第24話 高校卒業後 東京2 reika
玲香 reika
東京駅から電車に乗り、結衣ちゃんの家へと向かう。
私は鳥の雛みたいに、結衣ちゃんの後ろをくっついて歩く。
最寄り駅らしきホームで電車を降り、駅の外に出る。
結衣ちゃんは、駅のそばにある巨大なマンションへと、私をいざなう。
マンションのエントランスは天井が高く、この間、泊まったホテルよりも、ずっと豪華なつくりだと思った。
結衣ちゃんは、ショルダーバッグから鍵を取り出し、慣れた手つきで、ゲートを解錠し、エレベーターホールへと進んでいく。
私は、きょろきょろとあたりを見回しながら、彼女に置いていかれないようにする。
エレベーターを降りて、結衣ちゃんがひとつの扉の前で立ち止まる。
表札を見て、ここが結衣ちゃんのお家なんだとわかった。
結衣ちゃんは、ドアを開けると、お家の中に吸い込まれていく。
入っていいのかなと、立ち尽くしていると、結衣ちゃんに手招きされる。
「お邪魔します」
彼氏も友だちもいない私にとって、他人の家に入るのは、はじめてだった。
天井が高く、手入れの行き届いた、眩しいくらい明るくて、清潔そうな住まいだった。
「なんか、お家から、結衣ちゃんの匂いが、するね」
「え」
結衣ちゃんの顔が、ちょっと引いていた。
もし、この人が中野さんだったら、この時点で追い出されていたかもしれない。
「いい匂いって、意味ね」
「え」
あれ、まずいか。
「おかえり」
廊下の奥から、声がした。
「ただいま。ママは?」
結衣ちゃんが振り返って、廊下を歩きながら声をかけている。
画面に怒声を浴びせることでおなじみの、妹ちゃんだとわかった。
私は靴を脱いで、結衣ちゃんの後を追う。
「スーパーに買いも、あ」
目が合った瞬間、妹ちゃんが固まった。
私はにこりと笑って会釈を返す。
私と同じくらいの背丈の、天真爛漫そうな、かわいい女の子だった。
結衣ちゃんをちっちゃくしたような子だ。
「三上玲香です」
「あ、あ、お姉ちゃんの妹です」
私はふふっと笑った。
「お姉ちゃんと呼ぶ時点で、妹では、あるよね」
結衣ちゃんと妹ちゃんが、同時にどっと笑った。
「こいつ人見知りだから」
結衣ちゃんがそう言うと、妹ちゃんはお姉ちゃんを不服そうに睨んでいた。
妹ちゃんと小粋な雑談でも、と思ったら、結衣ちゃんに手招きされた。
「ママ出かけてるから、私の部屋で待っていようよ」
「いいのかな。結衣ちゃんの部屋なんて。私のようなものが」
妹ちゃんが、けらけら笑った。
結衣ちゃんも、にこにこしながら、
「いいに決まってるでしょ」
と、歓迎してくれた。
◇
結衣ちゃんの部屋に踏み入るのは、さすがに少し緊張感があった。
4月から、この部屋で鳴る音をBGMに勉強をしてきたから、なんとなく、神秘性のようなものを、感じてしまっていた。
見るからに女の子の部屋で、私の中にある神秘性が、かわいいイメージで書き換えられていくのを感じる。
結衣ちゃんの部屋は、漫画に出てくるような、いかにもな女の子の部屋だった。
大きなベッドの上に、どっかで見たようなキャラクターのぬいぐるみが何体も置かれている。
部屋の中央の座卓にノートパソコンが置いてある。
この物体だけ、明らかにこの部屋に似つかわしくない。
その横には、何冊かの教科書や参考書があって、ここで勉強していたことがわかった。
「結衣ちゃん、勉強する姿勢になってみて」
一瞬だけ、疑問符を浮かべた結衣ちゃんは、すぐに私の意図に気づいて、
「いいよ」
と言って、座卓に向かって座り、ノートパソコンの上に置かれたイヤホンをして、教科書を広げて見せてくれた。
「おお」
私は思わず、感嘆の声をあげた。
ネットの向こうの世界が、確かにここにあったことを実感できた。
結衣ちゃんがイヤホンを外して、得意げな顔をする。
「これってなに?」
私は、座卓の上に置かれた丸い穴の空いた、変わった形の物体を指さす。
「ああ、これね。ペン立て」
結衣ちゃんはそう言って、転がっていたペンを一本、そこに刺してみせる。
きゅっと音が鳴る。
「これこれ!」
私は思わず声をあげる。
「ん?」
意味がわからない様子の結衣ちゃんに、私は説明する。
「このきゅって音、たまに鳴るけど、なんの音なのか気になってた」
「ああ、言ってよ」
結衣ちゃんは笑った。
そして、何度もペンを取ったり戻したりして、音を鳴らしてみせた。
「気にしたことなかったけど、柔らかい素材で、吸着するからかなあ」
「てっきり、結衣ちゃんの鳴き声なのかと思ってた。勉強のストレスから発する。あんまり触れてはいけない要素かと」
結衣ちゃんが大きな声で笑うと、私もつられて笑った。
「きれいだね、結衣ちゃんのお部屋」
「そう? いつもこんなだけど」
私は部屋の中を舐め回すように見る。
壁一面に本棚が据え付けられている。
下のほうの段は引き出しになっていて、収納を兼ねているみたいだ。
文学少女みたいな結衣ちゃんは、どんな本が好きなのかなと思って、歩きながら本の背表紙を眺める。
「恥ずかしいから、あんまり見ないで」
そう言われて、見たくならない人、いないよね。
教科書とか参考書みたいな、学校の本のコーナーもあるけど、大部分は、児童文学や漫画だ。
「漫画好きなんだねえ、結衣ちゃん」
「うん。暇だったら読んでもいいよ」
「結衣ちゃんといっしょにいて、暇になることなんて、ある?」
「ふふ」
眼鏡を外して、座卓のところに、ちょこんと座る結衣ちゃんを見下ろすと、にこにこしながら、スマホを操作していた。
「パパとママに、LIME送ってる」
「はい」
「あ、玲香、スマホ充電する?」
「ん。いらない。どうせ使わないから。鞄から出すのも面倒くさいし」
「そっか。充電したかったら言ってね」
「はい」
私は本棚を眺めながら、受け答えする。
読んだことのある漫画は、ほとんどなかった。
ほぼ、少女漫画のように見えた。レーベル的に。
何冊か、試しに手にとってみる。
どれを取っても、表紙がラブコメだった。
ぱらぱらとめくると、学生らしい男の子と女の子が、なんかじれったくなるようなやりとりを繰り広げていた。
本棚の一角に、小物がたくさん置いてあるコーナーがある。
これじゃ、本を取り出しにくくないか。
私はしゃがんで、その一角を見つめる。
そこにあった本を見て、思わず笑ってしまった。
「これ、えっちなやつでしょ」
「えあ?」
結衣ちゃんが変な声を出しながら、体をよじってこっちを振り向く。
振り返った顔は、照れくさそうだった。
私は本を指さしてみせる。
結衣ちゃんが座卓の上に置いた眼鏡をかけ直して、本のタイトルを凝視する。
「そんなでもないよ」
ごまかしたなと、私は思った。
「まあまあ、えっちだったと思うけどなあ」
「え、知ってるの?」
「たぶん、読んだことあるよ」
頭のネジを三本くらい抜いたようなタイトルに、なんとなく、見覚えがあった。
「こういうのはね、電子で読んだほうが、バレないからいいよ」
「ああ。パパに頼まないと、電子決済できないんだよねえ」
「やっぱり、えっちじゃねえか」
結衣ちゃんは、笑ってごまかしてきた。
「結衣ちゃん、ラブコメ好きすぎじゃない?」
「え、そう?」
「女子ばっかりの学校で、こじらせたんじゃないの」
「ちーがうから」
「人の恋愛見るの、好きなんだねえ」
「普通にいちばん強いジャンルでしょうよ」
私は本棚の探索を終え、結衣ちゃんの向かいに座った。
「玲香はどんなの読むの?」
「ん」
私は、鞄から使わないと宣言したスマホを取り出して、電子書籍リーダーを開いてみせる。
結衣ちゃんが立ちあがって、隣に移動してくる。
「雑食でしょ。節操ないって、自分でも思うわ。ラブコメはあんまり読まないんだよね。恋愛感情ってやつが、あんまわかんなくてさ」
しゃべりながら、電子書籍の本棚をスクロールする。
結衣ちゃんが興味深そうな顔で、スマホを覗き込んでくる。
なにかひとつ、おすすめを読ませてあげようかなと思って、私はスクロールを続ける。
「青年漫画とか、海外作家の翻訳小説が多いかなあ。こうしてみると」
結衣ちゃんの趣味に、いまいち合わなさそうだ。
ぼんやりとスクロールしながら考える。
「ストップ」
「ん?」
結衣ちゃんが、私のスマホに手を伸ばし、指でゆっくりスクロールしていく。
「ここらへん、タイトルやば」
「え」
私はスマホの画面に目を落とす。
汁がどうとか、おねだりがどうたら、孕ませやら、メス堕ちやら、云々かんぬん。
「やめてよ、えっちなんだからあ」
私は思わず、スマホを隠す。
「自分だって、そういうの読むんじゃん」
結衣ちゃんが、意地悪な顔をつくって指摘してくる。
「えー。ノーコメントかなあ」
結衣ちゃんは、にやにやしていた。
「本棚にあるだけで、読んではないのかもしれないし」
「そんなわけないでしょ。おまえさん、迫真の既読マーク見えてたぞ」
私は逃げ道をふさがれて、笑うしかなかった。
結衣ちゃんもいっしょになって笑った。
「しょうがないなあ。あとで、いいやつ見せてあげる」
「そういうのって、いっしょに見るものじゃなくないか」
笑って言う結衣ちゃんに、私は確かに、と思って頷いた。
「おすすめだけ、LIMEで共有してよ。タイトルだけでもいいから」
そうだった。
店長だけが登録されていた私のスマホに、今日から「神山結衣」という女の子が追加されているのだった。
「あのさ、えっち漫画に出てくるイケメンってさ。おもろいよね」
「え、どういうこと」
「結衣ちゃん、ちょっと、寝てみて」
「ん?」
「そのまま後ろに倒れて」
結衣ちゃんは、なにがはじまるのか不審がる仕草を見せつつも、眼鏡を外して座卓に置き、後ろに身体を倒して、膝を立てた状態で、上半身だけ床に横たわった。
私は結衣ちゃんに横から覆いかぶさるようにして、彼女の顔を見下ろしてみせる。
「俺の女になれよ、結衣」
私はパソコンから鳴るイケボを、自分の声帯を使って再現しようとした。
「なにそれ。レイくんはそんなこと言わないから」
結衣ちゃんは、そう言いながらも、恥ずかしそうに笑った。




