第40話 大学入学前 新居1 yui
結衣 yui
家を出るときは、さすがにしんみりするのかなって思ってたけど、まったくそんなことはなかった。
都内を移動するだけだし、こんなもんか。
妹に笑顔で送り出されながら、私はそう思う。
パパは独身時代、近くに住んでいたことがあるみたいで、「あの頃は、開かずの踏切があってねえ」とかなんとか、ぶつぶつ言っていた。
「パパ。いろいろ、アドバイスありがとう」
話を遮って、そう伝えたら、パパはうれしそうに笑ってた。
「引っ越し屋さんが来たら、LIME送るわ」と、ママが言う。
「家具さえ届けてくれれば、細かいものは、忘れ物があっても、すぐ取りに来れるから」
私の部屋の広さは、実家とほとんど変わらないから、荷物が入り切るかどうかの心配も無用だ。
「じゃあ、行ってくるね」
私は玄関の前に集まった家族に手を振り、そう言って、エレベーターホールへと歩き出す。
「お姉ちゃん、がんばれー!」
妹が言う。
「がんばれって、なにをよ」
私は笑って応じた。
大学生活に対してなのか、同居に対してなのか、どっちの意味なんだと、エレベーターの中で考えてしまった。
エントランスを抜けて、マンションの外に出る。
ふと、自宅のベランダを見上げてみると、家族が手を振っているのが見えた。
私は思わず、笑ってしまった。
賑やかな人たちだ。
なんとなく、恥ずかしくなって、見なかったことにして、駅へと向かおうとした。
引っ越し屋さんのトラックが、マンションの駐車スペースに入ってくるのを見つけた。
スマホで写真を撮って、ママに送っておいた。
すぐさま、いつものスタンプが返ってきた。
妹から、ベランダから見下ろした、豆粒みたいな私の写真が送られてきていた。
盗撮するなの意思表示だけ、スタンプで示して、私は駅へと急いだ。
◇
不動産屋さんのお姉さんから、鍵を受け取って、私たちの家へと急ぐ。
玲香は、まめに連絡を寄越すタイプじゃないみたいで、LIMEは交換したけど、朝から特に連絡はなかった。
鍵を開けて部屋に入ると、暗いのは玄関だけで、廊下の奥は日差しが入って、部屋全体は明るかった。
まだ、家具もなにもない、カーテンすらない、空っぽの家の様子を撮影して、玲香にLIMEで送ってみる。
洋室が、私の部屋になる。
荷物を下ろして、スマホを確認する。
既読はついていなかった。
あんまり、スマホ見ない人なのかな。
それとも、移動中かな。
役所に立ち寄るから、午後になるとは言っていたけど。
私ばかり、浮かれているような気がしてきた。
家の中を、ひとりでうろうろしていると、ハウスクリーニングはしてあるって言ってた割には、思ったほど、きれいじゃないことに気がつく。
人がいない家なんて、すぐにこうなるか。
玲香が来るまで、掃除でもしていようと、私は思った。
簡単なお掃除グッズは、ちゃんと持ってきたからね。
家具を置く前に、しっかりきれいにしておきたいんだ。
◇
インターホンが鳴った。
画面を見ると、もはや見慣れた顔がそこにいた。
「中学生がきた」
そう思いながら、無言でオートロックを開けてやると、いきなり扉が開いたことに、びっくりする姿が映って、画面が暗転した。
「かわいい」
思わず、にやけてしまう。
あの人、たまに小動物みたいな反応をするよなあ。
オートロック、はじめて体験したのかもな。
玄関の鍵を開けておいてから、掃除に戻ると、またインターホンが鳴った。
手が離せないでいると、玄関の扉が開く音がした。
「なんだ、開いてたんだ」
玲香が靴を脱いで、廊下を歩いてくる音が聞こえる。
「わ」
「ひえ」
廊下の角に隠れて脅かすと、玲香が怯えた顔をしてから、私の腕を叩いて笑った。
「悪ガキだなあ」
呆れたように玲香が言う。
「LIME見てくんなかった」
「LIME見てくんなかった」
「LIME見てくんなかった」
掃除をしながら、ちらちら既読にならないか確認させられた不満をぶつけた。
「ああ、ごめん」
玲香がスマホを取りだす。
「ギガがないからさ。Wi-Fiないと、画像とか全然届かないんだよね」
浮気調査みたいだなと思いつつ、玲香のスマホを覗き込んでみる。
通知の件数だけで、中身が届かない様子だった。
「今度から、外にいそうなときに、大事なことあったら電話してよ。それか、ショートメッセージ」
不便だなあ、おいと思ったが、
「はあい」と応じて、黙っておく。
玲香は和室に荷物を置きながら、私に訊ねる。
「回線業者さんきた?」
「ガス会社さんだけかな」
「そっか」
「部屋の立ち会いはいらないらしいんだけど、オートロック開けてあげる必要あるかもって言ってた」
「ふーん」
それ、先に言っとくべきやつじゃないの。
物件の契約が私だったから、光熱費関係とか、インターネットとかは、玲香が手配してくれたのだった。
「そうだ。もう荷物届いてるよ」
私が和室の隅を指さすと、玲香は早速、荷解きをはじめようとした。
「家具がないと、居場所がないね」
私が言うと、
「あ、じゃあ、しばらくこの段ボール椅子にしようか?」
玲香が提案してきた。
「いいね」
意味もなく、段ボールに腰かけて、ふたりで、この間あったことを話し合う。
勉強に身が入らなかった話とか。
後期試験、落ちて口惜しいだとか。
私立行くことになったから、通学はむしろ近くなるんだとか。
久しぶりに会えて、うれしくて、私ばっかり話してしまった。
引っ越し屋さんが来て、回線業者さんが来て、パパが手配してくれた冷蔵庫と洗濯機、電子レンジなんかの、大型家電が届いたりして、荷解きしているうちに、いつの間にか日が暮れて、それでも、私の部屋は片付かないままだった。
引っ越しというものを、完全に舐めていた。
自分の部屋を、この場所に再現するだけだと思っていたけれど、どこになにが入っているんだかわからない段ボールを開封しながら、ひとつひとつ整理していくのは、気の遠くなる作業に思えてきた。
隣の部屋から、玲香が出てきた。
トイレにでも行くのかなと思ったら、家を出ていこうとしたので、慌てて呼び止める。
「ん?」
玲香が、ぽかんとした顔で振り返る。
「え、どこいくの?」
「ああ、なんかテキトーに、食べ物でも買ってこようかと思っただけ」
「私も行く」
「そんな、気を遣わなくていいよ。ルームシェアだし、私は好き勝手やってるから」
急にさみしい言い方をされると、胸が痛んでくる。
「私もお腹空いたの」
ひとまず、そういうことにして、私はすべての作業を投げ出して、玲香と家を出た。




