第67話 大学一年生 春2 yui
結衣 yui
晩御飯の仕度を終え、私は玲香の帰りを待っていた。
いつもより遅いなと思っていると、玄関の鍵を開ける音がした。
ベッドに寝転んでスマホを見ていた私は、起き上がって、お料理を少し温め直したりして、配膳しようかなと思った。
今日はどっちの部屋で食べるんだっけと思いながら、キッチンに向かおうとすると、玲香が洗面所に入っていくのが見えた。
いつものようにブラと靴下を脱いで、洗濯機に放り込んでくるんだろうなと思っていたら、水を流す音がして、玲香が手を洗いはじめたのがわかった。
普段は部屋着に着替えてから手を洗うから、なんか変だなと思った。
「おかえり」
と、言って見に行くと、
「ただいま」
と、言いながら、玲香が手を洗ってた。
血が出ていた。
割とちゃんと、血が出ていた。
自転車で転んだりしたのかなと思った。
「ちょっと待ってて」
私はそう言って、この家に来てから、まだ一度も使った記憶がなかった、救急セットを玄関横の収納から引っ張り出してきた。
◇
玲香の部屋で、座卓に向かい合って、応急処置をしてやる。
「結衣ちゃんって、なんでもできるねえ」
玲香が、はにかみながら言う。
「妹、いるからね」
そう応じつつも、私は玲香が座卓の上に無造作に置いた、バッキバキに割れたスマホの存在が気になっていた。
壊れたというより、どう見たって、壊した、あるいは壊されたって感じだった。
高いところから落としたとしても、こんな壊れ方はしない。
スマホがこんなになっているのに、本人がまったく残念そうじゃないから、たぶん、自分で壊したんだろうなと思った。
「もういいよ」
私がそう言って、救急セットを片付けていると、
「結衣ちゃん、あっち向いてて」
と、玲香が指示してきた。
部屋着に着替えたいっていうのはわかる。
「別にいいじゃねえか。減るもんじゃなし」
私が言うと、玲香は、けらけら笑いながら言う。
「でも、結衣ちゃんって、えっちだからさあ」
私はなんも言えなかった。
なんなら、また、おっぱい揉んでやってもいいんだぞと思いつつ、玄関に救急セットを片付けにゆく。
玲香が着替えをはじめる音が聞こえた。
衣擦れの音が聞こえなくなってから、私は振り返り、キッチンに向かった。
◇
「なんか、スマホとかいらないなと思って」
「そんなことないでしょ」
私の部屋で、座卓に向かい合って、晩御飯をいただきながら、私は玲香とおしゃべりしていた。
なんか、無性に唐揚げとか食べたい気分だなこの野郎と思った私が、丁寧に揚げた唐揚げを頬張りながら、玲香が私を見つめている。
「スマホって、勝手にごみ箱とかに捨てちゃ、いけないんだよ」
玲香が言うと、私は黙って、唐揚げを頬張りながら、ほんとうのことを言えというオーラを放つ。
野菜余っているから、煮物にでもしてやれと思って、私が丹念に煮込んだ煮物にも手を伸ばすと、玲香はようやく理由を話しはじめた。
「お母さんから電話きてさ」
私は食べる手を止めて聞き入る。
「また、お金貸してあげたんだけど、なんか、癇癪起こしてスマホ叩き壊しちゃった」
私は、なにを言っていいのか、わからなかった。
癇癪を起こすどころか、玲香が怒っているところなんて、見たことないし、どうしたらそんなことになるのか、イメージができなかった。
玲香に限って、そんなに感情を爆発させることがあり得るなんて、信じがたいことだった。
玲香の心情に思いを馳せても、その苦しさの度合いをうまく理解してあげられなくて、私は口惜しかった。
玲香は、お母さんとの電話を思い出したのか、大きなため息を吐いた。
それから、暗い顔になってしまった。
「もう、お母さんとは話したくないと思って」
玲香は、もう一度、大きく息を吐いてから続けた。
「終わりにしたかった」
親子の縁を、切りたかったのだと、私は解釈した。
悲しい気持ちになった。
そんなこと、言わないで済むような、親子関係であってほしかった。
ほかの解決方法を、見つけられないものかと思った。
なにもしてあげられないことが、口惜しくて仕方なかった。
だけど、現実的な問題として、スマホをなくされてしまうと、私が困る。
玲香だって、生活をする上で困ることが出てくるはずだ。
現代社会において、スマホなしで生きていくなんて、不可能だと思ったほうがいい。
「どうしてもっていうなら、番号だけ変えるとかは?」
「もう壊しちゃったし、新しいスマホ買うお金、もったいないから」
そう言われてしまうと、どうしていいやら、わからなくなる。
私はしばらく黙って晩御飯を食べ進めた。
玲香も、すっかり表情がなくなってしまった顔で、晩御飯を食べていた。
連絡手段がなくなってしまうと、あるとき、突然いなくなってしまいそうで、私はなんとか、玲香にスマホを持たせられないかと考えていた。
「そうだ」
私はひとつ思いついて、提案しようとした。
「私のスマホを譲ってあげるよ。高校時代からずっと使ってて、最近、バッテリー保たなくなってきたから、買い替えようと思ってたんだ」
それは事実ではあった。
玲香とはじめて会った日に、待ち合わせの目印に使った思い出深いスマホだったから、なんとなく手放しにくかった。
「いいの?」
「玲香が使ってくれたら、この子も浮かばれるよ」
私は床に転がったスマホを拾い上げ、赤い猫のステッカーを見せながら応じた。
「なんか、いろいろ思い出すね。改めて見ると」
「ふふ。今度のスマホは、大事に使ってね」
「はい」
玲香は、にこっと笑った。
「明日、新しいの買ってくる。もし、不便だったら、バッテリー交換とか考えてみたらいいよ」
「はい」
いったん、玲香にスマホを持たせることには成功した。
長年、愛用していたスマホを握りしめている玲香を見るのは、ちょっとうれしくもあった。
それでも、玲香の顔に、元気は戻らなかった。
日に日に、元の無表情な玲香に戻っていってしまった。
お金のこととか、お母さんのこととか、心配事がたくさんあるのかなと思った。
無理になにかをしてあげようとしても、きっと負担にしかならないだろう。
私はできるだけ、彼女が安心して過ごせる場所を提供し続けたいと考え、普段どおりの毎日を過ごすことにした。
そうして、私たちは大学二年生になり、あっという間に夏を迎えた。




