冷泉天皇
村上天皇の次の天皇として即位することになった憲平親王であったが、障害を持つ親王では即位式が悲惨なことになるかもしれないと左大臣の藤原実頼は危惧し、これまで大極殿で行ってきたのを特別に紫宸殿(普段生活している御殿)で行うこととした。実頼は天皇の補佐として関白および太政大臣に就任した。空いた左大臣の位には、源高明が就いた。
このとき天皇は既に后をもらってはいたが、まだ男子を授かってはいなかった。そこで天皇の同母弟を皇太子にしようと話し合いが設けられた。ところが、天皇のすぐ下の同母弟の為平親王ではなく、その下の同母弟の守平親王が皇太子になった。何故こんなことになったかというと、為平親王の后が源高明の娘だったからである。為平親王が将来天皇になると、外戚として権力を持つようになるのが高明になる。藤原氏としてはそれを避けたかったのだ。
即位の翌年には天皇に初めての男子の師貞親王が誕生する。母親は藤原伊尹の娘、懐子だ。これにより藤原氏にとっては実質的に天皇の役割は終わった。水面下では天皇を退位させる動きが進む。守平親王もあくまで中継ぎの天皇になることが決まった。伊尹は将来の天皇の祖父として師貞親王を大切に育てた。
さらにその翌年、源高明が為平親王を天皇にしようと謀反を企んでいると密告があった。密告したのは(言うまでもなく)藤原氏の人間である。詳しい経過は不明だが、高明は太宰府に左遷させられあっという間に権力を失った。
こうして天皇候補との外戚関係および政敵の排除といった将来への準備が整うと、事情もよくわからないまま天皇は守平親王に譲位させられた。在位はわずか2年。権力争いの道具にされただけの気の毒な天皇だった。




