ACT13 美術品の価値
「そんなわけで、うちの親分は商売そっちのけになってまして……毎晩徹夜で皿の警護をしたり、皿に祈ったり……って、情けない状況にあります」
ヘルムートの話を聞いて、サキは大きなため息をついた。
もはや何をどう言っても、ゼメキスは聞く耳を持っていなさそうだった。
「病気って……こういうことなのね」
「ええ……お恥ずかしい限りですので、この場限りにしてどうか他言無用で願います」
ヘルムートが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ねぇ、ヘルムートさん? 変な物音とか振動とか、こんな怪異はいつもあるの?」
「まぁ、うちの親分は一日中祈りを捧げてますが……その刻限には、決まって起きますね。
特に夜中は、ひどいもんです」
ヘルムートが肩をすくめた。
「どんなお祈りをしたら、こんな妙な現象が起きるのか……偶然と片付けるには、あまりに符合しすぎてましてね」
ヘルムートが、救いを求めるような眼でサキを見た。
「神殿の薬師様達が調合するお薬の中に……親分を正気に戻せるようないい薬は、何かないもんですかね?」
ヘルムートの冗談だと思ったサキは、クスッと笑った。風邪や食あたり、打ち身捻挫あたりに効く薬は、神殿の薬師達が調合しているが、ゼメキスを正気に戻すような薬の存在など、サキは聞いたことがない。
「薬より、お祓いが必要かなぁ」
ゼメキスの様子では、薬師の調合する薬では効果はなさそうだった。何かに取り憑かれている状態に効く薬など、あるはずがない。
「あのぉ……神殿で、お祓いって出来ませんかね?」
「はぁ? えっ‥‥ええっ?」
サキが、思わずヘルムートを二度見した。冗談かと思ったが、ヘルムートの表情はいたって真顔だった。
「えぇと……お祓いって、あたし程度じゃ出来ないわよ……もしかしたら、セアラ姉さんなら出来るかも知れないけど」
「セアラ様に、お願いできませんかね」
どうやら、ヘルムートは本気で言っている。
サキは、自分の舌禍を呪った。話がさらにややこしい方向へとズレてしまった。
「セアラ姉様にこっそり聞いてみるけど……お祓いなんて、出来るのかなぁ?」
霊力が皆無に等しいサキには、神官の職務にあまり興味が無い。お祓いが神官に出来るかどうか、サキは聞いたことさえない。
◆
「ねぇ、あの皿って……本物の”傾国の水盤”なのかしら?」
ヘルムートが操る船を下り、神殿に戻る運河沿いの道を歩きながら、サキはリュードに囁いた。
サキには、『綺麗な文様の皿』程度にしか見えなかった。バザールの片隅の古物商で売られていたとしても、たとえ銀貨数枚の値段だったとしてもサキなら買おうと思わない。
リュードが、喉を鳴らすように笑った。
「姫さんは、皿を皿として使うことしか考えてないからな」
「そりゃ、皿を飾って喜ぶ神経がわかんないもの」
ゼメキスがそこまで皿に固執している理由が、サキには理解できない。
「ゼメキスは、その皿の由来に価値を見出して大金を出したのさ」
アストレア王家が所蔵していたという”傾国の水盤”は、その文様の精細さと美しさで群を抜いていたという。サキのように、食事に使うための実用品ではなく、絵画と同じように飾って楽しむものだった。
「古文書には、”傾国の水盤”に関して、水を張ると魔法陣を模した文様が水面に浮かび上がるって記述があるだけだ……確かに、伝説通りの魔法陣みたいな文様だったけどな」
伝説の名工シルバ・ブラーエなる謎の人物が作ったとされ、持つ人に巨万の富をもたらす、と言われている。
見かけは深い広皿だが、水を張ると皿の底に描かれた魔法陣が水面に反射して金色に輝いたという。
その水盤の所有を巡って、二百年近く栄えたアストレア王国の中で争いが起き、三十年ばかり前に結局アストレア王国が滅びたという。
そのため、ついたあだ名が”傾国の水盤”だった。
「ぱっと見た感じじゃ、本物じゃないだろうな」
「えっ? 本物じゃない、って? だって、ゼメキスさんの様子を見ると、あきらかに皿に呪われてそうじゃないの?」
リュードの言葉に、サキは思わず聞き返した。
「似せすぎてるんだよ……恐らくは、まがいものだ」
リュードが、奇妙な言葉を呟いた。
「贋物ぉお?」
「本物なんか、もう誰も見たことがない皿だぜ……博物誌にちょっと記述が出てくるだけだからな」
「じゃあ、先天祭の慈善競売会に出されて、ゼメキスさんが入手したあの皿は”傾国の水盤”に似せた贋物だったって言うの?」
「うん……どっかの洞穴から出てきたって由来を持つ古ぼけた皿が、いきなり伝説の皿だったとして競売会に出てきたなんて、夢があるじゃないか」
サキは、リュードの言葉の響きから、暗に言わんとしていることを理解した。
リュードの口調の裏には、『話が出来すぎている』という意味が隠れている。
先天祭の慈善競売会を前にして、都合良く伝説の由来を持つ皿が見つかった。骨董品を喜ぶ好事家にとっては、これほど夢のある話はない。
それでは、リュードの占いと大差がない。
リュードが辻占いの露店で客本人が望む答えを読み、占った卦を都合良く解釈して客を喜ばせるのに似ている。
「ゼメキス本人が本物って信じて喜んでるんだから、放っときゃいいだろうに……わざわざ、夢をぶちこわすこともなかろう」
「夢をぶち壊すも何も、ゼメキスさんのあの調子だと、偽物だって説明しても聞く耳持ってくれなさそうよ」
サキがむくれた。
サキの不満げな様子を見て、リュードが小さく笑った。
「美術工芸品ってのは、値があってないようなもんだからなぁ」
「はぁ? 現実に高値が付いたじゃん」
「価値って言うのは、人が決めるのさ」
リュードが奇妙なことを言い出した。
「美術品の価値はあってないようなものさ。価値があると思えば高値になるし、価値がないと思えば値が下がる」
サキには、リュードの言っていることの意味が良く飲み込めない。
「例えば、姫さんのその大刀だ」
「えっ? この刀?」
サキは、腰に佩いた愛刀を見た。刃渡り三尺、全長四尺を越える大刀だった。
「千金積まれたら、売るかい?」
「売らないわよ」
伝説のレオナ姫が使っていたこの大刀は、サキの唯一の友だった。この愛刀を手放すなど、サキには考えられない。
「じゃあ、万金積まれたら?」
「売らないって言ってんでしょ!」
サキが、リュードをにらみつけた。
「姫さんにとっては、値が付かない程の宝物だが……刀を扱えない人にとっては、価値はないに等しい」
サキにとって唯一無二の愛刀を、『価値がないに等しい』と言われてサキはカチンときた。
「だったら、リュードの”骨喰”はどうなのよ?」
「俺は、別に売っても良いんだけどな……値が付かなくて、売るに売れない」
今でこそ怪しげな辻占いで生計を立てているリュードは、かつては” 骨喰リュード”とまで言われた一流の剣客だったという。国一つ買えるとまで評される伝説の魔剣”骨喰” を持ち、剣の腕前は随一だったはずなのに、何故か剣を捨てて方術士に商売替えした変わり者だった。
『魔物以外に剣は不要』とうそぶき、”骨喰”を借金のカタに使うという所業は、愛刀を友としているサキには理解の範疇を超えている。
「……なるほどね……価値を見い出した者にとってはどんな高値を付けても欲しいと思うし、価値を見い出さない者にはタダでもいらないってことね」
サキは、リュードの言わんとしている意味がやっと理解できた。
サキは、愛刀に執着している。愛刀を誰にも譲りたくない、これも欲の一つだった。
「これも”魔”?」
「”魔”と言えば……まぁ、欲も”魔”の一つかな。
欲は、人が生きるために全てなくすことは出来ないだろ。生きたい、食べたい、も欲である以上消えることはないのさ。
だから、何事も中庸が大切なんだ……欲が過ぎると、大きな火種になっちまうからなぁ」
「まさか、グルジェフ?」
サキが、顔をしかめた。言葉にするのもはばかられる数ヶ月前の禍々しい出来事の記憶が、サキの脳裏に鮮明に蘇ってきた。
「グルジェフは、何万人もの人々の心の奥に潜む負の領域が集まって姿を現す魔神だよ……この程度の騒ぎで、出てくるようなもんじゃないだろ」
リュードが、あっさりと否定した。
「でも、ゼメキスさんがおかしくなったのは事実よ」
「それは、文様のせいだ……あの文様は、ちょっとまずい」
「まずいって? 何かの呪い?」
「正確に言うと、持ち主の念を反射増幅させる系統の文様だ……だから、皿単体だと、何も悪さをしない」
「だって、あの皿って……さっき、リュードはまがいものって言ってなかった?」
「”傾国の水盤”という意味では、偽物だなぁ」
「だったら、ただの皿じゃん」
「うん、魔法陣って色々なものがある。こいつは、北方諸国の技術に近い……方術ではないが、似たような呪術で使われている奴だ」
「呪術ぅ?」
サキの声が裏返った。
「そうすると……何かの呪いに、ゼメキスさんがやられたのかしら?」
霊力が皆無に等しいサキには、呪いとか霊障とかという類いと相性が悪い。
だが、現実にアウラ・ゼメキスのおかしくなった様子を見ると、何らかの呪いの存在を信じざるを得ない。
サキには、リュードの方術も魔道も呪術も区別が付かない。リュードの方術は、種も仕掛けもあるまやかしの技が大半だった。サキからすれば、『うさんくさい』の一言で片付けてしまう。
だが、時折リュードが見せる方術の中には、理解不能なものも混ざっている。
「まぁ、放っておくしかないかな……自分で好き好んで皿に祈っておかしくなってるんだから、世話がない」
「本人が飽きるまで待つしかないってことね」
サキは、大きなため息をついた。




