第四章 龍の怒り -3
吉中の話だと、佐藤は魔女界には珍しい男の魔法使いで、女性社会の中で浮いた存在だった。集会に参加し始めたころは、おどおどしていて誰にも相手にされていなかった。それが郁子と出会って、優しく指導され、佐藤はめきめきと実力をつけていった。郁子は佐藤を弟のようにかわいがっていたが、佐藤はいつしか郁子に恋心を抱いていた。ところが、郁子に気持ちを受け入れてもらえなかった佐藤は、郁子から離れ、いつの間にか影の正義に属し、リーダーにまでのし上がった。派閥を嫌う郁子とは疎遠になり、今では集会で顔を合わせても、会釈する程度で言葉を交わすことはなくなった。そんな郁子の娘・亜子にこれ以上手を出すことができないのだという。
「母さんに、そんな過去があったなんて」
司は膝の上で持っていた亜子のノートをギュッと掴みながらボソリと呟いた。龍之介が寄り添い司の手を握った。「痛っ」と司が顔を歪める。龍之介はハッとして手を引いた。また司の手に、爪を食い込ませてしまった。「悪りぃ」と小さく呟いた。
「とにかく、あなたたちもこれ以上関わらない方がいいわ。今度はあなたたちが狙われるわよ」
そう言うと、吉中は「カアッ」とひと声鳴いた。直後、司が持っていたノートから炎が上がった。「うわっ」と言って司が手を離すと、ノートは灰になり夜空に上って消えた。
「これで証拠は消えた。もう忘れなさい。相手が悪過ぎる」
「ちょっと待ってください。龍ちゃんを元に戻すまでは引き返せません。もし、姉の記憶喪失の原因がヤツらの魔法だとしたら、姉にかけた魔法をヤツらに解いてもらわないと、龍ちゃんは永遠に龍のままだ」
司が上を見ながら立ち上がった。龍之介は司の言葉で自分の置かれた立場に気づかされた。もしかしたら、自分の運命は影の正義の判断一つで決まるのかもしれないのだ。
吉中はすかさず、「座って前を向きなさい」と司をたしなめた。吉中は警戒しているようだった。初めの余裕ある雰囲気はいつの間にか消え、一色触発といった構えを見せている。敵が近づいているのだろうか。
司が吉中に従ってベンチに腰を下ろしかけたとき、向かいのベンチの辺りに突然、大きな炎があらわれ、轟音と共に龍之介と司をめがけて飛んできた。次の瞬間、目の前に大きな翼を広げたカラスが下りてきて、龍之介と司の盾になった。カラスは炎を全身で受け止め、あろうことか撥ね返した。吉中が身を挺して守ってくれたのだ。
「早く逃げなさい」
吉中に向かって頷くと、司は龍之介を抱えて走り出した。龍之介は司の腕の中から顔を出し、吉中の様子を窺った。そこには、再び炎を受けて燃え上がるカラスの姿があった。
「司、吉中さんがっ!」
龍之介が声を上げると、司は止まって振り向き、燃え上がるカラスを数秒見つめた。そして、吉中のところへ駆け戻った。
「何してるのあんたたち。逃げなさいと言ったでしょ」
炎の中で悶絶しながらも吉中が唸った。吉中の向いには、年の頃は三十代後半だろうか、清潔そうな白いシャツにジーンズを履いた背の高い男が立っていた。
――佐藤遥だ。
龍之介が心の中で叫ぶのと同時に、「龍ちゃん、ごめん」と司が呟くと、その手で龍之介の喉を強く擦った。
途端に龍之介は司の腕から跳ね上がり、銅盤を叩いたような轟音で呻きながら、体をのたうち回らせた。撫でられただけでも相当の痛さなのに、強く擦られたことで龍之介は命を取られるほどの痛みに襲われ、その体は悶絶しながらクジラのように大きくなっていった。当然、空は龍之介に呼応して激しい雷と豪雨になり、挙句の果てには暴風まで吹き荒れた。辺りは一気に嵐になった。
嵐の公園で龍之介が気が狂うようにのたうち回るなか、佐藤遥であろう男は姿を消し、吉中を包む炎はすっかり鎮まり、司はじっと事の次第を見守っていた。
しばらくして龍之介が落ち着くと、司が駈け寄り、水たまりの中、膝をついて謝った。吉中を救う方法が、龍之介の逆鱗に頼ることしか思いつかなかったのだという。龍之介は涙と鼻水を垂れ流しにしながら、ゆっくりと頷いた。司はポケットからハンカチを出し、龍之介の涙と鼻水をきれいに拭き取ると、「おんぶしてあげるから小さくなって」と言って微笑んだ。龍之介はスッと小さくなると、おんぶどころか司の首に巻きついた。そのまま襟巻のような体勢になると、疲れ果てて眠ってしまった。
翌朝、目を覚ますと、龍之介は司のベッドでいつものように体を丸めていた。顔を上げると、司が珍しくいびきをかいて眠っていた。きっと司も相当疲れたのだろう。
司が言うには、龍之介が眠ったあと、吉中は龍の力に感動しながら、お礼を言って帰って行ったとのことだ。司が家に帰ると、玄関の前で郁子が仁王立ちしながら待っていたという。どうしてバレたのかはわからないが、司は観念して、亜子の日記のことから公園での出来事まで、全部話したそうだ。すると郁子は、影の正義がどれだけ危険かを説明し、「本当は、この世に魔女なんていなくていいの」と言ったという。そして、もう無茶はしないように司を諭したのだ。怒られるとばかり思っていた司は、調子狂っちゃうよ、と言いながら頭を掻いていた。
郁子は、大御所様が影の正義の裏のリーダーだったことにショックを受けていた。大御所様はもともと、どの派閥にも属さずに、平等に皆に接していた人だった。郁子もそうありたいと思い、派閥には属さなかった。その大御所様が、よりによって影の正義を裏で動かしていたとは、郁子にとってこれほどの衝撃はなかった。そして、それをたまたま突きとめてしまった自分の娘が狙われた。どんなに胸が締め付けられたことだろう。龍之介はこの正義感の強い母娘が不憫でならなかった。子供の頃は、正義が勝つと教わってきたが、実はそうではないことを、龍になった今、目の前の家族が証明してくれていた。
影の正義は、代表的な財閥の一つ、浅野家と結託しているらしい。浅野家の出身者は政界や経済界だけでなく、医学界や芸能関係でも活躍している。大物政治家から新進気鋭のIT社長まで、その年齢層は幅広い。影の正義は浅野家の血族を魔法でサポートし、彼らを活躍させ、世の中に影響を及ぼす人物に作り上げているという。そうして、彼らを通して自分たちの理想とする世界を築こうとしているらしいのだ。今頻発している政治家のスキャンダルや不適切発言などは、自分たちの方針に反対している政治家たちを追い払うため、影の正義が操っていることがほとんどだった。政治家だけでなく、テレビのワイドショーなどで活躍する辛口コメンテーターやタレントもその餌食になっているのだが、世間はマスコミを信じる。そして、影の正義の計画通りにことが進んでいく。邪魔者が出るたびに、彼らは魔法の力で排除してきたのだ。
龍之介は、影の正義が創り出す不条理の片隅に巻き込まれた小さな存在にすぎないのだった。




