思いがけないところで
言うなれば遠征、もっと分かりやすく言うなら小旅行。そんな気分で私は当日まで過ごしたんだけど、集合したみんなとの圧倒的な荷物量の差に目が飛び出してしまうそうなくらい驚いた。あまりにも軽装なのだ。それこそ一泊程度で済ませればいいぐらいの量で、着替えも下着も一着ずつしか用意していない。それどころか身だしなみを整える様々な道具もどれもこれも頼りない。そりゃオーリーは子供だし、ナタリアさんもフランシーさんも顔面偏差値が高いから素材の良さを引き立たせるだけで攻撃力が上がるのは分かっているけれど、UVカットすら気にしない雰囲気なのはいただけない。
なによりも残念だったのは――
「旅行と言えば電車や新幹線、もしくは飛行機なのに……」
近畿への遠征に向かう際も『ポインティハット』のエレベーターを使うだけ。それだけで任務先の最寄り駅に到着。あまりにも楽しみがないしワクワクもない。あまりにも仕事という部分が大きすぎて眩暈すら覚えてしまう。
「なに落ち込んでいるのよ」
「ナタリアさんは旅行の醍醐味を知らなすぎるんです」
「子供の頃から飽きるほど旅行しているからもう良いわ。飛行機酔いは思ったよりもキツイわよ?」
「その苦しさも含めてのワクワクなんじゃないですか」
「大体、旅行じゃないんだから旅行気分で乗り物に乗って現地に向かうなんて魔女らしくないじゃない」
「私は魔女候補生なのであしからず」
「ああ言えばこう言うわね」
ナタリアさんとの小さな口喧嘩を終わらせてから私は深い深い溜め息をついた。
件の大学附属病院の最寄り駅にコミュニケーションすら生み出さない虚無な十数秒の沈黙だけで降り立ち、私たちを送ってくれたエレベーターを心底憎らしく睨み付けた。しかしどれほどの感情を向けようとも機械の箱は一切の反応を見せず、与えられた仕事を全うするかのようにゆっくりとドアを閉じて乗り込んできたお客さんを上階へと運んだ。
「まずは問題なく到着したことを『ポインティハット』に報告しないと」
フランシーさんはスマホを取り出し電話を掛ける。トークアプリで報告なんかしたら多分だけど怒られるんだろう。あと公私混同しないように分けているパターンもあるか。そんな風に分析していると彼女は私の目線を避けるかのように駅の隅へと歩いて、「もしもし」と掛かった電話先の人物と話し始めた。話している内容は大体分かるので盗み聞きする必要もない。
「ここから現着まで徒歩何分くらいなんですか?」
「渡された書類を読んでないの?」
「修学旅行のしおりは読まない派だったので」
「そこに派閥なんてないだろ。読めよ、修学旅行のしおりは」
冗談に決まっているのにオーリーは私が100言ったことを100信じないでほしい。いや、信じてほしいのが常なんだけど、普段からナタリアさんには私が言っていることの八割は信じてもらえていないから、そのノリで喋るとオーリーだけじゃなくフランシーさんとの会話もギクシャクしかねない。ここは嘘を少なめにして周りに馴染むように気を付けるべきだ。でも、合わせたところで私に有益な結果をもたらしたことは一度もないから苦手だな。
「関東と関西で違うところってあるのかしら」
「エスカレーターが右に寄るか左に寄るかと方言のあるなしじゃないですか?」
「誰でも知っていそうなことを言わないでほしいわね」
「じゃぁ誰でも知らないことを私が知っていると思っていたんですか?」
私は見聞きした知識を全て収納できる脳を持ち合わせてはいない。
「あなたってなんだか私の知らないことを知っているような気がするときがあるのよ。大体、期待して損するけれど」
……たまぁにツンデレみたいな態度を取られる。こっちの調子が狂ってしまう。いつも私が彼女の調子を狂わせていることは棚に上げといておくとして、恋の駆け引きみたいなことはしないでほしい。
「連絡が終わったわよ~」
柔らかくて優しい声音を発しながらフランシーさんが私たちの元へと帰ってくる。
「やっぱり病院に入るのは難しいらしいわ。お医者様たちが良い顔をしないだろうって」
「向こうが助けてって言っているからあたしたちが来たのに、なんで入るのが駄目なんだろうな」
「体裁みたいなものがあるのかもしれないわ。フランシー? 院内は駄目でも敷地内に入るのは大丈夫なのかしら?」
「それは……聞いていなかったわ。どうしようかしら、すぐに電話するのも迷惑よね」
「迷惑なのは百も承知で電話はした方がよろしいですよ? 現場の判断で敷地内に入ってもし駄目だった場合、それはもう怒られると思いますから」
私は働いたことはないけれど、小学生の頃に『報連相』なるものを先生たちが徹底していたことを思い出す。あとはネットで現場の判断によって引き起こされた様々な問題や事故がニュースになったりするので、そういったものは独自解釈してはいけないと脳に刻み付けられている。
「分かったわ」
フランシーさんは決して不満の一つも言わずに再びスマホで電話を掛け直すため構内の隅へと寄る。
「電話するのを怖がらないのは羨ましいですね」
「怖いの? タップするだけでしょ」
「怖いか? 言いたいこと喋れば済むだけのことだろ」
あー、これだから次元の違うところで生きている方々との会話は困る。庶民的な悩みを持ち合わせていない。私のは庶民っていうよりは陰キャの悩みみたいなところだけど。
「ナタリアさんとオーリーは私的なこと以外で電話を掛けたことってありますか?」
「無いわね」
「無いな」
「……これだからお金持ちは」
ボソッとボヤいておく。きっと執事や給仕が歯医者や美容院の予約を入れてくれるんだろう。なんだったらスケジュール管理もしてくれて、調整も全てやってくれる。わざわざカレンダーアプリにあれやこれやと登録するだけして当日の朝までほぼ忘れているなんて事態にさえ遭遇したことはないんだろう。産まれてから生活してきた環境が違い過ぎる。人に気を使わず人に気を使わせる。図太い神経の持ち主たちだ。
だから自分からトラウマを刺激したがらない。彼女たちはトラウマを武器にできると分かっていても自分ですら触れられないんだ。その代わり、全員が相手を制圧するほどの莫大な魔力を有している。これが魔法を主体とした家柄で生きてきた人たちとの差ってやつだ。
「敷地内には入っていいって。でも、あまり目立つ格好をしていると患者が驚いてしまうから地味な格好でって」
どうやら許可が出たらしい。そして地味な格好と言われて全員が自身とみんなの格好を比べる。
「え、目立つかしら?」
「目立ってないよな?」
「普通じゃね?」
「どれだけ自信がないんですか……」
ファッションセンスが世間一般的に言うところの普通かどうか、そして地味に見えるかどうか。途端に不安になってくる。いつもは身だしなみを気にしない人たちがザワついている。私なんかいつも通りにドレスコードがある店以外ならどこにでも溶け込める平々凡々な服しか着ていないのに。
「まぁ……一人を除いて問題ないと思いますよ」
「私が問題だって言いたいわけ?」
目の動きだけで私がナタリアさんを問題視しているかが分かってしまったらしい。
「だっていないですよ。そんな太ももを出したスカート履いている子」
正確には存在するけどよっぽど美脚だったりスタイルの良さに自信を持っていないと挑戦しないと思う。私ですら膝を出すか出さないかで躊躇うのにナタリアさんはそこを容易く越えている。街中を歩くくらいなら気にならないけどさすがに病院の敷地内ではちょっと注目を浴びすぎる。私以外は外国人の集団ってだけで目立つんだからファッションぐらいは控えてほしかった。
「戦闘になったら長いスカートは動きづらいじゃない」
「スカートである必要はなくないですか?」
私のように頻繁に戦闘で動き回るわけじゃないんだからオーリーみたいにパンツルックで良いじゃん。それにフランシーさんは長スカートだ。
「それじゃ私のファッションへの拘りが消える」
ああ、スカートを履いている自分が好きなんだな。
ナタリアさんが決して折れない理由をなんとなく察する。
「でもレギンスは履いた方が良いわよ? あそこのコンビニでちょっと買って行きましょう」
その提案は正しい。現状、病院に訪れるには相応しくない格好ではあるものの病院やその周辺を歩くことにドレスコードは存在しないので着替える必要は全くない。でもナタリアさんのスカートだとほんのちょっとの動きでインナーが見えてしまう。そこが指摘しにくく問題だった。私じゃ遠回しでも言えないことだったけどフランシーさんが言ってくれて助かった。
インナーが見える。このことはさすがにナタリアさんも無視できなかったらしく、素直に肯いた。オーリーはやや面倒臭そうな溜め息をついていたが、取り敢えず四人で近場のコンビニに立ち寄る。
「納得ができません」
「ですがお客様」
「本当に一等賞が入っていますか? 全てのくじを調べ直す必要があります」
「それはできかねます。一等の賞品を受け取りたいのであれば、くじを購入していただいて、」
「もしも一等賞のくじが入っていなければこれは違法だと私は警察に訴える覚悟があります」
「ですからお客様、」
「推しのフィギュアを手に入れるチャンスを失うわけにはいきません」
「酷いクレーマーだな」
オーリーがカウンターでのやり取りに小さく呟く。けれど私はそこに同調していない。知っている人がカスハラをしていることにショックを受けている。
「あんまり関わらないようにしましょう」
「あらあら、違うコンビニに行きましょうか。駅周辺なら他にいくらでもあるでしょうし。それにアパレルショップくらい探せば見つかるはずよ」
「落ち着いてください、ルルルさん」
「落ち着いていられません」
「あなたの推しはVTuberではなかったのですか?」
「推しが好きなアニメ作品であり、推しが絶対に手に入れるとSNSで発信しています。ならばそれは私の推しが推しているフィギュアということになります。手に入れなければ推している意味がありません」
「ネットで出品されているものを購入なさればよろしいじゃないですか」
「転売は悪しき文明です。どれほどに欲しい物であっても私は決して屈しはしません」
「そのお言葉は別のタイミングで聞きたかったです」
必死にルルルと呼ばれる女性を制するこれまた私のよく知っている女性が店員に向く。
「残ったくじを全て購入することはできますか? 数はもうそれほど多くないように見えますが」
「店長に聞いてきますので少しお待ちください」
バックヤードに店員が入る。別のカウンターで並んでいるお客さんを処理している別の店員は物凄く疲労困憊しているように見える。そりゃそうだ。カスハラのせいでカウンターが一つずっと使えない状態でお客さんが集中しているんだから。
「買い占め……なるほど、そんな方法が」
「やっていることは転売とほぼなにも変わりませんが。買い占めもある意味では迷惑行為ではありますので」
「私が買い占める分には問題ありません」
「…………はぁ~」
ルルルさんの返答に女性が心底、嫌そうに、そして呆れたように、更には多少の怒りも込めた溜め息をついていた。
「おや? おやおやおや?」
目が合ってしまった。ルルルさんは手にしていたくじを握り潰してから私に近付く。
「ヒヨ・オノウエ。景気はどうですか? いえ、少し言葉が間違っているような気がしますね。調子はどうですか?」
「……えと、あの、上手く行っているかはともかくとして私は元気です。ルルル・ラウドさん」
「ならなんの問題もありません。アールも喜ぶことでしょう」
こんなカスハラと知り合いなのか? という背中に刺さる視線が痛い。
「『ポインティハット』の皆様方、ごきげんよう」
店長がまだ現れないためルルルさんの後ろで女性がこちらに向けて仰々しくお辞儀をする。お客さんから『ポインティハット』についての疑問符が付いた視線も向けられるためより一層、私は針の筵状態だ。
「場所を変えましょう」
「お客様、残ったくじを全てご購入なさりたいのですか?」
私がそう言ったのとほぼ同じくして店長がバックヤードから現れ、ルルルさんと女性に投げ掛ける。
その後、コンビニでの騒動が一段落し、ナタリアさんも無事にレギンスを購入できて私たちはコンビニの外の駐車場へと移動した。
「皆様方がこちらにいらっしゃっているのであれば、『ポインティハット』も『失われし五ヶ月』について見過ごせないと判断が下ったということでよろしいでしょうか?」
そう訊ねてから自己紹介をしていなかったことに女性は気付き、「失礼しました」と付け足す。
「私はアウローラ・ガルシア。『アルカナ』のお茶会を主催する者です。皆様方もお茶会にご興味があるのでしたら、是非とも私の元へといらっしゃってください。格別な紅茶をご用意致しますので」
トバリ・アメノさんが最も信頼を置いて、唯一無二の親友だと常日頃から言っている女性。それがアウローラさんだ。
「ナタリア・ドライトよ」
「フランソワ・フォースターです」
「オリビア・マーティンだ」
三人が流れ作業のように短い自己紹介を終える。ルルルさんは両手で抱き締めているフィギュアの収められた箱だけでなく残ったくじで当たった賞品の入ったエコバッグ共々、アウローラさんへと預ける。
「ルルル・ラウドです。お見知りおきを」
物凄く雑な自己紹介の上に仕方なくのお辞儀をしてから預けたフィギュアの箱を再び両手で抱き締める。尚、エコバッグを再び手にする様子はない。
「『魔女の大釜』でも有数の魔女と聞き及んでいるわ。それほどまでに『失われし五ヶ月』は強敵ということ?」
「……初対面の相手に失礼ですね、あなた。もう少し世間の荒波に揉まれるべきです。敬ってはいなくとも一応は丁寧な言葉遣いで事を荒立たせないように気を付けるべきかと」
「それは私のポリシーに、」
「反するとしても、不要にコミュニケーションを取る相手の感情を乱さぬようにするのは魔女の常識というものです。私があなたに不意打って魔法を唱えることさえあるのですから」
ナタリアさんが唾を飲み込むほどの凄みがある。フィギュアの箱を抱き締めている様は凄く滑稽なのに。
「それに、安心してください。今回の私は完全にバックアップ。正式に魔女狩り討伐に任命されたアウローラ・ガルシアがよっぽど変なことをしなければ、あなた方を庇うことさえありません」
「アウローラさんが?」
「私ではご不安ですか?」
ニコリと笑うその表情の裏側に多少のトゲが見える。
「『ポインティハット』と行動せよとは通達を受けておりません。ですので、好きになさってください……と言いたいところではありますが、魔女狩りを前にして組織の都合に振り回され、全滅してしまっては元も子もありません。ここは一つ、協力とまいりましょう」
私たちに拒否権はない。アウローラさんの瞳からは「従え」という強い強い意思表示が感じられる。
ルルルさんではなくアウローラさんが討伐を命じられた。なら、今回の魔女狩りに共感できる魔女として選ばれたことに他ならない。
「『失われし五ヶ月』について『魔女の大釜』がどこまで調べているのか。それを教えてくれれば協力します」
私は彼女の意思表示に挫けず、交換条件を提示する。
「飲みましょう」
「おや? 即答ですか。もう少し話を長引かせることもできたと思いますが」
「ルルルさんと違って私は決して強者ではありません。今回はトバリもいないですし、だったら私はこの子の力を少々、頼らせてもらわなければなりませんから」
「自身の魔法に合わせて柔軟に判断した結果ですか。だったら口出しは不要ですね。まぁ、口出しなどする暇などありませんが」
フィギュアの箱を片手で持ち、もう一方の手がスマホを掴む。
「推しの配信が始まります。今回は朝活。素晴らしい朝です」
まるで推しの配信がなかったら素晴らしくない朝みたいな言い方をしている。もうここまで来るとデジタルデトックスだとかネット断ちさせようと思っても不可能なんだろうなと。魔女として素晴らしく終わっている生き方に私は心の中で「こうはならないようにしよう」と呟いた。




