ACT01 マオ・シェフィールド
緑の多い神殿地区から運河にそって西へと進むと、途中から街並みの雰囲気ががらりと変わる。白を基調とした建物が整然と並び、所々に雑木林で囲まれた広場がある。
新市街区と呼ばれる、新しい街並みだった。計画的に作られた街並みだけに、道も直線が多く街路樹が整然と並んでいる。
「今日も今日とて~♪ 東へ西へ~♪」
御者の調子外れな歌声を背中で聞きながら、サキが荷車の前を歩いていた。
サキの足取りは、軽やかだった。
ロバに乗る御者が、サキの歩調に合わせて荷車を進めてゆく。
「さっ、到着!」
新市街区の広場に面した建物の前に、荷車が止まった。
王都の治安を司る護民官の庁舎だった。
いかめしい灰色の石組みの、背の高い建物をサキは見上げた。白を基調とした新市街区の中で、この建物だけは薄暗い灰色の建物だった。
「相変わらず、ここだけは雰囲気が暗いわね」
いつ来ても、気分が滅入ってくる。
ここに来る時は、護民官長のデュラン候のお叱りばかりなので、サキは、この新市街区の護民官の庁舎が、どうしても好きになれない。
サキは、ロバを操る御者の老爺に振り向いた。
「ケルマン爺さん、ありがとう! 助かったわ」
「いいんだよ。サキ姫には、いつも助けられてるからな」
ロバを操りながら、雑貨商の老爺が微笑んだ。
荷車には、サキが縛った男達が満載だった。荷台から、恨めしそうな視線がサキに集中するが、その無言の抗議をサキは軽く無視した。
「さぁ、降りた降りた!」
サキが荷台に飛び乗り、縛った男達を荷車から引きずり降ろす。抵抗する男達も、サキに尻を蹴飛ばされ渋々荷台から降りてくる。
ゴトゴトと音を立てて、ロバが曳く荷車が去って行く。
「自力で歩かなきゃ、引きずってくよ!」
後ろ手に縛られ腰紐でつながれた男達が、サキに蹴飛ばされ渋々一列に歩き出した。
護民官の庁舎の入り口をくぐり、薄暗い庁舎の大広間に男達を追い立ててゆくのを、通りすがった市民が呆然と眺めていた。
サキが、大広間の奥にある扉を開く。
「こんにちは、デュラン候! ご機嫌いかが?」
屈託のないサキの挨拶に、護民官長のデュラン候が顔をしかめた。サキと遭遇するたびに、厄介の種が飛び込んできたとばかりに露骨に嫌そうな顔をするのがデュラン候の常だった。事実、サキがここに姿を現す時には災厄も一緒に運んでくる。
「こいつらは?」
サキの後ろにいる十人近い縛られた男達の姿に、デュラン候の目が丸くなった。
「神殿の参道前広場と、運河沿いの道の境目で乱暴狼藉してた馬鹿野郎共よ……ぶん投げて捕まえた先が運河沿いの道端だったから、護民官の縄張りだわ。そっちの牢屋の方が、うちの牢屋より広いしね」
サキの屈託のない言葉に、デュラン候が渋い顔をした。
「牢屋が一杯になる」
「うちの牢屋は狭すぎて、こんなに入りきらないもの」
サキが、しれっと言ってのけた。
デュラン候が、ふてくされた男達の顔を改めた。殴られたのか顔のあちこちが青黒く張れ、鼻や口元に血がべっとりと残っている。
慌てて集まってきた何人かの護民官が、縛られた男達を牢屋に引き立ててゆく。
「こいつら、何者?
どいつもこいつも、あんまり見掛けない連中なんだけど?」
「ゼメキスが使ってる若い連中だ」
サキの問いに、顔をしかめたままのデュラン候が答えた。
「ゼメキスって……大富豪のゼメキスさん?」
「ああ。最近、ゼメキスの所の若い連中があちこちで騒ぎを引き起こしてる。まぁ、町でちょっと暴れた程度なら、ちょっとお仕置きしてゼメキスのとこに送り返すしかないがな」
「へぇー、あのゼメキスさんの所ってのが、にわかに信じがたいわね」
サキの知るゼメキスは、神殿に気前よく寄進をしてくれる豪放磊落な陽気な大商人の印象しかない。
「ゼメキスは、罪人を更正させて水運に使ってる……今まではゼメキスがうまく束ねて、悪さをさせなかったんだがな」
「ゼメキスさんに、文句言えば済むんじゃないの?」
サキの気楽な言葉に、デュラン候は肩をすくめた。
「病気だそうだ」
アウラ・ゼメキスは、謎の多い商人だった。
五十を迎えたくらいのがっしりとした体格のゼメキスは、商人というより剣闘士のような雰囲気をたたえている。
今から二十年ばかり前に王都レグノリアに突然現れ、わずか数年で有数の大富豪となった商人だった。船を使った海運業から、王都内に掘削された運河の水運へと手を広げ、王都レグノリアの物流で稼いでいる。運河で囲まれた王都レグノリアは、海路から入ってきた南方諸国の品々や、東の街道から隊商が運んできた品々を運河で運ぶのが常だった。
だが、アウラ・ゼメキスの出自は謎だった。
出身地も口を閉ざし、若い頃にどこで何をやっていたのか誰も知らない。浅黒い肌や、黒い髪から推し量るに、南方諸国出身と思われるが、ゼメキス自身から出自について語ることはなかった。
巷では、ゼメキスは元大盗賊とも元海賊とも噂されている。
ゼメキスは、自分の手下達と一緒に、商売替えをして商人になったというまことしやかな噂が流れている。ゼメキスはそんな噂にも豪快に笑うだけで、肯定も否定もしなかった。
だが、サキにとっては神殿に気前良く多額の寄進をしてくれるありがたい信者としての印象しかない。
事実、何かにつけゼメキスは高額の寄進を神殿にしている。
「護民官も、手が一杯だ……夜盗が跳梁してて、大半の護民官も出払っている。狙われたの商家はわずか十日でもう五軒だぞ」
デュラン候が話題を変えた。
「へぇ-、神殿警護官の縄張りでは、そんな夜盗騒ぎは聞いてないわね」
「現場に魔除け札でも残してくれてったたら、サキ姫達神殿警護官の方に仕事を回せるんだがな……残念ながら、魔除け札はなしだ」
デュランがぼやく。
「こっちに厄介事を回さなくてもいいわよ」
サキが、鼻を鳴らした。
「だが、狙われた商家のうち二軒は天狼だぞ……知らん顔も出来ないんだろ?」
顔をしかめて、サキはデュラン候を軽くにらんだ。
漂泊民の中で異能と目される天狼の味方のサキには、天狼の名前を持ち出されると弱い。サキは、ヴァンダール王家の王族の中で唯一、天狼と強い繋がりがある。太古からの叡智を引き継ぐと言われ、国を持たない漂泊民の天狼と王家が結んだ約定に選ばれた王家側の人間がサキだった。
「性格悪いわね……こっちだって、何か盗賊につながる手掛かりを拾ってきたら、直ぐにご注進に駆け込んであげるわよ」
天狼嫌いで鳴るデュラン候だが、ここ最近は天狼を始めとする漂泊民に対しても態度が柔らかくなってきた。それどころか、天狼側に立つサキに対しても、軽口を叩いてくるようになった。
「自発的にお手伝いってのは?」
デュラン候の探るような眼に、サキが鼻先に縦皺を寄せた。ここで、優しい態度を見せるとろくな事がない。
「うちも、後天祭の準備で護民官に手伝ってもらいたいくらい、一杯一杯なのよ」
◆
護民官の庁舎を出たサキは、神殿へ戻る道すがら、街のあちこちに不穏な空気が漂っているのに気が付いた。
新市街区はともかく、下町の旧市街区に近づくにつれて殺伐とした気配が濃くなってきた。
「確かに……やけに、ガラの悪い連中が増えたわよね」
サキが、独りつぶやいた。
あちこちの街角にたむろしている連中は、普段は決して見掛けない顔ぶれだった。潮焼けした浅黒い肌と、鍛え抜かれた身体を見れば、港湾地区で力仕事をしている連中と見当は付く。デュラン候が口にしたゼメキスの使用人らしき連中だろう。
とはいえ、神域で何か騒動を起こさない以上は、神殿警護官のサキには手が出せない。
(あれ?)
神殿の参道広場の前に立ち尽くす一人の巡礼者の姿に、サキは一瞬小首を傾げた。
(あの巡礼者、さっきも居たわよね)
神殿の参道広場で狼藉者を捕まえて、荷車に積んだ時にもそこに巡礼者がたたずんでいたことをサキは思い出した。
(神殿に拝礼して、戻ってきたとこかしらね)
巡礼者が神殿に拝礼に来る数は、毎日何百人もいる。巡礼者が神殿に姿を現しても、何も不思議ではない。
灰色の長衣を身にまとい、杖をついた巡礼者など毎日見掛ける。だが、この巡礼者はどこか暗さを漂わせている。
(気のせいかな?)
さして気にすることもなく、サキは神殿へとつながる長い石段を駆け上り始めた。
◆
「サキ~! こちらへ、ちょっといらっしゃいな」
自宅に戻るなり、聞き覚えのある柔らかい声が居間から響いた。
(やばい!)
サキは、首をすくめた。
すっかり忘れていた。
今日、サキの両親が、王都レグノリアから南に少し離れたシェフィールド家の所領から王都レグノリアに戻ってくる日だった。
居間に足を踏み入れる直前に、廊下の壁に掛けられた姿見の鏡の前で、サキは精一杯の芝居で笑顔を作った。
「あら、お父様お母様、お帰りなさい」
居間の長椅子に腰を降ろした、普段着の両親がいた。
ダン・シェフィールド、マオ・シェフィールド。
サキの両親だった。
椅子に腰を降ろしたダンは、無言でうなずいた。神官のしきたりで髪を後ろで束ねた穏やかな物腰の父親だった。家庭の中でも、神官のお手本のような物静かな振る舞いを常に見せている。
だが、母親のマオは違った。
「元気そうで何よりだわぁ……でも、ね」
マオが、サキの姿を見て微笑んだ。
(来た!)
サキは、微かに顔をしかめた。この『でも、ね』という言葉がマオの口から出てくる時は、間違いなくお説教が待っている。
「神域での乱暴狼藉者を取り押さえたのはお手柄……とはいえ、年頃の娘が暴漢を足で踏んづけるのは頂けないわね」
サキは、小さく首をすくめてうつむいた。
(さっきの、見られちゃってた?)
マオの言葉使いは優しく丁寧だが、内容はかなり厳しい。
カロンのように、その場で怒鳴ってもらった方が後に残らないだけまだマシだった。
真綿で首を絞めるような説教は、半刻ばかり続いた。
◆
「ティム~、ひどくない?」
説教から解放されやっと自室に逃げ込んだサキは、足元に寄ってきた子猫のティムを抱き上げた。
この子猫は、サキが拾ってきてからまだほんの一月ぐらいだった。
純白の長い毛並みと、金色と青い眼を持つ珍しい姿の子猫だった。その長い尻尾の先端が二股に分かれている。
どうやら化け猫らしいが、サキの前以外では愛嬌のある普通の子猫だった。
「半年ぶりに会ったのに、あたしの顔見るなりお説教よ」
サキは、ティムに愚痴をこぼした。
きょとんとしたティムが、前足を伸ばしてサキの顔に触れた。
サキを見上げるティムの金目銀目が輝いた。
「あたしが何やっても、父様と母様には不満なのよ……何をどうやっても、怒られるのはあたしだわ」
こういう時は、何か仕事をやって気分転換するのがいい。
サキは、頭の中から母親に叱責された嫌な記憶を追い出すため、何かやることを探した。
「あっそーだ! ティム、あんたの出入り口を作ってあげるわ」
別に説教に対する反抗ではない。サキは、思い付いたら即行動するのが信条だった。
サキは、自分の部屋の出入り口の扉を外し始めた。
ガリガリと厚板に穴を開ける激しい物音が、屋敷中に響き渡る。
「サキ、何やってるの?」
物音に驚いたマオが、階段下から顔を出した。
「何って?」
外して廊下に立てかけた扉に、鑿とノコギリで戸板に穴を開けながらサキが振り向いた。
「ティムが自由に部屋に出入りするための扉を造ってんの」
「扉?」
マオの目が丸くなった。
「ちょっと寒くなってきたからさ……いつも扉を開けっ放しじゃ寒いし、そうかといって、扉を閉めちゃうとティムが出入りしにくいから」
「あらあら、まぁまぁ……夜中に、そんなに物音立てなくてもよろしくない? せめて昼間におやりなさいな」
「直ぐに終わらせるから!」
サキは、一気に扉の下部に二尺四方の穴を開けた。切り抜いた板に蝶番を取り付け、扉にはめ込んだ。
「さっ、出来たわよ!」
サキは、扉を戸口にはめ直し、その出来映えに満足した。扉の下側に、二尺四方の小さな扉が出来た。
「ほら、ティム! ここを通れば、あんたも自分で自由に出入りできるでしょ?」
サキが部屋にいる時、ティムの鳴き声で扉を開けて出入りさせるのが常だった。放っておくと、ティムは誰かが扉を開けてくれるまで大声で鳴いて催促する。早朝、深夜にこれをやられて姉のセアラと妹のスーは、すっかり寝不足気味だった。
ティムの前で、サキは自慢げに猫用の扉を開閉して見せた。
小首を傾げたティムは、扉とサキを交互に見上げ、いきなり跳躍した。
「えっ?」
人間用の扉の取っ手に飛びついたティムは、身体を振って体重を利用して、扉を開いて隙間から廊下へ出て行った。
「あんた、あたしがいない時はそうやって勝手に出入りしてたの?」
努力が徒労に終わったサキが、顔をしかめた。
廊下でティムの鳴き声と共に、微かな足音と衣擦れの音が聞こえた。
「物置にあったわ」
ティムを足元にまとわりつかせながら、マオが大きな皿を持って入ってきた。
決して対決姿勢があるわけではないが、反抗期真っ盛りのサキにはどうもやりにくい。
「何、このお皿? 水盤?」
サキは、マオが手にした大きな皿を見て、小首を傾げた。マオが持ってきたのは、あちこち薄汚れた白磁の大きな深皿だった。
「古いけど……この子猫の厠代わりの砂箱に丁度良いわ」
マオは、木屑を敷いた水盤をサキの部屋の隅に置いた。
足元をうろうろするティムを、上体をかがめたマオが撫でる。
金目銀目で尻尾の先が二股に分かれている化け猫のティムは、サキの両親が屋敷に帰ってくるなり、この屋敷の上下関係を素早く察知した。とりあえず、マオに友好的な態度を取っておくのが安全と判断した様子だった。ティムは、マオに愛嬌を振りまいている。
「サキが元気で何よりだわ。
でも、ね……あなたには、ならず者にはなって欲しくないわ」
「猫の出入り口を作るだけで、ならず者呼ばわりなんてされたくないわよぉ!」
また、母娘の口論が始まりそうな勢いに、ティムが大きく一鳴きして巧みに二人の間に割って入った。