忘れたままでいたかった話・後編
「…アルバート様。こらアル!程々にしてやれ頬がパンパンになる」
「……ハッ俺は何を」
「正気に戻ったか?目の前にいるのは誰だ?」
「…クッキーを頬張ってるライラ」
「頬張らせたのは貴方ですが」
「……ライラは可愛いな、もっと食べなさい」
「む、むねいっぱいれす」
口元を隠してなんとかしゃべると紅茶で流し込んだのか一気に飲み込むライラの背をさするクリフに少々むっとする。
「…ライラは俺の嫁では」
「いやお前が壊れたせいだろうが。気をしっかり持て」
「…クッキーを一口サイズにするってどうだろう」
「申し訳ありませんライラ様、こいつはもう駄目です」
「大丈夫です壊れたアルバート様に構っていただけるのは役得ですし…壊れたアルバート様も大好きです!」
「…クリフ。ライラを飼いたい」
「どちらかと言えば飼われるのはお前では…?」
「あの、そもそも何の話をしてたんでしたっけ…?」
困惑気味に首を傾げたライラにつられて首を傾げながら話の発端を考える。なんであの教員の話になったんだ…?
「…ああ、結局ライラはどうしてあの強烈な教員に研究科に入れなかったんだ?」
「……あの教員の趣味というか」
「……ある意味光栄ではあるのですが…その…当時の研究科はですね、その男性は自由に入れるのですが女性はあの先生の面談がありまして…」
「面談?」
「要は見目麗しい女性は科に入るのを断られていたんです。特に誰も断らないだけで断ってはいけないという決まりがあるわけではありませんので……当時所属を許されたのは…科にいた女性には失礼なのですが容姿が優れない女性ばかりで」
「そんな奴が去年まで教員長だったのか?」
「それだけ研究科というのはあまり人気がなかったようで…研究員にあまりメリットがないんでしょうね」
「人に教えながらだと自分の研究が進みませんからね。それに加えてあの教員、生まれは公爵家の三男で…仕事は出来るんですよ仕事は。ちょっと選り好みするだけで」
「確か隣国の魔石の研究をなさっていたんでしたね」
「…逆になぜ去年辞めたんだ?」
「さあなんでしたっけ…?」
「…その魔石の採掘中に運命の人に出会ったらしいですよ。今は行方知れずのはずです」
ライラと顔を見合わせゆっくりクリフの顔を見つめると全力で顔を背けられた。
「…随分と詳しいな、お前」
「最近の動向まで…」
「………それは…その」
「ほっほっほそれはクリフを助けた先生の三男がその強烈な教員だからですよ」
「えっ?!」
「…まあ」
「そして未だに手紙のやり取りをしているからですよ」
「逐一あの教員の愚痴を聞かせてくるので…本当に勘弁してほしいのですが」
「アレは子宝には恵まれたのですがどっちの血か癖のある子どもばかりで」
キースが懐かしいですね、と自分の腰ぐらいに手を当てながらまだこんなだったのに、と笑うものだから今度は三人がぎょっとキースを見ることになった。
「キース…あなた…」
「はい?」
「キースは個人的に先生とかかわりが…?」
「おや?言っておりませんでしたか?先生…エリス・ブライトウェル公爵は学園の同期ですよ」
「えっ?!」
「エリスの方から聞いているかとばかり…クリフはエリスに私を頼れと言われてこの屋敷に来たのではないのですか?」
「い、いえ…ここなら必ず助けてくれるからとしか…」
ライラとクリフは空いた口が塞がらないのかぽかんとしてキースを見ていた。
「おやおや」
「立ち振る舞いが優雅だと思ってはいましたが…キースは貴族だったのですね」
「そうですね、一応子爵の位ではありますが我が一族は先祖代々このウォーカー家に仕えておりまして…子爵を継いだ兄と一番上の姉は本家の方で働いておりますよ。カイルとカレンと申します」
「えええっ?!」
ライラは驚いたのか今日一番の声をあげて立ち上がりかけたところを控えていたプルメリアに抑えられていた。
「はしたないですよライラ様」
「えっだっだってカイルとカレンて夫婦だとばかり…え?兄弟?キースも?」
「ご存じなかったんですか?」
「え、プルメリアは知っていたの?」
「というか何故夫婦なのですか、あんなに似てるではありませんか」
「長年連れ添った夫婦だから似てるのかと…」
プルメリアとクリフがそんなわけあるか、という台詞を飲み込んだのがわかった。
チョコの混じったクッキーを一枚とりライラの口に差し込むと途端に動きが止まり咀嚼し始めたので話を進めることにする。
「同期ということは学園にいたんですね」
「ええ、エリスは卒業と同時に教職の道へと進み、私は旦那様…ライラ様のおじい様にお仕えさせて頂いておりました。じきにライラ様のお父様と弟君のエイベル様が大きくなり学園へ行った頃にはエリスは学園で勉学を教えるようになっておりましたね。三年後、私はエイベル様の侍従として学園へ向かい再会を果たしたわけです」
「…そうだったんですね、道理でやたら手紙が来ると…」
「ほっほっほいつも私が渡していたでしょう?気づいていると思っていましたよ」
「…どういうことですか?」
「自分はもう貴族ではありませんので…公爵家の人間がそうポンポン他家の従者に手紙を出せると思えなくて。どういうルートで来るのかわからなかったので」
「エリスは私宛に送っていたんです。さてからくりが分かったところで自身で返事を書いてみたらどうですクリフ?多分喜びますよ」
「…はい、返事はしたいのですが…さらに手紙が増えそうで」
「ああ、増えるでしょうねえ…暇そうですし」
悩みがひとつ解決するとまたひとつ悩みが増えるもののようで眉間を押さえながら悩むクリフを横目に落ち着きを取り戻したライラに話を振ってみる。
「ライラはブライトウェル先生と面識はあるのか?」
「個人的にはありませんでしたね。授業は受けておりましたが…その、先生はお声がとてもよいので少々眠気との戦いではありました…」
「ああ…俺もそうだったな」
ブライトウェル先生といえば少々気難しいご老人のように見えたが話し方はゆったりと優しく昼食後の授業はいつも眠気との戦いだったと思う。
「そういえばどうしてブライトウェル先生はこんなにクリフによくしてくださるのですか?」
「自分も聞いてみたことがあるのですがうまくはぐらかされてしまって」
「話を聞くにたまたまそばにいた階級の高い先生に声をかけただけだったんだろう?」
三人で首を傾げるも答えがでないのでキースの方に顔を向けると嬉しそうに目を細め教えてくれた。その目は懐かしい友の面影を見ているようだった。
「…嬉しかったんだそうですよ。彼は昔から見た目が気難しくみえるようで人と仲良くなるのに時間がかかる男でしてね…学園で何年も一緒にいるならまだしも生徒とはそうもいかないでしょう?彼は基礎授業担当ですから取り持つ生徒は多いが接点はあまりなかったようですから」
「…それだけで?」
「ええ。人にはちっぽけな理由でもエリスにとってはとても大きかった。彼は生来人が好きなんですよ。話し方が優しいでしょう?昔練習したんですよ、教師になりたいから生徒に怖がられない話し方を習得したいと言われてね」
「…クリフはお手紙をたくさん出さないといけなくなりましたね」
「はい……本当に、もっと早く言ってくださればよかったのに」
「恥ずかしがり屋なのですよ。甘いものが好きで、かわいらしいものが好きで、編み物が得意で、動物が好きで…彼はずっとそれを一人の世界で納めてしまっているんです」
それはなんだか寂しい気がした。学園時代にもっとブライトウェル先生をよく知っていたなら世間話くらいできたんじゃないだろうか
「ブライトウェル先生には理解者はいなかったのですか?」
「いましたよ。とても勇ましい女傑の如きお方が…しかし随分前に亡くなっております」
「まあ…そうでしたの……ねえキース、いつか先生とお会いできないかしら」
「エリスとですか?」
「ええ、流石に大々的にお招きはできませんけれど…わたくし編み物を教えて頂きたいです」
「ライラ様…よろしいのですか?」
「ふふ、どうしていけないのですか?恩師にお会いするだけですわ。…まあ方法はそれなりにございますからいつかそれとなく…ね」
子供が悪戯を考えるような顔をして笑うライラに周りに苦笑が広がった。
「お嬢様、あまり王族の方をいいように使わないでください。そろそろ不敬罪でどうこうされますよ」
「あの方々も婚約者がいないとはいえいいお歳なのですから…」
「手土産は何がいいですかねえ…」
「エリスには事前に連絡いたしますので早めの報告を忘れないでくださいね」
「…場慣れしてるな、ここの使用人達は」
三者三様の反応に笑いを通り越して感動を覚えてしまっているとライラがふふんと得意そうに胸を張った。
「うちの使用人達は優秀ですから!それに私にはとっておきの貸しがありますし」
お茶会を終えた後、結局話し込んだせいで訓練風景は後日になり、自分は正式に翌日からアルバート様にお仕えすることになって今夜はゆっくり休むようにと早々に仕事を取り上げられてしまった。
いずれ離れに移動することを考えて自室の整理をしているとノック音が響く。この音はキースだ。
「はい、キースいかがされましたか?」
「隣の部屋でライラ様がお呼びです」
「ライラ様が?」
なぜこんな夜更けに使用人の空き室に、と謎をぶつけたかったがご主人様を待たせるわけにはいかないので軽く身なりを整えて隣室へ向かった。隣室にはライラ様の後ろにキースとプルメリアが並ぶ。
「自室の片付け中にごめんなさいね…それにあまり大事にしたくなかったんだけどこの通りの人数になってしまって」
「いえ…そこは気にしておりません。何か御用でしょうか」
「ええ、お昼の条件のお話です。実はクリフにはもうひとつ違う条件を掲げたいのです」
きた。やはりそれだったか…正直想定内ではあった。あそこにアルバートがいる以上後ろめたいことは言えないだろうと考えてはいたのだ。
だが友人とはいえ今の主人はライラ様である。双方の素行調査や情報の受け流し、あるいは愛人への嫌がらせでもなんでもする覚悟はある。
「はい。どんな条件でも」
「ありがとう。条件はクリフにアルバート様を裏切ることのないように、です」
「は…?お言葉ですが、私は侍従です。主人を裏切ることなどありませんが…?」
思っていたことと180度違っていて惚けてしまった。後ろの二人がかすかに笑いを堪えたのに気付く。
「そうですか?もしもこの先、この屋敷の主人であるわたくしと傍で仕えている主人のアルバート様が相反したとき貴方はアルバート様を裏切らないと誓えますか?」
「…それは」
「正直に話しましょう。アルバート様が愛人を囲う条件に子供を作らないという条件があります。…わたくしはそんな条件飲みたくなかったのですが…愛し合った先の未来を潰す気にはなれないのです」
「お嬢様!」
「黙って、プルメリア。別に認知するなんて言っていないわ。わたくしが取り上げるなんてことすると思って?…ただ、養子に出す以外貴族としては暮らせないでしょう。わたくしの家族やアルバート様の家族からも存在そのものを隠さなければなりません。その時が来たらクリフ、貴方がアルバート様の味方でいてください」
ライラ様は普段の雰囲気からは想像もできないくらい真剣な面持ちでこちらを見上げた。
普段は色素の薄いその瞳は縁取るまつ毛の色も薄いからなのか近づいたら壊れてしまいそうな繊細な面持ちだというのに今は目が離せないほど気迫に満ちている。
「…わたくしもこの先意見がかわることもあるかもしれません。嫉妬でおかしくなるかも。わたくしとの間に子供が出来ることも万が一にもないでしょうし…だからこそわたくしが意見を変えてアルバート様やメアリー様に何かしようとしたらわたくしの言うことを聞かないでアルバート様の傍で味方をしてくれる方が必要だったんです。絶対に飲んでほしかったのでこんなに後付けになってしまいました…ごめんなさい」
「いえ…むしろ拍子抜けしました」
「え?」
先ほどの気迫は何だったのか、きょとんとしながら首を傾げるライラ様は普段ののんびりした雰囲気に戻ってしまった。
「自分はてっきりアルバート様に言えないような…双方の素行調査や情報の受け流し、あるいは愛人への嫌がらせを頼まれるのだとばかり」
「そ、それはちょっとあんまりではありませんか?!」
「いえ、普通はまず愛人を囲うのに離れを使わせることもそちらで生活を許すこともしません」
ライラ様の後ろの二人が無言で頷く。
「いやでも好きな人には幸せになってもらいたいではありませんか!」
「普通は自分が幸せにするんだと意気込むのでは?」
「わたくしは愛されていないのにどうやって幸せにするのですか?」
「愛人より財力があって美貌があるのですから謎の自信に満ちるのでは?」
「財力はともかく美貌がないので無理だと思います」
「自分はまだアルバート様の愛人を見たことがないのですがライラ様より美しい女性は見たことがありませんが?」
「…クリフが実はたらしだということがよくわかりました」
「自分は極力真実しか口にしませんが」
「お二人ともそれくらいで。ライラ様も明日から早く起きるのでしょう、早く湯浴みを終えて就寝なさってください」
ライラ様が両手で顔を隠したところでプルメリアが声をかけた。裏方の仕事ばかりであまりライラ様とかかわったことはなかったけれどなかなかに反応が楽しい。
「え、あのまだ仕事が…そろそろサンプルも上がってきますし…」
「今日はまだ上がってきておりませんので。朝のお稽古を覗きたいのでしょう?」
「そ、そうでした…近くでみるチャンスを逃すわけには参りませんね」
「ライラ様は遠くから見ていたと聞きましたが…」
「あ、はい。実は学園時代は校舎から、王宮騎士になってからはその…双子殿下のお部屋にお邪魔させていただいて上から訓練の様子を見学しておりました」
「…それはまた筋金入りの」
「……差し入れもしておりましたよね。手作りの」
「そ、そうですね…あの、今となっては猛省しておりますのでどうかご内密に…」
手作りですか、と言いかけてすんでのところで言葉を飲む。この反応はどう考えても自作だろう。アルバートは気づいてないようだし、きっと見た目が悪かったか差出人がわからず捨ててしまっていたのだろう。
「手紙を送ったこともありましたね」
「あなた達全部ばらしますね?!あの、違うんです名前は書いていないし、応援してます的なことしか書いていませんから!あの本当に!…今は本当に反省しているので…本当に…本当にどうかご内密に…」
「…あの、純粋に謎なのですが…どうしてそんなに反省してるんですか?差し入れも手紙も嬉しいものでは?」
「…普通差出人のわからないような食べ物と手紙は気持ち悪いと…その、あとから思い至りまして」
差し入れは気持ち悪ければこっそり捨てるし、手紙も読まずに捨てるのではないだろうか。宛名の字でなんとなくわかるだろうし、一度読んだらもう読まない気もする。
或いは学園や王宮であれば周りがそれとなく止めるか断るだろう。いくらライラ様がウォーカー家の娘だからといっても表向きは侯爵である。学園の騎士科には公爵の位の教師もいるし王宮騎士ならその割合はさらに多い。
「…最悪アルバート様の手に渡っていない可能性もありますね」
「本当ですか?!それならいいのですが…とりあえずこの話はご内密に…」
「かしこまりました」
ライラ様は手を合わせ拝みながらプルメリアを連れて部屋を後にした。残ったキースと顔を合わせ、息をついた。
「…ライラ様は長時間シリアスに耐えきれないお方なのですね」
「いいでしょう?あれでいっぱいいっぱいなのですよ」
この老人は若者で楽しみすぎだと思いながら自室に戻った。今日はもう寝よう。色々ありすぎて疲れた。
服だけ着替えてベッドに沈むと心地よい疲れに瞼が落ちる。あっという間に眠りに落ちて懐かしい夢を見た気がした。
1日お茶会をして終わりました。