表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
400/400

この世界の中心で狸は叫ぶ

「お、お、お嬢!」


 血なまぐさい匂いだけを残して、すっかりそこには何も無くなっていた。

 這いつくばった狸が一匹、滑稽に、忙しなく頭を動かして今までそこに立っていたであろう彼女の姿を探す。


「嬢? お嬢っ、ルピナ! ルピナ? どこへ……どこへいったんでやんすか!」

「これはこれは珍妙な生物。美味いか否か――しかし見るからに、脂肪ばかりで味は悪そうだ。それに加えて」


 ナクロヴァネバは何ら力を込めずに蹴り飛ばす。

 ころころと転がるだけの狸はこれからの食事に何の障害ともならないと踏むと――或いは食ったところで何ら刺激となるモノはないだろうと結論付けて目的の方へと歩み寄る。


 以前としてユーミの足は状況が悪い。癒そうとするカナメの手は震え、脂汗と冷や汗で衣服を濡らしたユーミの身体は意識からの指令をないがしろにして、無意識下で自己治癒へ魔力を回すため、魔力を体外へと譲ってやることを無意識化下で拒否した。結果、安定した治癒の術式が発動しない。


 どこからか取り出した白いハンカチで口元を拭ったナクロヴァネバは異常な消化速度で胃の内容物を溶かしきり、身体を動かす栄養素が目減りして再び四つん這いの姿勢を取った。同時に目の色が変わり幾何かの知性も食欲の支配権にとってかわられた様子だ。顔を見れば分かる。


「お前……ルピナに何をした」

「ん? 食物が喋った……ッ! いや、これは済まぬ。生きていたのだったな。余の悪い癖だ、目に移るものが食物にしか見えぬ。感謝して食さねばな――そうそう、かの小娘は余の食糧庫……もとい地獄へと堕ちてもらった。時の流れ、その速度の違い故『食料』の鮮度が落ちにくいのだ――」


 ゆっくりとした口調とは裏腹にナクロヴァネバの目は血走る。お目当ての食事は、見たところまだ動けそうにはない。魔術を使われそれを食らったとして前菜に過ぎない。彼に言わせればそれも珍味。とはいえ、できればつまらないもので腹を圧迫してほしくはない。できれば空腹の最高潮でかぶりつき、絶頂を味わいたい。目下の悩みと言えば、


「さて……分けて食うか。或いは合わせて味わうか」


 どちらが至高か、どちらが究極か。

 ナクロヴァネバの味わいへの探求心が図らずも延命につながった。まだ思うようには動けないカナメとユーミを。

 そして――


「お嬢……お嬢っ! どこへ、どこへ行っちまったんでやんすか、お嬢がいないのに、どうしてあっしはまだここにいるんでやんすか! なんで、あっしは一緒に行けないんでやんす、あっしは、なんで役に立たないんでやんすかっ、なんのお役にも立てねぇで、なんであっしは存在してなくちゃならねぇっ!」


 憐れんだのか、悲観に暮れて泣き喚いているイプリスを一瞥して片方の眉を上げ、ナクロヴァネバは口角を動かして見せた。


「お嬢、あっしにも意味が欲しいでやんす! お嬢にとってあっしがいた意味を! 後生でやんす、誰か、あっしにもお嬢のお傍においてもらえる意義をくだせぇ、ただ何かに化けるだけじゃあなくて――!」


 じりじりと詰め寄るナクロヴァネバは、正気を失いつつあるように見える。それほどに寛美な味であった。そのままでもいいし、いかようにして喰らっても至福の時を得られる。それがたとえほんの一時の事であったとしても。

 同時に、食ってしまえばそれで終い。以降、同じかそれ以上の味わいに出会えることはそうそう無いのかもしれないと考えると、こうして食事を待つ時間が愛おしく、寂しく感じていることだろう。

 

 大量の唾液が地面に滴る音を、鼓動の音が追い越す。


「……化ける、だけ……?」


 だが、自分自身で呟いて違和感を感じた。焦っているということもあり、辺りが静寂に包まれたような気がした。時間が止まっているようだった。それに、頭の中で聞いた事のある声がする。

 

『本当にそうか? イプリス』

「トリスタンのオジキ! どこにいるんでやんす、何か知っておいでで!? でしたら教えてくだせえっ」


 辺りを見回すと、しかし声の主はどこにも見当たらない。辺りには危機と、絶望が蔓延して停滞し続けているだけ。

 はっきりと、イプリスは止まった時間の中でトリスタンと対話をしていた。


『化けていただけ。本当にそう思うのか? イプリス。考えてみるといい』

「そ、そうでやんす! あっしにはそれしか能が……ぃぇ、なんだか違う気がしやす」

『イプリス。お前さんは記憶さえも持っていなかった。しかしそれは少し違う』

「あっしは空っぽでやんした」

『それで然り。もともとお前さんは何も持っていなくて然る存在』

「あっしには何もないから……だから結局、何もんにもなれやしねぇ」

『何者にでもなれる。しかし、それさえも片鱗に過ぎぬ』

「姿かたちを、ひとまず象っただけでやんす」

『お前さんは、最も偉大なる存在の一つ。かつて召喚術を扱う彼らにとっては、お前さんが至高の存在であった』

「あっしが……?」

『イプリス。お前さんにとってはその滑稽な姿でさえ本来は不必要である。お前さんは勘違いをしている』

「勘違いって、何を……いえ、嗚呼、そうでやんす。あっしは思い違いをしていやした――」


 ルピナの生まれた日。

 イプリスには何もなかった。実体も何も。声も。

 ただ泣いているルピナを感じていた。


 しかしルピナによって召喚されたイプリスには宿命があった、使命だろうか。

 

 ルピナの目がまだ見えもしない時分、気に入っていたものがあった。母のお手製で少し出来の悪いそれの、ふわふわとした手触りの気持ちの良さに彼女は執心し、両親は事あるごとにそれを抱かせてあやした。泣き止ませ、寝付かせたり、笑わせた。


 ある日、鳥か、はたまた動物の仕業か――いずれにせよ、『それ』が無くなってしまった時には両親は頑として泣き止むつもりがないのであろう娘に辟易がしたのだった。

 

 これはまずいと村中をくまなく探したというのに、結局見つからないまま。

 日が暮れくたびれ、諦めて帰宅すると両親は顔を見合わせて驚いた。


 消えたはずの【狸のぬいぐるみ】を抱いて、ルピナはすやすやと寝息を立てていたのだから。


「――あっしは化けていたんじゃない。存在を置き換えていたんでやんす。実際この世に有る無しを無視して。空想の物でも、理想の物でも。あっしの……いえ、お嬢の、願うままの姿に」

『故にお前さんは至高。それを扱える術師こそ究極。何も思い出せないことを思い出したか? ならばさっさと立ち向かうといい。きっとお前さんを呼ぶ声が聞こえる。だれよりも強く、お前さんを呼ぶ声が聞こえるはずだ。応えるといい――』


 狸は力強く頷く。

 

『これ以上このトリスタン、役には立てぬ。いや否……役に立ってはならぬ。他の騎士も然り。我らが役に立つというのはつまり、術師を死に際に追いやる。たとえ本人が望むのだとしても、それではこのトリスタン、彼女の親御に合わす顔がない……騎士の卓にはまだ空席があるが……どうやらお前さんは、騎士などではなく“家族”としてルピナを守りたいようだ。それは何よりも硬い盾となりうる』


 徐々に遠ざかっていくトリスタンの声と、次第に彩を取り戻すこの現世が交差する中心で狸は叫ぶ。


「…………お嬢ォーッ!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ