後
「エリザ……どういう事だ?」
「どういう事、とは?」
「何故君が、ヴィクター殿に嫁いで……昔みたいな笑顔も……」
「アルバート殿下、私の妻を愛称で呼ぶのはやめていただきたい」
「! ……っ、し……失礼した」
アルバート殿下の腕には、扇で顔を隠してツンと澄ました……アルの苦手な、王妃様とはまた別のタイプの「貴族らしい貴族令嬢」の見本とも言えるようなヨハンナ様が静かに控えている。彼女が側妃となるのはほぼ決定していると聞いた。
アリスを娶る事になったら、代わりに王妃としての職務をこなす誰かが絶対に必要になると思っていた。
当初の予想通りそれはヨハンナ様となって、私がこうして計画した事の余波を受けた彼女と実際顔を合わせると罪悪感が湧いてくる。彼女がこの婚姻を心から喜んでいて、恋愛はいらないと言いつつ職業王妃として外交や慈善事業で腕を揮うのを楽しんでくれているのが救いだ。
アリスは当初から「寵愛を受け取る事こそが私の役割」と言い張り、政務や外交や、彼女が嫌だと判断された王太子妃としての様々な仕事は全てヨハンナ様がこなしている。そうね、あの子外面は良かったけど能力は無いから。
こんな辺境の地での結婚式になんて出たくなかったのだろう。花嫁の名前を知っていたら、私に昔奪った男を見せつけるために幸せだと偽ってでも参加していたかもしれないが。ああでも、私は今祖父母の養子に入って家名とミドルネームが変わっているから、不勉強な異母妹では見ても気付かなかったのかもしれない。「エリザベート」は貴族令嬢にはよくある名前だもの。
今ではアリスがどんな手を使ってアルバートの正妃となったか、なぜそんな犯罪者を隣国の顔色を窺って王家に迎える事になったかという実情は貴族達に知られてしまっている。
当のアリスは私の自慢に見せかけた指導のもと「アルバート殿下好みの女」をあれほど熱心に演じていたのに、取り繕えなくなった本性はもう隠せなくなったようだ。元々虫や動物は苦手だって言ってたし、かなり無理をしていたのでしょうね。
「何をしてでも、どうなってもアルバート殿下と結婚したい」と言っていたと私の侍女が耳にしたと聞いたのに。そうまでして手に入れた愛の無い結婚生活に「こんなはずじゃなかった」と泣き暮らしているらしい。
あの一回で妊娠して産まれた娘は、アルバートの気持ちがそれでも自分に向かないと気付いた瞬間から用無しとばかりに面倒も見ようともしないそうだ。馬鹿な女、最愛の人にはなれなくてもいつか家族にはなれたかもしれないのに。
それでも、義母やその実家のように何でも望みを叶えてペットのように溺愛し続ける優しい虐待をして暴君を再生産するよりマシだろうか。
「……ニクス辺境伯夫人は……俺の婚約者だった時と……ずいぶん様子が違うんだな……」
恨めしげにそう言われると勝手な、と怒りが湧きそうになる。貴方のせいで私は窮屈な生活を強いられていたというのに、環境を改善する事だってしようともせず。今では愛していた分そのまま憎しみに転嫁してしまっている。
私は、十分我慢していた。やりたかった事も、好きな事もたくさん我慢して。私生活では指の運び方ひとつ、ささいな言葉遣いにすら目を光らされる窮屈な生活を送っていた。すべて、アルバート殿下の婚約者になるためだけに要求された。
別に恨んではいない。アルバート殿下も私と同じくらい不自由な生活を送るべきとも思っていない。私の努力に対する謝罪も、感謝も欲しいとは思ってなかった。……だって、私はアルの事が好きだったから。王妃様や周りに認められるために、隣に立つために必要だと自ら望んでしていた努力だった、から。
王妃教育に基づく私の振る舞いが気に入らないのは分かっていた。それでも良かった、趣味嗜好は変えられない。私だって嫌だけど仕方なく「次期王妃」を演じていたのだもの。ただ、因果関係も理解せずに彼らに笑い者にされて、私の中のアルへの恋慕を支えていた糸があの時ぷつりと切れてしまったのだ。
あの瞬間、理解してもらいたい、反省して欲しい、なんて思う価値も見出せなくなった。
人の中には私を薄情者と罵る者がいるかもしれない。勝手に言えばいいし、じゃああなたは愛した相手からどんな扱いをされても、どんな立場に追い込まれても、その人を愛し続ければいいんじゃない? 私には無理だった、それだけ。
私が置かれていた状況を説明したら分かってくれたんだろうけど。説明して分かってもらおうって気持ちが空っぽになってたのよね。
別に私だって私が一切悪くないとは思っていない。次期王妃としては私があのまま我慢すべきだったのだろう。その後王妃様や教育係にお小言をもらう事も耐えればアルバート殿下の大好きだった「エリザ」にもなれた。
でも自分が幸せになるために動いただけ。けれど別に罠にはめた訳ではない、アリスとの結婚はアルバート殿下がそれまでの行いで選んで進んだ道だもの。私は関わってすらいない。悪意の証明すら出来ないのじゃないかしら。
それに、私は悪い事を実際した訳ではないし。可愛い義妹に好きな男性である自分の婚約者の好みをそれとなく教えてあげただけ。「アルは貴女とは全然違うタイプが好きなのよ」「この物語に出てくるような少女騎士みたいな、アリスには無理でしょう?」って自慢にも見える、アドバイスを兼ねた忠告を。
アルバート殿下の態度から自分が利用されたと知ったアリスは意図を分かっているかもしれないけど、私を何の罪にも問えないわ。
今は何も我慢することはない。辺境は外国の気風の強い、私にとっては過ごしやすい土地だった。それはここで過ごした日々で分かっていた事だけど。
辺境伯家では淑女のすることではない、と非難されることを恐れて……興味はあったが出来なかった商売をさせてもらって時には店先に立つ事もある。この前は子供の頃みたいに汚れながら庭でヴィクター様と、その愛犬と駆け回ったりもした。ここでは本来の私を否定する人はいない。先代の辺境伯夫婦は、今は余生を楽しむためにと2人で冒険者になっていると言えばどれほど自由に過ごせるか分かるだろうか。
あの生活は窮屈でしかなかったけど、次期王妃としての責任はあったから、アルバート殿下の婚約者としての振る舞いは完璧にこなした。特に最後の一年は過剰なほどに。
……完璧な淑女としての言動を取るほどアルバート殿下は嫌がって、当て付けにアリスを可愛がるのも……アリスが、そのたびに「かなり親しくなれたのに婚約者の変更は了承してくれない」と思いつめていくのも、彼女を溺愛している義母の力を頼るのも、お父様の愛を得られずアリスに執着している義母が自分を重ねて「この子の恋を叶えねば」と心を病んでいたのも分かっていたけど。
私が何度も忠告した言葉を守ってくれていれば、アリスに薬を盛られて個室に引きずり込まれる事なんて無かったのに。侍女と護衛がいるから2人きりではない、と思ったのかしら?
でもアリスの細腕ではアルバート殿下の服を脱がせるなんて出来ないし、貴族令嬢のコルセットは自分で着脱できる作りになっていない。義母の息のかかっていた護衛と侍女も実行犯になったのだろう。自分の身一つで捕食者の待ち構える巣の中に入ったのだから、こうなる事くらい分かっていなければならなかったのに。
国交を盾にされ、結婚祝いにと隣国の王が提示した祝儀をこちらの王は受け入れるしかなかった。いいのではないかしら? こちらの方が大きな国益を生んだのだから。
そうして私はアリスの代わりに婚約を破棄されて、7つ歳上のヴィクター様に嫁いだのだ。
しかししょうがなく嫁いだのではない。政略で嫁いで来たくせに男を作って逃げた妻のことを一度も悪く言わないヴィクター様なら信頼関係が築けると思って私も喜んで手を取ったのだ。
……お祖父様経由で連絡を取る前に、ヴィクター様からお手紙をもらったのはとても驚いたけど。
領地にいた祖父母の元で出会ったヴィクター様。当時はヴィクター兄様と呼んで、アルバート殿下も実の兄のように慕っていた。隣の領地を守る、お祖父様の親友の孫で……当時療養に来ていたアルバート殿下を含めて私達兄妹とも家族のように育った。
当然私のおてんばも知っている。そんな素の自分を押し込めて淑女らしく振る舞っていた私を、「素敵なレディになるためにきっととても努力したんだね」と私の頑張りを労った上で、昔の私も今の私も変わらず可愛くて大好きと言っていただいたの。
可愛い、なんて子供の頃にアルバート殿下やお兄様に言われたきりで。久しぶりに女の子扱いされてあの時は思わず顔が熱くなってしまった。
最初は当て付けでもしてやるつもりだったけど、ヴィクター様が素敵すぎて改めて恋をした私にそんな暇はこれから訪れる予定はない。
御前を失礼する挨拶をした後、アルバート殿下に聞こえる位置でヴィクター様に声をかける。王妃教育では「はしたない」とされるような満面の笑みでヴィクター様を見上げた。自分が大好きだった初恋の面影が残る私の表情を見て、アルバート殿下が息を呑んだのが視界の端に映ったが私は気にも留めない。
「もうすぐ曲が始まるわ、ヴィクター様、ダンスはいかが?」
「いいねぇ、可愛いエリーの誘いで踊れるなんて夢みたいだ」
女性からダンスを誘うなんて、王妃教育をしている頃なら淑女のマナー教典を3回は初めから書き取りさせられていただろう。ヨハンナ様も驚いたように眉をひそめるのではないか。でも本来の私はこうなのだ。辺境ではこのくらい許される、マナー違反にならない程度にのびのびとこのひと時を楽しみたい。王都で辺境を束ねる寄親に挨拶に行った時は当然私もヴィクター様もきっちり紳士淑女として相応しい振る舞いをしたけれど。
でも今日は、せっかくの私の結婚式なのだもの。
「エリー」
「ヴィクター様、どうしたの?」
「いつもみたいに呼んで?」
「……恥ずかしいわ、こんな人前で……」
「エリー、君と愛し合ってるって今感じたい」
「もう、ヴィーったら……」
くるくると、この日のために作った花嫁衣装を翻しながらヴィクター様の……ヴィーの腕の中で微笑む。私達を祝福する来賓達に囲まれながら、「明日は昼までゆっくりしてから、庭にピクニックに行こうか。僕が軽食を作るよ」と、陽だまりのような笑顔を浮かべるヴィーに私もつられて笑った。
ひとしきり盛り上がった宴が落ち着いた頃、親族として参加していたお兄様がわざわざ近寄ってきて、ヴィーに聞こえないように小声で教えてきた。
「アルバート、泣いてたぞ」
だから何? と。そう思った私は殿下がいるらしいバルコニーへと誘うお兄様を遠ざけた。
最後のお別れをさせてあげようと思ったようだ。家族である自分がそばにいれば二人きりは避けられる、醜聞にはならないと判断したみたいだけど、それを叶える義理は無いわ。お兄様もアルバート殿下も、私の言葉は聞いてくれなかったし、思いも汲み取ってくれなかったじゃない。
アルバート殿下はきっと、自分に都合が良かったから私を好きになったのだろう。まるで少年のような……少年だったアルバート殿下と同じ目線で考えて、同じ目線で遊べる、男友達のように気安い、しかし可愛い少女だった特別な私が好きだっただけ。
その証拠に、アルバート殿下にとって好ましくない……都合の良い振る舞いが出来なくなった私は疎まれるようになった。私の中身は何も変わっていないのに。
あの男は次期王として、自分の隣に立つ女性に「快活で朗らかな幼馴染みの少女」がそのまま立てるわけがないといつ気付くのだろう。また別の、アルバート殿下の好みのちょっとおてんばな女性を側に望んだとして。彼女はアルバート殿下に侍るのに相応しい振る舞いを身につけさせられてすぐにアルバート殿下の好みから外れるだろう。かつての私のように。
もう終わった事。
利用したアリスに申し訳なさは無い。あの子はアルバート殿下が恋しいあまり、私に対してまるで小説の悪役のような嫌がらせを執拗にしてきていたから。「嫌がらせ」という可愛いものに収まらず、私さえいなければと思ったのか。命を狙われた事も一度や二度ではない、明らかにはなっていないがおそらくそれさえも隣国の手によるものだろう。
お母様の命と引き換えに産まれてきた私を愛してくれないどころか恨んで、ろくに守ってもくれない父親なんてどうでもいい。お母様そっくりに育った私を見ると辛くなるから、と避けられて家族として接した記憶もほとんど無いし。
結婚式の夜。ヴィーの腕に閉じ込められた私の中の幼い少女が、自分の初恋を弔っている。初めてアルバート殿下にもらった野の花の小さな花束。王都の花屋では取り扱わないような小さな花達……それを自分の胸の前に供えると、私の頭の隅にいた女の子は薄れて消えていった。
「自業自得で最愛の人が離れていって後悔して吐くほど泣く男の話が読みたいな」と思って勢いだけで書きました。
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2023/11追記
そして、「崖っぷち令嬢ですが、意地と策略で幸せになります!」シリーズで「婚約破棄、承りました~エリザベートは愛想が尽きた~」としてコミカライズしていただきました!各電子書籍店様で配信が開始されています
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