表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第2話(後)


 新型軍事衛星「アグニ」に出鼻をくじかれた連邦軍は、極東の係争地を諦めユーラシア大陸から撤退。戦況は防戦一方となった。

 そんな中、四大加盟地域の一つであるオセアニアが離脱を問う選挙を行い、勝利した離脱派は戦闘停止を宣言し、バルコへの編入を望んだ。

 もう戦いたくない。そうしたオセアニアの望みに応え、支援物資を満載した艦隊を送り込むバルコと、「加盟地域の民意を尊重する」との憲法を無視し、武力で離脱を阻止しようとする連邦。望まざる戦火からオセアニアを救うため、自らこの地へ潜入しようとするバルコの王族が居た。

 親連邦の代表格であり、クマリの主であるチャンドラ。Dネットが作った新しい王国のルールは、王族自ら先陣を切ることを要求していた。



 マイケル・カンビアンカが隠居の準備を始めたことは、連邦だけでなくバルコ内までもある種の緊張状態にした。

 何よりもまず王権の分割継承が注目された。Dネットによって全てが一本の旗に集約されるバルコの体制は、安定した支配という点では理想的であり、その分割となればヴィクトルでなくとも予想外の事態である。


「ご苦労様。ゆっくり休んでください」

『面目ありません。次は必ず』

「……ええ。期待しています」


 スクリーンに映っているのはセルゲイに敗れ、捕虜となっていた軍人である。次も生きて帰りなさい。頭巾の中だけに留まる呟きのあと、チャンドラは通信を切った。彼女は球形スクリーンの中で全天を映像に囲まれており、視線をずらせば起動エレベータの先端で整備を受けるアグニを見ることも出来る。移動都市クマリの管理者席は常に、映しきれないほどの情報で囲まれている。


 現場のドローンが低コスト化する一方で安全圏のAIが巨大化したのは、ドローン最大の武器が一糸乱れぬ連携であり、そのために必要な頭脳労働を現場で行うリスクが大きいからだ。黎明期には多種多様だったドローンだが、一機ごとに高度なAIを備えるタイプは淘汰され、低コストタイプを巨大AIが統括する、という今のスタイルが主流になった。

 こうした中央集権こそが同時多発的に起こった戦火を鎮めることに役立ち、それはバルコのような独裁国家への追い風となった。時代がマイケルを望んだ。身びいき無しでチャンドラもそう思っている。


「次は何かしら?」

『連邦のニュース速報です。こちらをご覧ください』


 従者の徐林杏ジョ・リンシンが、球形スクリーンの外からチャンドラをサポートする。チャンドラよりふたつ年上の二十二歳で、主が生まれた時から傍に仕えている。


「ニュース速報? いま報告すること?」

『貴女の婚約者が事故死しました。暗殺でしょうね』


 チャンドラの手元に映像が飛んできた。連邦のニュース速報が「ある自治区」の皇太子死亡を伝えている。

 創設当初から武力の統合を急いでいた連邦は、敵対する武装勢力を懐柔することもあった。多くの場合、武装勢力の自治区を認める代わりに資源を求め、それは連邦軍に吸収された。こうして軍の整備は進んだが、強い武装勢力は交渉を有利に進めたため今も力を保っており、自治区同士の抗争が起きると連邦軍でさえ手を焼くことがあった。


 ある自治区で未婚の少女が強姦された。そこでは不特定多数の男と姦通した女は死罪である。少女の処刑が決まった後、別地域の人権団体が彼女を救い出したことで、引き渡しを求める自治区側との紛争がぶり返し、今日まで続いていた。


『私たちと戦うために、改めて自治区を接収するつもりです。開戦しましたから、貴女に配慮する理由もありませんし……こうした動きは、今後も続くかと思われます』


 チャンドラは事故死したという連邦の青年――婚約者の顔写真をじっと見て、目を閉じた。手紙のやり取りを何度かしただけで、会ったことはない。それでも自らの世界観をしっかりと伝える知性の持ち主だった。宗教色の強い大勢力の王子であるためか独善的な面もあったが、個人的な部分ではやさしい青年だとチャンドラは思っている。

 犯された少女の方を処刑するのは、断罪よりも殉教を促す意味があると彼は言っていた。そうした世界観を努めて好意的に見ても、なお遠くに感じたからこそ、チャンドラは親同士が結んだ婚約を破棄しなかった。彼女は戦争が嫌いだったので、相手を変えるために武力ではなく、自分の血を利用しようと考えていた。

 マイケルは二百人以上の子を成したが、妻を選ぶ基準は「既にいる妻と文化が被らない」ことだった。多種多様な世界観と交配し、そこに「自分の血」という共通項を作ろうとしたのだ。母親の文化の中で育った子供たちは、建国時にマイケルが述べた「私の血族が星を守る」という言葉に基づき、強大なバルコのDネットへアクセスすることを許されている。これがバルコにおける権力のルールである。

 以前、連邦から体制の民主化を求められたとき、マイケルは「家庭のことをとやかく言うな」と言ってのけた。つまり世界の半分を治める一家があるだけで、誰も領土に縛り付けてはいない。王族がつくる社会はそれぞれ多種多様だが、そこに属さずとも食事や家は配給されるし、学問や思想にも不自由はなく、望めばドローンによる安全保障も享受できる。


 バルコの王族は世界観の番人。人の受け皿の番人であって、人の支配者ではない。それを知りながら自分を迎えようとしたのだから、あの青年もきっと変わりたかったに違いないとチャンドラは思った。少女の処刑について彼は、人を支配しなければ社会を維持できない自分たちが情けないとも言っていた。しかし貴女と夫婦になれば、そんな事をせずに済むだろう、とも。


『姫様、どちらへ?』

「部屋に戻るわ」


 チャンドラ自身、不幸になる気はない。時間をかけて夫を変え、自分もまた変わることで、嫌悪さえ感じる世界観に幸せを見出す自信があった。自分の子や孫の時代には、ドローンたちもただの守護者として人々に認知され、その番人が王である必要も無くなればいい。そうすればきっと連邦とも一つになれる……そういうチャンドラの理想から世界は遠ざかり、祖父が終わらせようとした戦火の時代に戻ろうとしている。彼女はただ、それが苦しかった。



「……はぁー……」


 部屋に帰るなり彼女は頭巾を外し、歩きながら服を脱ぎ始めた。寄ってくる女中たちにそれを渡し終えると、下着姿のまま天蓋付きのベッドに腰掛け、ごろりと寝転びながら乗り上げる。長身に見合う肩幅と肉付きのいい尻が、その間にあるウエストのくびれを強調する。細い首を起こして髪留めを二つ、三つと外せば、腰まで伸びる黒髪がシーツに広がり、その上を白虹が立つように艶が流れた。


「先にお風呂入っちゃいなさい」

「うーん」


 部屋に入るまでは慇懃に振舞っていたリンシンだが、入るなり砕けた口調になる。眼鏡型のウェアラブル端末を多目的ジャックに繋ぎ、くつろぐように軍服の襟を緩めた。東南アジアに展開する連邦軍、特にセルゲイたちの作戦を分析しなければならない。セルゲイとその教え子たちがどう戦うかは、終戦を早めるために知っておくべきことである。


「あんたたち、ちょっと外して」


 脳波で端末を動かしながら、リンシンは女中たちを別室へと送り出した。念のため回廊まで人気の無いことを確認してから、チャンドラのベッドに腰掛けてこう言った。


「どうして今日、アレクシス様を呼んだの? まさか明日の話をした?」

「そんなわけないでしょう。ただ会いたかっただけよ」

「……ならいいけど」

「もう会えないかもしれないし」

「滅多なこと言わないで。大丈夫、きっと上手く行くから……って。なんで私が励してんのよ。私はいまでも反対なんだからね、こんな危ない作戦」

「おかしい、リンシン」


 身を捩って笑うチャンドラをリンシンは恨めしげに睨んだ。


「何よ、怖くなった? じゃあ今からでもやめよう?」

「いいえ」


 幾度となく繰り返したやりとり。リンシンは深くため息をつき、諦めて何も言わなくなった。


 チャンドラは連邦四旗のひとつであるオセアニアのメタルフラッグ《グノウェー》を奪うため、オーストラリア大陸中央・アリススプリングスへ潜入する。ただし旗手であり《オセアニア警備隊》長のクロエ・ジョーンズは味方である。欺くべき相手は、オセアニアにも基地を置く連邦軍だ。


 オセアニアは連邦に加盟するのが最も遅かった地域で、三年ほど前まで武装勢力たちによる抗争の舞台だった。加盟後も採掘資源の大半を連邦軍に上納しているためインフラ整備が進んでおらず、食料も世界最大のプラントを持つ南米に依存している。そこに休戦終了が重なって食糧支援も打ち切られ、出口の見えない飢えが始まった。

 これを受けてオセアニアは連邦からの離脱を問う選挙を行い、離脱派が勝利した。彼らは豊かなバルコへの編入を望んでいるが、それを阻むためにランスは今このときもクロエと交渉しているはずだ。


 ドローン戦において重要なのは数と、AIの処理能力である。オセアニアの所有するドローンは一千万機と少なくないが、それを指揮するグノウェーにはドローンを戦わせるだけの処理能力がない。土木作業や市民相手の治安維持なら、現場に居るドローンたちの小さなAIでも処理できる。しかしドローン同士の戦争となれば、何千万というドローンから情報を吸い上げ、飛び交う銃弾を数えるほどに詳しく戦場を知る必要がある。敵味方の位置、損傷率、攻撃や回避の成否の統計……それを知らないまま戦っても、百対百程度の戦いなら番狂わせもありうるが、万対万の戦いになれば、処理能力の十分な方が百戦して百勝する。

 このためオセアニア警備隊は有事の際、北米メタルフラッグ《ヒュージ・ソーサー》のDネットに吸収されるはずだった。逆にもしグノウェーをトローノに吸収されてしまうとしたら、連邦にとってそれは精鋭一千万機が敵になるか、味方になるかの違いになる。劣勢の連邦は特に譲れないところだが、離脱の民意を尊重すればグノウェーだけでなく、リターンを見込んで投資した資源採掘施設までバルコ側に渡ってしまう。阻止するためなら同胞への武力行使も辞さないだろう。そのための連邦艦隊がすでに東の海へ展開しており、そうはさせまいと西側に陣取るバルコ艦隊と一触即発の状態だ。


 そんな状態でも交渉をする余裕があるのは、連邦にもアドバンテージがあるからだ。それは《ゴースト認証》と呼ばれるDネットの認証手段に関係しており、これをパスするにはバルコの王族自らグノウェーの管理者席に着かなければならない。チャンドラがオセアニアに潜入するのはこのためだ。


 Dネットの統合はボタン一つで出来るわけではない。侵入を許さない鉄壁のシステムだからこそ、外部との統合には融通の利かない手続きが必要だ。メタルフラッグは豊富な処理能力を、決められた量子キーを持つAIにしか分配しない。そしてトローノから分配を受けられる量子キーは、バルコ王族の脳からしか採取できない。その採取方法がゴースト認証だ。生きた脳から思念を抽出する方法は、肉体の着脱や脳の改造が出来る現代において最も確実な本人確認手段である。

 そしてメタルフラッグ級のAIはグノウェーに限らず、量子キーの採取や旗手からの命令を受ける際、必ず本人を管理者席に着かせるようハード面からも要求している。旗手が国民に背き、地球の裏側に居る人間へ旗を売り渡すことを防ぐためだ。


 旗手となる人物に例外なく謁見を求めるメタルフラッグたち。この防止策はDネット黎明期から一般的だが、マイケルは敵のDネットを盗むため敵地に潜入し、管理者を捕えて脅迫、そのまま無血開城を実現した事がある。彼が「居抜き」と呼んだ戦術を、チャンドラは孫として再現するつもりだ。

 しかしランスは大統領就任時、グノウェーに量子キーを登録している。その序列が1位になればグノウェーが手に入るため、クロエに旗の引き渡しを国外から要求出来る。だからクロエは、あくまで秘密裏の潜入をチャンドラに持ち掛けた。クロエ自らオーストラリアに潜入するバルコ諜報員へコンタクトしてきたのだ。話の内容までは漏れていないとしても、彼女自らそんな真似をすれば連邦側に翻意を悟られて当然なので、どのみち武力によるメタルフラッグ強奪は時間の問題と思われた。


 いつ戦闘が始まるか解らない地域に、我が姫君を送り込む。率直に言ってリンシンは辛かった。自ら戦場に出て戦うのは王族たちの伝統であり、彼らが尊敬される根拠でもある。しかし他にも勇猛果敢な王族はたくさんいるのだ。なぜ若い女性のチャンドラなのか、という思いがあった。指名してきたクロエに会ったら、嫌味の一つくらい言ってやるつもりだ。

 

「アレクシス様が来たわよ。食事もまだらしいわ。どうする?」

「しまったぁ、お風呂まだだわ」

「ぐだぐだしてるからよ」

「いいわよ、一緒に入るから。食事は任せるから、ここに用意して」

「そう。じゃあ皆に運んでもらうから」



「先生の動画を見たかい?」

「吉井さんの? ええ、届いたわ」


 二人掛けの四角いディナーテーブルの上に、ロブスターをメインに据えた食事がのっている。食材は全てプラント生まれである。前菜からデザートまで一緒くたに乗せられているので、食卓は少し手狭だ。チャンドラは切り分けたロブスターの身を口に運び、飲み込んでからこう言った。


「君はどうするつもりなんだ?」

「どういう意味?」

「クロスオーメンを見ただろう? あれを得るために、先生を捕まえるべきだ。今すぐ」


 そう言って、アレクシスはチーズの掛かったトマトを頬張った。

 吉井雄一郎からのメールは世界中の権力者や報道機関に届いていた。添付された動画には真っ黒な坊主頭にスーツで語る雄一郎と、簡素な丸椅子と、窓のない真っ白な部屋だけが映っている。なので場所も時刻も不明だが、話題が変わるごとに入るあからさまなフレームスキップが、相手によって伝える情報に差があることを匂わせている。


 まず連邦とバルコのメディアへ向けて、


『東シナ海でお見せした兵器はクロスオーメンといいます。肉体を捨ててVRへ行くことを検討している方は、今から語る兵器の性質を十分理解し、リスクについて熟考してください』


 兵器の性質について、彼はドローンなどが備える高度な電子回路を破壊する兵器であり、起動には生命が必要で、かつ生命に害はないと説明した。いま使えるのは自分だけだが、広まれば食料プラントはもちろん、VRを運営するAIも危険に晒されるとも。

 さらに続けて、


『ライブアース計画に賛同します。深海工場は存在してはならない。取り締まりに協力するつもりです』


 というメッセージが語られた。クロスオーメンの存在と、工業取り締まりへの意欲。大きく分けてこの三つが世界に向けて示されている。

 さらにバルコ王室へ向け、


『クロスオーメンの運用は私に一任願いたい』


 と語られている。しかしアレクシスはこれを知らない。クロスオーメンが確認されて以降、アレクシスは外部との連絡を制限されている。そうすべき事情がマイケルにはあった。


「彼さえ捕まえれば、戦争はあっという間に終わる。解るだろう? 「私なら」すぐ彼を捕まえられる。そうなったらセルゲイもガードナーも、まとめて私が倒してあげる」

「駄目よ」

「……どうして?」


 挑むような視線を受け流し、チャンドラは悠然とカリフラワーのスープを飲んだ。アレクシスも食べるタイミングなのに、彼女はナイフとフォークを握ったまま返答を待っている。


「冷めるわよ?」

「……」


 感情が高ぶるとすぐ顔が赤くなるアレクシス。白磁のような肌のせいでよけいにそれが隠せない。今も少しだけ赤いのは風呂あがりのせいばかりではないだろう、とチャンドラは思った。


「詳しいことは話せないけれど、吉井さんは取引相手になるかもしれないの。まだ危害を加えるわけにはいかないわ」

「連邦が彼に何をするかわからないのに……手を拱いて見ているのかい? 君だって知ってるはずだ。仮に稲田あたりがクロスオーメンを持っていても、それが連邦中に広まったとしても……「あれ」がある限り、私たちが負けることはない!」

「まずひとつ、そうなったら大勢の人が飢えて死ぬわ。クロスオーメンのせいで」


 アレクシスは少し気後れした。


「ふたつ、貴女にクロスオーメンを与えるわけにはいきません。エーゲ海の底にある「あれ」は、まだ名前さえ付けられていないわ。その意味を知りなさい。確かにあれとクロスオーメンを組み合わせれば無敵でしょうね。でもあれの事は、造った貴女でさえ、よく解っていないはずよ」

「そんなことはない! 私なら制御できるさ! それを……あれのことを君たちが理解できないだけだ!」

「そう。もっと正確に言うならそういうことよ。貴女はあれをどう造ったのか“私達に伝えられない”」


 アレクシスはうつむいた。肩が小刻みに震えている。


「蒙昧な姪でごめんなさいね。でも従者達の命を預かる身として、仕組みのよくわからないものを無敵にするわけにいかないわ。いざという時、壊す手段がないんだもの」

「……」

「私達は、貴女の知性に驚かされてばかり。だからこそ、いつもどこかで貴女が孤独なのも知ってるわ……同じ目線で話せる人が見つかって、嬉しいのね?」

「そういう次元の話じゃあないよ」


 大きく息をついて、アレクシスは居住まいを正した。


「パパの引退について、どう思う?」

「……」

「主従の愛、なんて言うけれど。愛されてるのは私たちじゃなくて、パパだ。人の愛を勝ち取るには、印象的な事実が必要だ。核や菌を使わずに勝ち抜いて、従者に手厚かったからこそ……「その実績があるからこそ」彼は王で居られる。来年から二十二世紀だと言うのに」

「そうね」


 混乱期を平定し善政を敷いたという実績は、混乱期が無ければ手に入らない。人から信用を得るためには、振る舞いだけでなく機会が必要だとチャンドラたちも解っており、だからこそマイケル・カンビアンカの王権を引き継ぐむずかしさを感じている。


「彼の家族だから、という理由だけでは、人々に納得してもらえない。いや……もう納得に縋る時代じゃない。そう思ったからこそ、パパは引退したんだ」


 チャンドラの目が据わった。

 彼女もマイケルの引退については不安に思っている。ドローンによる統治など、クロスオーメンに打ち砕かれてしまうのではないか? そんな中マイケルが引退したために、国の崩壊はバルコ内でも囁かれている。

 幼い頃、永遠に続くと思っていた祖父の統治。絶大な権力を持ちながら延命の研究を許さなかったことや、連邦を焼き尽くさなかったことが彼の高潔さを証明している。すべての生命のために。だからこそチャンドラは祖父を敬愛しているが、彼の引退を機に矛盾した思いが芽生えたのも事実だった。


 どうして永遠に生きてくれないのか? どうして乱れかけた世に背を向けるのか。

 人を超えた特別な存在。貴方にだけは、そうあって欲しかったのに。


「彼はこう思った。主従の愛、それの裏付けはあくまでDネット。つまりドローンたちだ。彼らが絶対に逆らわないからこそ、彼らに管理された人間たちも逆らわない」

「やめなさい」

「この構図はマシーンが生まれた時から約束されていた、運命だったかもしれない。でもクロスオーメンが出てきて、それは覆された」

「アレクシス」

「世界が、この世のルールが自分の王権を祝福していたと思ったのに、そうではなかった。もう王国は続かないだろう。ならこんな世界どうでもいい、後は勝手にしろ。こんな所かな……君は失望しないかい?」

「……アレクシス」


 チャンドラが声色を下げると、アレクシスはびくっと震えた。氷に触れたように。


「いいこと? アレクシス。貴女と吉井さんを引き合わせるのは、ライブアース計画が完全になった後よ。それまでは……彼のやり取りを規制します」

「……」

「食べなさい」


 促しても、アレクシスは暗い顔をするだけだった。


「君に刃向かうつもりはないんだ、私の敬愛するチャンドラ……ずっと、姉妹のように育ってきたね」

「……ええ、私も愛してるわ、アレクシー」

「けれどもし君が、この狭い星で、まだ旧い生命たちと暮らしていきたいと思うなら。かつて休戦を決めたパパのような甘い決断をしてはいけない。私たちはこのくだらない戦いを、一日も早く終わらせて。私たち以外の誰も、ドローンやクロスオーメンを造れない体制を築かなければいけない。その点で……私はヴィクトルに協力するつもりだよ」

「宇宙へ出るつもりなのね」

「そうさ。月面基地を造れば、支配はより完璧になる」

「人が一度滅んでも、またやり直せる。ランスもヴィクトルもそう考えているわ……アレクシー、貴女もなの?」

「私には君と、先生さえ居ればいい」


 アレクシスは見つめ返す。今度は臆さない。


「いずれにせよ、私たちにはクロスオーメンが必要だ。絶対に……いつでも私を利用して。いいかい、私なら、すぐに。この問題を解決できる」


 以降は、無言のまま食事が進んだ。



 夜明けに自然と目を覚ましたチャンドラは、隣で寝ているアレクシスを起こさないようベッドを下り、静かに支度部屋へと入った。まだ暗いうちにローマを出る予定だ。

 いつもの格好に着換えながら、チャンドラは稲田一穂との会話を思い出していた。ほんの数日前、雄一郎からのメールが届いた後に、稲田と暗号通信をしたのである。


『貴女に新しいDネットを立ち上げて頂きたい。連邦とバルコから独立したDネットです』

「なぜ?」

『連邦とバルコには仲介役が必要です。連邦としては全面戦争を避けたい、これは休戦前から変わらない。しかし今は深海勢力のせいでお互い不信感が拭えない。なので小さな約束をするにも実体のある担保が必要だ。そこで貴女のDネットに、連邦のドローンと管理者を預けようという話です。預ける代わりに、彼らの意図も汲んで頂きたい』

「“預ける”必要はありません。連邦のDネットもドローンも、全て我々が“頂きます”」

『私はクロスオーメンの現物を持っています』


 チャンドラは目を瞑った。

 休戦終了から約一ヶ月、連邦がクロスオーメンを用いる気配はない。それは吉井雄一郎の理性を伺わせる事実だ。あの兵器について、連邦が何も知らない可能性は十分ある。

 しかし稲田一穂だけは例外である。彼の支援なくして雄一郎の出奔と生存はありえないのだ。現物を持っているという言葉も、彼が言えば説得力がある。


『ランスは使いたくて堪らんようですが、私は違いましてね。ともかく終戦に漕ぎ着ければそれでいい。必要なら深海勢力の撲滅にも手を貸しましょ。しかし……私ぁ吉井ほど寛容じゃありませんので、お気を付けください』

「理解しているようですね、いたずらにあの兵器を用いればどうなるか。それをわかった上で、バルコに負けるくらいなら使う。貴方はそう言っているのですね?」

『率直に申し上げますが、マイケル様亡き後にバルコがどういう政治をするか、見えないのですよ。私どもはそれが不安でしてね。バルコによる一極独裁は避けたい。が、避けるために戦いを長引かせ、深海の捜索が遅れるのは望ましくない。これは多くの管理者が一致するところです。だからライブアース計画履行までという条件で、新しいDネットを整備して頂きたい。そこになら身を差し出す覚悟があると、彼らは申しております』


 その一人がクロエ・ジョーンズなのだろう。着換えを終えたチャンドラは、誰も居ないエントランスでリンシンと合流する。


「行きましょう」

「はい、姫様」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ