【プロローグ】
夜空に、無数の灯りが揺れていた。
広い会場を埋め尽くす観客の手元で、スマートフォンのライトやペンライトが小さく瞬いている。
ひとつひとつは頼りないほど小さな光なのに、それが数えきれないほど集まると、まるで夜に輝く海のように見えた。
ステージの上に立つ澄の目の前には、光が織りなす海がどこまでも広がっている。
それは、現実とは思えないほど幻想的な光景だった。
遠くまで続く光の波。
その向こう側まで、人の気配と熱が満ちている。
夜空の下、会場全体がひとつの呼吸をしているようだった。
歓声が重なり合い、大きな波のように押し寄せてくる。
名前を呼ぶ声。
拍手の音。
期待を含んだざわめき。
それらすべてが混ざり合い、澄の体を包み込んだ。
その熱が、肌に触れるように伝わってくる。
胸の奥が少し震えた。
緊張なのか、喜びなのか、自分でもうまく分からなかった。
こんなにもたくさんの人が、自分の音を待っている。
そう思った瞬間、足元のステージが少しだけ遠く感じた。まるで自分だけが、現実から少し浮かび上がってしまったようだった。
澄は小さく息を吸った。
深く、ゆっくりと。
冷たい夜の空気が肺に入る。
肩に入っていた力が、少しだけ抜けていく。
圧倒されそうな空気の中、澄は静かにギターを構えた。
眩いスポットライトが、ただ一人、澄だけを照らしている。
白く強い光の中で、客席の表情ははっきりとは見えない。けれど、そこにいる人たちの視線だけは確かに感じた。
無数の光の向こうから、まっすぐこちらへ向けられている。
澄はギターのネックを握り直した。
指先が、弦に触れる。
ほんの一瞬、会場のざわめきが遠のいた気がした。
自分の呼吸。
指先に触れる弦の感触。
胸の奥で鳴る、小さな鼓動。
それだけが、やけにはっきりと感じられた。
そして、最初のコードが鳴った。
温かい音が、夜空へ広がっていく。
ステージの上から放たれたその音は、風に乗るように会場へ溶けていった。客席の光がゆっくり揺れる。
遠くの方で歓声がまた大きくなった。
音が、会場を満たしたその瞬間。
澄の胸の奥で、何かが微かに揺れた。
それは、懐かしさに似ていた。
ずっと奥にしまっていたものが、音に触れたことで静かに目を覚ますような感覚だった。
――あの頃の記憶が、ふいに蘇る。
雨上がりの夜。
濡れたアスファルトが、街灯の光をぼんやりと映していた。
風が運んでくる、懐かしい海の匂い。
まだ何者でもなかった自分。
ただ音に惹かれて、立ち止まったあの日。
狭い路地の奥。
街灯の下。
そこで鳴っていた、あのギターの音。
荒々しくて、けれど不思議なほど温かかった音。
その音が、今も胸のどこかで小さく鳴っている気がした。




