1. ここは、まさかの!?
『そ……』
目の前の王子が背後を庇うように動くと、シルクのような美しい金髪が揺れた。
「ジョセフィーヌ・デュポンドル!」
王子は、ビシッと人差し指を立て会場の注目を集めると、ゆっくりとそれを正面に立つ婚約者に向けた。
会場のざわめきが凍りつき、全員が固唾を呑んだ。
「いいかげん、自分の罪を認めるがいい! 今日をもって、お前との婚約は――――」
『それ以上――口を開くなぁぁぁ!!』(心の叫び)
「破棄する!!」
……私の視界は真っ暗になった。
◇◇◇◇◇
「――リディ様、ご気分はいかがですか?」
そう声をかけてきたのは、髪をきちっとお団子にし、あまり表情を動かさない侍女だった。
いかにも仕事に厳しそうな感じが、ひしひしと伝わってくる。
「あ、はい。大丈夫……です」
「では、殿下を呼んで参ります」
「そ、その前にっ。まだ目がまわるので、お水を下さい!」
「かしこまりました。先に、お飲み物と何かお口にできそうな物をお持ち致します」
姿勢良くお辞儀した侍女が部屋から出て行くと、頭を抱えた。
「う……うそ、でしょ……!?」
――目が覚めたら、婚約破棄イベントの真っ只中にいたのだ。
それも! 自分の黒歴史とも呼べる、学生時代に書いた小説の中に。うろ覚えだったが、婚約破棄を言い渡された悪役令嬢の名前を聞いてハッキリした。
肩に落ちた長く柔らかいピンクの髪を摘むと、大きな溜め息がでてしまう。
「転生ヒロインとか、最悪なんですけど……」
自分で書いておいてなんだけれど、この転生ヒロインは実は悪役で最終的に『ざまぁ』される。
残酷シーンとかは苦手だから、殺されず投獄されておしまいなのだが。
本当の主人公は、悪役令嬢であるジョセフィーヌだ。
婚約破棄された彼女が苦悩し、ヒロインの裏の顔を暴いていく。ついでに、この国の膿を出し権力者に打ち勝ち第二王子の愛を取り戻す。……確か、そんな話。
「だって……悪役令嬢が好きだったのよぉぉぉ」
転生チートで、きれいごとばかりで溺愛されるヒロインが嫌いだった。
だから、本来ならこんな事を考えて行動しているのだろう――そんな計算高い現代人をヒロインとして転生させた。
反対に、恋に不器用なツンデレ悪役令嬢が、幸せになるストーリーを書いたのだけれど。
まさか、その転生ヒロインに自分が転生してしまうとか……。ややこし過ぎるだろう。
これから起こることは何となく記憶にある。
かと言って私がうまく立ち回ってしまったら、本ヒロインのジョセフィーヌが幸せになれない。悪役は必要だもの。
ならば、ストーリー通りに行くしかないのか。
(で、でも……)
このままでは、投獄される未来しかない。
「それは、やだぁっ」
バッと布団をかぶってベッドに潜りこむと、トントンと扉がノックされた。
チラリと布団から覗いてみれば、ティーワゴンを押しているのが侍女ではないとわかる。慌てて起き上がり、髪とドレスの胸元を整える。
「リディ、気分はどうだい?」
まさか、侍女より先に王子がやって来るとは思わなかった。
(しかも、ワゴン……)
「だ、だいぶ良くなりました、殿下」
「殿下? 随分とよそよそしい呼び方だね」
「え。あ、すみませんっ。まだボーっとしていて」
「いつものように呼んでほしい」
「ア、アルチュールさま……?」
疑問系には触れず満足そうに頷いた王子は、ベットまでやって来ると、私の髪をすくって唇を落とし「心配したよ」と一言。
――ふぐっ!
鼻血の出そうな色気にクラクラしてしまう。
見た目も頭の中も完璧、自分の理想を詰め込んだ王子がリアルに存在しているだけでなく、触れられる距離に居るなんて……眼福どころじゃあない。
中身が冴えない、彼氏いない歴が年齢の私には刺激が強すぎる。
「あ、あの……せっかくのパーティーで倒れてしまい、申し訳ありません!」
「いや、優しいリディには辛かったんだね。僕の配慮が足りなかった」
「そ、それで、ジョセフィーヌ様は?」
「ああ。その件は保留となった……彼女は悪運が強いんだ」
さして気にも留めない様子で言ったアルチュールは、リディである自分から目を逸らさない。
(これが、リディの魅了の力?)
ダラダラと嫌な汗が流れてくる。
これが解けた時、私は断罪されるのだ。
(いや待てよ……)
全ては、婚約破棄から始まる。
婚約破棄イベントが中断されているなら、何か手立てがあるかもしれない。
「アルチュールさま。私はもう大丈夫ですので、一度寮に戻ろうと思います」
宮殿で行われたパーティーで倒れたのだから、ここは宮殿内の一室。出来れば、投獄される塔が敷地内にあるこの場には居たくない。
いくら自分の小説だからといって、書いてから年数が経っているのだ。全てを覚えている訳ではない。
このリディがやらかしてきた事を確認する必要がある。
婚約破棄の時期ならば、学園の寮に入ってもう三年目。実家ではなく、自室に何か隠しているだろう。
「いや、それは危ないからダメだよ」
「は? え、危ない……?」
「今日の騒ぎで、ジョセフィーヌの父であるデュポンドル公爵が、リディに刺客を送ってくるかもしれないからね」
んなバカな――と思ったが、厨二の私が書いたのだ。あり得ない話ではない。
「ですが、学園の授業が……」
「パーティー後は、帰省期間に入るから暫くは休みだよ。忘れちゃった?」
甘くイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「だからね、休み中はこの部屋を使うといい。では、僕は所用があるから行くよ」
「はい……」
有無を言わさない笑顔でアルチュールは扉まで行くと、待たせていた侍女を中に入れた。
侍女は、テキパキとお茶の準備を始めている。
(まさかの軟禁?)
未だに現実味のない世界に、またしても溜め息がもれた。
◇◇◇◇◇
パタリと閉まった扉の向こうで、アルチュールは貼り付けていた王子然とした笑みを消した。
しばらく、無言でリディの部屋を見詰め、口の端を上げると踵を返し長く広い廊下を歩き出した。