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ACT07 深夜の怪異

「それがね、あたしとスーちゃんが流行の熱病で寝込んじゃったの」

 セアラの柔らかい声が、屋敷の厨房に流れた。

 シェフィールド家の厨房が、珍しくにぎやかだった。

 王都から馬で二日ばかり離れたシェフィールド家の所領の管理でダンとマオが年の半分以上不在がちのため、久し振りのシェフィールド家の家族勢揃いの夕餉のはずだった。

 セアラとスーが、食事の準備を手伝っている。

 夕餉の準備をしながら、マオが長女セアラと三女のスーに料理を教えている。セアラは料理下手のサキも参加させようとしたのだが、サキはどこかに消えていた。

「その時に、サキが一念発起してお料理してくれたのよね……」

「おやまぁ、あの子がお料理だなんて」

 マオが微笑んだ。

 だが、その細めた目は少しも笑っていない。

 マオの視線は、かまどの焦げ付きに釘付けになっている。

 盛大に炎が昇ったのか、石組みのかまどの上までがすすけている。こんな現場をマオが目撃していたら、その場でサキへの説教が炸裂したところだった。

「薪に油でも混ぜたのかしら?」

 マオの言葉に、複雑な表情を浮かべたセアラが苦笑した。何をやらかしたのかは、流行病で寝込んでいたセアラにもスーにもわからない。熱病から快方に向かい、セアラとスーが厨房をのぞいた時に、あまりの散らかしぶりに絶句した記憶が蘇ってきた。綺麗に整理整頓していたはずの厨房が、わずか三日でここまで豪快に散らかせるものかとセアラとスーは、思わず顔を見合わせたものだった。

「このかまどの焦げ付きは、その時の記念なの……サキ姉ちゃんが初めて料理した証拠を母様に見せたくって、これだけ掃除しないで残しておいたの」

 スーが、サキがまた叱られるのを避けようと、慌てて言葉を足した。サキだけが、いつも両親からきつく叱られていることに、スーもセアラも心を痛めている。それに対して、サキが反発する気持ちも、サキの複雑な胸の内も姉妹にはよくわかっていた。

 たいがいは、サキの常識外の行動が悪いのは確かだった。だが、それでもセアラやスーが何か失敗した時と、サキが何かしでかした時の母親のマオの叱り方は大違いだった。

 セアラもスーも、母親のマオがサキにだけ厳しく当たる理由がわからなかった。

「そうね……今回だけは、叱るのを我慢しておきましょうね」

 スーの言葉の意味を理解したマオが、クスッと微笑んだ。

 確かに、これはサキが料理をしたという貴重な証拠だった。

「もちろん、出来映えは惨憺たるものだったけど……でも、なんだかうれしくなっちゃってね」

 セアラが、取りなすように笑顔を見せた。母親のマオが、サキだけを目の敵にするのを見るのもつらい。

 三人の笑い声が揃った。

 そんな、厨房から美味しそうな匂いが漂っている中、大刀を片手にサキが食堂に駆け込んできた。

「あたし、これからお務めに出かけるから!」

 お務めとはいえ、サキが夜中に街中をうろつくのを、極端なまでにマオは嫌う。予想通り、マオがサキをとがめた。

「護民官にでも任せればいいでしょ。

 全てを一人でやっちゃおうとするのが、サキの悪いところよ。

 人様を信じて任せるのも必要だわ」

 マオの言葉に、サキは顔をしかめた。駄目と言われれば、余計にサキの心に火が付く。

 良かれと思ってのマオの説教は、サキを逆に強くあおっているとしか思えない。

「これは、あたしの縄張りなの! 他の連中に任せておけるもんですか!」

 そう言い捨てて、サキは棚に手を伸ばした。篭に入ったパンをくわえながら、空いた手でもう一つパンを取りだした。

「お行儀が悪いわねぇ」

 立ち食いを始めたサキを目撃し、マオの説教が始まった。サキは、慌てて口に入ったパンを飲み込んだ。

「ゆっくり食べてる暇ないの!」

 サキは、パンと果物をいくつか懐にねじ込んだ。

 マオの説教を聞きながら食べるより、外で歩きながら食べた方がまだ落ち着いて食べられる。

「今夜は戻ってこないから! 夜中に神将像を動かした不届き者を捕まえてとっちめてやる!」

「ちょっと! サキ! お待ちなさーい!」

 炸裂しかけたマオの説教を背中で聞き流しながら、サキが日暮れの中を飛び出してゆく。

 目の前で大きな音を立てて締まった扉を眺めて、途中で説教を中断させられたマオが長い溜息をついた。

「あの子、いつからお化け嫌いが治ったのかしらねぇ」

「いえ、まだ全然駄目のはずよ……精一杯意地張ってるの」

 厨房から顔を出したセアラが、あきらめたような苦笑を浮かべた。

「せっかく、サキ姉ちゃんの大好物のご馳走をいっぱい用意したのにぃ……」

 スーが、寂しそうにつぶやいた。


       ◆


 サキはお化け嫌いなくせに、自らこういう場に飛び込んでしまう己の性格と、運の悪さを呪った。

(リュードの馬鹿ったれ!)

 ついでに、こういう時に限って全く役立たずのリュードを呪った。

(手伝ってくれても、良さそうなものじゃない?)

 サキの苦手な怪異にも、リュードは全く恐れない。だが、興味の無いことにはぴくりとも動こうとしないリュードを引っ張り出すのは、とにかく骨が折れる。

 運河とエラース大河が合流する岸辺の 角笛(つのぶえ)の岬に、夕刻になってから再びサキは戻っていた。

 水面に面して、青銅製の神将像がたたずんでいる。その大きさは、台座を含めて高さ二丈ばかりだろうか。

 昼間下見した時はさほど怖くもなかったが、やはり陽が沈んでからこの場に潜むのは、お化け嫌いなサキにとっては怖いものだった。

 運河を使う船乗り達を水難から守護するために、神将像が奉納されたと聞いている。

 その小さな広場の木陰にサキがうずくまって、周囲を見張っている。

 初秋のレグノリアは、昼間の気温から夜中に掛けて気温が一気に下がる。運河の水面に霧が漂い、視界が悪い。

 サキは十年に渡る夜通しの鍛練で、常人よりも遙かに夜目が利く。

 だが、サキの視力を持ってしても濃霧の中を見通すことは困難だった。どんなに目をこらしても、乳白色の夜霧が立ちこめている霧の向こうは見通せない。

 街路樹の黒い影が、濃霧の中にたたずんでいるのが微かにわかるばかりだった。

(リュードの馬鹿!)

 この日何度目かの罵詈雑言が、サキの脳裏に反響した。

(相変わらず、役に立たないんだから)

 そこまで脳裏でぼやいてから、サキは奇妙なことに気が付いた。

(あれ? あたしが天狼との約定でリュードと組むようになって、まだ数ヶ月しか経ってなかったんだ)

 王都の存亡に関わるような大事件が勃発し、王家だけでは解決できない時に限り漂泊民の天狼が協力するという約定をサキが継いだのは、ほんの数ヶ月前だった。犯行現場に魔除札を残してゆく謎の盗賊を追う中で、サキはその約定を受け継いだ。

 そして、その約定に従い天狼側の相棒としてサキの前に姿を現したのが、リュードだった。

 知り合ってまだ数ヶ月というのに、幼なじみであるかのように普通に打ち解けていることに、サキは今になって気が付いた。それどころか、ずっと昔から知っているような既視感を持つ。

(リュード……本当に、何者なんだろ?)

 ”骨喰(ほねばみ)リュード”という異名を持った剣士でありながら、剣を捨てて方術士に身をやつした変わり者だった。

 何があったのか、何を考えたのかは誰も知らないが、『魔物以外に剣は不要』とうそぶき、あっさりと剣を捨ててしまったという。

 いつもとぼけていて飄々としているが、その剣の腕前は天狼の中でも随一だったという。

 だが、サキにとっては、常にイカサマ占いで日銭を稼ぐ怪しい人間だった。方術というシドニア大陸東方の魔道に似た術を使うというが、その不可思議な術も、種明かしをされるとがっかりするほどの子供だましばかりだった。

(夜中に彫像が歩き出すなんて、信じられるわけないじゃない……どーせ、リュードのイカサマ方術と同じよ)

 サキは、静かに運河沿いを見張り続けていた。


       ◆


 何刻が経過したのだろうか。

 夜通しの監視を続けるサキの前に拡がるのは、寝不足のせいか不思議な光景だった。昨夜も刀術の鍛錬で、サキはほとんど眠っていない。

 街路樹の幹にある洞のくぼみが、人の顔に見えてくる。

(えっ?)

 おまけに、その顔がサキに話し掛けてくる気がしてきた。お伽話に出てくる木の姿をした魔物のことを、サキは不意に思い出した。

(まさか、ね)

 どこからともなく、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた気がする。

 だが、その話し声は不明瞭で意味が聞き取れない。

(空耳よ……)

 サキは、強く頭を振った。

 暗闇の中、ススキが風に揺れて人影に見える。

 霊力が皆無のサキにとって、妖魔だの亡霊だのという怪異と相性が悪い。

 刃を持った暴漢数人に取り囲まれても、サキは顔色一つ変えない。

 だが、そんなサキの唯一の弱点が、亡霊とか妖魔といった不可視の類いだった。

(!)

 サキは、暗闇の中で目をこらした。

(?)

 足元の石ころが、いつの間にか二寸ばかり位置を変えている。

(嘘でしょ……さっき、もうちょっと横にあったわよね)

 サキは、慌てて目をこすった。

 だが、その小石は動く気配はない。

(幻? それとも、本当の怪異?)

 サキの背筋が、寒くなった。

 もう一度、小石を見つめ直す。

(確かに、動いた!)

 明らかに、微かに小石の位置がさらに変わっている。道ばたの小石が動き出す怪異など、耳にしたことがない。

(ええーい! 正体確かめてやる!)

 サキは思い切って、身をかがめ小石に顔を近づけた。

 小石には、手足があった。

 サキは、ふーっとため息をついた。

 動くのも当たり前だった。それは、小石ではなく小さな褐色の蛙だった。

(なんだぁ……ただの、土蛙じゃないのさ)

 土蛙が、のろのろと歩き出した。

(あたし、しっかりしろ! あたしのお化け嫌いが、お化けを見せてるだけよ!)

 もしここにリュードがいたら、間違いなく涙を流して笑い転げている。そんな図を想像したサキは、恥ずかしさで耳まで赤くなった。

(あたし、どうして霊力がないんだろ?)

 幼い頃から、サキは何度自問自答したことだろう。

 姉のセアラや、妹のスーは神殿の各所にある神域で精霊を見かけるというが、どんなに目をこらしてもサキには見えない。

 サキにとって、霊力がないことが劣等感としてお化け嫌いに拍車をかけている。

 だが、何か得体の知れない何かがそのあたりにいる、という妖魔の気配だけはなんとなくわかるから厄介だった。

 霊力が皆無に等しいサキは、神官への道が最初から閉ざされていた。代々が神官のシェフィールド家の血筋を引きながら、霊力が皆無なサキにとっては神殿はかなり居心地が悪い。霊力で神殿に貢献できないサキが、神殿警護官を目指したのも必然だった。

 それが故に、サキは刀の鍛錬に熱中したのかも知れない。

 不意に、何かがサキの回想をさえぎった。

「?」

 サキの耳に、何か異音が飛び込んできた。

 どこからか、微かに小さな音が聞こえてきている。気のせいか、微かに足下が揺れている気がする。

(地震?)

 地震にしては、運河の船に乗っているような長いゆっくりとした揺れだった。

(ディンゴが言っていた地震、って……これ?)

 間違いなく、サキの足下が揺れ続けている。

 サキは、そっと周囲を見回した。

 だが、暗闇の中、その音の正体は姿を見せない。

(これ、空耳じゃないわ!)

 サキが、反射的に物音の方向に意識を向けた。

 サキは、耳を凝らした。地面の揺れだけではない、聞き覚えのない異音も微かに聞こえる。

(あたしの気のせい?)

 風が、どこかで唸っている。

(風が吹いてきた……霧が晴れれば、音の正体が見えてくるわ)

 風に乗り、霧が流れてゆくのに気が付いた。

 夜霧が流れ、不意にサキの視界が晴れた。

(嘘でしょ!)

 サキが息をのんだ。

 夜霧の中、神将像がゆっくりと動いている。昼間は確かに西を向いていた神将像は、確かに北東の方角に向きを変えている。

 神将像が右手に持つ剣が、まるで何かを指し示しているかのようだった。

(えっ?)

 突然、夜霧が切れ雲間から月が顔を出した。

 霧の隙間で、月光が何かを微かに照らし出した。

 神将像の右手の剣の切っ先が指し示す先を見て、サキが凍り付いた。

(嘘ぉ……)

 一瞬だが、夜空の彼方にぼんやりと浮遊する人影が確かに見えた。さすがにこれは、サキの見間違えなどではない。

(あそこ……運河の真上よ!)

 サキは、硬直してその場から動けない。

 空中を浮かんで歩く、など聞いたことがない。神将像が動いたことよりも、夜空に浮かんで移動する人影を目撃した方が、サキの驚きは大きかった。

 再び霧が流れ、その人影が霧の中に溶け込んでゆく。

(そんな、馬鹿な……ディンゴが言った通りの怪異?)

 サキは、金縛りにでもあったかのように、恐怖で身体が動かない。

 人影が消えてしばらくの間、サキは動けなかった。

 あまりの出来事に、悲鳴もあげられない。

(まさか……まさか……)

 その瞬間、何者かが背後からサキの肩をそっと叩いた。

「!」

 サキは、悲鳴を飲み込んでその場に硬直した。

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