第68話 大学二年生 夏1 reika
玲香 reika
お母さんにお金を貸してしまい、貯金を大きく減らしてしまった私は、大学二年生になって、バイトを増やしていた。
あのお店は、相変わらず、シフトは空白だらけだし、ろくな新人も入らない。
シフト表を見て、ここ入りますって宣言すれば、オーナーさんは涙目になりながら、そこに私の名前を刻む。
時給の高い深夜のシフトにも、だいぶ、誘惑されたけど、生活リズムがおかしくなって、大学に行けなくなってしまったら、本末転倒だから、なんとかこらえた。
代わりに、一限の授業がないときは、6時から9時の早朝のシフトにも、たまに入るようにした。
早起きするにも、ちょうどいいかって、自分を納得させながらやっている。
早朝のバイトは、学校に向かう途中の結衣ちゃんが、わざわざお店に寄ってきて、「おはよう」って言いに来たりもする。
バイトに行くときは、さすがの結衣ちゃんも寝ているから、起こさないようにそうっと出かけて、お店で顔を合わせるってわけだ。
結衣ちゃんは、特に買い物はしていかない。
私の顔を見て「おはよう」って、言いたいらしい。
朝6時のバイトのために早起きしていると、お母さんはこれを毎日やっているんだなあと思ったりもした。
あの人、いつも、6時過ぎには家を出るから。
この時期の私の日課は、寝る前の結衣ちゃんとのおしゃべりだった。
晩御飯を食べて、片付けを終えて、寝る仕度をしたら、布団に横たわって、結衣ちゃんとおしゃべりする。
なぜなら、結衣ちゃんが、私の部屋に侵入してきて、寝るまでずっとおしゃべりしてくるからね。
お互い、毎日どんなことがあったとか、日常のことを話していることがほとんどで、振り返ったらどんな話をしたのか、覚えていなかったり、この話、前もしたよな、みたいなこともある。
結衣ちゃんは実家にいるときから、家族とそうやって、毎日おしゃべりしていたという。
ひと言も発しないのが日常だった、私の実家での生活とは、まったくの別世界だなと思いながら、私はそれを聞いていた。
きっと、うちが変なんだろうなと、いまでは思ったりする。
お母さんって、変だなって、大人になるにつれて、わかってきたから。
◇
夏の足音が聞こえてきて、試験期間も迫ってきた7月の夜。
私は、いつものように、布団の上に横たわりながら、結衣ちゃんとおしゃべりしていた。
「インターンシップかあ。なんだか大変そうな話だねえ」
結衣ちゃんは、夏休みの後半にかけて、インターンシップに参加することにしたのだという。
「友だちには、意識高すぎとか、来年でよくないかって、言われたけどね」
「どうしてまた?」
お風呂あがりの結衣ちゃんは、畳の上に開脚し、ストレッチをしながら言う。
「単純に興味あるし」
「卒業してからやりたいことも、決まってないし」
「お金もらえるらしいし」
「暇だし」
「友だちも予定あるみたいだし」
足を閉じて、体育座りの姿勢を作ってから、
「彼氏いないし」
と、最後にそう付け加えた。
大学に入学した頃、恋がしたいと言っていた結衣ちゃんは、ホテルに連れ込まれた一件があってから、すっかり落ち着いて、なんだか雰囲気が大人になった。
妹ちゃんに、少女漫画に脳を焼かれていると評されていた、あの結衣ちゃんとは、もはや別人の、いまや、見た目どおりの都会のお姉さんだ。
文学少女スタイルの、恋に憧れを抱く、神山結衣という女の子は、もういなかった。
「んー」
足を浮かせながら、腹筋に刺激を与えつつ、結衣ちゃんが訊ねてくる。
「玲香はさ。はあ、就活とか、はあ、なにか、考えてることある?」
「えっちな吐息だねえ」
「うるさいんだよ」
私は、けらけらと笑いながら、答える。
「うちの大学って、ほとんど大学院に進学するみたいなんだよね。だから、あんまり話題に出ることが少ないかなあ」
「あ、そうなんだ」
院試がどうのこうの、研究室がどうのこうのは、よく聞こえてくるけれども。
「私は進学しないけどね。もう学費を稼ぐのはこりごり」
結衣ちゃんが、腹筋を鍛えながら、ははっと笑って、うっとうめき声をあげた。
「ゲーム作る仕事とか、興味あるかなあ」
「あ、ほんと。ふぅ」
腹筋を終えた結衣ちゃんが、ひと休みとばかりに、お水を飲んでいる。
「小さい頃さ。お父さんがくれたレトロゲームを毎日、家で遊んでたんだよ」
「へー。知らなかった」
「高校卒業する前。結衣ちゃんが私の家に来るよりも先に、ぜんぶフリマアプリで売って、処分しちゃったからね」
「どうしてまた?」
「お金になるし、何周もしているから、内容、ぜんぶ覚えてるからね。懐かしい以外の味、しないと思って」
結衣ちゃんは、ふふっと笑った。
ゆいちゃんと遊ぶゲーム体験が、おもしろすぎたのも影響したかもしれないな。
「ゲームしてたらさ。なにも考えなくていいし、遅くまで家に誰もいなかったし、お母さんも仕事で忙しかったから」
だから、どう、思ってて、どうして、なにも考えなくて、よくしたかったんだっけ。
「さみしかったのかな。玲香ちゃん」
そう言われて、とっさに結衣ちゃんの顔を見たら、目が合った。
結衣ちゃんの目は笑っていた。
「結衣ちゃんみたいに、おしゃべりな人は、うちにはいなかったからさ」
「なんだとお」
私が笑うと、結衣ちゃんも笑った。
「お父さんとお母さんさ。私が8歳のときに、離婚したんだ」
「そうだったんだ。なんとなく、そうなのかなとは思ってたけど」
「ん。それで、あの町に引っ越してきた」
「8歳までは、埼玉にいたって言ってたもんね」
「え、言ったっけ」
まったく覚えてなかった。
結衣ちゃんは、にこっと笑った。
「私を、ただのおしゃべりな女だと思ってるでしょう」
「えー。そんなことないよう」
「んん?」
結衣ちゃんが、疑惑の目を向けて笑う。
「私、玲香の話したこと、ぜーんぶ、覚えてるからね」
「もう、下ネタとか言えないね」
「手遅れにもほどがあるでしょ」
私たちは、同時に笑い声をあげた。
「私のほんとうの名前さ」
私はどうして、この話を、神山結衣という女の子に、しようとしているのだろう。
「藤原玲香っていうんだ」
そうだ。
覚えていてほしかったからなんだ。
「生まれたときの名前ってこと?」
私は首を縦に振った。
「なんか」
結衣ちゃんが、にこっと笑う。
「似合うね。かわいい」
私はふふっと笑った。
「8歳で、死んじゃったけどね」
結衣ちゃんは、体育座りになって、膝を抱えはじめた。
私は布団の上で、足をばたばたさせてみる。
ばたばたって音がして、それをやめたら、部屋が静かになった。
「玲香さ」
「ん?」
「今年こそ、夏休み、いっしょに旅行しようよ」
「ああ」
私は、お金のことが心配だった。
夏休み、たくさんバイトをしても、足りるのかどうか自信がなかった。
「お金ないかも」
「ん。家族旅行に混ざるだけだから、お金いらないよ。私も払わないし」
そういえば、去年も家族旅行に誘われたことを思い出した。
なんか、家族の中に混ざるのは悪いと思って、お断りした。
バイトしたかったのも、あるけどね。
「玲香のこと、うちの家族、みんな好きだよ。妹なんて、特に」
いいのかな。
そこに参加することもそうだけど、旅行している場合なのかな、私って。
「うちの家族LIME、玲香の話題、まみれ」
「え、それはどうなのよ」
プライバシーとか、なんか、いろいろ。
結衣ちゃんへのセクハラを、咎められたりしないかな。
そこは、お互いさまだし、娘さんのほうが、むしろ、えっちだと、私は胸を張って抗議するけどね。
「玲香と旅行できたら、私がうれしいんだよ」
結衣ちゃんがうれしいなら、行こうかな。
「ん。行く」
「ほんと!?」
「はい」
結衣ちゃんは、うふうふしながら、目をきらきらさせて、私に微笑みかけてきた。
「ママとパパにLIME送ってこよう」
そう言って、結衣ちゃんは、私の部屋を出ていった。
私の大学生活は、たぶん、どこかの時点で破綻する。
いつか、この家を出ていかないといけなくなる。
結衣ちゃんと、お別れになる。
それなら、このまま学校とアルバイトばかりしていても、仕方ないのかなと、私は考えた。
旅行と言っても、数日のこと。
時給に換算しても、状況はそう大きくは変わらない。
結衣ちゃんとの時間を、過ごせるほうがいいなと思った。
私だって、好きでバイトばっかりしているわけじゃない。
私だって、もっと遊んだりしたかった。




