第五話
結局、婚約の件を伝えられなかったフィリップは、自分の馬車でシャーロットを送ることにした。
もちろん、シャーロットの隣には侍女も控えている。こういう抜かりのなさも、侯爵令嬢らしかった。
「ラング侯爵令嬢。婚約の件についてですが……」
「シャーロットとお呼び下さい」
一気に断ってしまおうと思っていたフィリップが出鼻を挫かれる。黙り込んでしまったフィリップを見て、シャーロットは息をひとつ吐いてから、ゆっくりと話し始めた。
「フィリップ様は、惚れた腫れたで伴侶を選ぶのはおかしいと思っていらっしゃるのですよね」
「……もちろん」
「帝国で最もフィリップ様に相応しいのは、私だと考えています」
「……確かに」
「ただし」
そこで、シャーロットはじっとフィリップの瞳を見つめた。フィリップは、どうしてか目を逸らしたくなる。
「フィリップ様の、恋愛感情が含まれない場合は……です」
自分でも言語化できない気持ちを、まるでシャーロットに言い当てられたようだった。フィリップは反論もせず黙ったままでいた。シャーロットは両手をパンと鳴らすと、明るい声を出した。
「そこで、フィリップ様が作られた『帝国憲法第39条1項』です。婚姻に際し、家格・身分・後継問題を十分に考慮すること……。私は十分に相応しい。フィリップ様も同意された」
最後にシャーロットは、とても綺麗に微笑んだ。
「帰宅しましたら、父を通して正式に婚約の打診をいたしますね」
シャーロットと侍女をラング侯爵家で降ろした後、フィリップは頭を抱えた。
シャーロットは優秀だ。手際も良い。ラング侯爵家との縁は、我がブラウン侯爵家にとっても喜ばしいものだろう。
――自分は貴族だ。答えは最初から用意されている。
フィリップは先ほどまでシャーロットが座っていた座席を見る。銀の髪は美しく結われ、華美にならない配慮も完璧だった。
フィリップは馬車の外を見た。それに比べて、今日のラウラは酷かった。ただでさえ手に負えない癖毛が、湿気でクリクリと暴れていた。
あの茶色のクリクリに、いつか高級なオイルをつけて櫛を通してやりたい。まっすぐになった自分の髪を見たラウラは、どんな笑顔を向けてくれるのだろう……。
ゴンッ
フィリップは、額を思いっきり窓に打ちつけた。
「久しいな、我が孫よ……お前、額が赤くなっておるぞ」
馬車を皇宮に走らせたフィリップは、すぐに父の執務室に駆け込んだ。父は席を外していた。代わりに、アンドレアス上皇と祖父のフリッツ、キャサリンの祖父であるロルフ前公爵の三人が、呑気にお茶を飲んでいた。
フィリップは挨拶もそこそこに、ラング侯爵家からされるであろう婚約の打診を断ってくれるようにフリッツに頼んだ。
「シャーロット嬢の何が気に食わないのだ。これ以上の良縁はないぞ」
フリッツが呆れたように言う。
フィリップは少し言い淀んだ。
「……平民の女性に、少々問題が発生しました」
「問題?」
「気になる女性ができました」
フィリップが告げた瞬間、「ブーッ!」と、アンドレアスとロルフが揃って茶を吹き出した。
「お年なのですから、落ち着いて飲まれた方が……」
「違うっ! お前がとんでもないことを言い出したせいだっ」
汚いと言わんばかりの目を向けたフィリップに、アンドレアスが青筋を立てて怒鳴った。
「いや、しかし。お前が儂たちやウルリッヒの件を馬鹿にして作った法だろう。法令遵守の国で、次期宰相が自ら作った法を破ってどうする」
アンドレアスは、前回フィリップにやり込められたことを根に持っているようだ。ド正論でフィリップを詰めた。
ロルフも状況を読めたようだが、平民の娘に恋をする気持ちもわかるだけに唸る。フリッツは、黙って孫の顔を見つめていた。
「あの憲法は必要でした。ウルリッヒ様が望んでやまなかったキャサリン様が、万が一にも平民だった場合は大問題になったでしょう」
フィリップが冷静に答える。確かにそうだと黙るアンドレアスの横から、ロルフが口を挟んだ。
「ところでフィリップくん。その平民の女性だが『気になる』とは、恋をしたということかい?」
フィリップが即座に反論する。
「好きなんて滅相もない! 常に視界の端っこに入れておきたいだけです」
「それを恋と言うのではないのかい」
「恋やら愛やら馬鹿馬鹿しい! そんな低俗な感情を私が持つはずないじゃありませんか」
そして、フィリップは三人に向かって堂々と言い切った。
「これは、優秀な人材の登用です」
これは酷い……。三人は天を仰いだ。自覚しているくせに認めない姿は、自分たちの時よりも質が悪く感じられた。
「話を変えよう。万が一、高位貴族が平民と結婚するとしたら、それはどのような場合が考えられるか?」
アンドレアスの問いに、フィリップの目がキラリと光る。
「それは、貴族家における優秀な人材の確保の一環です。生まれが平民というだけで、類い稀な才能が埋もれてしまうのは国益を損ねる。それを救い上げるのも、貴族に課せられた重要な使命だと……」
ほぼ息継ぎもせずに、フィリップは血走る目を輝かせながら力説した。その姿は、いつかのウルリッヒにそっくりだ。
「しかし、それを認めない憲法ができてしまった。作ったのは誰でもない、お前だよ」
黙って聞いていたフリッツの言葉が、静かに、しかし厳しくフィリップを斬った。
青年がひとつの法を作り、その法によって青年自身が八方塞がりになる……人生の先輩として、フリッツたちは苦々しい気持ちでフィリップを見守った。
「詰んだな、フィリップ。先方から婚約の打診があれば、ブラウン侯爵家は承諾しよう」
フリッツが、落ち込んでいるであろうフィリップの肩をポンと叩く。
しかし、フィリップの表情を見たフリッツは、目を見開き動かなくなった。アンドレアスとロルフは、そんなフリッツの変化に気づいてフィリップの顔を覗きに来る……そして、目を見開いた。
「じゃ、邪悪!」
「とても酷い笑顔だ!」
騒ぐアンドレアスとロルフをそのままに、フリッツがフィリップを真正面から見た。
「一体、何を企んでいる……」
フィリップはそれには答えない。不気味な笑みを浮かべながら、上着の内ポケットからゆっくりと一枚の書類を取り出した。
同時刻、フィリップの従者がキャサリンを訪ねていた。従者は、フィリップからの伝言をキャサリンに伝えると、それを聞いたキャサリンは目を丸くしたが、快く引き受けた。従者は疲れきった顔で帰って行った。
こうして三日が経った。
不思議なことに、シャーロットからの連絡はなかった。




