第四章 龍の怒り -2
「よかった、先に着いて」 司が言うと、
「なに言ってんの。待ったわよ」
どこかから女性の声がした。慌てて振り向いたが誰もいない。座ったベンチの後ろには、桜の木とその向こうに生垣があるだけだった。キョロキョロする龍之介と司に、女性の声がしびれを切らす。
「ここよ。上よ、上」
言われるがまま首を上に傾けると、桜の葉が生い茂る闇の中に微かにうごめく影が見えた。わずかに届く街灯の明かりに反射して、キラリと光る二つのガラス玉のような目がこちらを見下ろしている。目を凝らすと、枝にとまる一羽のカラスが浮かび上がった。カラスは続けた。
「あなたたちは前を向いて、このままの状態で話しましょう。どこで見られているかわからないからね」
カラスに言われ龍之介と司は前を向いて座った。すると、二秒後に、カラスが思い出したように言った。
「あ、そうそう。わたしが吉中よ。初めまして、よろしくね。今はこんな姿に変化してるけど、本当はちょっとだけ若く見えるおばさんなのよ」
そして、ふふふ、と笑った。司が間髪入れずに、
「知ってます。僕、一度だけお会いしたことがありますから」
無表情で言った。冗談を聞き入れる心境ではなかったのだろう。
「あら、そうだったわね。でも、あなたに仕えてる龍とはお初だから、よしとしてちょうだい」
案外、いい加減な人だと思った。こんな人が率いる組織に亜子が属しているかと思うと、龍之介はなんだか納得いかない気持ちになった。そんなことを考えている龍之介とは別に、司がいきなり声を荒らげた。
「龍ちゃんは、僕に仕えているんじゃありません。彼は僕と姉の幼馴染です。今は姉の魔法で龍に変化していますが、人間です」
司はそのまま一気に亜子が事故に遭うまでの出来事を話した。その間、「うん、うん」と吉中が相槌を打つ声が上から聞こえていた。話しを聞き終ると、吉中は深いため息をついた。
「わたしのせいです。わたしが、亜子さんと俊美さんの行動に気付かなかったから、二人とも危ない目に遭ったのよ。リーダーとして、何と言ってお詫びしていいかわりません」
「だったら、どうして一度もお見舞いに来なかったんですか?」
司が責める。光の正義の仲間たちは誰一人として亜子の病室に見舞いに来なかったという。
「あなたのお母様に止められてたのよ。亜子さんに近づくな、ってね。でも、心配で気が気じゃなかった。そんなとき、司くん、あなたが連絡をくれたのよ」
「母さんが? ……知らなかった」
郁子が裏で動いていたことを初めて知り、司は動揺を隠せない目で助けを求めるように龍之介を見た。龍之介は司を見ながら吉中に訊いた。
「あの、亜子と一緒に行動してた田山さんと連絡が取れないんですけど、何かご存知ですか?」
吉中は黙り込んだ。答えを待つ龍之介と司の間に、湿気の少ない涼しい風が通り抜けた。秋が近づいている。ただ前を向いて座る時間が過ぎた。あまりの沈黙の長さに、吉中の存在を忘れてしまいそうになる。
「彼女は、記憶を消されたわ。影の正義のリーダー佐藤と仲間の数人に捕まって……」
吉中は言葉を詰まらせ、声をくぐもらせながら続けた。
「大御所様に直接、手を下されて、彼女は記憶を消されたどころか、もう、魔法を使えなくなった。今は、わたしが面倒みてる」
龍之介と司は凍り付いたように微動だにしなかった。
「姉が記憶を無くしたのは、事故が原因ですよね? まさか、事故のどさくさに紛れて魔法で記憶を消されたんじゃ……」
司がやっと声を絞り出した。
亜子の場合は、おそらく事故が原因の記憶喪失だと吉中は言う。元々、影の正義の一味は、俊美と亜子に警告のために深い傷を負わせたかったらしいのだが、俊美は思いのほか回復が早く、何の後遺症も残っていなかったため、再び狙われたらしい。亜子には記憶喪失というお土産をつけることができたので、一味は満足しているらしかった。
「亜子さんは大丈夫。今のところは」
龍之介と司は目を合わせた。今のところは、ということは、記憶を取り戻したら再び狙われるということなのだろうか。手のひらの肉球が湿り気を帯び、龍之介はハンカチが欲しくなった。
「亜子さんには、お母様がついてる。お母様がいる限り、一味はこれ以上、亜子さんに手を出さないわ」
「母の存在が、役に立ってるんですね」
司が静かに言う。
「ええ、とっても。一味のリーダー佐藤は、あなたのお母様に恩があるからね」
「どんな恩なんですか?」
「集会でいつもつまはじきにされて独りぼっちだった彼に、お母様はいつも優しく接してあげていたのよ」
彼? 佐藤遥は男だったのだ。名前から勝手に女性だと思い込んでいた。龍之介と司は目を丸くした。




