第55話 米の爆買いと、極上イカ墨パエリア
北の崖下でオーシャン・オイスターとアーマー・ウニをありったけ乱獲した俺は、凄まじい勢いでイル・ソーレの街へと帰還した。
頭の中は、あの黄金色に輝くウニの身を乗せたウニ丼のことで一杯だったのだ。
まずは冒険者ギルドに立ち寄り、朝に受けた依頼の報告を済ませる。
「フトシ様、こんなに早く大量の素材を集めてこられるなんて……さすがです。」
受付の魔族の女性は、俺がアイテムボックスから取り出した大量のアイアン・クラブの甲羅とハサミ、そしてトレジャー・スキャロップの貝殻を見て目を見開いていた。
「ええ、砂浜にたくさんいたので、少し狩りすぎてしまいました。」
「助かります。これだけ状態の良い素材なら、武具の職人たちも大喜びですよ。」
手早く手続きを済ませ、ずっしりとした銀貨や金貨の報酬を受け取った俺は、休む間もなく街の市場へと向かった。
時刻は夕刻に差し掛かり、白亜の街並みがオレンジ色の夕日に染まり始めている。
潮風が吹き抜ける市場には、新鮮な魚介や野菜だけでなく、様々な穀物を扱う乾物屋も並んでいた。
「すみません。ここには、パエリアなんかに使うお米は売っていますか。」
俺が初老の魔族の店主に声をかけると、彼は愛想良く頷いた。
「ああ、もちろんあるぞ。うちの米は香りが良くて、出汁をよく吸う極上品だ。」
店主が指差した麻袋の中を覗き込むと、そこには確かに無数の米粒が詰まっていた。
ただ、それは日本で食べ慣れたふっくらとした短粒種(ジャポニカ米)ではなく、タイやインドなどでよく見られる、細長くパラパラとした長粒種(インディカ米)だった。
(長粒種か……粘り気は少ないが、贅沢は言っていられない。)
米は米だ。
水分量や炊き方を工夫すれば、美味しいご飯を炊くことは十分に可能だろう。
何より、アイテムボックスの中には大量の極上ウニが俺を待っている。
「店主さん。今ここにあるお米、全部買わせてください。」
俺が真顔でそう告げると、店主はポカンと口を開けた。
「ぜ、全部って……ここにある麻袋、二十袋はあるんだぞ?」
「はい。買える分だけ、あるだけ全て買います。お金ならありますから。」
ウニ丼への執着で完全に周りが見えなくなり、極度の興奮状態に陥っていた俺は、躊躇することなく金貨の入った革袋を取り出した。
「お、おおっ! まいどあり! まさかこんなに一気に売れるとは、今日は最高の気分だぜ!」
店主は大喜びで麻袋を次々と俺の前に運んでくれた。
俺はそれらを片っ端からアイテムボックスの空間へと吸い込ませ、市場の乾物屋を何軒もハシゴしては、同じように米を買い占めていった。
「ふふっ……これで、当分は米に困らないぞ。」
俺が大量の米を手に入れてホクホク顔で立ち止まると、胸ポケットからベルが呆れたように顔を出した。
「フトシ、あんたさっきからお米ばっかり買ってどうするのよ。もうすっかり暗くなっちゃってるわよ?」
「ワフッ。」
「キュイッ。」
メイとシルクも、お腹が空いたのか俺の足元で催促するように鳴いている。
「あ……本当だ。すまない、米を見つけてつい夢中になってしまった。」
気がつけば、太陽は完全に沈み、イル・ソーレの街には美しい魔導具の街灯が灯り始めていた。
俺は少し反省し、急いで宿泊先である『星降る海猫亭』へと向かった。
宿のロビーに入り、最上階のVIPルームへと向かう。
「おかえりなさいませ、フトシ様。お食事の準備はいかがいたしましょうか。」
通りかかった給仕のスタッフにそう尋ねられ、俺は昨日と同じように部屋での食事をお願いした。
広い部屋に戻り、ソファでくつろいでいると、やがてワゴンに乗せられた料理が運ばれてきた。
「本日は、オークの希少部位を使ったシチューと、新鮮な魚介のカルパッチョ。そして、当館自慢のパエリアをはじめとするアラカルトをご用意いたしました。」
テーブルに並べられた料理から、昨日にも負けない暴力的なまでのシズル感が漂ってくる。
「お飲み物は、よく冷えた白ワインをご用意しております。」
スタッフがグラスにワインを注ぎ、静かに一礼して退室していった。
「さて、今日も最高の夕食をいただこうか。」
俺はまず、美しく盛り付けられた魚介のカルパッチョにフォークを伸ばした。
薄くスライスされた白身魚は、透明感があり、エキストラバージンオイルと柑橘の果汁が完璧に乳化して絡みついている。
一口食べると、魚の力強い弾力と共に、爽やかな酸味と岩塩のまろやかな塩気が口いっぱいに広がった。
「美味い。鮮度と下処理が完璧だから、生臭さが微塵もない。」
続いて、オークの希少部位を使ったというシチューだ。
赤ワインと香味野菜でじっくりと煮込まれた肉は、スプーンで軽く触れただけでホロリと崩れるほど柔らかい。
口に運べば、オーク特有の上品な脂の甘みと、奥深いデミグラスソースのようなコクが爆発し、思わず白ワインをあおらずにはいられなかった。
「キュイッ!」
「ワフッ!」
「このお肉、お口の中でお水みたいに溶けちゃうわ!」
シルク、メイ、ベルも、それぞれのクッションの上で絶品料理に夢中になっている。
そして、いよいよメインのパエリアだ。
巨大な鉄鍋のまま提供されたパエリアは、全体が微かに黒ずんだ色をしていた。
「これは……イカ墨か。」
具材には、大ぶりのエビやイカ、そしてムール貝に似た黒い殻の貝がふんだんに使われている。
俺はスプーンで、少しお焦げのついたお米と具材を一緒にすくい上げ、口へと運んだ。
「……ッ!! なんだ、この圧倒的な一体感は。」
米は少し芯を残した完璧なアルデンテで炊き上がっており、イカ墨の濃厚なコクと、エビや貝から出た出汁を限界までたっぷりと吸い込んでいる。
これほど多くの海鮮素材を使いながら、それぞれの味が全く喧嘩をしていない。
むしろ、全ての旨味が協力し合い、一つの中央の巨大な美味しさへと収束していくような、奇跡的な調和を保っていた。
シェフがどれほど正確に素材の水分量を計算し、火入れのタイミングを見極めているのかが、この一口で痛いほどに伝わってくる。
「すごいな……星降る海猫亭の料理長は、本当に魔法のような技術を持っている。」
俺は感動に打ち震え、イカ墨のパエリアをかき込んでは、よく冷えた白ワインを流し込むという至福のループに完全に没入してしまった。
「美味しいね、フトシ!」
「ああ、最高だ。この街に来て本当に良かった。」
美味しい料理と、大切な相棒たちとの和やかな時間。
俺は完全に緊張の糸を解きほぐし、白ワインのボトルを空け、さらに追加のお酒を頼んでしまった。
それから先の記憶は、少し曖昧だ。
気がつけば、俺はふかふかの巨大なベッドの上で、窓から差し込む眩しい朝日を浴びて目を覚ました。
「うっ……頭が少し痛い。」
ズキズキとする頭を押さえながら上半身を起こす。
どうやら俺は、昨日あのまま部屋で酔いつぶれてしまい、ベッドに倒れ込んだらしい。
「ワフッ。」
足元では、メイが呆れたように尻尾をパタパタと振っていた。
「……すまない。はめを外しすぎたよ。」
この異世界に来てから、ここまで記憶がなくなるほどお酒を飲んだのは初めてのことだった。
もしこれが大衆酒場や野営地であれば、スリに遭ったり魔物に襲われたりして、大変なことになっていたかもしれない。
「王城のVIPルームで、部屋食にしておいて本当に良かった。」
俺は誰にも見苦しい姿を見られずに済んだことに深く安堵した。
美味しい料理とお酒の組み合わせは至高だが、自分の限界を超えてしまっては元も子もない。
「酒は飲んでも飲まれるな、か。昔の人はよく言ったものだな。」
俺は静かに自戒の念を込め、テーブルの上に置かれた冷たい水をゆっくりと喉の奥へと流し込んだ。




