関係だったが、卒業したらそれが反感に変わった。もう学校には行かないでいいんだから反目しようがどうしようが知ったことではない。ただ、三年のときの佐賀国体、四国阿南市の富岡東高校女子バレー部の件では日隈に世話になった。あいつが友達でなかったら、四人組として呼んで貰えなかった。


 9月17日(土)

 この頃、髪が薄くなる前兆が現れだした。何とか防止しなければ、この歳で禿てろ無茶悲惨で目も当てられない。

 写真を取りに行ってきた。その帰り、俺が鳥巣中に転校したての二年五組の同級生、寺崎ジュンに会った。

 豊田が21時頃、自分の分の写真三枚を取りに来た。バイクのこと、体育祭のこと、社会のこと、宇宙のこと、生物のこと、色々話した。序に何枚か写真を撮った。この前映ってなかった分も含めて。

 明日脱毛予防の薬を買いに行くことにした。一応予防手段は取っておかねば。


 9月18日(日)

 今日は鳥巣中学校の運動会。親父とお袋が観覧から帰って来た16時半頃、青木薬局へ行った。なるべく強力なものをと要求して買ったのが、2500円のヒノキハイトニック。帰ってよく見たら、これも医薬部外品とある。なら、今俺が持っているヘヤトニックと何ら変わらないじゃないかと不安になったが、2500円もしたこと、ちゃんと薬局で販売されていたことと店員の説明を信じてつけてみた。臭気が何とも言えないが、その効能を直感した。良薬は口に苦しとも言うし(鼻に臭し?)。


 9月19日(月)

 寝る前、世界史を1時間くらい勉強しようと決めていたが、眠気がきたため朝方の5時半から6時半までやった。ために、古文が大幅に影響受けて遅れ、現在3ページしか進んでいない。

 飯を食い終わった7時半頃、福山書店に漫画を見に行ったのだが、この頃レジにジジイが居て感じ悪い。

「終わりました。出て下さい」とか言いやがった。まだ20時なのに。


 9月20日(火)

 到頭万年筆が壊れた。以前キャップを拭こうとして中が曲がっていた部分だ。その上、ボールペンもインクが出ない。頭にきて全部折って捨てた。

 お袋が五百円置いて行ってくれたので、16時にAコープに行って、ボールペンと三百円の万年筆を買って来た。三百円といったら良いボールペンなのだが、万年筆はボロ。細い字が書けない。日記が困る。


 9月21日(水)

 この前、保育園卒所時に記念に貰った古いアルバムを整理してみた。随分ほったらかしにしていたので表紙が切れかかっている。一番危ういのは一枚一枚のページが根元から取れ掛かっていること。これに貼っているのは、まだ俺に足があった小学校五年生までだが、特に、小倉の伯父貴が船ノ村の本家で撮ってくれた写真の俺は大人びた顔をして颯爽と映っている。この頃が俺の最盛期だ。五年の3月20日に事故で隻脚になってしまったから。

 古い集合写真もあった。エラを気にしながら見たが、あまり張ってない。自分で言うのもなんだが、良い男だ。


 9月22日(木)

 家に負担を掛けるからとKGI大学を断念したことは前に書いた。しかし、よく考えたらどうして俺は宅浪することにしたのか?何が俺をここまでもたせたのか?答えは他人と違う俺の足だ。本当に切らねばならなかったのか?

 親父よ、この足一本分は金には換算できないと思うし、その分弟二人より特別扱いされてもいいんじゃないのか?だから、俺はKGI大学に行く。そして、この手で自分の人生を切り開いてみせる。絶対に俺はやる。


 9月23日(金)

 今日はまだ22日、俺が小学校五年生のとき大事故起こした原因が分かった。絶対、俺は悪くないし、万取りが悪い訳でもない。

 今まで、俺は運が悪いのだと、こういう運命だったのだと思い込んでいた。だが違う。そう、全てあの癖。当時、あまり足が速くなかった俺は身を躱すことで相手から逃れようと試み、それが何度か成功した。そうしてその癖が形成された。癖とは恐ろしい。あの瞬間にも無意識に出てしまい、溝に足を取られて10トントラックの下敷きになってしまった。


 解説:俺の生まれ故郷猪町だけで流行った万取り。万取りは2チームで競う。構成人員は1チーム3人から5・6人。1人1人には持ち点があって、これは公平にジャンケンで決めて、勝った順に1万点・9千点・8千点と千点単位で落としていく。

 互いの陣地は50メートル間隔の2本の電柱で、相手の陣地に攻めて行って、陣の電柱に足ででも手ででもタッチできたら5千点。電柱から離れた自分より持ち点の少ない人間にタッチしたら3千点加算できるが、相手が何点持ってるか分からないから感と推察力が必要。相手の顔色からとか、フェイントをかけたりしてその反応から持ち点を推察する。

 タッチしたりされたりしたら互いに持ち点を言い合わないといけない。知った持ち点は必ず覚えておいて、加算された点数もちゃんと足して覚えておく。

 陣地に攻めて来た敵を撃退するには、陣の電柱に手を突いたまま相手の身体にタッチすれば、された人間は一度自分の陣に戻って電柱にタッチしてくる必要がある。相手の陣を攻めるだけでなく、遊撃的に攻めることも頭脳プレイで、2人3人と手を繋ぐと点数は人数分合算できるから、住宅の陰に隠れて待ち伏せ攻撃も出来る。これで敵をタッチして勝てば、全員に3千点アップできる。

 子供は高が遊びでも全力投球だ。俺なんか、住宅の屋根から飛び降りて攻撃していたし、捕まらないために死ぬ気で走った。子供の遊びに審判は要らない。暗黙のフェアの精神が壊れることはない。もうこの遊びは猪町の子供から忘れ去られてしまっただろうが、今考えても本当に良くできた遊びだった。

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