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ACT08 老虎

「リュードの馬鹿ぁあっ!」

 サキの罵声が、客のいない黒龍小路の酒楼老虎に響き渡った。

 黒龍小路の老虎は日没から夜明けまでやっている酒楼だが、ここしばらくは夜盗の跳梁を恐れ、深夜まで呑んでいる客もいない。

 その静かな老虎の店内で、サキはさかんにリュードに八つ当たりをしていた。

 思い付く限りの口汚い罵詈雑言と呪詛の言葉が、奔流のようにサキの口から飛び出してくる。母親のマオに聞かれたら、半日は説教を喰らうのが確実だった。

「本当に、怖かったんだからぁ! 出てくるなら出てくるって、予告してから出てきて頂戴!」

 サキの無茶な物言いに、傍らで老虎店主のシェルフィンが笑いをかみ殺している。

 シェルフィンはいつもと同じ、紺色の木綿の上下に身を包んだ質素な姿だった。東方系騎馬民族の血を引くのか、褐色の瞳と長い黒髪を持つ年齢不詳の美貌の持ち主だった。

 だが、シェルフィンは王都レグノリアに住む天狼と呼ばれる漂泊民の束ねだった。ひとたびシェルフィンが号令を掛ければ、王都レグノリア中の天狼が一斉に動く。そうなった時の天狼の恐ろしさは、サキも十分に承知している。かつて、王家が天狼を弾圧しようとしたのも、その天狼が持つ異能で強大な力を恐れてのことだった。

「大体、何よ! 知らん顔しといて、こっそり姿を現すなんて性格悪すぎよ! 手伝うなら手伝うって、事前に言っといてよ!」

 サキの罵詈雑言に、向かいに腰を降ろしたリュードがあきらめたように大きく両手を拡げた。

「心配だから、様子を見に来たんだよ」

「いきなり、背後から肩叩かなくてもいいじゃない! その前に、声くらい掛けて頂戴っ!」

「まぁ、お姫様のお怒りはごもっともだけど……ちょっとは、落ち着きましょうよ」

 シェルフィンが、香草を煎じた温かい飲み物と酒壺と酒杯を置いた。香草を煎じたものはサキの前、酒はリュードの前だった。

「けど、シェル姐さん……リュードったら、ひどくない?」

「こいつのイタズラ好きは、今に始まったことじゃないわよ……こればっかりは、お姫様に慣れてもらうしかないわねぇ」

 シェルフィンの言葉に、サキは頬をぷーっと膨らませた。

 サキの不服そうな顔を見て、シェルフィンがクスッと微笑んだ。冷たい美貌のシェルフィンだが、サキを見つめるまなざしは常に温かい。

 サキのお化け嫌いは筋金入りのものだった。生まれついて霊力が皆無に等しいサキは、三姉妹の中で唯一神殿の精霊達の姿も見えない。

 その劣等感が、サキを刀術の稽古にのめり込ませたのかも知れない。

 暴漢が何人いても、サキは顔色一つ変えない。だが、亡霊の類いだけは一切駄目だった。

「まぁ、姫さんがその場で悲鳴あげなかっただけでも上々さ」

 リュードが、またサキの古傷を不用意にえぐる。

 一言余計だった。

「声が出なかったの!

 肩叩く前に声ぐらい掛けて頂戴! 気配を殺して背後に立つのはやめて!」

 再び、サキの八つ当たりが始まった。

「夜空に人影がふわふわと浮かんで移動してる、ねぇ」

 サキの罵詈雑言を聞き流しながら、シェルフィンが小首を傾げた。

「バザールとか街の噂話は、すぐにあたしの耳に届くんだけど、そんな怪異は、あたしも聞いたことないわねぇ……そんな噂が流れたら、それこそ夜遊びする連中が今よりもさらに半減するわ」

 黒龍小路の酒楼老虎は日没から夜明けまでの酒楼だった。夜遊びの連中が減ると売り上げに一気に響くので、そういった噂には敏感だった。

「本当だってば! 本当に見たんだから!」

 サキの抗議に苦笑を浮かべ、シェルフィンがリュードの方に視線を送った。

「リュード、あんたは見た?」

「いいや……俺が行った時には、ちょうど、夜霧が深くなっててね」

「本当だってばぁ!」

 サキが、リュードを怒りに燃える眼でにらんだ。

「そもそも、リュードが来るのが遅いのよ!

 肝心な時に、いないんだから!」

 サキが怪異を目撃したのは、確かだった。

「リュード、あんたのイタズラじゃないでしょうね?」

 シェルフィンが、念を押した。リュードのイタズラ好きは度を超している。方術を使った幻術や手妻を使って、怪異に見える現象を平気で起こす。だが、そのやり方を後で聞くと馬鹿馬鹿しくなるような、種も仕掛けもあるものだった。

「そんな暇あるもんかい」

 リュードが、手を振った。

 シェルフィンが小首を傾げた。

「お姫様が言ってた、ここ数日の地震……あたしは、ずっと老虎の中にいたけど、全く揺れなかったわね……ここしばらく、地震は起きてないはずなんだけど」

 シェルフィンが、腕を組んで思案顔になった。

「じゃあ……あたしの気のせい?」

 サキは、自信がなさそうにつぶやいた。

 リュードならともかく、シェルフィンまでもが嘘をついているとは思えない。

 気配に敏感なシェルフィンが、あれだけ大きな地震に気が付かなかったはずはない。

「シェル姐さん、それ以外の街の噂で、何か不審な出来事は?」

 サキの言葉を無視して、リュードがシェルフィンに声を掛けた。サキの怒りを真っ向から受けても、わずかでも応えた様子もない。

「夜盗が跳梁してるわね……もう六軒かそこら、狙われてて、天狼の商家も二軒ばかり狙われてるわね」

 シェルフィンが、夜盗の被害に遭った天狼の商家の状況について話し始めた。国を持たない天狼同士のつながりは密接だった。国に頼れない以上、漂泊民は漂泊民同士で助け合っている。

「狙われたのは、酒問屋と穀物問屋……商売もそうだけど、人間関係もつながってる形跡はない……うちら天狼の調べじゃ、双方に関連はないわねぇ」

「手掛かり、なしかぁ」

 サキが、大きなため息をついた。

 天狼の力を借りれば、姿を見せぬ夜盗の正体がわかると、わずかでも期待があったが、シェルフィンの口調からは天狼の力を借りるのは難しそうだった。

 サキが受け継いだ王家と天狼の約定は、王家だけでは解決できないような、しかも王都レグノリアに危機が及ぶような深刻な事件でなければ発動させることが出来ない。

「まぁ、約定を使うような話じゃないわねぇ……リュード、ちょいと占っておやりよ」

「姫さんが、占いを信じるとは思えんが」

 リュードが気のない素振りを見せた。サキのお化け嫌いに加えて、神託嫌いも承知している。

 むくれたサキが、懐から銅貨を六枚引っ張り出してリュードの前に並べた。

「この際だから、占いだろうが何だろうが手掛かりがもらえるなら、何でもいいわよ」

 サキは、こういった怪異にはめっぽう弱い。まして、自分が目撃してしまった以上、誰かのイタズラとは思えなかった。

「空中を歩き回る亡霊のことか? それとも、神将像が勝手に動く方か? それとも、夜盗につながる手掛かりか? 占いたいのは三つのうちどれだ?」

「全部まとめて!」

 サキの無茶振りにため息をついたリュードが、六枚の銅貨を空中に弾いた。辻芸人の手妻のように、リュードの両手の中で、六枚の銅貨が舞い踊る。

 六枚の銅貨が、机上で独楽のように回転し、一つ一つが表裏をまちまちに向けて静止した。

「こいつは……妙な神託だぞ……」

「?」

 リュードの言葉に、サキは怪訝そうな顔になった。

 だが、リュードの青灰色の目が輝いている。やる気が出てきた証拠だった。

「さぁ、面白くなってきた」

「面白くないわよ……神託の結論だけ教えて」

 サキが、口を尖らせてリュードをにらんだ。

「睫毛のように目の前にあるのに見えぬのが真実なり、闇雲に猪突猛進して突っ走るは凶、冷静に耳目を澄ませば吉」

「ええと……つまり何よそれ?」

 サキには、まるで意味がわからない判じ物だった。

 リュードの占いは、その六枚の銅貨の裏表の並び順で吉凶を占うものだった。

 六枚の並び順、裏表の組み合わせによって出てくる神託が変わるらしいが、サキにとってはその神託の意味がわからない。このため、いちいちリュードに神託の内容を噛み砕いて説明してもらわなければ理解できない。

「普通、全く同じ神託が立て続けに出ることはまずないんだがなぁ……ほら、昼過ぎに姫さんが露店に来た後で、占ってみたのと全く同じ神託だぞ」

「同じ内容を占ったの?」

 サキの言葉に、リュードが首を横へ振った。

「同じ内容を続けて占うのは、禁忌に触れるんでな……最初に出た神託が気に入らないから占い直すのは、神託に対する冒涜ってね。

 さっきは、俺が姫さんの運勢をちょっと占った」

 リュードの言葉に、サキは目をむいた。

「ちょっと待ってよ! 勝手に人の運勢を占わないで頂戴!」

 また、サキの怒りが沸騰した。


       ◆


 サキにとって、長かった夜が明けた。

 結局、老虎でリュードに八つ当たりをしているうちに東の空が白み始めた。

「夜空に人が浮かんでる……ねぇ」

 朝日の中、陽光を反射している運河の水面を眺めていたリュードが呟いた。

 サキとリュードは、夜明けと共に広場に戻っていた。

 老虎から神殿へ戻る途中に、 角笛(つのぶえ)の岬がある。

 嫌でもサキは、もう一度神将像のある 角笛(つのぶえ)の岬を通る羽目になった。

 先ほどまで立ちこめていた霧が風に流され、周囲が見通せるようになってきた。

 運河の水面まで、干潮の今時分では二丈ばかりの高さか。船が座礁しないように深く掘削している運河は、堤を兼ねた護岸から下を覗くと、浜辺がなく眼下に水面が待っている。

 運河の護岸は石組みのしっかりしたもので、船から手を掛けて上陸するには不向きな場所だった。 角笛(つのぶえ)の岬と呼ばれているが、岬と呼ぶには小さな運河べりの一角に過ぎない。

「最初は、水の上に人がいるのかと思ったが……姫さんの見た方向は、確かに確かに空の方向だなぁ」

「だから、空の上で見たって言ってんでしょ!」

 サキが、リュードを横目でにらみつけた。

「暗闇と夜霧の中だぜ……そんなにはっきり見えるのがねぇ」

「どーせ、信じてないでしょ?」

 サキが、不服そうに口元を尖らせる。

「水の上を人が歩くなら、筏とか船か何かを使ったのかって思ったんだが」

 サキの言葉を聞き流し、リュードが護岸の上から運河の水面を見下ろしてつぶやいた。

「この辺の岸辺にゃ、上陸する足場もないな……梯子でも掛けりゃ別だが」

 岸辺の左右を見渡しても、舟が着ける桟橋などどこにもない。

「泳いできても、ここからじゃ陸に上がるのは骨が折れる……もう数町下流に行けば港の船着き場があるのに、わざわざここから上陸するのも変な話だしな」

「船じゃないわよ……だって、空の上を滑るように移動してたんだから……船なもんですか」

 わからないことばかりが、サキの前にある。

 神将像が立つ 角笛(つのぶえ)の岬の先端にある広場には、何も異常が見当たらない。

「姫さんが動いたのを見たっていう神将像は、これか」

 神将像をリュードが見上げた。青銅の一丈を超える背の高い彫像が朝日に輝いている。台座を含めれば二丈はあろうかという巨大な彫像だった。

 聖教では、全知全能の唯一神アグネアが化身として人間の姿を借りて姿を現したものが、神将像の正体だと言い伝えられている。

「ほら、西向いてるわ……確かに、昨夜は東北を向いてたわよ」

 まぎれもなく、神将像は向きを変えている。

「こいつは、いつも西を向いているんだけどなぁ」

 リュードの言葉が、いちいちサキの機嫌を損ねている。

「だからぁ、昨夜は確かに東北に向きを変えてたの!」

 サキが、怯えた声を出した。昼間見ても、昨夜の出来事を思い起こすと怖いものは怖い。

 だが、リュードは一向に平気の様子で神将像に近寄って、神将像とその周囲を観察している。

「向きを変えただけで、神将像の足跡はないか……神将像がそのあたりを歩き回ってないだけ、まだましかね」

「また、脅かすぅ」

 サキは、リュードを横目でにらんだ。

 サキの抗議には耳を貸さず、リュードが軽い身のこなしで台座によじ登った。

 台座に膝を付き、彫像と台座の間を綿密に観察する。

「おや?」

 彫像の根元の円柱の台座に、微かな空間があった。

「姫さん、ちょっとここへ上がってみな」

「?」

 サキは、リュードにうながされ、神将像の台座に猫を思わせる軽快な身のこなしでよじ登った。

「そりゃ、動くわなぁ」

 青銅の彫像を見上げ、リュードが楽しそうな声を出した。

 リュードが示した神将像の円柱の台座と神将像の間には、微かな隙間が見えた。その隙間に付いた何かがかすれた痕跡は、まだ新しい傷だった。

「神将像が倒れたら不吉だからな……ただ置いてあるんじゃない。

 石畳に穴を穿って、神将像の台座を埋め込んであるんだ」

「そりゃ、普通はそうでしょ……暴風雨で神将像が倒れたり流されたら大騒ぎになっちゃうわ」

「これが緩んでるから……何かの衝撃か振動で、神将像が動いたのさ」

 リュードが、神将像の足下に手を掛けて少し力を加えた。

 微かなきしみ音を立て、神将像が向きを変えた。重いはずの神将像だが、サキが思っているより軽いようだった。

「姫さん、昨夜揺れを感じたって言ってたよなぁ……その地震か、何かの振動で動いたんじゃねぇか?」

「だったら、怪異でも何でもないじゃない!」

「自分が一人でビビってたくせに」

「何か言った?」

「いや、何も」

 サキの剣呑な目付きに、リュードが肩をすくめた。

「こりゃ、いよいよ怪しくなってきたな……そもそも、なんで空を亡霊が歩き回ってたんだろ?」

「なんで、って?」

「うん……王都はこれだけ広大なのに、なんで亡霊がこの辺りをうろついてるんだ? 街の住民を威かすんだったら、もっとにぎやかな大通りの上をうろついた方がいいんじゃないか?」

「知らないわよ!」

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