第57話 究極の海鮮炊き込みご飯と、異世界人の告白
岩陰の空気に、手作りしたばかりの天然醸造醤油の香ばしい匂いが漂っている。
異世界で初めての醤油を完成させた俺は、逸る心を抑えきれずに究極の海鮮料理の準備に取り掛かった。
「まずは、米を炊こう。」
俺は市場で買い占めたインディカ米をボウルに入れ、綺麗な水で手早く研いだ。
日本のふっくらとした短粒種とは違い、細長くパラパラとした長粒種だが、水分量を少し多めに調整すれば美味しいご飯が炊けるはずだ。
米に水を張ったボウルごと、アイテムボックスの『時間加速空間』へと収納する。
数十分必要な浸水の工程も、魔力を流し込んで時間を加速させれば、現実の時間では一瞬にして終わってしまう。
「本当に、料理人にとっては神様のような機能だな。」
しっかりと水を吸って白濁した米を黒剛鉄の万能煮込み鍋に移し、魔導コンロの火にかける。
沸騰するまでは強火、吹いてきたら極弱火にしてじっくりと火を通していく。
数十分後、火を止めてさらに時間加速空間で一瞬のうちに蒸らしの工程を終えさせた。
蓋を開けると、ふわりとした湯気と共に、炊きたてのご飯の甘い香りが立ち昇った。
インディカ米特有のパラリとした仕上がりだが、芯までふっくらと火が通っている完璧な炊き上がりだ。
俺は最高の状態をキープするため、鍋ごと『時間停止』の収納空間へとしまった。
「よし、次はウニだ。」
アイテムボックスから、北の崖下で乱獲した『アーマー・ウニ』をいくつか取り出す。
鋭い棘に気をつけながら解体ナイフで殻を半分に割ると、中には俺の想像を絶する光景が広がっていた。
「……すげえ。隙間がないくらい、身がぎっしり詰まってるぞ。」
鮮やかな黄金色をした生殖巣が、殻の内側にびっしりと張り付いている。
俺はスプーンでひとかけら掬い取り、そのまま口に運んでみた。
「…………ッ!」
舌の上に乗せた瞬間、ウニはクリームのようにとろけて消えた。
直後、濃厚極まりない奥深い甘みと、異世界の豊かな海から吸収したミネラルの力強い旨味が、爆発的な勢いで口いっぱいに広がる。
一切のミョウバンを使っていない、純度百パーセントの天然ウニの暴力的な美味しさだ。
「これなら、間違いない。」
俺は木製の器に炊きたての熱々ご飯を盛り、その上にスプーンで掬い出したウニの身を、ご飯が見えなくなるほど山盛りに乗せた。
そして仕上げに、先ほど完成したばかりの生醤油を数滴、ウニの上からタラリと垂らす。
「できたぞ、アーマー・ウニの極上ウニ丼だ。」
俺が相棒たちの前に器を並べると、見慣れない黒いトゲトゲの魔物の中身に、最初は少し戸惑っていたようだった。
「さあ、食べてみてくれ。」
俺の言葉に促され、ベルがウニとご飯を一緒にすくい上げて小さな口に放り込んだ。
モグッ、と咀嚼した直後、ベルの透明な羽がピーンと直立し、目が見開かれた。
「んん〜っ!! なにこれ、お口の中でお水みたいに溶けて、すっごく甘い!」
「ワフッ! ワッフ!!」
「キュイッ、キュイイッ!」
メイとシルクも、一口食べた瞬間に目の色を変え、無我夢中で器に顔を突っ込んでバクバクと食べ始めた。
「この黒いお汁、お魚のお汁みたいに臭みが全然なくて、美味しいところだけがギュッて集まってるみたい!」
ベルは口の周りに醤油をつけながら、興奮気味に空を飛んで俺に語りかけてきた。
「たしかに、これを作るためなら市場であんな態度になってもおかしくないわね!」
「ははっ、ごめん。あの時はちょっと興奮しすぎてたよ。」
俺も自分のウニ丼をかき込みながら、醤油とウニが織りなす究極のハーモニーに深く感動していた。
「次は、牡蠣を仕込んでおくか。」
俺は『オーシャン・オイスター』の巨大な殻を開け、漫画肉のような特大の身を取り出した。
そのまま食べるのもいいが、今日はさっぱりとした酢牡蠣にしよう。
大根に似た根菜をすりおろして塩水と合わせ、その中で牡蠣の身を優しく揉み洗いする。
こうすることで、身のヒダに溜まった汚れや余分なぬめりが完璧に落ち、臭みが全くなくなるのだ。
綺麗な水で洗い流して水気を拭き取り、食べやすい大きさにカットして器に盛る。
そこに、市場で買ってきたライムに似た黄色い柑橘の果汁をたっぷりと絞り、生醤油を少しだけ垂らして、微量の岩塩で味を調えた。
「よし、これは食べる直前まで冷やしておこう。」
俺は器をアイテムボックスの空間に入れ、『絶対温度領域』を発動してキンキンに冷えた状態をキープしておく。
「さて、いよいよ本命だ。」
今日一番のメインディッシュ、アイアン・クラブとトレジャー・スキャロップを使った『海鮮炊き込みご飯』の調理に入る。
パエリアの作り方を応用しつつ、日本の味を目指す。
洗って時間加速で浸水させたインディカ米を、黒剛鉄の万能煮込み鍋に入れる。
合わせる出汁は、フォレスト・フォウルのガラから取った濃厚な鶏出汁と、干しジャイアント・マッシュを戻した強烈な旨味のキノコ出汁のブレンドだ。
そこに生醤油を大さじ二杯ほど加え、岩塩で味を調え、隠し味として少量の魚醤を加えて深みを出す。
「具材は、豪快にいこう。」
出汁を張った米の上に、アイアン・クラブの甘い剥き身と、濃厚な黄金色のカニミソをたっぷりと乗せる。
さらに、トレジャー・スキャロップの特大貝柱をぶつ切りにして、隙間を埋めるように敷き詰めた。
魔導コンロの火をつけ、蓋をして一気に炊き上げる。
沸騰して蒸気が噴き出してきたら極弱火にし、カニとホタテの旨味が米の一粒一粒に染み込むようにじっくりと火を通す。
最後に十秒だけ強火にして、鍋底に香ばしいお焦げを作ってから火を止めた。
時間加速空間で蒸らしの工程を終え、俺はゆっくりと鍋の蓋を開けた。
フワァァァァッ。
醤油の焦げる香ばしい匂い、カニミソの濃厚な磯の香り、そして鶏とキノコの奥深い出汁の匂いが一体となり、暴力的なまでの湯気となって顔面を打ち据えてきた。
「……完璧だ。」
俺は木べらで鍋の底からご飯を返し、カニの身とホタテ、そしてお焦げが均一に混ざるようにさっくりと混ぜ合わせた。
「みんな、待たせたな。酢牡蠣と海鮮炊き込みご飯の完成だぞ。」
キンキンに冷えた酢牡蠣の器と、湯気を立てる炊き込みご飯をよそった茶碗を並べる。
「いただきます。」
俺はまず、冷えた酢牡蠣を一口でつるんと吸い込んだ。
「……美味い。」
身が引き締まり、心地よい弾力を増した牡蠣の身を噛み締めた瞬間、濃厚な海のミルクが弾け飛ぶ。
そこに柑橘の爽やかな酸味と、生醤油のキリッとした旨味が重なり合い、いくらでも食べられそうなほど完璧なバランスに仕上がっていた。
そして、メインの炊き込みご飯に箸を伸ばす。
カニミソと醤油の色でうっすらと茶色く染まったご飯と、大ぶりのホタテを一緒に口へと運んだ。
モグッ。
「…………ッ。」
俺の動きが、完全に止まった。
インディカ米のパラパラとした食感が、逆にカニとホタテの濃厚な旨味を限界まで引き立てている。
噛むたびに溢れ出す出汁の風味と、醤油の圧倒的な香ばしさ。
それは、俺が日本で家族と一緒に食べていた、あの懐かしくて温かい「炊き込みご飯」の味そのものだった。
「……美味いな。」
ぽつりと呟いた俺の視界が、不意にぐにゃりと歪んだ。
ポタッ。
一滴の涙が、茶碗のご飯の上に落ちて染み込んでいく。
異世界に来てから、必死に生き抜くために走り続けてきた。
誰にも弱音を吐かず、ひたすらに料理と探求に没頭してきた。
だが、自らの手で作り出した故郷の味に触れた瞬間、心の奥底に押し込めていた孤独や郷愁が、抑えきれずに溢れ出してしまったのだ。
「……フトシ? どうしたの、なんで泣いてるの?」
異変に気づいたベルが、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「クゥーン……。」
メイも食べるのをやめ、俺の足元にすり寄って鼻先を押し付けてくる。
頭の上のシルクも、俺の髪を優しく撫でるように前足を動かしていた。
「……ごめん。なんでもないんだ。」
俺は慌てて目元を拭い、無理に笑顔を作ろうとした。
だが、相棒たちの真っ直ぐで優しい瞳を見ていると、これ以上隠し事をする必要はないような気がしてきた。
「実はさ……俺、自分のことをあまりお前たちに話してなかったよな。」
俺は箸を置き、静かに語り始めた。
「俺は、この世界の人間じゃないんだ。別の世界から、勇者たちの巻き添えで無理やり召喚させられてきただけの、ただの一般人でさ。」
ベルは驚いたように目を丸くしたが、何も言わずにじっと俺の言葉に耳を傾けてくれた。
「職業が【探求者】なんていう戦闘に向かないものだったから、いらないモノ扱いされて、王様にもクラスメイトにも見捨てられて追放されたんだよ。」
「そんな……フトシが、いらないモノ扱いなんて……。」
「それから、一人で美味しいものを探す旅を始めて……シルクに出会って、メイに出会って、ベルに出会った。」
俺は頭の上のシルクに触れ、足元のメイを撫で、目の前にいるベルに優しく微笑みかけた。
「君たちに出会えて、俺は本当に運が良かったと思ってる。……ただ、この懐かしい日本の料理を食べたら、少し昔のことを思い出しちゃってさ。」
涙声にならないように必死に堪えながら、俺はそう告白した。
少しの間、岩陰には波の音だけが静かに響いていた。
やがて、ベルがフワリと飛んで俺の鼻先にしがみつき、小さな手で俺の涙の跡を力強く拭ってくれた。
「フトシを追い出した王様も、そのクラスメイトとかいう奴らも、みんな見る目がない大馬鹿野郎よ!」
ベルはプンプンと怒ったような顔をして、それからニカッと笑った。
「フトシの料理は世界一なんだから! わたしがずっと一緒に美味しいものを食べて、あんたが寂しくないようにしてあげるわ!」
「ワォォォォンッ!!」
「キュイッ!」
メイが力強く吠え、シルクも同意するように鳴き声を上げた。
種族も大きさも違う、俺の大切な家族たち。
彼女たちの不器用で温かい優しさに触れ、俺の胸の奥にあった冷たい塊が、ゆっくりと溶けていくのを感じた。
「……ありがとう、お前ら。俺は幸せ者だな。」
俺は涙の残る顔で思い切り笑い、再び箸を手に取った。
「さあ、冷めないうちに全部食べようぜ。おかわりなら、いくらでもあるからな!」
俺たちは肩を寄せ合い、波の音と潮風に包まれながら、極上の海鮮料理を腹の底から笑い合いながら平らげていくのだった。




