21 焼き菓子屋店員(5歳)の普通な日常
21話
この世界に来て、もう一月か。
早いものじゃな。
季節は花咲の季から、陽炎の季へ移り、次第に暖かくなってきた。
あと2ヶ月もすれば、炎華の月となり、うだるような暑さがやってくる。
今でさえ、暑い暑いと不平を言うアビーが、その頃どうなるのか考えると、ちとかわいそうじゃの。
おっと、客じゃな。
「いらっしゃいませなのじゃ」
ワシの職場である『こぐまベーカリー』は、今日も大盛況じゃった。
「おお、黄昏の姫君よ、そして漆黒の君よ。今日も君たちは美しいな。——リンゴとハチミツのふわふわパンを三個もらおう」
「おお、リオネル殿、お主はいつも元気じゃな。——3個で3600ZLじゃ」
「こんにちは、お嬢さん。——しっとりブルーベリーフィナンシェを2つ頼む」
「こんにちはじゃ、ヘクトル殿。いつもご贔屓感謝じゃな。——2つで2400ZLじゃ」
「よう、看板娘。今日も頑張ってるな——バナナとクルミのもこもこマフィンを8個くれるか?」
「よう、ギルベルト殿。いつもの通り頑張っておるよ。——8個で6400ZLじゃ」
「ねぇレイちゃん……。怖いけど、いつものやつお願い。その……お手柔らかにね?——それと、オレンジクッキー詰め合わせもね」
「うむ。調べた結果、マリナ殿は先週と同じ体型じゃよ。運動を頑張っておるおかげじゃな——オレンジクッキー詰め合わせは3000ZLじゃ」
「こんにちわ、レイお嬢ちゃん。そろそろ、うちの孫ちゃんのお嫁さんにならない?——イチゴとカシスたっぷりパイを5ついただくわね」
「カカカ。ワシの婿になるのは大変じゃぞ?——ほれ、エレノア殿。5つで6000ZLじゃ」
この店の菓子は、はっきり言って高い。
一番安い『バナナとクルミのもこもこマフィン』ですら800ZLもするのじゃ。
ちなみに『猫の尻尾亭』一泊の値段が4000ZLじゃな。
だというのに、今日も大忙しじゃった。
「そろそろ、客足も途絶えてきたのう」
14の刻を過ぎると客足が落ち着くのじゃ。
ぽつりぽつり訪れる客の相手をしておると、ゴーンゴーンと、4鐘が鳴った。
4鐘とは、15の刻を知らせる鐘じゃな。
つまりワシの仕事はここまでじゃ。
店長のクマノ殿がやってくる。
「レイヴァリアちゃん、お疲れ様。今日もありがとうね。——はい、今日のお給料」
そういって大銅貨一枚を手渡す。
「かたじけない。ありがたく頂くぞ、クマノ殿よ」
大銅貨一枚は5000ZL。
これがワシの日給じゃ。
宿代は朝と夕方の手伝いで支払うことになっておるので、この給料はまるっとワシの懐に入るわけじゃな。
そして、さらに特別報酬が——
「それで今日は何にする?」
「決まっておる。いつも通り『ハチミツたっぷりハニースコーン 』じゃ」
「ふふ、ほんとに好きなのね。――はいどうぞ」
ワシはスコーンを受け取ると、すぐにかぶりついた。
うむ。
今日もサクサクふわふわで極上の味じゃ。
店内のベンチに座り、ワシが至福のときを過ごしておると、店の奥からアビーが飛び出した。
「あー!全部は食べちゃダメっすよ!」
ぬ?
アビーめ。
今日は間に合いおったか。
駆け寄るアビーの後ろから、小さな女の子が追いかけてきた。
「アビーちゃん、やーっ!」
クマノ殿の娘、モモ殿じゃ。
モモ殿はすぐにクマノ殿に捕まり、手足をバタバタさせる。
「やー!やーの!アビーちゃん、やーの!」
「ほら、暴れないの!ごめんね、アビーちゃん……」
「にゃんにゃん」
「気にしないでくれ、だそうじゃ」
ワシは残ったスコーンを半分ちぎり、泣く泣くアビーに差し出した。
「にゃにゃん♪——モグモグモグ」
抱きかかえられたままのモモ殿は、アビーに手を伸ばして泣いている。
「アビーちゃん、アビーちゃん! わーん!」
かわいそうじゃが、諦めてもらうしかないのじゃ。
いつもよりぐずっておるのは、今日が木巡の日だからじゃな。
ワシがここで働くのは、月巡の日から木巡の日までの4日間。
明日から日巡の日までは、完全に休みなのじゃ。
つまりモモ殿はア、明日から三日間は大好きなアビーと会えないわけじゃ。
あまり長居してもモモ殿が辛かろうし、スコーンを食べ終えたワシ等は店を後にした。
「レイヴァリアちゃん、今日は上がりかい?」
「レイヴァリアちゃん、今日もかわいいね」
「レイヴァリアちゃん、リンゴ一個持っていきな」
道すがら、何人もの顔見知りから声をかけられる。
カカカ。
人気者は辛いのう。
リンゴを食べながら歩いておると――
「マスター」
アビーが肩に飛び乗って、耳元で囁いた。
「わかっておる。——つけられておるな、モグモグ」
「一人じゃないっすね」
「5人……じゃな。宿に連れて行くわけにもいかんし、ちと相手をしてやるか。モグモグ」
ワシはリンゴを齧りながら、人通りの少ない場所へ向かった。
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