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右目の泣きぼくろ

 早朝。まだ薄暗いアーケード街。

 日中の賑わいが嘘みたいに静かで、まるで初めて通る道みたいだ。

 立ち並ぶ店はまだ一つも開いておらず、人の気配も感じない。服屋のショーウィンドウは暗く、煌びやかさが無いし、飲食店の食品サンプルは不自然に光沢があってイマイチ食欲をそそられない。

 なんだか、うら寂しいミニチュアの世界に迷い込んでしまったような感覚だ。

 だとしたら目の前に座る三角耳は、ミニチュア世界の可愛らしい住人。と言ったところだろうか。


くう、お疲れ様」


 夏那なつなさんは慣れた手つきで、ホテルの前に座っていた空の顔を餅の如く揉みしだく。それに連動して、扇風機の如く回転する尻尾。

 利発そうな顔つきの大型犬、シベリアンハスキーの空は、昨日の夕方ぶりの主人の姿を見て、甘えた鳴き声を発する。

 今まで気にした事が無かったが、犬にも表情があるらしい。キリっとした強面が、ニコニコ顔に蕩けている。


山雀やまがら君も撫でてあげて」


 促されて、自分も空の前に腰を下ろす。

 夏那さんに倣って、顔の横を撫でてやる。ふわりと、柔らかな毛並みを堪能しながら、掌に感じる温もりに思わず顔がほころんだ。

 昨日の夕方から、ホテル前で待機してくれていた彼を労ってやらなければ。

 

「おはよう、空。見張りありがとうな。お腹すいてないか?」


 と聞きながら、彼は普通の犬ではなく、"式神"だという事を思い出す。食事は必要としないのだったか。

 僕や竜宮城の面々にしか見えない存在なのだ。

 つまり、はたから見ると僕らは今、しゃがみ込んで何もない空間を撫でながら、独り言をつぶやく様子のおかしい人間に見えているという事になる。

 ……人の少ない早朝で良かった。


「大丈夫よ、私がたくさん食べたから」

「はい?……はい、食べてましたね。今日の朝食も2回おかわりしてましたよね」

「空はね、自分でエネルギーを生成することは出来ないのよ」

「エネルギー?」

「んー……呼び方はなんだっていいのだけれど、妖力だとか霊力だとか、チャクラとかね。分かりやすく言うと、自家発電が出来ないから、私から遠隔で電力を供給していたって事」


 聞きなれない単語は、咀嚼する前に飲み込んだ。

 相変わらず理屈は分からないけれど、そういう事らしい。胃袋を共有している……みたいな、そういった考えで合っているだろうか。

 それで夏那さんは必要以上のエネルギーを確保するために、たくさんの食事が必要だったと。……だとしても、かなり食事自体を楽しんでいたように思うけれど。

 もしかしたら、空の毛並みが昨日よりもツヤがあるように感じるのは、夏那さんがご馳走を食べたから?質のいい食事は、質のいいエネルギーに変換されるのかもしれない。


 立ち上がって、縦長にそびえ立つホテルを見上げる。

 恭奈は、どうだろう。"肉体を得た"ということは食事や睡眠も必要なのだろうか。

 だとすれば、替えの服も、お金も、自分を証明するものも、何も持っていないだろうに、どう過ごしていたんだろう。空腹で倒れていたりしないだろうか。

 ────寂しい思いを、していないだろうか。


 時刻はもうすぐ7時。

 まばらに車の駆動音が聞こえてくる。そろそろ街も、目を覚ます頃か。




 ふいに、ドアの開く音。ホテルから人が出てきたらしい。

 ザリ、と、砂利を踏む音が後方で止まった。

 従業員なのか宿泊者なのかは分からないが、どうも背中に訝しむ様な視線を感じる。

 まあ、何をするわけでもなくホテルの前に立ち尽くしている僕たちは実際、怪しい二人組に見えるだろう。

 僕の前方にいる夏那さんにはホテルから出てきた人物が見えているようで、どうやら目があっているらしい。

 まあ、何をしているのかと問われたとしても、昨日のホテルマンとのやりとりの様に夏那さんが上手く誤魔化してくれる……よな?

 そんな期待の眼で夏那さんの顔を覗き込む。


「…………夏那さん?」


 頼りの大人は、なんとも神妙な面持ちで僕の後方を凝視していた。

 面食らった様な、怒った様な、呆けた様な、外敵と鉢合わせた野良猫の様な…………そんな表情で。

 足元の空も、主人に倣って同じ方向を凝視している。

 息の止まった二つの視線。

 なんだ?どうしたって言うんだ?

 僕の後ろに、誰がいるって言うんだ?誰が……だれ…………が………………


 ………………脳内に名前が浮かぶ前に、振り返っていた。

 だって、一人しかないじゃないか。

 夏那さんがこんな風に警戒するなんて、僕には一人の候補しか思いつかない。


 ゆっくりと、首を後ろへ回す。

 顔より先に、目が人物を捉える。

 一歩遅れて、身体が追いつく。


 僕には、右目に泣きぼくろがある。

 後ろに立つ人物には、僕と同じ位置に泣きぼくろがあった。

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