序幕
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緊急な用件で遅れたエミリアナがパーティー会場に到着すると、彼女を呼びつける怒声が響いていた。同行した同い年の異母姉とそのパートナーと顔を見合わせて、三人ともすんと無表情になった。
「めんどくさい予感しかしないのだけど?」
「このまま引き返しましょうよ」
「二人とも現実逃避しても無駄だよ。長引くだけ拗れそうだ」
姉のパートナーのイラリオが暗に決着をつけろと促してくる。
エミリアナが大きなため息をついて、姉のルイシーナが遠くを見る目になる。二人はイラリオにエスコートされて、怒声の元に近づいた。
「エミリアナ・セルダ! 貴様、何度も呼ばせるなっ。さっさと出てこいっ!」
「まあ、殿下。いかがなさいましたの?
わたくしは重要な用件があってパーティーには出られないかもしれないとお伝えしましたのに・・・」
怒声の相手は第三王子カルロスだ。エミリアナの仮の婚約者であるが、義務的な関係で不仲である。
カルロスは貴族学園でもう一人の婚約者候補だったアナスタシアと親密な仲になっていた。今も手を伸ばせば触れそうな距離にアナスタシアが控えている。彼女は扇子で口元を隠しても隠しきれない優越感に満ちた笑みを浮かべていた。
「まあ、ずいぶんな態度ではないかしら? 婚約者のくせに殿下を放っておくなんて、無礼にも程があるわ」
「チャベス侯爵令嬢、我が家の存続に関する重大かつ緊急な用件だったのです。まさか、陛下との謁見を反故にするわけには参りませんでしょう?」
ルイシーナの言葉にカルロスとアナスタシアはぎょっとなった。まさか、国王との謁見で遅れるとは思いもしなかったのだ。
第三王子のカルロスは臣籍降下予定だったが、第一王子が流行病で亡くなり、第二王子は落馬で半身不随になったため、兄の補佐として王族に残ることになった。第二王子が王太子になるが、車椅子生活を余儀なくされている。身体の不自由な兄に子供ができるかは微妙だった。
もしもの時はカルロスが跡を継ぐ可能性もあって、婚約者は選び直しになったが、相手が見つからなかった。
第一王子がかかった流行病は女児のほうが死亡率が高く、貴族令嬢が減少していた。王子妃は伯爵家以上の家格から選ぶと法で決まっていたが、兄弟姉妹が流行病で亡くなって嫁入りできる令嬢はあまりいない。そのため、血縁者に限り実子と同等の権利を得られる養子縁組が認められる特例がだされた。
特例で王子妃候補として養子になったのはチャベス家のアナスタシアとセルダ家のエミリアナだった。
アナスタシアはチャベス侯爵の実子ではない。子爵家に婿入りした弟の隠し子だ。
エミリアナはセルダ侯爵家当主の実子であるが、彼女もまた庶子だった。母が亡くなって孤児院で暮らしていたところを引き取られた。
庶子が国母になる可能性に渋い顔をする貴族は多かった。特に高位貴族で国政に関わる重鎮たちがそうだ。
政略結婚の見直しや他国からの縁組も視野に入れて、エミリアナとの婚約には『仮』がついていた。いずれは解消して由緒正しい貴族令嬢を王子妃に据える算段だった。
エミリアナはざっと周囲を見渡した。
学園の卒業記念パーティーで卒業生の家族も参加している中で、無関係な相手に迷惑をかけるのはまずい。イヤイヤながらの淑女教育の賜物の微笑みを浮かべる。内心の思いは顔にださずににこやかに申し出た。
「殿下、わたくしに御用があるならば場所を移しましょう。
皆様、お騒がせして申し訳ありません。わたくしどもは移動しますので、どうぞ、パーティーを楽しんでくださいませ」
「待て! 皆の前で明らかにせねばならぬことがある」
空気読めや、とツッコミたくなったが、カルロスはドヤ顔で言い放ちやがった。
「皆の者、聞いてくれ!
このエミリアナ・セルダは庶民育ちでマナーがなっていない。とても、王子妃には立てられない。よって、この場で婚約を破棄する!」
「はあ、左様でございますか。わざわざ破棄しなくても、殿下とは仮婚約でしたので、いつでも解消可能でしたけれど?」
「このような公の場で宣言なさるとは、まるで見せ物のよう。殿下は我がセルダ家を侮辱なさるおつもりかしら?」
呆れたエミリアナと目だけは笑っていないルイシーナがカルロスと対峙した。ルイシーナの眼力にカルロスが怯んで視線を彷徨わせた。彼女は侯爵家の跡取りで、もともとカルロスの婿入り先候補だった。
アナスタシアが加勢して口を開いた。
「殿下のお言葉に逆らうおつもり? セルダ様はカルロス様には釣り合わないと判断されたのです。大人しく下がりなさい」
「チャベス様、仮婚約だとよくご存知でしょう? わたくしが降りれば貴女が次の候補なのですから。
わざわざパーティーの場でお騒がせすることはないでしょうに」
「あら、やだ。ご自分の無能さを隠すつもりかしら。
貴女がハズレスキル持ちなのも婚約破棄の理由の一つなのよ。『穴蔵』スキルなんて、役には立たないもの。殿下はお優しいから、はっきりと告げなかっただけでしてよ?」
くすくす笑いが聞こえた。アナスタシアの取り巻きによる悪意ある嘲笑だ。
エミリアナは不思議そうに笑い声を漏らした令嬢たちを見やった。
「わたくしのスキルは最初から開示しております。その上で仮婚約を結んだのに、破棄の理由にするのですか? 庶民育ちも同じですわ、今更感がものすごいのですけど・・・。
はっ、もしや、殿下はこれまでご存知なかったのですか?」
「いくらなんでもそれはないだろう。貴族間では周知された話だったのだから。
もし、今更知ったと言うならば、劇的にむの・・・、いや、情報収集能力に欠けておられますね」
爽やかな笑みで『無能』を言い繕ったのはイラリオだ。ひくりとカルロスの頬が引き攣る。
イラリオはカルロスの従兄弟で公爵令息だ。身分は下でも身内ゆえの気軽さで言いにくいことも告げてくるから昔から苦手だった。その上、婿入り予定だったルイシーナを取られた因縁の相手でもある。
「イラリオには関係ない。引っ込んでいろっ」
「言いがかりを見逃すわけにはいかないよ。エミリアナ嬢は確かに庶民育ちだけど、淑女教育は優秀な成績を収めている。
マナーがなってないのは、こんな場で婚約破棄を叫ぶ誰かさんのほうだろう。
周りをよく見てみるがいい」
「なっ」
カルロスはかっとなったが、周りからの視線の冷ややかさにすぐに沈下した。気まずくなって言葉に詰まっていると、アナスタシアがしゃしゃりでてきた。
「とにかく、殿下はセルダ様とは破談になってわたくしと婚約を結ぶのです。今後はわたくしが王子妃になりますのよ、お分かり?」
「な、待て! エミリアナ・セルダと婚約破棄するのだから、セルダ家には責任をとってもらう。
ルイシーナが私の婚約者になって、エミリアナはイラリオと婚姻してセルダ家を継げ。これは王子命令だ!」
「はあっ? そんなバカな!」
「正気かい? カルロス」
アナスタシアが目を剥いて、イラリオが残念なモノを見る目になる。王子命令など聞いたことがない。
「まあ、それは無理ですわ。殿下、わたくし、すでに人妻ですもの」
「人妻? 嘘つけ! 卒業したばかりのルイシーナが婚姻できるわけないだろ!」
「成人年齢に達していますもの。手続きを済ませれば可能ですわ。
先ほど、陛下の目の前で婚姻書に署名いたしました。両親は蟄居を申しつけられ、わたくしが爵位を継ぎましたので。
ああ、そうそう、我が家は子爵家に降爵しましたの。王子妃は伯爵家以上と法で決まっていますから、どのみち無理なご命令ですわね」
「な、ななな、なんでっそうなりゅうっ!」
動揺するカルロスは焦って舌を噛んだようだ。アナスタシアも扇子でも隠しきれない驚きの表情を浮かべていた。
周囲もざわりとして訝しんでいる。イラリオが彼らを見渡してよく通る声で告げた。
「もう少ししたら陛下がお出ましになって、公式発表がある確かな話だ。
私のシーナが子爵家当主になって私が配偶者だ。まあ、爵位は功績を上げればなんとでもなるが」
実に元公爵令息らしい向上心溢れる宣言がでた。イラリオは肩をすくめて従兄弟を見やる。
「カルロス、君もいい加減にシーナのことは諦めるんだな。既婚者が王族に嫁げるわけないだろ。
尤も、君が王族でいられるのも後わずかな間だけだが」
「は? どういう意味だ?」
「これも発表されるけど、一足先に身内の君には告げてもよいとお許しがあったからね。
おめでとう、君は叔父さんになるんだ。どうやら、辺境伯を賜るらしいよ」
「え、おじさん? 辺境伯って・・・」
「もともと臣籍降下予定だったろ? もう高位貴族で婿入り先はないからなあ。
新しい貴族家を興してくださるそうだ。領地は王領の小島だ。ほら、辺境地方の一部にあるだろう? だから、辺境伯さ。
功績を上げれば陞爵も不可能じゃない。頑張れよ」
ぐっと親指を立ててよい笑顔のイラリオに比べて、カルロスはさあっと青ざめている。
兄に子供ができたなら、彼の王位継承権は下がる一方だ。功績を上げない限り、一臣下扱いで終わると気づいた。イラリオはさらに止めを追加してくる。
「エミリアナ嬢が庶子だからと婚約破棄を叫んだのに、同じく庶子で彼女より成績の劣る相手と新たな婚約を結ぶのだ。
よほど自分に自信があるのだろう? 妻の助力など必要ないと宣言したのに等しい。
君一人でどこまでやれるのかお手なみ拝見だな」
「そんな、私はルイシーナと・・・」
カルロスの青い瞳がルイシーナへと向かうが、イラリオがすっと前に出て視線をぶった斬った。
エミリアナに瑕疵をつけてその責任を取らせる形でルイシーナを娶るつもりだったカルロスにはアナスタシアを選ぶ予定はない。アナスタシアは学園内だけの当て馬のつもりで側に置いていたのだ。
「くっ、だったら、婚約破棄を取り消せば」
悔しげなカルロスにエミリアナが首を横に振った。
「殿下、それは無理でございます。実はわたくしとセルダ侯爵には血縁がないと証明されましたの。侯爵は虚偽申立てで養子縁組を行いましたから罪に問われました。それゆえの降爵ですわ。
セルダ家の血縁者ではないわたくしと殿下の仮婚約は無効になります。
事務手続きが済み次第、陛下から殿下にお話するとおっしゃっておりました。どうか、お確かめくださいませ」
「なんだと‼︎ 貴様、セルダ侯爵を騙していたのか?」
「はあっ⁉︎」
カルロスが思いきり顔をしかめて、エミリアナはどつきたくなった。ルイシーナがどうどうと背中を撫でて宥める。
「殿下、妹は、いえ、エミリアナ嬢は最初から親子ではないと主張していました。彼女の母親は夫を亡くした直後にわたくしの父に言い寄られたとの証言もありました。
隣国の血統を明らかにするスキルでようやく認められたのです。
父もエミリアナ嬢が母親似だったため、自分の子ではないと思わなかったようですけれど・・・。欺くつもりがなかったとはいえ、過失でも罪は罪ですから。我が家が償うのは当然のこと。
エミリアナ嬢は父の野心に付き合わされた被害者ですわ」
「ああ、エミリアナ嬢にお咎めはあり得ない。陛下からもお墨付きだ。
エミリアナ嬢との婚約が無効になったのだから、殿下の婚約者はチャベス侯爵令嬢しかいない。
セルダ家は私とシーナが継ぐし、案ずることは何もないさ」
イラリオが目だけは笑っていない笑みをカルロスに向けた。ルイシーナに執着する従兄弟が鬱陶しくて仕方がない。これ以上の妄言は物理的に排除してやると決意した。
「あれだけ仲がよろしかったのですから、本望でしょう?」
エミリアナがアナスタシアとカルロスを交互に見やった。アナスタシアは喜色を浮かべて、カルロスは絶望に染まった顔になっていた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。それでは、無関係なわたくしはこれにて失礼いたします。
ああ、最後に一つだけ誤解を訂正させていただきますわね。
皆様、わたくしのスキルはハズレではありませんよ? 『穴蔵』ではないのですから」
エミリアナは久しぶりに本心からの笑みを浮かべた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白かったら評価していただけると嬉しいです。
次話からエミリアナの過去編、10歳からのお話になります。
5話め(四幕)までは連日投稿11時10分で、6話め(五幕)から週一の投稿にします。
よろしくお願いします。