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何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
かれの生活
10/22

2ノ5 失セル

 自宅に帰った()()は一週間ほど誰にも会わずに一人で過ごした。かれの家を訪れる者は一人としていなかった。長い髪の女もやってこなかった。それどころか電話もなければメールもない。わずかな繋がりもない毎日だ。

 一人になって三日後、長い髪の女へ電話してみようという気持ちになり電話をかけてみた。コールは続き10回20回鳴っても出ないので諦めて切った。しばらく待ったが返信もないのでメールをしてみようと考えた。

 何かを打ってみるがあまりにまとまりのない文章、暗い男にも見えるし、書き直せば軽い男にも見える。さらに直せば重い文になって、また直せば意味不明になっている。やがてかれはメールを打つのをあきらめた。

 薄っぺらな連絡用のメールを保存して、全てをあきらめた。そのうち向こうから連絡があるだろうと待っていたがどれだけ経っても電話はかかってこなかった。メールも送られてくることはなかった。

 家にいると世の中は滅んでしまったかのように静かだった。

 晴れた天気のいい日だったから電車に乗って街まで出かけた。

 世の中は滅んでいなかった。いつもどおり営まれていた。当り前ではある。

 行くところも思い付かなかったので洋服屋へ行って、シャツを2着とカジュアルスーツを1着、コートを1着買った。久しぶりの買い物だった。

 お店の人とはいえ、人と話をするのは3日ぶりだった。かれは自分の声が店員に届いているかさえ不安だった。自分の姿が相手には見えないんじゃないかとさえ疑った。もちろんそんなはずはなく、店員はあれこれと服を勧めてきて、何となく納得させられるままにそれらの服を買った。

 手荷物がいっぱいになったので、タクシーに乗った。タクシーの運転手はなにやら話しかけてきたが、かれは軽く頷いて、後はほとんど何も聞いていなかった。やがて運転手もその対応に気づき話を止めた。

 結局その日、長い髪の女からの返答はなかった。翌日もなく、かれは家で一日を送った。

 やがてやってきたのは四角い顔をした茶縁眼鏡を掛けた清楚な男だった。突然辞めてしまったという編集者の女に代わりに来たと言う。

 心の中でかれは酷い動揺をした。心臓がバクバクいって、顔が赤くなった。こんなに落ち着かない気持ちになったのは始めてかもしれない、とさえ思った。

 でもその茶縁眼鏡の男の前では冷静なふりをしていた。

「そうか、それは残念だね。よろしく頼むよ」なんて言って、格好つけて見せた。

 ろくな推測もできず、長い髪の女がどこへ行ったのか、さっぱりわからなかった。女がいなくなって、より一層頭が働かなくなった。無意味に彼女の事を考え、書こうとしていた物語はうまく描けず、だらだらとつまらない文章を書いていた。

 茶縁眼鏡の男は甘くなかった。

「ここも間違えてますよ。この言葉の使い方はおかしいでしょ」と、その男は言った。やれやれ、面倒な奴が来たものだ、とかれは思ったが素直に従って書き直した。

 しかし茶縁眼鏡の男はそればかりでなく、物語の内容まで口を出してきた。

「これは不自然だし、展開として首を傾げるしかないですね」とか「ここで出てくるおじさんが、ここで出てくる時にはキャラがぶれすぎている。イメージが湧きません」なんて偉そうに言ってくる。

 仕方なくかれは書き直す。文面は堅くなり、文章中に説明文が増えてゆく。確かにわかりやすくはなっているのかもしれないが、それでいいのかと首を捻る。

 しかし女の事ばかりが気になる今のかれには、小説がどうでもよくなっていた。言われるがまま直し、言われるがままの生活を送った。


 これ程やる気がない日々が訪れるとは思っていなかったろう。でも今のかれにはやる気がどうのこうのと考える余裕すらない。かれは家で一日中ベッドに寝ている。

 でも苛立っていた。最近は茶縁眼鏡の編集者の男が毎日のようにかれの場所を訪れ、書き上げた小説のダメ出しを続けた。書きたいものは何一つ書けない。しかし書きたいと思うほどの強い意思も持ってはいない。どちらかというと茶縁眼鏡の男に流されていた。

 かれの頭の中にあるのは長い髪の女だった。何とかしたいという気持ちがあった。

 なぜ去ったのか?と、かれは考える。最後に彼女に会う前に買った娼婦の事が頭に浮かび、それに気づかれたのか?と考える。でも、そうでなく、やはり質の悪い小説しか書けなくなったせいではないか?と考える。

 誰もいない一人の時間。大きなベッドに一人眠り続けていたが、気持ちを入れ直し、机に向かい、何かを書こうとする。でもやはり何も思い浮かばない。苛立ちが増し、頭に血が上る。

 またあの茶縁眼鏡に嫌味を言われると感じれば嫌な気分になる。茶縁眼鏡の男は東大出のエリートで偉ぶっている。

「先生、最近は読者票も落ちてますよ。酷いものです。私は先生へのコメントをいろいろ観ましたけど、まあ酷いもんです。読まない方がいいですね。世の中の一般人が言う事はほんとにきついですねえ」

 かれは言いたかった。

『災厄なのはおまえだ。おまえに言われるくらいなら読者に言われたほうがましだ』

 そう言ってやりたかったが、その怒りを抑えた。


 それは昨日の話。今日はそいつがいない。まだましな一日だ、とかれは思う。そして何もやる気が起きないまま日が暮れて、何もないまま眠りたい気持ちが増した。

 一日が終る。それが繰り返される。それが当り前になってゆく。


 ※


 年の瀬だった。雑誌の連載から『溝端』の名前が消えた。

 新連載が始まって2ヶ月。書き始められた新作はわずか2ヶ月で終了した。終了を知った読者たちは驚きを感じてもいなかった。その作品は明らかに面白味に欠け、退屈な説明の連続となっていた。やはりな、と思う人の方が多い。

 その前の号で、連載休止となり、このまま終了と感じた読者も少なくはない。当然の成り行きのように、誰もが受け止めていた。

 かれは六本木のマンションを引き払い、酷く空気の冷たい別荘へとやってきた。必要な物はいくつかの段ボールに詰め込んで、後はそのままマンションに置き捨ててきたから、引っ越しに時間はかからなかった。

 本邸となった別荘は物悲しくなるような寒さに包まれていた。灯油を買って、暖房器具をつけないといけないな、とかれは思う。そう思うと、いつものポルシェも不便な乗り物に思えた。程よい大きさの車が必要だと感じられた。

 でも何もかもやる気がなくなっていた。だから暖房をつけてソファーの上に横になっているだけだった。

 もう何もやる気がしない。

 本当はインテリ編集者の男をとっちめてやりたかったが、その気もすっかりうせてしまっていた。長い髪の女の行方も気になっていたが、探す気力もまるで無くなっていた。気力を増すための様々な行為すらやるのが面倒な気分。


 何もなく、時が過ぎてゆく。ぼくはかれを待っている。少し休めば大丈夫さ。かれは(ゼロ)になったわけじゃない。いずれまた、かれは欲して、枯れ木までやってくるだろう。ぼくはその日が来るのを待っている。

 

【二章終了】

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