顕宗天皇~仁賢天皇
億計王と弘計王は播磨国(現在の兵庫県南部)に逃げ延びていた。身分を隠してとある家で牛飼い・馬飼いとして働き、故郷に戻る日を夢見ていた。
ある時、この家の新築祝いに身分の高い人(来目連小楯)が来ることがわかった。弟の弘計王はこれは身分を明かすチャンスではと兄に持ちかけるが、億計王は、自分たちを邪魔に思う側の人間だったらどうする、と慎重な態度を見せた。
新築祝いの宴会で、みんなでそれぞれ踊りと歌を披露しようということになり、弘計王は、たとえ殺されそうになってもその時はその時だ、と兄の手を引き、一緒に踊りながら、自分たちは市辺押磐王子の子供だという歌詞で歌った。驚いた小楯はこれは本物だと二人に平伏し、朝廷に使いを送って生存を報告した。
大和に帰ってきた二人は飯豊王女に歓迎され、これからはあなたたちがこの国を治めるのですと告げた。兄は弟に向かって「お前が勇気を出してくれたから今ここにいるのだ。お前こそ大王になるべきだ」と説得し、弘計王が大王(顕宗天皇)として即位し、億計王は太子となった。二人はこれまでの血統とのつながりのために雄略天皇の血縁の娘と結婚することになるがお互いに複雑な心持ちであっただろう。そのせいなのかはわからないが、顕宗天皇の后は後年、宴席で酔っ払って億計王に無礼な態度をとってしまったことを苦に自殺してしまうという不可解な行いをしている。
弘計大王は后との間に子が生まれないまま、病気のためか若くして亡くなる。その後を継いで億計王が大王(仁賢天皇)に即位するが后との間になかなか王子が生まれず6番目にようやく小泊瀬稚鷦鷯が生まれた。
この兄弟の大王としての業績は具体的なことはあまり記されていない。宴を開いたという記録が複数回残されている。平和な時代だったようだが、実質的な政務は家臣たちに任せていたのかもしれない。




