第2話 箱の外まで
運ばれてきた容器は、俺の両腕より大きかった。
「これしか未使用がなくて」
隣の作業員が、透明な角型容器を台へ置いた。底は平らだが、回収箱を丸ごと入れるには浅い。深い箱を持ってくれば、今度は中に手が届かない。
箱の下で受けている皿に、また一滴落ちた。
「十分です。下で受けられれば」
俺は答えて、容器の底を見た。薄い筋が一本走っている。
「割れですか」
「成形の線だと思います」
「水だけで確かめましょう」
作業員は少し笑った。
「榊さん、急いでるときほど増えますね。確認」
「漏れてから二つ目を持ってくるよりは」
水を入れて、乾いた紙の上に置く。待つ間に、必要なものを二人で寄せた。未使用の浅い皿、幅の広いすくい板、ふた。箱を支える短い台。
通話機からは、監督者の声が届いた。
「区域内での救出と、一時収容を認めます。保管台を分けてください。外へは出さないこと」
「分かりました」
俺が返事をすると、声は続いた。
「通常の回収は別列へ振りました。そちらは二人で。容器の設置が済んだら連絡を」
自分一人でどうにかしろ、と言われたわけではなかった。それでも、俺は先に自分の残業時間を数えていた。
通話が切れると、作業員が空の回収箱を一つ裏返した。
「これ、道具置きに使います。足元、埋まってきたんで」
俺は周りを見た。最初に使ったへらと、使わなかった板が混ざりかけている。急ぐほど手の届くところへ置き、次の道具をまたその横へ置いていた。
「新しいほうを上へ。使ったものは下の皿へお願いします」
「了解です。榊さん、次はどれ使います?」
渡された板を持つ。いつもは端を握って押し込むが、今日は先がぶれないよう、少し短く持った。
紙は濡れていない。
漏れのないことを確かめ、試した水を回収桶へ移す。空にした大きな容器へ、穴の下の受け皿を丸ごと置いた。
「箱、少し上げます」
作業員が取っ手を持つ。俺は下に透明な容器を滑り込ませた。支え台に載せると、水抜き穴は容器の内側へ収まった。
これで、流れても行方は分かる。
だがスライムは、穴の縁に張りついたままだった。
俺は受け取ったすくい板を、水面とほとんど平らにして差し入れた。丸い角を、スライムの下へ向ける。
灰色の体が縮んだ。
先ほどまで張りついていた繊維から、かえって離れそうになる。
板を引いた。
「嫌がってますか」
「そう見えます。まだ押しません」
板を引くと、水の揺れも収まった。俺は灯りをずらし、縮んだ体を横から見た。
白い繊維は、スライムの表面に半分埋まっていた。
つかまっているのではない。取り込んでいるように見える。
使いかけの清掃材を食べているのだとしたら、続けさせたくはなかった。付いているものを、全部知っているわけじゃない。
道具棚へ目をやる。同じ種類の吸水材が、未開封の袋に残っていた。白い鉱物繊維でできた、ダンジョン清掃用の吸水材だった。
袋の表示には、生き物に与えるな、ともある。俺は棚から手を引いた。
「今ある切れ端ごと、板に乗せたいです」
「引っ張りますか」
「繊維を引くと、体まで引くかもしれない。下の破片からどかします」
俺は小さいへらを置き、幅の広い板をもう一枚受け取った。片方で陶板の破片を押さえ、もう片方をゆっくり差し込む。
スライムは動かない。
待っていると、灰色の端が持ち上がった。その下へ板が数ミリ入った。そこで止める。体がまた落ち着いてから、少し進める。
作業員が箱を支える腕を持ち替えた。
「いったん置きます?」
「お願いします」
支え台の高さを変え、二人とも肘を置ける位置にした。
次に板を差し込んだとき、スライムが自分から縁へ寄った。
灰色の塊の下に、白い繊維と薄い水がまとまって載る。
「乗りました」
小声になった。相手もうなずくだけだった。
持ち上げると、体の端から黒い液が糸のように垂れた。水抜き穴へ引かれていた部分だ。板を傾けず、下に浅い皿を近づける。
一瞬、スライムが二つにちぎれたように見えた。
俺は動きを止めた。
液の糸が切れて、皿の底で丸い滴になった。本体は板の上で縮み、ほんの少し厚くなっている。
助かった、と言うには早い。
板ごと浅い皿へ下ろし、皿を大きな容器の空いた側へ置く。作業員に、穴の下の受け皿を大きな容器から取り出してもらった。
箱を支え台に残したまま、俺は大きな容器を横へ滑らせる。空いた穴の下には、彼が受け皿を差し戻してくれた。
箱の底に残った陶板を見て、ようやく息を吐いた。
「出たな」
「出ましたね」
作業員が汗を拭いた。俺は皿の位置を直し、取っ手のある外側の容器へ赤い札を移した。
未確認生体。区域外持出し不可。
行先の欄には、まだ何も書けない。
作業員が、元の箱の底へ灯りを当てた。
「ほかには、いませんね」
俺も、陶板の裏と白い繊維の下を見る。動くものは見つからなかった。穴の下で受けていた皿も別に残す。
「元の箱も、担当が見るまで置けますか」
「止め札、もう一枚もらってきます」
相手は空の取っ手を握り、廃棄列へ戻すのをやめた。
保管台は、廃棄作業台から離れた壁際にあった。囲いの内側へ容器を移し、通路と仕切る。ふたは空気を通す型だったが、体が細くなれば隙間から出るかもしれない。上から押さえるだけで済ませず、外側にも受け皿を置いた。
スライムは、元の清掃材の切れ端に体を寄せていた。
箱の中にいたときより、端が乾いて見える。
「水、足しますか」
作業員が尋ねた。
「担当に聞いてからにしましょう。元の水を足すのはやめたい」
俺は通話機を取った。救出できたことと、体が小さくなったように見えることを伝える。返ってきたのは、写真と回収札を送ってほしい、という指示だった。
ふたを半分開けたまま、写真を撮ろうと端末を構えたときだ。
スライムが白い切れ端から離れ、皿の縁へ薄く伸びた。
「そっちは行き止まりだぞ」
灰色の先は、俺の指ではなく、容器の外側へ向いていた。
床の向こうで車輪が鳴る。
別列へ回った回収台車が、仕切りのそばを通ろうとしていた。下段の受け桶から、黒い液が一滴、床に落ちた。
スライムの端が、その滴と同じ方向へ曲がった。




