第7話 新米ゴリラとギルドの提案、美味なる森への第一歩
交易都市マルタの朝は早い。
路地裏にある宿屋『黄金の麦穂亭』の堅牢な木製ベッドで目を覚ました俺は、軽く伸びをしてから分厚い胸板を叩いた。
異世界に召喚され、城から追放されてから数日が経つが、規格外に自動強化され続けているこの肉体は、疲労を一切感じさせない。
むしろ、未知の食材との出会いを求めて活力が全身に漲っていた。
身支度を整え、宿を出た俺は、大通りの中央広場に広がる朝市へと向かった。
活気あふれる商人たちの声、見たこともない色鮮やかな果実、そして何より俺の胃袋を強烈に刺激する肉を焼く香ばしい匂い。
俺の足は自然と、鉄板で何かを豪快に焼いている屋台の前で止まった。
「おう、そこの兄ちゃん! いかつい顔していい体格だ! 朝飯ならうちの『オーク肉の厚切りベーコンサンド』はどうだい!」
気っぷのいい屋台の親父が、鉄板の上でジュージューと音を立てる分厚い肉の塊をひっくり返した。
瞬間、鉄板の上で弾ける脂がパチパチと踊り、ローズマリーによく似た清涼感のある爽やかな香りが辺り一帯にぶわりと広がった。
俺はすかさず、未知の食材に対する俺の絶対のルール――スキル【鑑定】を使用した。
【オーク肉の厚切りベーコン】
詳細:オークのバラ肉を塩漬けにし『トルの葉』で燻製にしたもの。脂の甘みが非常に強く、深い燻香が旨味を引き立てる。
「……親父さん、それを一つ頼む」
「毎度あり! 焼きたてだ、火傷に気をつけな!」
硬めの素朴な麦パンに、はみ出すほどの巨大な厚切りベーコンが挟まれた豪快なサンドイッチを受け取る。
ズッシリとした重みを感じながら、俺は大きく口を開けてかぶりついた。
「――っ!」
ザクッ、というパンの小気味よい歯ごたえの直後、分厚いオーク肉から暴力的なまでの脂の甘みがジュワァァッと口内を満たした。
豚肉に似ているが、野性味と旨味の濃さが桁違いだ。強烈なパンチ力のある脂だが、燻製に使われた『トルの葉』の爽やかな香りが完璧な仕事をしており、全く胃にもたれない。
深い燻香が肉の旨味を何倍にも引き上げ、噛めば噛むほどに幸せな肉汁が喉の奥へと流れ込んでいく。
あまりの美味さに、俺は無我夢中でサンドイッチを平らげた。
指についた脂まで舐めとりたい衝動を抑え、胃袋から湧き上がる熱いエネルギーを感じる。
「最高だった。ごちそうさん」
親父に代金を支払い、俺は足取りも軽く冒険者ギルドのマルタ支部へと向かった。
俺の現在の目標は、自分で魔物を狩り、自分で料理して振る舞う「さすらいの料理人」になること。
そして最終的には、俺専用の特注包丁や鍋などの「調理器具の調達」と、「自分だけの屋台を持つこと」だ。
俺は一攫千金よりも、地道な努力で一生モノの資産を築き上げる方が性に合っている。
そのためには、まずは冒険者として安定した資金稼ぎと、食材調達のノウハウを身につけなければならない。
巨大な石造りのギルド支部に足を踏み入れると、朝から多くの冒険者たちでごった返していた。
身長一八〇センチ、体重八〇キロの筋肉の塊である俺がのっそりと入っていくと、周囲の空気がピリッと張り詰め、自然と道が開く。相変わらずのゴリラ扱いだが、もはや慣れたものだ。
俺は気にせず、受付カウンターへと向かった。
「おはようございます。依頼を受けたいんですが」
俺が声をかけると、受付嬢はプロの笑顔で応対してくれた。
「おはようございます、フトシ様ですね。本日はどのような依頼をお探しでしょうか?」
「まずはファングウルフなどの魔物討伐を受けようかと。昨日、道中で三体ほど素手で倒せたので、腕っぷしには自信があります」
俺がそう告げると、受付嬢は少しだけ困ったような、しかし真剣な表情を浮かべた。
「フトシ様。お体格やその立ち振る舞いから、腕に自信がおありなのは分かります。ですが……ギルドとしては、登録したばかりのFランク冒険者の方には、まずは『採取依頼』から受けていただくことを強く推奨しております」
「採取、ですか?」
「はい。いくら腕力があっても、森の地形、安全地帯の見極め、魔物の生態、そして毒草などの知識がなければ、いずれ致命的な落とし穴にハマります。まずは森を歩き、知識と経験を積むことが、長く生き残るための鉄則なのです」
彼女の理路整然とした説明に、俺は深く頷いた。
全くもってその通りだ。
慢心は最大の敵である。
それに、森に入って植物を採取するということは、それだけ多くの『未知の植物』に出会えるということだ。
俺の【鑑定】スキルを使えば、この世界特有の新しいハーブやスパイス、あるいは絶品のキノコなんかを発見できるかもしれない。
そう考えると、ただ魔物を殴り倒すだけの討伐依頼よりも、採取依頼の方がはるかに魅力的な宝探しに思えてきた。
「分かりました。俺の考えが浅かったです。受付嬢さんの言う通り、まずは採取依頼から始めさせてください」
「ご理解いただきありがとうございます! フトシ様のように素直に耳を傾けてくださる新人さんは珍しいので、私も嬉しいです」
受付嬢はパッと顔を輝かせた。いかつい男が素直に引き下がったことに少し驚いたようだが、俺の本質はただの平和主義な食い道楽である。
「それでしたら、まずは二階にある『資料室』へ向かわれることをお勧めします。あそこには周辺の森に生えている植物の図鑑がありますので、依頼品の特徴を頭に入れてから森へ向かうと確実ですよ」
「なるほど、助かります。行ってきます」
俺は受付嬢に礼を言い、ギルドの二階へと続く階段を上った。
資料室は薄暗く、古い羊皮紙とインクの匂いが漂う静かな空間だった。
壁一面の本棚からマルタ周辺の植物図鑑を引っ張り出し、閲覧用の机に腰を下ろす。
今回受けることにしたのは、基本中の基本である『ヒールグラス』という薬草の採取だ。
俺は図鑑のページをめくり、ヒールグラスの葉の形状、葉脈の走り方、自生しやすい水辺の日陰といった特徴を、頭に叩き込んでいく。
高校の勉強は平均点止まりの俺だが、こと食材や自然に関する知識となれば話は別だ。
凄まじい集中力で、俺はあっという間に必要な情報を脳内にインプットし終えた。
もちろん、ついでに「食用可能」と書かれた野草やキノコのページもしっかりと暗記しておいた。
資料室を出た俺は、いよいよマルタの外に広がる深い森へと足を踏み入れた。
むせ返るような緑の匂いと、湿った土の香り。
木漏れ日が差し込む原生林は、地球の山とは比べ物にならないほど魔力的な生命力に満ちていた。
俺はアイテムボックスから、昨日武器屋『鋼の金床』で手に入れた相棒を取り出した。
神話クラスのアーティファクト『如意の金剛棒』。
所有者の魔力や意思に応じて長さや重さを変えられるこの武器を、今は歩きやすいように手頃な杖のサイズに調整している。藪を払い、足場を確かめるのに非常に便利だった。
「おっ、これは……」
森を歩き始めて数十分。大木の根元に、見慣れない赤い実をつける植物を発見した。
俺はすかさず【鑑定】を発動する。未知の動植物には必ず鑑定を使う、これが俺の生存戦略だ。
【毒吐き実】
詳細:微量の麻痺毒を含む果実。口に入れると舌が痺れ、数時間動けなくなる。食用不適。
「危ない危ない。見た目は美味そうなベリーなのに、とんでもないトラップだな」
図鑑に載っていなかった危険な植物を避けつつ、俺はさらに奥へと進む。
ユニークスキル『探求者』の恩恵で自動強化された感覚は、森の微かな変化すらも正確に捉えていた。
ふと、倒木の下に、ふっくらとした白いキノコが群生しているのを見つけた。
再び【鑑定】を発動。
【シロシメジ】
詳細:マルタ周辺の森に自生するキノコ。食用。加熱すると非常に濃厚で上品な出汁が出る。鍋物やスープに最適。
「……よしっ!」
俺はいかつい顔をほころばせ、周囲に人がいないのをいいことに小さくガッツポーズをした。
上品な出汁が出るキノコ。
これは今後の自炊生活において極めて重要な戦力になる。
俺は傷つけないように丁寧にシロシメジを採取し、時間経過で劣化しない『アイテムボックス』へと放り込んだ。
これならいつ取り出しても採れたての鮮度だ。
その後も、俺は【鑑定】を駆使しながら森を探索し、目的の『ヒールグラス』を次々と発見しては採取していった。
受付嬢の助言通り、地形を観察し、植物の生態を学ぶことで、ただ歩くよりもはるかに効率よく森の恵みを見つけることができる。
地道な努力が、着実に俺の知識と資産を増やしていく感覚が心地よかった。
順調に依頼の規定数を集め終え、さらにいくつかの食用の野草をアイテムボックスに収めた時のことだ。
――ガサッ。
突然、背後の茂みが大きく揺れた。
同時に、スキル『冒険する者』に内包された【直感】が、鋭い警鐘を鳴らす。
ただの獣ではない、明確な敵意と殺気を持った『魔物』の気配だ。
しかし、俺の心に恐怖は微塵もなかった。自動強化された肉体が、静かに闘気を発する。
俺は『如意の金剛棒』を握り直し、ゆっくりと振り返った。
未知なる食材探しの邪魔をする奴には、容赦するつもりはなかった。




