第65話 大学一年生 夏8~冬 yui
結衣 yui
私はあのお姉さんの中に、高校三年間、ずっと好きだったあの人の幻影を見続けていた。
唇を重ねた瞬間、彼女があの人そのものであったと私は理解させられた。
あの人の感情を知りたいと思っていた私は、自分のほんとうの感情を知ることになってしまった。
その勢いに身を任せて、どこまでも彼女を求めてしまいそうだった。
彼女の裸を見たことで、「そうだ。この人は女の子なんだ」と冷静になれた。
一夜明けると、私はいったい、なにをしてしまったのかと、罪悪感が襲ってきた。
私はきっと、あのやさしいお姉さんに、甘えたかったに違いない。
相手の気持ちを考えない、身勝手な振る舞いだった。
あの人を、傷つけてしまったのではないかと不安に襲われた。
嫌だったかな。
嫌だったよね。
気持ち悪いやつって思われたりしていないかな。
でも、おいでって言って、抱きしめようとしてくれたし。
いや、あの人はやさしいから、泣いて帰ってきた私を、慰めようとしてくれただけなんだよね、きっと。
悶々としながら、私はベッドを抜け出した。
いつもだったら玲香の部屋に勝手にあがり込んで、眠い目をこする彼女の横で、おしゃべりしながら、朝ご飯をいただくのだけど、あまりに気まずくて、できなかった。
自分の部屋で、ひとりさみしく朝ご飯をいただいていると、玲香が起きてきた。
「おはよう」
と、声をかけると、
「おはよう」
と、返ってきた。
いつもと違ってほんの少しだけ、玲香に表情があるような気がした。
気のせいかもしれないけれど、朝からうれしいなと思ってほっとした。
玲香はそのまま、私の部屋に入ってきて、座卓で朝ご飯をいただいている、私の正面に座った。
「いつもの結衣ちゃんがいた」
私が笑っていたからか、玲香がそんなことを言って笑った。
昨日、あんなことをした手前、顔を見るのも恥ずかしくなってきて、まじめなことを言える心境じゃなかった。
私はいつも玲香とそうするように、ふざけて言った。
「おっぱい揉んだりして、ごめん」
玲香が、けらけら笑いだした。
「いつもの玲香がいた」
私はそう応じた。
玲香は、にこっと笑って、
「気持ちよかったからいいよ」
と言って、自分で笑っていた。
「下ネタじゃねえかよ」
そう応じて、私も笑った。
ほんとうに、この人はいつも変わらず、やさしいお姉さんだ。
「お詫びにさ、今日の晩御飯、どっか外でご馳走してあげようか」
私が提案すると、玲香は、
「ん。いい。結衣ちゃんの作るお料理のほうが好き」
と言って、私をときめかせてきた。
比べたらどっちがいいかってだけの意味なんだろうし、それだってうれしいけれど、玲香の口から「好き」って言葉をぶつけられると、私はうれしくて仕方がないのだった。
許されるものなら、いますぐ唇を奪ってやりたいほどだった。
「なにか食べたいものある?」
私が訊ねると、玲香はノータイムで、
「ハンバーグ」
と、小学生みたいに答えた。
私が笑っていると、玲香は急にまじめな顔をした。
「あの、タクシー代。急いではないけど、忘れないでね」
それを聞いて、私は真顔になった。
◇
週明け。
お昼どきのキャンパス内で、私は佐倉先輩を見つけた。
お互いに気まずいのは承知で駆け寄って、私は佐倉先輩にあの日のことを謝った。
あれほど思わせぶりな態度を取って、ホテルまでついていった挙句、急にこわがって泣き喚いて、謝る先輩を無視するように、ひとりで帰ってしまったのは、冷静に振り返ると、ひどいことをしたなと、自分でも思ったりした。
佐倉先輩は、自分も謝ろうと思っていたと言って、頭を下げた上で、私にホテル代を返そうとしてくれた。
私は、それは受け取れなかった。
佐倉先輩は、たぶん、傷ついたと思う。
だから、おあいこってことで、どうぞひとつという気分だった。
少女漫画みたいな恋に憧れていた私は、お互い好きになって、告白して、付き合って、デートを重ねて、将来を約束し合って、そうやって、行為に及ぶイメージをしていたから、急におっぱじまる、みたいなことに、パニックを起こしてしまった。
心の準備ができていなかった。
恋に恋していた私は、佐倉先輩という人に少女漫画の王子様という憧れを押しつけていたに過ぎなかった。
なんといっても、この人、ビジュがイケメンにもほどがあるからね。
私は佐倉先輩という人に、自分の理想を押しつけるばかりで、彼のことをなにも知らなかったし、なにも見てあげられていなかった。
大学生になったというだけで、どうしてあんなにも無敵で、全能感に満ちあふれていたのか、もはや自分でもわからないほどだった。
私はきっと、自分のことを知らなかったのだと、いまでは思う。
佐倉先輩とお話したのは、このときが最後だった。
お互いに、もう顔を合わせても、お話しすることはなかった。
その後も、私はすれ違ってしまった、佐倉先輩という人のことを、ふとしたときに思い出した。
似た顔のイケメンを、街中で目撃したときなんかに。
そんなとき、私は佐倉先輩とすれ違わなかった私の人生が、どんなものになったか妄想した。
それはそれで、幸せだったりしたのだろうか。
私はそういう、単純な女だと思っているから。
けれど、その場合、あの夜の出来事はなかったことになるんだよなあと思うと、あれでよかったんだなあと、その都度、私は思い直すことになったのだった。
◇
それから、試験も終わって、夏休みがきて、玲香は毎日のようにバイト先と家を往復していた。
8月。
私は玲香とふたりで、お互いの誕生日を祝った。
プレゼントとか、ほんとうは渡したかったけれど、玲香は節約しているから、そういうのはお返しとか、負担になるかなと思ってやめておいた。
たぶん、私の気持ちに応えようとして、一生懸命になって、疲れちゃうだろうし。
どうせならいっしょにってことで、遅れてやってくる私の誕生日に合わせて、駅前のケーキ屋さんで、ケーキを買ってきて、ささやかなお祝いとした。
「幼稚園の頃を思い出す」
玲香はそんなことを、ぽつりと漏らしていた。
幼稚園の頃、誕生日を誰かに祝ってもらったことがあるのかな。
それ以来、誰からも祝ってもらったことがなかったのかな。
「おいしい?」
と、訊ねると、
「ん。結衣ちゃんの味」
とか言うから、
「手作りじゃないし。それ作ったのケーキ屋さんのおじさん」
と、私は笑って応じた。
「ゆいおじさん」
そんなことをつぶやきながら、玲香はひとりで笑っていた。
◇
お盆休み。
物心ついた頃から、毎年恒例となっている家族旅行に、玲香を誘ってみたりもしたけれど、バイトがあるからと断られてしまった。
旅行から帰ってきて、すぐに、妹が私たちの家に遊びに来た。
旅行中に、私たちの生活ぶりを聞いた妹が、興味を持って、見てみたいと思ったようだ。
玲香にも、会いたかったみたいだった。
この人見知りが、いつの間に玲香をそんなに慕うようになったのか、私には永遠の謎だった。
泊まると言うから、彼女が小学生のとき以来、久しぶりに同じベッドでいっしょに寝た。
もう高校生になって、いつの間にか、背丈も追いついてこようとしている妹と寝るには、私のベッドはもう狭かった。
それでも、相変わらず、私にとっては、かわいすぎる妹なのだった。
◇
クリスマス。
ふたりで調子に乗って、大きなホールケーキを買ったら、食べきれなくて、処理するのに数日かかった。
しばらくケーキは見るのも嫌だね、とか、言い合ったりもした。
◇
大晦日。
家の中で新年を迎えた私たちは、突然、思い立ち、近所の大きな神社に初詣に向かった。
すでに、たくさんの人が、参拝に来ていた。
「初詣って、生まれてはじめて」
玲香は、神社に参拝するということ自体、はじめてみたいだった。
作法がよくわからないみたいで、私が教えると、見様見真似でやっていて、なんだか、かわいかった。
◇
一年生のときは、お互い学校もそんなに忙しくはなくて、私も彼氏がまだいなかったし、玲香のバイトも長期休暇のとき以外は週4日くらいだったから、ふたりで過ごす時間も、大学生活の中では、特に長かったように思う。
振り返ると、いつも、ふたりでいっしょにいたような気がする。
ふたりで抱き合って眠った、あの日以来、三上玲香には少しだけ表情があるように、私には見えていた。
相変わらず、笑ってるか虚無ってるか以外、感情を表に出すことはなかったし、いつもふざけてばかりいたけど、私の目には変わったように映っていた。
玲香の様子がおかしくなったのは、二年生にあがる直前、春休み中のことだった。
玲香は家族と、縁を切ろうとしてた。
それから、また、玲香が心を閉ざしてしまったように感じた。
三上玲香という人が、ああいう感じなのは、家族との関係に理由があるんだなと、そこで私は理解できた。




