第39話 揚げたての矜持、極上オークカツと肉の派閥争い
獣人帝国ガルディアの朝は、相変わらず驚くほど早くから活気に満ちている。
太陽が完全に昇り切る前だというのに、市場の入り口付近にある俺の屋台スペースの前には、すでに数十名にも及ぶ獣人たちの長蛇の列が形成されていた。
「おい兄ちゃん、今日もあのホロホロの肉を頼むぜ!」
「昨日は目の前で売り切れて食えなかったんだ、今日はパンを三個買ってきたからな!」
彼らのお目当ては、昨日爆発的な反響を呼んだ『プルドポークサンド』だ。
だが、あのホロホロの肉を作るには、スパイスを揉み込んでから魔導パン窯の低温で数時間かけてじっくりと火を通す必要がある。
アイテムボックスの時間を止める特性を活かして常にストックを作ってはいるものの、昨日完売した分の補充となると、さすがに一日では十分な量を仕込むことができなかった。
俺は並んでいる客たちに向かって、少し申し訳なさそうに声を張り上げた。
「皆さん、朝早くから並んでいただきありがとうございます。ですが申し訳ありません、あの『ホロホロの肉』は仕込みに時間がかかるため、今日は提供できないんです。」
その言葉を聞いた瞬間、獣人たちから「マジかよォ!」「俺の胃袋はどうしてくれるんだ!」と悲痛な叫び声が上がった。
「その代わりと言ってはなんですが、今日は別の、もっと豪快で揚げたての肉を用意しています!」
俺がスッと右手をかざして【収納解除】を発動し、特注の屋台を展開すると、客たちは興味深そうに身を乗り出してきた。
頭の上の定位置にはフォーチュンラビットのシルク、足元には神獣・メイが座り、尻尾を振って客たちを出迎える。
俺は屋台の調理スペースに、昨晩のうちに大量に仕込んでおいた食材のバットを並べた。
今回用意したのは、一昨日討伐したオークの軍団から手に入れた、数トンにも及ぶ大量の『一般オーク肉』だ。
ジェネラルなどの上位種の肉は高価で屋台の大量販売には向かないが、一般のオーク肉であっても、ガルディアの森の過酷な環境で育った彼らの肉質は、引き締まった赤身と極上の脂を併せ持つ素晴らしい食材である。
その中でも特に脂のノリが良いロース部位を分厚く切り出し、包丁の先で丁寧に筋切りを行った後、肉叩きで軽く叩いて繊維をほぐしてある。
そこに岩塩とピリ石の粉(黒胡椒)でしっかりと下味をつけ、小麦粉、溶き卵、そして特製のパン粉をたっぷりと纏わせてスタンバイさせていたのだ。
「今日のメニューは『極上オークカツサンド』です。価格は一つ七百ゴールドになります。」
「七百ゴールドだと? 昨日の肉より二百ゴールドも高いじゃねえか。」
虎の獣人の冒険者が少し不満そうに声を上げた。
「ええ、ですがボリュームは保証しますよ。そこのパン屋の店主さんから『黒パン』を買ってきてもらえれば、揚げたての巨大な肉を挟んで提供いたします。」
俺が隣の屋台を指差すと、熊のパン屋の店主が「おう! 今日の黒パンも最高だぜ!」と豪快に笑いながらパンを叩いた。
虎の冒険者は少し迷ったようだったが、「まあいい、肉が食えるなら何でもいいや」と百ゴールドを払って黒パンを購入し、俺の屋台へと戻ってきた。
俺は魔導コンロの火力を上げ、たっぷりとはられた油の温度が最適な状態になったのを確認する。
そこへ、巨大なオークカツを次々と滑り込ませた。
――シュワァァァァァッ!!
厨房を埋め尽くすほどの激しい音と共に、きつね色の美しい衣が浮かび上がってくる。
食欲を暴力的に刺激する油の香ばしい匂いが弾け飛び、並んでいた獣人たちの喉がゴクリと鳴った。
俺は一度カツを引き上げて数分間休ませ、余熱で中心までじっくりと火を通す。
そして最後に、さらに高温にした油の中へサッとくぐらせる『二度揚げ』を行うことで、衣の水分を完全に飛ばし、究極のサクサク感を生み出した。
「はい、お待たせしました。」
俺は虎の冒険者から受け取った黒パンを半分に割り、そこに『アイアンキャベジ』の千切りを分厚く敷き詰める。
その上に、油を切ったばかりの巨大で分厚いオークカツをドスンと乗せた。
パンの面積をはみ出すほどの圧倒的なボリュームだ。
仕上げに、あの大鍋でじっくりと煮詰めた、トマトと魚醤、果実シロップとスパイスの効いた『特製濃厚ソース』を、これでもかというほどたっぷりと回し掛ける。
「熱いので気をつけてくださいね。」
俺が紙に包んで手渡すと、虎の冒険者はそのずっしりとした重みに目を見開いた。
「おいおい、なんだこのデカさは……。七百ゴールドじゃ逆に安いくらいじゃねえか。」
彼は両手で巨大なカツサンドを掴み、大きく口を開けて迷いなくかぶりついた。
サクッ。
衣が弾ける小気味良い快音が、周囲の客たちの耳にまで響き渡る。
「――っ!!? う、うめええええ!!」
虎の冒険者は目をひん剥き、咀嚼しながら歓喜の声を上げた。
「なんだこのサクサクの衣は!? 噛んだ瞬間に、分厚いオークの肉から熱い脂と肉汁がジュワッと溢れ出してきやがる! 昨日のホロホロの肉も凄かったが、この噛み応えと揚げたての暴力的な旨味……こいつはたまらねえ!」
「このアイアンキャベジのシャキシャキした食感と苦味が、濃厚なソースと脂のしつこさを完全に消してくれてるぞ!」
彼のあまりにも美味そうな食べっぷりと、辺りに漂うソースと揚げ油の強烈な香りに、列に並んでいた獣人たちが我先にとパン屋へ殺到した。
「親父! 黒パンをくれ!」
「俺は三個だ! 早くしろ、あの揚げたての肉を挟むんだ!」
怒号のような歓声と共に黒パンが飛ぶように売れ、俺の屋台には次々と注文が舞い込んできた。
俺は【探求者】の身体能力と料理人としての反射神経をフル稼働させ、凄まじいスピードでカツを揚げ、パンに挟み、ソースをかけていく。
「美味えっ! 肉を食ってるって実感が半端ねえ!」
「あのドロドロの肉より、俺はこっちの揚げたての方が好きだぜ!」
広場のあちこちでカツサンドにかぶりつく獣人たちから、次々と絶賛の声が上がる。
しかし、そこに異を唱える者もいた。
「馬鹿言え、昨日のあのホロホロに崩れる肉とスパイスの奥深さを知らねえのか! あの煮込みこそが至高だろうが!」
「何言ってやがる、獣人ならこの分厚い肉と衣の歯ごたえを味わってこそだろう! このボリュームとソースの絡みは絶対にこっちが上だ!」
いつしか、屋台の列の中で『プルドポーク派』と『とんかつ派』による熱い論争が勃発し始めていた。
彼らにとって、これほどまでに手が込んでいて美味い肉料理は初めての体験なのだ。
全く方向性の違う二つの極上料理に、彼らの胃袋と価値観は完全に二分されてしまったらしい。
「いや、俺は断然とんかつ派だね。」
「俺は明日プルドポークが復活するまで並び続けるぜ!」
怒鳴り合いというよりは、美味いものを食った興奮をぶつけ合うような、ワチャワチャとした楽しい騒ぎが広がっていく。
あまりの熱気に、屋台の周囲はもはや一種の食の社交場と化していた。
「ワフッ!」
「キュイッ!」
メイとシルクも、列に並ぶ客たちに愛嬌を振りまきながら、この賑やかな状況を心から楽しんでいるようだ。
そんな騒ぎの中、人垣をかき分けて一際巨大な体躯が俺の屋台の前に現れた。
見事な黄金のたてがみと、歴戦の傷跡が刻まれた分厚い胸板を持つライオンの獣人。
冒険者ギルドのギルド長、レグルスだ。
「……ふむ。噂の肉料理、俺も一ついただこうか。」
レグルスが差し出したのは、隣の屋台で買った無骨な黒パンだった。
「ギルド長、いらっしゃいませ。昨日のホロホロの肉は仕込み中でして、今日はオークカツになりますがよろしいですか。」
俺が丁寧に尋ねると、レグルスは少し残念そうに鼻を鳴らした。
「実はな、昨日部下たちが美味そうに食べていたあの煮込み肉を狙ってきたんだがな。まあいい、その揚げた肉というやつを頼む。」
「かしこまりました。最高にクリスピーに仕上げますね。」
俺は緊張しながらも、分厚いオーク肉を丁寧に二度揚げし、黒パンの間にアイアンキャベジと共に挟み込んだ。
特製濃厚ソースをたっぷりとかけ、紙に包んで手渡す。
受け取ったレグルスは、一切の躊躇なくその巨大なカツサンドに豪快にかぶりついた。
サクッ、という衣の音の直後、彼の鋭い瞳孔が大きく見開かれた。
「……ほう。」
レグルスは目を閉じ、衣の食感と広がる肉汁の旨味をじっくりと噛み締めている。
周囲の獣人たちも、ギルド長の反応を固唾を呑んで見守っていた。
「昨日の煮込みの香りを嗅いだ時、俺の心は完全にそちらに奪われていた。だが……この揚げたての衣の香ばしさと、オークの力強い弾力。そして、噛むほどに溢れる暴力的なまでの脂の甘み。」
レグルスは口の周りについたソースを豪快に腕で拭うと、ニヤリと笑った。
「これは、獣人である俺の野性味をダイレクトに刺激する。俺は、今日から『とんかつ派』だ。」
ギルド長の突然の宣言に、屋台の周囲にいた獣人たちが爆笑の渦に包まれた。
「なんだよギルド長までカツ派に寝返るのかよ!」
「さすがギルド長、分かってるぜ!」
「関係ねえ、俺は明日のプルドポークが復活するまでカツを食いながら待ってやる!」
プルドポークととんかつ。
何トンものオーク肉をストックしている俺のアイテムボックスを以てしても、この獣人たちの底知れない食欲を満たすには、まだまだ長い時間がかかりそうだ。
だが、この食うか食われるかの熱い議論と、料理を心から楽しむ彼らの笑顔こそが、俺がこの未開の帝国で料理人として生きる証そのものだった。
昼を過ぎ、夕暮れが近づくにつれて、ようやく列が短くなっていく。
俺はコンロの火を落とし、心地よい疲労感と共に小さく息を吐いた。
「兄ちゃん、今日も大繁盛だったな! 俺の黒パンもすっからかんだぜ!」
隣の熊の店主が、嬉しそうに屋台を片付けながら笑いかけてくる。
「ええ、皆さんのおかげです。明日はプルドポークも復活させますから、もっと忙しくなりますよ。」
「がははっ! 望むところだ! パンの仕込みを倍にしておくぜ!」
異世界の荒々しい市場で、ただ腹を満たすだけだった獣人たちが、味の違いを語り合い、次に食べる料理を心待ちにしている。
足元でカツの端肉をもらって満足そうに寝そべるメイと、頭の上で得意げに胸を張るシルクの温もりを感じながら。
俺は明日、復活するプルドポークと、揚げたてのカツサンドが交差するさらに熱い市場の光景を思い描き、夕暮れに染まるガルディアの空を穏やかな目で見つめていた。




