ACT14 先天祭での出来事
『睫毛のように目の前にあるのに見えぬのが真実なり、闇雲に猪突猛進して突っ走るは凶、冷静に耳目を澄ませば吉』
生まれついて霊力が皆無に等しいサキは、神託や占いを信じない。神殿の神託でさえ『本当かしら?』と思っているくらいだから、リュードの怪しげな辻占いなど信じるはずもない。だが、その神託の文言が、サキの脳裏に妙に残ってしまっている。
考えないようにしようとすればするほど、脳裏にその占いの文言が蘇ってくる。
リュードがサキを勝手に占った神託そのままで、サキの今日の運勢はどうやら最悪らしかった。
(リュードが、勝手に変なことを占うから悪いんだわ!)
サキは、神殿前の中央大橋のたもとで別れたばかりのリュードを恨んだ。
神殿警護官の詰め所に戻ってくるなり、厄介な呼び出しがサキを待っていた。
「父様からのお呼び出し? 最近、父様から直々に叱られるような真似してないわ」
サキは、顔をしかめた。
カロンに呼び出されたなら、いつもの喧嘩の叱責だろうが、今回は父親のダンの呼び出しだった。
いわく、『サキが戻ってきたら、即座に神殿の社務所にカロン共々来るように』という伝言だった。
「俺も一緒に呼ばれたんだから、お叱りってことはあるまい」
傍らを歩くカロンが、とりなすように囁いた。
「呼び出された相手と場所が問題なのよ……お叱りなら、屋敷で散々頂戴してて、もうお腹いっぱいよ」
サキが、不服そうにぷーっと頬を膨らませた。
サキの父親のダンは、母親のマオほどはサキを叱らない。
だが、叱り方が違うだけだった。サキがやらかす常識外な行状には、やはりダンも厳しく叱る。
「普通なら、兄貴が俺を呼び出すって事はないんだがなぁ……同じ屋根の下に暮らしてるんだから、夕飯時にでも直接話せば済むんだがなぁ」
だが、そのカロンも今回ばかりは自信なさそうだった。
カロンも、サキの教育不行き届きを理由に、サキ共々叱られたことは何度もある。
しかも、よりにもよって呼び出された場所は、普段サキが絶対に寄り付かない神殿の社務所の奥だった。神官長の執務室の近く、大聖堂に近い奥の区画は神官の資格を持たないサキとカロンも足を踏み入れることが滅多にない聖域だった。
(また説教かぁ)
サキは覚悟を決めた。
だが、ダンの執務室に渋々入ったサキを待っていたのは、意外な面々だった。
「えっ?」
サキは、入り口で一瞬硬直した。
サキとカロンを呼び出したのが父親のダンだけだと思いきや、母親のマオと、大富豪のカート・ライリーの姿があることに、サキとカロンは思わず顔を見合わせた。
しかも、この場の空気が妙に重苦しい。
「カロンとサキは、ライリーさんと顔見知りだから、堅苦しい挨拶は抜きでゆきましょう」
マオがそう言って、カロンとサキに着席をうながした。
屠殺場に連れて行かれる羊になった気分で、サキは椅子に腰を下ろした。この場の沈痛な空気に触れれば、平穏な話題が待っていないことは、どう考えても確実だった。
「さて、さっきの話をもう一度、この二人にしてもらえませんかね」
父親のダンが、ライリーをうながした。
光沢のある群青色の瀟洒な着物を身にまとったカート・ライリーは痩身の初老の男だった。年の頃は、五十歳前後と言ったところだろう。大富豪でありながら、アウラ・ゼメキスのような派手さを嫌い、常に落ち着いた物腰をしている。
ライリーがサキとカロンに深く頭を下げ、口を開いた。
「御相談にうかがったのは、アウラ・ゼメキスが病気になった件でございます」
「?」
サキは、顔をしかめた。
カート・ライリーは”病気”と曖昧に表現しているが、その現状はつい先ほどサキが見てきたばかりだった。
簡単に言うと、アウラ・ゼメキスは”傾国の水盤”に取り憑かれた状態だった。
「アウラの奴がおかしくなったのは、手前の責任でございます」
アウラと親しげに名前で呼ぶのは、ゼメキスと仲が悪いはずのライリーにしては珍しい。
「まずは、これを見てください」
ライリーが、机上に薄い綴りを置いた。
それは、先天祭での慈善競売会に出品された品物の目録だった。
ライリーが、その中の一枚の絵姿を示した。
目録は出品された物の名前、略歴の紹介と、その姿が緻密に描かれたものだった。
神殿が主催して行われる慈善競売会では、競り落とした売り上げの三割が神殿に入る。その金で、神学校や孤児院を運営している。また、凶作の時や災害が都に起きた時には、神殿が炊き出しを行ったりする備えの費用にもなっていた。
その慈善競売会には、様々な美術工芸品が出品される。
綺麗な金銀細工から、珍しい東方諸国の磁器、北方諸国のガラス細工や、南方諸国の織物まで毎回、数百品が出品される。
出品された品物の目録には、その品物の絵が精細に描かれ、それも貴重な神殿の記録として保管されている。その目録の絵は、サキの妹のスーが、出品された時点でその場で描き、それを原画として版木に彫って刷った精妙なものだった。
シェフィールド家の三女スーには、サキ達三姉妹の中で唯一の特技があった。それは見たものの姿を正確に記憶にとどめ、そのまま描き写すという特殊な能力だった。
(あっ、やっぱり、その皿だわ……)
そのスーが描いた目録に描かれた一枚の皿に、見覚えがあった。
先ほど、ゼメキスの屋敷で見たばかりの皿の絵だった。
半年前の先天祭での記憶が、サキの脳裏に鮮やかに蘇ってきた。
◆
春秋の先天・後天祭は、聖教で年に四回ある祭礼の中で最大規模を誇る。長かった冬が終わり、春の種まき直前に開催される先天祭と、秋の収穫祭を兼ねた後天祭は、数万人を越える信者が神殿の参拝に訪れる。
神殿警護官も、非番の警護官まで動員しての警備に忙殺されていた。
慈善競売会の入り口で警備していたサキの傍らを、アウラ・ゼメキスとザネッティ候がにこやかに談笑しながら通り過ぎたのを覚えている。
ティオ・ザネッティという老人は、司法を司る刑部府の長官だった。
護民官が罪人を捕まえるのが任務なら、刑部府は法律に従い刑罰を執行するのが任務だった。そのお役目柄、ついたあだ名が”首切りザネッティ”。
監獄、刑場の管理も、刑部府の縄張りだった。
”海賊島”の管理も、刑部府だった。ゼメキスにとってザネッティ候は、屋敷のある”海賊島”の地主だった。
地主に媚びを売って損はないため、如才なくゼメキスはザネッティ候に愛想を振りまいていた。
ザネッティ候としても、大商人のゼメキスを味方に付けていて損はない。何かと、ゼメキスから資金援助を受けているという噂だった。
「これは、掘り出し物だぞ……」
ザネッティ候が、慈善競売会の出品目録を傍らのアウラ・ゼメキスに示した。
この目録とて、安くはない。出品された競売品の精緻な模写と来歴などが記された綴りも、貴重な神殿の収益の一つだった。
「”傾国の水盤”が、どこかの洞窟から出てきたんだ」
「ほほう、そんなにすごい品物なんですかなぁ」
アウラ・ゼメキスは美術品に対しての審美眼が希薄だった。慈善競売会で競り落とす品も、金ぴかの派手な品物に偏りがちだった。
ザネッティ候が、ゼメキスに囁いた。
「資金に余裕があれば、ぜひとも落札したいところだがね……残念ながら、うちは貧乏貴族だ」
ザネッティ候が、自嘲的に笑う。
「この皿は、持ち主を商売繁盛させるって話だが……ゼメキス殿の財力なら、競り落とすことは造作もないんじゃないか?」
ザネッティ候が、ゼメキスを巧みに煽る。
「いえいえ、それほどの財力じゃございませんがね……そこまで言われるような掘り出し物なら、是非落札して家宝にしたいもんですなぁ」
ザネッティ候のおだてにまんざらでもない様子で、アウラ・ゼメキスが豪快に笑った。
確かに、ゼメキスの財力は王家の貴族を遙かにしのぐ。
金だけはうなるように持っているというが、美術工芸品の価値に関しては明るくない。
「”海賊島”の貴殿の屋敷こそ、”傾国の水盤”の終の棲家にふさわしいと思うぞ……カート・ライリーが競り落とそうとしているって、もっぱらの噂だ」
ザネッティ候が、とどめの一言を囁いた。
そして、ゼメキスがその言葉に頬をぴくりと動かした。先程までの豪放磊落な大富豪としての余裕のある表情ではなく、競争相手に対する露骨なまでの対抗心がその顔に浮かび上がっている。
「ほぅ……ライリーがねぇ……そりゃ、みすみす奴に落札されるのも癪ですなぁ」
「そうとも……このような天下の宝は、貴殿のような大人物が所有するべきものだ……おっ、そろそろ始まるぞ」
会場から、慈善競売会の開始を告げる鐘が打ち鳴らされた。
「さぁ、ここに集まった品々の真贋を見極めるのは、皆様の眼力に掛かっております!」
司会が巧みに客を煽ってゆく。
司会を務めるのは、王家のお抱えの吟遊詩人だった。深みのある声が、神殿の参道広場まで朗々と響き渡る。
その煽りを受けたのか、競売会は盛況だった。
掘り出し物の美術工芸品が、次々に落札されてゆく。
「さて、次なる品物は……」
そこで言葉を切った司会は、観客を見渡した。吟遊詩人だけあって、間の取り方も絶妙だった。ざわついていた観客が静まりかえり、全員の視線が壇上に注がれるのをおもむろに待つ。
頃合いや良しと見た司会が、壇上に恭しくその品物を載せた。
「伝説の名工シウバ・ブラーエが作ったとされる、”傾国の水盤”!
これが故に、アストレア王国が滅びたという曰く因縁の伝説の水盤です! 戦乱の中、戦火の中に消えたとも、何者かが密かに持ち出したとも伝えられ、その所在が長らく不明となっておりました。
ところが、その伝説の皿が、ティティス王国近郊の洞穴から冒険者の手によって掘り出されたとの噂が流れ……そして、その皿を、今ここにお披露目出来る事を幸運に思います!」
観客の間から、どよめきが走った。
”傾国の水盤”の伝説は、お伽話になっているような代物だった。
見かけは浅い広皿だが、水を張ると皿の底に描かれた魔法陣が水面に反射して金色に輝いたという、天下に唯一の代物だった。
伝説の名工シルバ・ブラーエなる謎の人物が作った工芸品の中で最高傑作に数えられる逸品で、その水盤の所有を巡って、二百年近く栄えたアストレア王国の中で争いが起き、三十年ばかり前に結局アストレア王国が滅びたという。
そのため、ついたあだ名が”傾国の水盤”。
持つ人に巨万の富をもたらす、と言われているが、今この場にある皿が本物か贋物かはわからない。
それが、競売会の怖さだった。とんでもない掘り出し物を安値で手に入れることもあれば、全く無価値なガラクタを高値で掴まされる危険も背中合わせにあった。
松明の明かりに、水盤の底に描かれた文様が黄金色に輝いた。
「この水盤が真の”傾国の水盤”かどうか、その真贋は誰にもわかりませんが……価値がある水盤であることは、その出来を見れば一目瞭然!
まずは、金貨十枚から!」
「百だ!」
いきなり、カート・ライリーが声を上げた。
観客の中からどよめきが起きた。美術品に造詣が深い大富豪のライリーが手を挙げるということは、この皿が本物だということになる。
「さぁ、いきなり金貨百枚の価が付きました! 他に手を挙げる方はいずこに?」
それまで会場の一角で眠そうに眼を細めていたアウラ・ゼメキスの眼が、突然大きく見開かれた。
競争相手のライリーが狙ったところを見ると、その邪魔をしたくなるのがゼメキスの性分だった。
アウラ・ゼメキスが突然、大声を張り上げた。
「二百!」
今度は、群衆がさらに大きくどよめいた。ライリーとゼメキスの金持ちの見栄張り対決は、この競売会の名物だった。
カート・ライリーがアウラ・ゼメキスを冷たくにらんだ。
この豪商二人は不仲なのか、何かと機会を見つけては互いに競い合っている。
どちらも、王都レグノリアでは有名な豪商だった。
ゼメキスもライリーも、二人とも奇妙な商人だった。
出自も不明なら、同じ時期に突然王都に現れ、瞬く間に大富豪になった。ライリーは陸路の交易で財をなした。船を使って水上の交易路を抑えているゼメキスとは対極的な立場にある。
当然、交易商としては陸海を別として、競い合う関係にあった。
競い合いながら商売を繁盛させていったのだが、この二人は商売以外でも何かと競い合っていた。
性格も対照的だった。
元海賊と噂されるだけあって、ゼメキスは豪放磊落な性格なのに対し、物静かなライリーは、美術工芸品に造詣が深い。歴史的に価値がある逸品なのかそうでないか、ライリーの眼に掛かれば即座に答えが出る。
陸路の交易商の商いの一環で、諸国からの美術工芸品を仕入れて来るが、その審美眼に狂いはなく今では王侯貴族相手に美術工芸品の斡旋までしている。
審美眼に関してはライリーに数段劣るゼメキスだが、対抗心だけは人一倍強い。
ライリーが珍しい美術品を手に入れたと聞けば、ゼメキスが負けじと金に糸目を付けずに異国の美術品を手に入れる。
本来は神事である祭礼でさえ、この二人が絡むと神殿への寄進の多寡までが競い合いの種になる。その見栄張り合戦は、神殿の寄進額を競い合うのを通り越し、最近では慈善競売会にまで及んでいる。
「この水盤は、持ち主に富をもたらすそうだからな……我が輩が保有するのにふさわしいだろう?」
ゼメキスが、ライリーを見返して不敵な笑顔を見せた。
それに対して、ライリーは司会に向けて声を張りあげた。
「三百だ!」
ライリーの言葉で、会場が一気に沸いた。
ライリーが落札しかけたのを、ゼメキスが横やりを入れたことで、急に競売が盛り上がった。
何しろ、相手は大富豪のゼメキスだった。ライリーと見栄張り合戦を繰り広げる豪商にとって、金貨三百枚でも安いものだろう。
落札価格がどんどんと競り上がってゆく。
「三百五十!」
「四百!」
「四百五十、いや五百だ!」
ここまで来ると、他の商人や貴族にも手が出せない。豪商で大判振る舞いすることで有名なゼメキスとライリー以外に、古ぼけた一枚の皿にこれだけの金額を出せるものはほとんどいない。
観客に煽られ、会場の熱気がさらに高まってゆく。
頃合いやよしと見たのか、ゼメキスが一気に勝負に出た。
「八百!」
「……」
さすがに、ライリーが沈黙した。審美眼のあるライリーにしても、金貨八百枚は、価値と買値の均衡が保てない。
「さぁ、八百! それ以上はないか? ライリーさん、この勝負は如何に?」
司会が煽る。
だが、ライリーは目を閉じ、静かに首を横へ振った。
「八百! 八百! アウラ・ゼメキス殿が、金貨八百枚で”傾国の水盤”を落札!」
観衆の大きなどよめきの中、落札の合図の木槌が打ち鳴らされた。
「カート、残念だったな……このような芸術品は、我がゼメキス家が所有するのがふさわしいからな」
勝ち誇ったようなアウラ・ゼメキスが、使用人達を連れて意気揚々と引き上げてゆくのを、カート・ライリーが無言で見送った。
「?」
サキは、怪訝そうにライリーの方を見た。
ライリーは、競売で競り負けたはずだった。
だが、そのライリーの頬に、苦笑のような微笑みが浮かんだのをサキは見逃さなかった。
その微笑みは、断じて悔しさではない。
むしろ、してやったりというカート・ライリーの微笑みだった。
だが、サキが先天祭で感じた違和感は、忙しさにかまけてすっかり記憶のどこかに埋没していた。




