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何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
きみの生活
11/22

3ノ1 冴エナイ

 冬の光は暖かく、優しい。色々思い浮かべれば悪い事ばかり浮かぶけど、雨は降りそうにないから、きっと一年の始まりはそう悪くはないだろうな。

 き(・)み(・)は思う。大学を卒業して10年、色々あったといえばあったけれど、何もなかったといえば何もない。時が過ぎるのはあっという間、きみは会社ですっかりお局(つぼね)さん扱いされる立場になり、ただ仕事と家を往復する毎日になっていた。

 30歳の時に結婚する予定だったきみは、その男に裏切られ、予測していた未来の全てが崩壊してしまったからそれ以来人間不信になってしまった。精神不安定になり、安定剤と睡眠薬を飲みながら一年を過ごした。

 昨年にはやっと復調してまともな人間に戻れたと感じていたが、2年の無駄な月日はきみを悲しい気分にさせていた。ただでさえ30過ぎになってしまったのにさらに2年が無駄になった。未来のプランをもすっかり失われ、これからどういう人生を歩んでいいか定まらずにいた。


 新年が始まり、会社に行く。気の重い朝の通勤時を抜けるといつもの事務所のいつものデスクに座っている。年末にだいぶ片付けたはずのデスク回りだけど、隣の席、入社してまだ2年の茶髪の子が座る机とは比べ物にならないくらい物に溢れている。

 ザツだな、わたし。ときみは思う。

 入れ替りの激しい営業部署は常に新鮮な人を見かけるけれど、きみだけは何一つ変わらず同じデスクワークを続けている。毎日同じソフトに同じような数値のデータを入力し続ける。

 何気なく始まる新年、さすがにどこの会社も休みだっただけあって新年早々はまだ少しだけ気が楽である。

 年末は、使い物にならない茶髪の子が散々間違えてくれたので大忙しの毎日だった。その付けは回るし、ちゃんと指導しておいてくれよ、と部長は茶髪の女の子よりこっちを責めるし、いつ辞表を出してやろうかと考えていたが、正月休みで少しは気も落ち着き、新しい年の始まりにはもうどうでもよい心持になっていた。

 それだけでなく昨年の12月は、きみには良くないことばかり起きた。仕事もそうだが、私生活ではきみの好きだった連載小説が突如終了してしまった。きみは『溝端』という名前の作家の本を好んで買っていた。この2年間、きみは彼の作品を読むことで落ち着き、彼の書いたエッセイやそれ以外、彼の文章が載っている雑誌を見つけて読むことが唯一の楽しみとなっていた。その中で一番楽しみにしていた雑誌の小説が連載半端に打ち切りとなってしまった。

 どうして休止してしまったのだろう?と考えたが、それは確かにいつもの溝端の作品に比べてつまらなさも感じたので、全く納得のいかないというわけではなかった。

 それ以来、雑誌に『溝端』の名前が見つからなくなった。とは言っても年末年始の1週間だけだ。

 またそのうちどこかで新しい小説が見られるだろう。きみはそう予感して新しい一年にその楽しみを待ち望んでいる。


 正月は実家に帰り、ダラダラと過ごした。実家ではバラエティー番組ばかりを見て笑っていた。親は、結婚はまだ?とか、実家に帰ってくれば?とか、何だかんだと言って五月蠅(うるさ)いが、食べ物はコタツで寝ていれば出てくるので困ることはない。そんなダラダラした生活にきみの疲れも少しは取れたようだ。また少し太ったな、ときみは思うが、顔の作りには影響してなさそうなので、まあいいか、ときみは呟いた。


 新しい年が始まっている。とりあえず無難な一年のスタートを切れたようだ、ときみは思っている。

 今年はいい年にしたいものですね。


 ※


 正月ののんびりムードも長くは続かない。他部署から勃発した営業部長へのクレームは、営業社員への批判に繋がり、営業社員のやり場のない怒りは営業事務であるきみに向けられた。心も清らかにこの一年はやり直そう、と思っていたきみの改心をぶち壊しにする最悪な事態となった。

「おい、ちゃんとやっとけよ」と、きざな男が耳障りに言い放つ。

 わたしに言うべきことじゃないだろ!ときみは怒鳴り返してやりたいが、そこは我慢する。そもそも隣に座る茶髪の子のやり忘れたことだ。若い女の子に言えないからとこっち言ってくる。最低の男だ!ときみはその男を嫌う。

「ちょっと、あれ、メール、まだ送ってなかったの?」ときみはその女の子に言う。

「あれ?そうでしたっけ」と、その子は素っ気なく返事をする。

 その子は仕事も済まさず、机を離れて別の事務の子を連れて事務所を出てゆく。トイレかどこかできみの悪口を言い出しているのだろう。きみはその事を知っている。

 どうでもいいから早くやれよ!

 きみの苛立ちはさらに増す。もう可愛い女の子と一緒にされない齢であるのは十分わかっているが、これが本当のわたしじゃない、ときみは思いたい。

 部長にあれやってこれやと言われ、また隣の茶髪の子がダラダラ仕事を始める。きみは業務を素早くこなしてゆくが、だんだんイライラが募ってゆく。きみは気づかぬうちに少しずつ重ーい雰囲気を辺りに拡がっている。

 恐い怖いと言って、隣の茶髪の子はまたどこかへ行ってしまい、いつもは比較的優しい営業の男の子もきみには近寄ってこずに別の子に仕事を頼んでいた。

 きみは一人ぼっちで部長の仕事をやり続ける。

 パッと資料を出して、部長には何も言わせず、終業のチャイムが鳴ると共に職場を後にする。別にどこへ立ち寄るわけでもない。ただただ帰りたいだけだ。


 家に着くなり、きみは一人、もおおおおおいやああああ、と大声を発する。そしてバタンとベットに横たわる。30分間、動かずにずっと倒れて寝ていたら少しだけ気が楽になった。

 今度は落ち着かない気持ちになったのでネットを立ち上げる。これといった趣味のないきみだが、唯一やっているSNSがある。そしていつも入り込むコミュニティーは決まっている。『小説家溝端を語る』というコミュニティーがきみの唯一入り込む空間だ。

 きみがコミュニティーに入り込むのは溝端の連載小説が終って以来、1ヶ月ぶりくらいだった。普段はアバターに溢れ、なかなか入り込むのも難しかったその部屋もその日は余裕で入ることができた。周りのアバターはみな同じ話題を口にしていた。

「溝端は何をしているか?」

 それがもっぱらの話題だった。

「海外旅行」「休養」という者が多いが、「新作を作っている」「山に篭(こも)って考え中」という者もいる。

 あれやこれやと何人かがチャットしていた後に、中央にいたアバターが急に話に加わり出した。

「死んだんだ」とそのアバターは言った。

「まさか?」と最初から話していたアバターが返す。

 すると、中央のアバターは急に走り回り、わめき出した。

「死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ」

 周りにいるアバターはぞっとし、部屋を去ってゆく。きみも逃げようかと思ったが、何となくそのタイミングを逃してしまった。

「いいかげんな事をいう奴を排除しろ!」と右上はじにいたアバターが言う。

「そうだ、そうだ」と別のアバターが言う。

 やがて残っていた周りのアバターがそれに賛同し、「そうだ、そうだ、いいかげんなことを言うな、出て行け」と言い出す。

 きみは何も言えずにじっと見守っていた。

 中央のアバターはやがて笑い出した。何度も何度も腹を抱えて笑った。皆、声を出すのをやめてしまった。あまりにも異様な光景にみなぞっとしていたのだ。やがて腹を抱え笑いながら「死んだ、死んだ」と連呼して、そのアバターは消えてしまった。

 瞬間、きみは我に返った。パソコンの画面から目を離し、辺りを見回した。当り前だが誰もいない一人きりの部屋にいる。

 現実に戻ろう、ときみは思い、コミュニティーの部屋を抜け出し、パソコンをシャットダウンした。

 きみは静かになった一人きりの空間でふと作家溝端が何をしているかについて考えた。正しくは、作家溝端ではなく、一人の人間である『溝端』と名乗る男について考えた。

 彼は一体どんな人間なのだろう?そしてどこで何をしているのだろう?実は本当に死んでしまったのかもしれない。もともと謎の多い作家であるが、作家として小説を書かなくなったら余計に彼が謎めいて感じられる。謎が謎のまま消えてしまった。答えを教えてくれない難問のなぞなぞを出されたかのようにきみの脳はすっきりしない。

 無駄に悩みが増えてゆくな、ときみは思う。

 そんな全ては忘れてしまえばいい。どうせ全てがどうでもいい事なのだから。世の中たいていはどうでもいい事ばかりだ。


 ※


 また1週間が始まる。何気ない一日にはやり直せるさ、ときみは思う。

 混み合った電車の中できみは周囲の人間をいないモノとして一人きりの気分になる。そして忘れていた過去の楽しい思い出でも思い返してみる。

 旅行に行った思い出やコンサートの感動、高級レストランで食べた料理の味やお気に入りのブランドの服が手に入った日の事、そういった一つ一つがきみの本日の悪いであろうと想像して浮かんでくる全ての出来事を忘れさせてくれる。今ある化粧くさい満員電車も気のせいにしてしまえる。

 少し調子のいい笑顔を浮かべる。

 でも夕暮れ過ぎて家に帰る頃にはまたどす黒い表情を浮かべている。結局、夜中の8時過ぎに逃げ出すように会社を出てきて帰路へと向かう。慌てて足早に帰る必要はないのだけれど、足は落ち着きなくどたばたと家路へと急いでいる。

 頭の中はあれやこれやのうだうだ事が巡り巡っている。きみの脳は営業に要求されていた資料を作ることに今も追い回されている。もう終ったはずなのに。明日やり直しと言われそうだ。不安を感じる。今夜は悪い夢を見そうだ、と眠れない夜を想像する。

 きみは全てから逃げたいから、家に帰ってまずパソコンを立ち上げた。そしてアバターの世界へと入り込んでゆく。通称『溝端コミュ』の入口は中に一人しかいない表示を記していた。きみはそこにしか入る所がないが、この間の狂ったような奴がいるんじゃないかと入るのに躊躇(ちゅうちょ)する。でも現状を打破したかった。だからきみは思い切ってそこに加わる。

 一人のアバターがいる。男のアバターでこの間のおかしな奴と違って極めて普通に見える。

「こんにちは、僕はあつし」と彼は挨拶をしてきた。

「こんばんは」ときみは返す。

「そうだね、こんばんは、だね」とあつしは言って、照れの表情を浮かべる。

 きみのアバターは笑顔を作ってそれに応えてやる。

「このコミュもすっかり人がいなくなりましたね」と、あつしはきみに尋ねてくる。

「ここ数カ月で、彼の名前は雑誌から消えてしまったから」と、きみは答える。

「お詳しいようですね」とあつしはきみに言う。

「いえ、それほどでも」と、きみは謙遜(けんそん)する。

「彼が今、どこで何をしているか、知りたくありませんか?」

「もちろん。知りたい!」ときみはすぐさま、そうキーボードを叩いていた。

 が、エンターキーを押すのを止めて、一度消してから、「彼がどこで何をしているか、知っている人がいないのが、彼らしくていいんじゃないですか?」と打ってみた。

「そうですか。僕は彼について意外と詳しいので、もし知りたいのであれば…」と、あつし。

 きみは物凄く知りたい。

「そう、そうなんですか?」と、微妙に驚くだけで我慢する。

「本当は知りたいでしょ?」とあつしはきみに聞いてくる。

 もうきみは我慢できない。

「そりゃ、知りたいですよ」と、書いてついにエンターを押す。

「じゃあ、こんど、探しに行きましょ!」と、あつしは言う。

  どこにいるか、知らんのかい!?ときみは突っ込みたかったが、そこは女の子らしく「ええ、どこに探しに行くんですかあ?」なんて探りを入れてみる。

「僕はいくつか、彼の現れる場所を知っている。もしきみがそれを信じるなら、付いておいでよ。これはここだけの秘密だよ」

 そして、きみの『溝端を探せ!』の日々は始まった。今まであった平凡退屈な日々が一気に急展開しようとしていた。


 ※


 久々に誰かに会えると思ったら、きみは心持(こころもち)はしゃいでいた。

 待ち合わせは「土曜日の朝9時30分に神保町にある喫茶店で会いましょう」との話だった。

 きみは朝8時に家を出て、言われた喫茶店に向かう。きみの住むアパートから1時間くらいかかる。めったに出歩くことはないから、乗り換えもきっちり何度も確認した。でも駅は複雑だからうまく行きつけるかは不安だ。昔、大学時代の友人と本を買いに行って以来、そのあたりに行った覚えはない。そしてあれやこれやと心配ごとが溢れてくる。

 でも実際に行ってみたら乗り換えも間違えなく、時間も正確に約束していた喫茶店に着くことができた。駅に着いたとき、周りのお店はまだ閉まっていたので不安な気持ちでいっぱいになったが、約束の喫茶店はきっちりと開いていた。

 薄暗い作りの店内を見渡してみた。3人の客がいる。誰かがあ(・)つ(・)し(・)と名乗る男かもしれない、ときみは考える。

 一人は太ったおじさん、もう一人はサラリーマン風のスーツを着た30代の男、もう一人は後ろを向いていてよくわからないが同じく30代くらいの人のようだ。

 きみは不安に思いながらも敢えて3人の客の横を通り過ぎてみる。太ったおじさんも30代のサラリーマンもこっちを見ようとはしない。一番奥まで行って、もう一人の男の顔を覗く。眼鏡をかけた髪の毛がぼさぼさの男はきみのほうを見る。が、すぐに目を逸らし、モバイルパソコンとまた睨めっこを始めた。

 まだ9時過ぎたばかりだから早いのだろう。ときみは思う。きみはなるべく目立つ入口に近い椅子に座ってあつしが来るのを待つ。

 ドキドキものだ。32にもなって、何をドキドキしているんだか。きみは少し自分を落ち着かそうとするが、年齢に関係なくしばらく現実での出会いに欠けていたきみの心は落ち着きを取り戻せない。

 バナナオレを頼んで、甘みを楽しむ。

 結局時間になっても現れず、バナナオレをお代わりし3杯頼んでしまったきみだがあつしという人物はいっこうに現れない。入ってくるのは年配のご老人ばかり、たまに来る若そうな人も入口付近に置かれた新聞を取って、そいつに目を通したり、自分で持ってきた本を読み始めたり、まったくきみに興味を示そうとしない。

 そのまま2時間が過ぎてしまっていた。

 わたしは何をドキドキしていたんだろう。そこには怒りもあり、苛立ちもあったが何よりも、強い恥ずかしさがあった。

 ハッときみは思う。携帯を取り出しいつものSNSへと入り込む。メアドも電話番号も教えていないのだから、何かあれば連絡の手段はここしかないはず。2時間も気づかずにただ待ち続けていた自分が情けない。

 予想どおり、そこには待ち合わせ場所変更のメッセージが残されていた。あつしは「新宿に変更したい」というメッセージを残していた。もう2時間も前だ。

 きみは慌てて伝票を取って、お金を払い、喫茶店を出て、新宿に向かう。新宿へのルートはきっとなんとかわかりそうだ。すべての道は新宿へ通ず。とか思って。


 なんとか30~40分後には新宿にいた。もうお昼間近の時間だ。慌てて、携帯を取り出し、さっきのサイトへ。そしてメッセージを書き込む。

「新宿に着きました。新宿のどこにいますか?」

 なんで今頃メッセージを送るんだろう?と我ながらそこで思う。さっき気づいたときにまず返すべきだったのに。でももう遅い。今はこの対応しかできない。

 きみはオンラインのまま、返信を待つ。そういえばメッセージが来たらメールに繋がる機能もあったなあ、なんて気づいたけど何もかもがとても遅い。

 新宿東口改札で辺りを見回しあつしを探す。たくさんの人が待ち合わせをしているからどこかにいるのかいないのかもさっぱりわからない。出会えた人たちが笑顔になってどこかへ行ってしまうのを見ると、きみはひどく寂しい気持ちになる。

 わたしだけ用もないのに一人で立たされているかのよう。

 数十分、そこで待った。

「突然の変更でごめんね。今日はもう遅い。また次回にしよう」

 メッセージは何の前触れもなくふと届いていた。画面に目を落としたらそこに置かれていた。最初から決まっていたかのように、そういうメッセージが送り返されてきたかのようだった。

 もう遅い?まだお昼なのに?ときみは思うが、認めるしかない。

 きみは自分の準備不足を幻滅する。さらに何を一人ではしゃいでいたのかとバカバカしい気持ちにさせられてゆく。いつもよりも化粧の時間が長かったのを思い出すとひどく恥ずかしい。

 次の機会はあるの?きみは不安に思うが、ただあつしのいう人を信じるしかなかった。それとも、もうあきらめてしまおうかな?選択権はきみにあるのだから、それはきみの好きにすればいいのだけれど。

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