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召喚勇者の英雄譚 ――三人の勇者は、祝福を受け、しかし記憶を失った――  作者: 霧島 高


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第3章 しかし限界が訪れ、その離別が現実となる。

 第五層の探索は、撤退を繰り返すばかりとなって、遅々として進まなかった。

 緑色の粘つく身体をもつスライムは、本当に厄介だった。

 それが魔法生物である以上、物理攻撃が無効化される。遭遇したならば、それに有効打を与える方法はただ一つであり、つまり僕が属性付与の魔法を仲間に対して掛けるしかない。

 魔力を節約しようにも、このモンスターは大量に出現する上、時間を掛ければ分裂を繰り返して増えていく。

 つまり、時間を掛けずに一気に倒さなければならないということ。

 ゆえに、僕は攻撃役であるタイガ、サンドラ、レーナ、それにブリギッタの四人全員に対し、一度に魔法をかける必要があった。

「メイジがいたら、ぱぱっと一気に焼き払ってくれるんだよね」

 それはスカウトのレーナが放った、何気ない一言だった。

 愚痴ではない。なんでもない、ただの事実を告げた言葉だった。

「ま、できる限り敵は避けるよ。遠回りになっちゃうけどね」

 彼女たちの最高到達階はこの階層だと聞いている。そしておそらく、この階層で長く活動していたに違いない。

 だからこの階層について、彼女たちはある程度詳しいのだろう。

「ちっ」

 レーナの言葉にタイガが舌打ちをする。遠回りと彼女が言ったことに反応したのだろう。

 ここまで順調だったからこそ、この停滞は彼を余計に苛立たせているのだ。

 付け加えるならば、自分の力に自信を持つ彼は、その力だけではどうにもならないことに対しても、腹を立てているのかもしれない。

「もっとも、地図がどこまで信用できるか、だけどね」

 長くこの階層で活動してきたということは、彼女たちはこの階層より下へは降りていないということでもある。第六層へと続く階段を、自分たちの目では見ていないのだ。

「ブリギッタさんたちは、この階層をそこまで把握してないんですか?」

「あたしらは入り口から少しばかり進んだところのモンスターを狩って、魔石を取ってただけだからねえ。それもずいぶん昔のことさね。魔石が取れなくなったんじゃあ来る意味もない。だから、他の三人と別れてあたしらは故郷に帰ったさね。そこで細々と活動してたんだけどねえ」

 何かを思い出すかのように、ブリギッタは周囲を見回していた。

 相変わらずの淡く光る壁ばかりだけれど、上層に比べてここは、少しばかりひんやりとした空気が漂っている気がする。

 故郷、か。

 記憶にはないけれど、僕にもきっと故郷なんてものがあるんだろう。

「その……、どうしてブリギッタさんたちは、ダンジョンに戻って来たんですか?」

 その故郷に戻った彼女たちが、どうしてまたダンジョンに潜っているのだろうか。

 それが気になったのは、この階層で、僕が失われた記憶を一部取り戻したからだった。

 つまり、僕は不安だったのだ。

 僕はダンジョンを恐れ始めていた。

 だけど勇者は、ダンジョンを制覇しなければならない。

 だから僕は、この危険な道のりを行くための、更なる理由を欲していた。勇者の使命だからということだけではない、それ以外の理由を欲していた。

「もちろん報酬さね。一番は、だけどねえ」

「……一番?」

「ああ、もう一つ。ついでがあるさね」

 彼女はそれを大したことではないように、あっけらかんとして話す。

 でもなぜだろう。彼女がこの後に続けた話こそが、本当の目的なのではないかと、僕は思ってしまったのだ。

「他の三人はねえ。新しくパーティを組み直して、国の依頼でダンジョンに潜っていたそうさね。その結果は第六層に行ったきりの行方不明。ま、ずいぶん経つし、生きているはずもないさね。それでもねえ、何か遺品でも見つけてやりたかったんだよねえ。だけど、あたしらだけじゃあとても行く気になれなかった。そんときに勇者さんらの話を聞いてね、一緒になら行けるんじゃないかな、って思ったのさね」

 はたしてこのダンジョンは、これまで幾多の命を奪ってきたのだろう。

 そしてこれからも、新たな死を欲するのだろうか。

 僕は前を並んで歩く、タイガとシンジュを見た。

「ほら、タイガ。みんなタイガが頼りなんだから、しゃきっとしてよ」

 少々不貞腐れてしまっているタイガを、シンジュが笑顔を向けて宥めていた。

 羨ましい光景だ。だけど同時に。

 なぜだろうか。

 この光景を、守らなければならないなんて、そんな気がした。

 でも。

 そのためには、いったいどうすればいいのか、わからなかった。


 だがその停滞も、一つの転機を迎えることになる。

「タイガ殿にこちらの武器をご用意しました」

 バルタザール氏が用意したのは、一振りの大剣だった。

「第五層にて苦戦しておられると聞き、入手してまいりました」

 受け取ったタイガが、鞘から抜き放ち掲げた、その刀身は。

 清浄な光と共に、眩く輝いていた。

「聖なる力を宿す魔法の武器にございます。物理攻撃の効かぬ魔法生物であっても、その力を発揮しましょう」

 僕たちの装備は、すべて国から支給されていた。僕のローブであれ杖であれ、この国で揃えられる最高級のものだ。

 僕たちはこの国の未来、その全てを背負っている。

 あるいは、全てを背負わされている、ということ。

「ふん。どうせならもっと早く欲しかったぜ。少し体を動かしてくらあ」

 気を良くしたタイガは、その剣を持って建物の外へと向かっていった。

「あ、待って、タイガ。まったく、もう」

 シンジュは僕の方を見向きもすることなく、タイガの後を追っていった。

 取り残された僕は、バルタザール氏の好々爺とした表情の裏を読み取ろうとしてみたが、でも僕にそんなことがわかるはずもなかった。

「……手に入れるのに、かなり苦労されたのではないですか?」

 だから、顎鬚を撫でながら二人を見ていたバルタザール氏に、僕はそう問いかけた。

 なぜ、このタイミングだったのか。タイガはそこまで考えて言ったわけではないだろうけれど、彼の言う通りなのだ。

 あれこそタイガに相応しい最高の武器だというに、どうして今まで入手できなかったのか。

「そうですな。あれは隣国、エルフの国に秘蔵されていたものにございます。ゆえに交渉にはなかなか苦労をしたと聞いております。とはいえ、我が国の難事は周辺国にも及びますれば、彼の国にとっても他人事ではありませぬ。であれば是非もなし、と託されたものにございます」

「なるほど。エルフの国、ですか……」

 僕は今更ながら、気付いた。

 このコピア王国以外にも、国はあるのだということに。

 僕たち勇者の使命は、この国を救うことであり、そのためにはこの国のダンジョンを制覇しなければならない。そのことばかり考えていた。

 あるいは、そのことしか考えられなかった。

 これまでの僕は。

「そういえば、バルタザール殿」

「なんですかな」

「ダンジョンは、この王都にしかないのですか?」

 ふとした疑問だ。

 この国が抱える難事は、ダンジョンが枯渇し、新たな魔石を産出しなくなったことに起因する。

 そして魔石が底を突けば、その魔石に依存しているこの国の産業が崩壊し、国そのものが崩れ去ってしまう。

 でも、魔石を手に入れる方法は他にないのだろうか、と思ったのだ。

 しかし、その疑問は先ほど聞いた話と、この国の危機的状況を鑑みれば、自ずと答えは予想できる。

 だからこれは、答え合わせに過ぎない。

「いいえ。他にもダンジョンはございます。しかしながら……」

 そしてバルタザール氏は、おそらく嘘偽りなく答えたのだ。

「それはこの国ではなく、他の国にございます」

「やはり、そうですか」

「はい。そしてミナト殿はおそらく考えておられるでしょう。他国から魔石を譲ってもらえぬのかと。しかし、どの国でも魔石は貴重なもの。そう易々と譲れぬ事情がそれぞれにございます」

 だから万策尽くした上での、勇者召喚なのだと、彼は語った。

 僕たちは、やはり、ダンジョンを制覇するしかない、ということだ。

「ミナト殿、ダンジョンの制覇を、何卒お願いいたします」

 それは僕に対してではなく、タイガに言うべきだろうと、思った。

 そしてそのタイガが、エルフの秘宝である聖剣を手にしてからは、第五層の探索は一転して順調そのものとなった。

 もはや僕の属性付与魔法は、必要ではなくなった。

 タイガに対してだけではなく、他の仲間に対しても不要となったのだ。

 なぜなら、凄まじい威力を持つ聖剣と、それを自在に振り回すだけの膂力を誇るタイガの組み合わせは、一騎当千そのものであり。

 彼がそれを一振りするだけで、多数のスライムたちが同時に一刀両断となるからだ。

「これならまっすぐいっちまって、いいんじゃねえか?」

 前衛として並び立ち、その力を間近で見ることとなったサンドラの言葉に、誰も反対する者はいなかった。

 彼女よりも慎重な性格をしているレーナであれ、あのブリギッタであってさえもだ。

「へっ、まかせときな!」

 タイガなど言わずもがなだ。

「すごいね、タイガ!」

 シンジュの目にも、そのタイガの姿が、とても眩しく映っていたのだろう。

「……」

 そして、僕は何も言えなかった。

 確かに、皆の言う通り、何も問題はないはずなのだ。

 タイガの力をもってすれば、この階層に出てくるモンスターなど、もはや敵ではない。

 けれど、順調であればあるほど、そこはかとなく、不安を覚えるのも確かなのだ。

 でもそう感じるのは、僕が再びあまり役に立たなくなったという、ただの卑屈な考えから来るものなのかもしれない。

 あるいは、記憶を一部取り戻してしまった僕が、ただ臆病になってしまっただけなのだろう。

 

 第五層を軽々と突破して、僕たちは第六層へと進んだ。

 ここは共に行く三人の冒険者にとって、未知の領域だ。

 そして彼女たちの、元の仲間たちが消息を絶った場所でもある。

 なぜ彼らは、あるいは彼女たちは、ここで消えたのか。

 その原因は明らかだった。

「く、何も見えねえ!」

「ミナト、お願い!」

「女神よ、彼の者に光を戻せ……《キュアブラインド》」

 僕たちの行く手を阻んだのは、膝丈ほどはある茸のモンスターの群れだった。

 ポイズンスポアと呼ばれるそのモンスターの傘からは絶えず胞子が溢れ、触れたものに状態異常と呼ばれる悪影響をもたらしていた。

「おらあ!」

 盲目状態から復帰したタイガが、聖剣を振り回してポイズンスポアを蹴散らかし始めた。

 それに安堵したその時だ。

 キンッ。

「……っ!」

 僕を守っていた結界が、音を立てて弾け飛んだ。

 それを見て取ったシンジュが、素早く呪文を唱え始める。

「女神よ、我らをあまねく護り給え……《エリア・プロテクション》」

 これまで白魔法を使うのはシンジュの役目だった。だが状況はそれを許してくれなかった。

 茸の群の後ろには、弓をつがえたスケルトンたちがいる。それは僕たち後衛を常に狙っていて、盾を構えたサンドラ一人だけでは護りきれないのだ。

 だからシンジュは常に結界の張り直しを迫られ、僕は手の回らない彼女の補佐をする必要があった。

「魔神よ、彼の者に火の力を与えよ……《フレイムウェポン》」

 そこに加えて、その合間には、黒魔法を使う。

 シッ!

 呪文を唱え終えると、阿吽の呼吸でブリギッタから矢が解き放たれる、それは正確に、一体のスケルトンを燃え上がらせた。

 だがその総数に対して倒せた数は少ない。

 そうしている間に、多数のスポアに対して剣を振るうタイガだが、それは同時に彼が状態異常になってしまうことでもあり、それを僕が何度も治癒しなければならなくなる。

 以前ならば、スカウトのレーナがその隙間を縫って、後衛へと襲い掛かるところだ。けれどもしそんなことをすれば、彼女はたちまち孤立しやられてしまうだろう。一瞬でも盲目になってしまえば、終わりなのだ。

 ファイターのサンドラは僕たち後衛の守りで精いっぱいだった。時折近づいてくるスポアを長剣で刺し貫くことぐらいしかできていない。しかもスポアは意外と素早く跳ね回り、彼女の長剣が空を斬ることも多く、それはタイガであっても同様だった。

「魔神よ、彼らを縛る鎖を放て……《エリア・バインド》。……うっ、ぐ……」

 その動きを阻害するための呪詛魔法を放った僕は、身体がふらつくのを感じた。それをなんとか杖で支えながら、僕はそれでも呪文を完成させた。

 僕の負担は、増していた。

 もちろん、それは僕だけではない。シンジュだって、傷ついた仲間を治癒し、結界魔法を張り直し、その度毎に魔力を消費する。

 そしてその原因は、わかっているのだ。

 これまでもずっと、それに悩まされてきたのだから。

 それでもなんとか、モンスターの群れを退けた僕たちだったが。

「タイガ……戻ろう」

 疲弊が募り、そして退却を余儀なくされるのだ。

「ちっ、またかよ」

 もしも、僕が、大魔法使いのように。

 炎ですべてを焼き尽くすことができたならば。

 吹雪で周囲を凍てつかせることができたならば。

 雷の嵐で鉄槌を食らわすことができたならば。

 岩のトゲを無数に這わせることができたならば。

 何も、悩まされることはなかったというのに。

 そんなことを思いながら、僕は帰還装置を起動する。

 ……僕は映画というものを思い出してしまった。

 その中に登場していた大魔法使いは、とても格好良く杖を掲げながら。

 そんなことをいとも簡単に、軽々とこなしていたのだ。

 なんて無意味な記憶なんだ。

 だって映画とは作り物に過ぎない。

 そして、ここは、現実なのだ。


 それでも諦めるわけにはいかない僕たちは、幾度となく第六層を最初からやり直す。

 そして、ようやくチャンスが巡って来た。

 スカウトのレーナに従い、多勢にて待ち構えている敵をなるべく避け、大きく迂回しつつそのルートを見つけ出した。

 ようやく辿り着いた大扉は、中層から下層へと抜けるため、必ず突破しなければならない唯一の道だ。

 そしてこの先には、守護者と呼ばれる怪物がいる。

 僕たちは必ずそれを打ち倒さなければ、先へと進むことはできない。

 けれど、僕は一つだけ、確認しておかなければならないことがあった。

「ブリギッタさん」

 少しだけ離れたところで、僕は彼女に小さく声を掛けた。それで意図は伝わるはずだ。

「ああ、おそらくこの扉の先に向かって、そこで、だろうねえ。あたしらが見逃してなければ、だけど」

 彼女たちの元の仲間は、第六層探索中に消息を絶った。

 そして僕たちは、第六層の地図を頼りに、しかし敵を避けるために方々を探索する羽目になった。でも、そのおかげで僕たちは、この階層のほぼすべてを見回ることになったのだ。

「さて、何が待ち構えているんだろうねえ」

 彼らが打ち倒せなかったもの。

 果てることになってしまったその理由。

 大扉の向こう側に、その答えはあるに違いなかった。



 中層へと至る道で戦った守護者は、巨大な蜘蛛だった。

 その蜘蛛が、タイガによってあっけなく倒されたことは、もちろん覚えている。

 だから、守護者という言葉から想像すれば、そこには強大な怪物が待ち構えているものだと、そう思っていた。

 けれど下層の入り口を護る相手は、そうではなかった。

 そこにいたのは、おびただしく、無数に群がる、スライムだったのだから。

「くそっ、キリがねえ!」

 タイガが聖剣を振り回しながら、その群れの一部を一刀の元に淡い光へと変える。

 聖剣を手に入れ、そして第五層を一気に突破したあの時と同じく。

 でもあの時と比べ、あまりに敵の数が多すぎて、消失した分だけすぐに次のスライムが群がってくる。

「おそらく、親玉がいるだろうけど……これじゃあ、ね!」

 そのとき、短剣を持ったブリギッタが、跳びかかって来たスライムを切りつける。ジュワっと音がして、それは蒸発した。

 ブリギッタ、レーナ、サンドラの三人には、すでに雷の属性付与をした。そうでなければ物理攻撃を無効化する相手に為すすべもなかったから。

 這いずるスライムから、時折ジュゥっと音が聞こえ、焦げた臭いが鼻を突く。床に落ちていた何かと反応しているのだろう。

 その体当たりをまともに受けるわけにはいかない。

 ただしその動きは遅く、死角さえ作らなければ避けるのは容易だった。

 でも、それは第五層で倒してきた普通のスライムの話だ。

 この場所にいるスライムたちは、それとは違っていた。

 パリンッ。

「うわっ」

 その時、スカウトのレーナに掛かっていた結界が弾け飛び、驚いた彼女が声を上げた。

 スライムが体当たりを仕掛けたわけではない。

 このスライムたちは自らの体を切り離し、それを飛沫としてこちらへ飛ばしてくるのだ。

 つまり目の前のスライムたちも、奥に見えるスライムたちも、すべてが息つく間もなく攻撃を仕掛けてきていた。

「女神よ、我らをあまねく護り給え……《エリア・プロテクション》」

 僕とシンジュは、結界が限界を迎えるたびに、それを張り直さなければならなかった。

 弱化魔法を使う意味はない。元より動きの遅いスライムの足を遅くしても無駄だった。それにブリギッタの短剣一振りで倒せるほどに耐久力もわずかだ。

 ただ数が多いという、それだけなのだ。

 そして、それは、僕たちが最も苦手とする相手だ。

「前に進むぜ! おらおらあ!」

 それでもゆっくりと、僕たちは団子のように固まりながら前進する。先頭を行くタイガに引っ張られる形だが、この無限とも言える相手を何とかするのには、それしかないだろう。

「せめて親玉がどこにいるか、わかりゃあいいんだが」

 サンドラがそうぼやきつつ、遠距離から放たれた飛沫を盾で防いでいた。

 彼女が言うように、スライムの親玉を探すしかなく、それを探すために僕たちは移動している。

 しかしこの大広間は薄暗く、見通せないその暗い奥底から、スライムたちは常に湧いて出てきていて、それは遅々として進まない。

 そして視認できなければ、倒すことはできない。

 もし視認さえできれば、きっとタイガが飛び出していき、その聖剣で一刀両断にするだろう。

 だけど、まったく見つからなかった。

 そして。

「タイガ、もう無理だ」

 限界が訪れた。

「なんだと!」

「帰還するよ!」

 そのまま僕は、タイガの了解を得ることなく、帰還装置を起動した。

 そう、もはや限界だったのだ。

 僕たちはもう。

 ……パーティとして。


 ※

 

 タイガは大きく足を鳴らしながら、部屋から出ていった。

 彼に続いたのは三人だ。

 そこには当然シンジュも含まれる。彼女は少しだけすまなそうな顔をこちらに向けつつも、やはりタイガの後を追っていった。

「あなたは、残るんですね」

 円卓に残ったのは僕と、もう一人だけ。

「まあね。一人ぐらいはミナトの味方をしてもいいさね。それにね、その丁寧な言い方もそろそろやめな」

「わかりました。いや……、わかったよ、ブリギッタ」

 彼女は同じ後衛として常に隣にいて、僕の置かれた立場を理解していたのだろう。

 けれど同じく後衛のシンジュが、タイガについていくのはわかっていたことだ。

 それは予想というよりも確信であった。だけど、そこに加えて、僕自身もまたなぜかそれを望んでいた。どうしてかそれを、羨ましいとは思わなかったのだ。

 あるいはこの時、やっと吹っ切れた、ということかもしれない。

「しかしねえ、いくらなんでも、二人だけじゃあどうにもならんさね」

 彼女の心情は推して知るしかできないのだけれど。

 おそらく穏やかとは言えないだろう。長い付き合いのサンドラにレーナ、その二人と別れることになってしまったのだから。

「それとも、タイガたちに任せてあたしらはのんびりしようかねえ?」

 しかし彼女はそれを覆い隠すように、あるいはそれを忘れるかのように、そう茶化してきた。

 当たり前だけど、僕がそんな選択をするはずがないと、知っていたからだ。

「まずはバルタザール殿に相談しよう。でも……」

 記憶の片隅にはあった。

「心当たりが、あるんだ」

 それは、僕の灰色のローブを掴みながら、僕を覗き込んできた、あの赤い瞳だ。

 実を言えば、僕は気付いていた。

 あるいは、僕に気付かせようと、彼女がそう仕向けていたのだろう。

 ダンジョンへと出入りする際に、その銀色の輝きを見かけることが、幾度となくあった。

 シェリーと名乗った、あの不思議で、可憐な少女のことを。

 そして。

「ミナト」

 僕は、彼女と再会することになった。

 

「残念ながら、他の冒険者の方々とは連絡が取れぬそうです」

「……つまり、四人だけで挑めってのかい」

 バルタザール氏が申し訳なさそうに伝えた言葉に対して、呆れたようにブリギッタがぼやく。

 僕たちのパーティにやってきた新たな冒険者は、たった二人だけだった。

「まあ、なんとかなるだろうよ。地道にやればね」

 アーマーに身を包んだ壮年の男性がそう声を上げる。

「……」

 そして、僕のローブを掴んだまま離さずに、シェリーが黙ったままこくりと頷いた。

「まあ、オズマの旦那が言うなら、ねえ。それに、この子のことも当てにしてもいいのかい? この子、スカウトさね?」

「……ま、そんなところだ。なあに、実力は俺が保障するぜ」

 どうやらブリギッタは、このオズマという男性を知っているようだった。

「ブリギッタは、オズマさんと知り合いなの?」

「そうじゃないんだけどねえ。なんせこの男は、この国じゃあ一番の冒険者なんだよ。有名人ってやつさね」

「ははっ、なあに、昔のことさ。だから、そんなに畏まらなくてもいいぜ。それにいまの俺はこの子の、言ってみりゃ護衛みたいなもんさ」

「わたしはいい。ミナトを守って」

「はい、はい、わかってるよ。ま、よろしくな、ミナト」

 そして僕たちは、この四人で探索を再開することになった。

 でも僕たちとは異なり、バルタザール氏によれば、タイガたちは新たに別の二人の仲間を加えたらしい。つまりあちらは、六人しっかり揃っているというわけだ。

 要するに、バルタザール氏も、僕たちではなくタイガのパーティに期待しているということだろう。

 それは向こうのパーティに、勇者が二人いるからかもしれない。

 あるいは、タイガという、僕とは違っていかにも勇者らしい、強大な存在がいるからかもしれない。

 そしてバルタザール氏だけではなく、僕だって同じように思っているのだった。


 僕のダンジョン探索は、振り出しに戻る。

 つまり第一層から再び始めることになった、ということだ。

 その理由は単純だ。

 シェリーがダンジョンに初めて入るからだ。

「……」

 ドサッ。

 そのシェリーが、いつの間にかホーンラビットの背後に回り込んで、その背に短刀を突き刺していた。

 同時に二体。右手と左手にそれぞれ持つ、二本の短刀でだ。

「初めてダンジョンに入るとは思えないねえ」

「そいつはまあ、あまり詮索しないでくれると助かるな」

 彼女の戦い方は、タイガとはまるで違っていた。

 もちろん彼女のジョブがスカウトということもあるだろう。小柄な少女は明らかに正面切っての戦いには向かない。タイガが扱うような大剣を振るうことはできないのだから。

 けれど、だからといって彼女が非力という訳でもない。

 でなければ、彼女の腰のあたりまで達するほど大きなモンスターを、背後からとはいえ一撃で仕留めるなど不可能だろう。

 たとえ僕がその筋力を、魔法にて強化しているとしてもだ。

「シェリーは強いんだね」

 でも僕の言葉を、彼女は首を振り否定する。

「ミナトの魔法のおかげ」

 彼女は僕の魔法を評価してくれるけれど、正直そこまでの効果があるのか自信はない。

「ま、この分なら上層は余裕さね」

「油断は禁物」

「ははっ、ますます安心したさね」

 以前ここに来ていた時とは、まるで違っていた。

 あのパーティでは、上層はタイガの力任せで突破していたといっていい。比類なき力で敵を粉砕していくその姿に、僕は羨ましいとすら考えていた、はずだ。

 僕は今、彼と袂を分かつことになってしまった。もう一人の勇者であるシンジュも彼についていき、そうして一人だけとなってしまった。

 そうなった原因は何だったのだろう。

 それは、もしかすれば、僕たちが皆、タイガ一人に頼ってしまっていたからではないか。だからこそ、僕たちはバラバラになってしまったのではないか。

 もしかすれば、そうでなければ……。

 これが愚にもつかない考えだとはわかっている。もしもなんて考えれば、キリがない。

「ミナト?」

 気が付けばシェリーが立ち止まり、僕の顔を覗き込んできた。小首を傾げながら、濁りの無い赤い瞳でこちらを見つめてくる。

 それを見つめ返していれば、僕が一人だけになってしまったわけじゃないと気付いた。こうして新しい仲間がいるではないか、と。

「いや……、なんでもないよ」

 僕は彼女に微笑みを返すことにした。

 でも、彼女の表情は変わらない。そのまま僕を覗き込んでいて、それはなんとなく、僕の心の内を見透かしていて、そして僕を少なからず案じているんじゃないかなと感じた。

 しばらくそうしていれば、彼女は一つこくりと頷くと、前を向いて歩きだした。

 彼女の足跡はしない。すたすたと無造作に歩いているように見えているのだけれど、実際には無音だ。

 改めて、不思議な子だと、そう思う。

 年のころは、僕より少し下だろうか。と言っても僕は自分の年齢すら思い出せないから、なんともいえないけれど。

 でも、落ち着いているというのとは少し違う。僕を覗き込んでくるその瞳には、好奇心も含まれている気がするからだ。

 そしてその容姿は魅惑的であり、なおかつ可憐である。

「気になるか?」

 僕の隣にやって来たオズマが、僕の視線の先に気付いたのか、そう声を掛けてきた。

「ええ、そりゃ、まあ。その……、オズマは、彼女とは知り合って長いのかな?」

「まあ、長いといえば長いがなあ。というのも俺はあの子の母君と知り合いでね。面倒を見てくれって頼まれちまったのさ。けど、あまり同年代との付き合いがなかったせいか、ちょっとばかし戸惑ってるんだろうが、仲良くしてくれよ」

「え?」

 戸惑っている?

「ははっ。ああ見えて実はな、結構な人見知りなのさ」

 むしろそのことに僕のほうこそ困惑してしまった。

「オズマ、聞こえてる」

「おっと」

 そちらに目を向ければ、シェリーは前方を見たままだった。

 だけどなんとなく、彼女の耳元が少し赤らんでいるような気がした。


 ダンジョン探索を最初からやり直すことになった僕たちだけど。

 それでよかったのかもしれない。

 例えば、シェリーがどのように武器を振るうのか。

 あるいはアーマーを着こんだオズマが、大盾を構えながらどのように動くのか。

 そういったことを一つずつ確認することで、パーティにとって不可欠な、連携というものを磨くことができたのだから。

 そして辿り着いた第三層の奥で、かつて倒した巨蜘蛛がまたその姿を現した。

 かつてのパーティではどう戦っただろうか。もちろん覚えている。

 タイガが果敢に一人で巨蜘蛛に挑むのを、ただひたすら援護をしただけだった。

「魔神よ、彼の者たちに脱力の呪いを与えよ……《エリア・イグゾースト》」

「ふんっ!」

 僕がそこにいる敵すべてに対し呪詛魔法をかけるとほぼ同時に、オズマが裂帛の気合を上げる。それを受けた子蜘蛛たちはその狙いをすべてオズマへと向けた。

 彼はナイトであり、それは敵を惹きつけ、そうして味方を護ることに長けているジョブだ。その装備からわかる通りただでさえ耐久力の高い彼に、僕の魔法でさらに弱った子蜘蛛の攻撃では、傷一つ付けることはできない。

 ザシュッ! グシュッ!

 そうやって子蜘蛛がオズマに気を取られている間に、その背後に音もなく現れるシェリーが、次々と刃を突き立て、それを光へと変えていく。

 シッ!

 そしてその合間に、オズマの陰から、ブリギッタの矢が放たれる。

 その狙いは子蜘蛛ではなく、その背後で悠然と待ち構えているジャイアントスパイダーだった。不意を突いた矢は、巨蜘蛛の八つの目、そのうち正面にある一つへと吸い込まれていき、狙い違わずそれを刺し貫いた。

「次も行くさね」

 彼女はもうすでに、次の矢をつがえていた。

 残念ながら僕たちには、タイガのような突出した力はない。

 けれどそこにあるのは。

 オズマの重厚なる守りであり。

 シェリーの素早い手数であり。

 ブリギッタの狙い澄ました一撃であり。

「魔神よ、彼の者に弱化の呪いを与えよ……《ウィークネス》」

 それらを援護する僕の魔法だ。

「ちっ。あの脚が邪魔だねえ」

 狙いを定めながらブリギッタが言う。

 目を一つ潰された巨蜘蛛は、これ以上不意を突かれまいと、その前脚を交差して防御の構えを解かない。

「オズマ、少し耐えられる?」

「いいぜ。気を付けてな」

「待って、シェリー」

 彼女が何をしようとするのか、その意図を察した僕は、しばし彼女を引き留め、呪文を唱え始める。

「女神よ、かの者を護り給え……《プロテクション》」

「……行ってくる」

 そして彼女の姿が、その場からふわりと消えた。

 前方を見れば、その姿は、すでに巨蜘蛛の元へと迫っていた。

 そして彼女の手には、短刀ではなく、それより長い刃を持つ、片刃の黒剣が握られていた。

 それを見た巨蜘蛛は前脚をそのままに、彼女に向けて二番目の脚を持ち上げ振り下ろす。

 ガンッ!

 けれどそれは石の床を叩くだけに終わった。振り下ろされた脚の先に、彼女の姿などとうにない。

 彼女に比べれば遥かに大きいその体では、素早く動く彼女を捉えることなんてできやしないのだ。

「む」

 しかし巨蜘蛛はそれを理解しているのか、単なる力押しを続けてこない。その口から吐き出された蜘蛛の糸が、網状に広がって彼女を包み込もうとする。

 パリンッ。

 だがそれを、僕の掛けた結界魔法が弾く。

 そうなると確信していた彼女は、そのまま勢いを止めることなく駆けていく。

 キンッ! カッ! ズシャッ!

 そして目にも留まらぬ速さで、黒い刀身を何度も振るう。

 巨蜘蛛の前脚の一本が、ずたずたに引き裂かれていった。

 シッ!

 そこにブリギッタが矢を放つ。前脚を一つ失ったためにそれを防ぐことはできず、巨蜘蛛の目がまた一つ潰れた。

「この調子で一つずつやっていくさね!」

「うん」

 いつの間にか近くに戻っていたシェリーが、ブリギッタの言葉に小さく頷いた。

 手堅く、そして着実に。

 四人しかいない僕たちのパーティは、それしかできない。

 でもこれを繰り返し、かつての倍以上の時間をかけることで、僕たちは中層へと到達できたのだ。

 けれど、僕はこの時、ふと考えた。

「向こうのパーティは、きっと途中の層から始めてるよね」

「そうだねえ。新しく加わった冒険者も、おそらくもともと中層には到達してたはずさね」

 タイガの性格からすれば、一刻も早く下層へと向かおうとするだろう。中層から始められるのならば、わざわざ上層からやり直したりしない。

「レーナあたりが、うまいこといなしてくれればいいけどねえ」

 ブリギッタも僕と同じことを思ったのだろう。

 しかし、その呟きは願望に近いもので、それが無理だとわかっていながら吐き出されたものだった。

 そう。

 僕も願ったそれは、とても儚いものだった。

 


 それは僕たちが、中層を攻略し始め、第六層にようやく至り、帰還した時だった。

「ミナト殿、お話が」

 そして、僕の祈りが届くことはなく。

「先日下層へと到達された、タイガ殿たちですが」

 バルタザール氏により。

「第七層に入られてしばらく、ご帰還されておりませぬ」

 齎された凶報に、僕は耳を覆いたかった。

「ミナト……」

「……わかってるよ、シェリー。焦っても仕方がないんだ」

 そうしてタイガのパーティが消息を絶った。


 でも僕は、この時。

 未だ、思い出すべきことを、思い出していなかった。

 最も大切な記憶を失ったままだった。

 そして……。

 それが大切な記憶であるということすらも。

 知りようがなかったのだ――。

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