↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴代天皇即位の軌跡  作者: じゅう
PR
32/113

番外編・漢皇子

 天武天皇は天智天皇の同母弟、大海人皇子であると歴史書では記されている。しかし、このシリーズでは天智天皇の異父兄の漢皇子であるとした。以下にその理由を書いておく。


 日本書紀では、天智天皇は、舒明天皇が崩御したとき16歳だったと記されているのでそこから計算すると生年は西暦626年ということになる。天武天皇は年齢について記載が無いが、崩御したのは西暦686年である。日本書紀よりも後に作成された歴史書では天武天皇の年齢が65歳あるいは73歳と記載されている。つまり引き算して生年をみてみると天武天皇は天智天皇より年上ということになってしまう。ただし、別々の書物同士の記載を比較しているので、ただちにこれを以っておかしい、と断ずることはできない。天武天皇の崩御時の年齢が記載されている書物では天智天皇の崩御時の年齢も記載されており、その年齢から計算すると、天智天皇と天武天皇の兄弟順が矛盾しているものはない。だがそうすると、天智天皇の生年は日本書紀の記述よりも前ということになり、蘇我入鹿暗殺時には二十代後半~三十代前半ということになるため、素直に皇極天皇から譲位されてよい年齢となるのだ。歴史書の編纂者が年齢の矛盾について気づき、おかしくならないように天智天皇の年齢を引き上げた……のかもしれない。とにかく、天武天皇のほうが年上であるという可能性がある。


 天武天皇は天智天皇の娘を4人も后に迎えている。皇族の叔父姪婚は多くはないが幾つか例がある。だが4人もというのは他に例がない。似たようなケースを時代をさかのぼって思い出してみると、応神天皇や継体天皇・安閑天皇・宣化天皇の場合だ。血統にあやしいところがある場合、嫡流の皇女・女王と結婚することで血統を確かなものにしている。大海人皇子が天智天皇の同母弟ならば血統に疑義が入る余地はないだろう。逆に言えば、天武天皇が自身の血統に自信がなかったのではないかということだ。


天武天皇は、八色(やくさ)の姓(かばね)と呼ばれる氏族制度を制定した。その姓の中で最高位なのが、「真人(まひと)」という姓であり、皇族から分かれた氏族に与えられるものである。ところが、天武天皇の和風諡号は「天渟中原瀛真人天皇」と、真人が入っているのだ。大海人皇子は舒明天皇の皇子なのに姓が?漢皇子ならば用明天皇の曾孫であるので真人の姓をもらってもおかしくない。


 漢皇子やその父親の高向王の名前「漢」「高向」からは容易に漢氏(東漢氏)・高向氏との関わりあいが想像できる。高向氏は東漢氏の一族でどちらも応神天皇の時代からの渡来系の豪族である。

 天武天皇は在位中、東漢氏に対して「おまえたちはこれまで7つの大罪を犯してきた(そのうちの1つは崇峻天皇暗殺であろう)が、大恩をもって許す」という詔を出して、落ちぶれていた東漢氏を特別に救った。天武天皇にとって縁の深い氏族であるからこその処遇だろう。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。