19話「最終話」
19話「最終話」
私の話はこれで終わり。私は、また一つ壁を得た。
仕事を始めて、できないことが当たり前の世界に入ったことだった。
たぶん、私の今の振る舞いを見たら、戸山の同級生は私を私とは認識しないだろう。
教室で静かに情勢を眺めているだけだった私は、一人の不完全なプレイヤーとして、リアル・ワールドに足を踏み入れた。
男の子たちが、自分のできることを全面に出して船をこいでいくのに対して、私は、できないことをテーマに人生を組んだ。
組んだというか、組まされたというか。
でもそれは運が良かった。
できることが正解のマッチョな世界から、一足早く抜け出して、できないというのが当たり前の常識的な世界に羽をたたんで降り立つことができたのだから。
同年代の男性とのコミュニケーション、女性の上長、できる後輩。
私は、私をコントロールするのだという意気込みは消え去った。
どういうふうにこの制御できない状況を、できるだけではありつつも楽しむか。
弟たちが、意気揚々と就活に挑む中で、私は迅も夜湖くんも知らない、私だけの人脈を作り、私だけの東京時間を過ごした。
東京がどんどん国際的になっていく中で、それも、とても自然に景色の中に外国の人が増えていった。
旅行することもしばしばだった。
中国には迅と行った。
迅だったら、私に気後れしないだろうから。夜湖くんにはプライドの問題がある。
フランスには家族で。パリではなくてニースだったけれど。
東京は、きっと、私が子どもの頃感じていた、緑の多い、パッとしない街から、変貌を遂げるだろう。
かつてはただの街だった池袋や新宿や渋谷は、誰が見てもわかるくらい素敵な、先進的な街として世界の人々に映るに違いない。
新宿の街を歩く高校生は、そんなことを考えず、ただただ電車に乗り、学校に行っている。私がかつてそうだったように、池袋をただの街として認識して。
私は池袋の地下と地上をよくわかっている。
それは、もしかしたら、私が都会人であることを示しているのかもしれない。池袋の「街の意味」を考えたら、とんでもないことなのに、あそこにあった本屋とか、そこにあったパン屋とか、どこから出たら銀行に近いかとか、そういうものを知っていることが、都会的。
情報をきちんとフィルタリングすることで、長い髪をした私は、街の意味を考えずに過ごすことができた。
生の情報に触れることで、消耗することもある。
息切れしたり、ため息をついたりする。
情報量は多いし、考え続けなきゃいけない時期でもある。
そういう時、可愛さだけを考えて生きていた数年前を振り返ると、どちらがいいのだろうと笑ってしまう。
「糸葉ちゃんはどう思う?」
「そうですね。不易流行というか、可愛い時は可愛さを、老いる時は老いを、楽しみたいですよね。つまり、美醜に固執しない」
それは、美醜に固執することで生きてきた高校時代の総括でもあり、そこで打ち立てた流行に対して私たちは、形を取ったり散り散りになったりしながら、世界と共鳴していたのかもしれない。
***
「踊れと言われれば踊れますが?」
飲み会の後のカラオケでILLITを踊ってみる機会があった。
私はもうその時は二十代の後半で、酒が入っていたからちょっとふざけて。
その場はもう大盛り上がりで、同世代の同僚はテヨンの「晩餐歌」を韓国語で歌った。
私は、大学時代に練習したいくつかの中国語の歌を歌いたかった。
でも、たぶん同僚たちは、それを楽しまないだろうと思って、ただただ踊れる歌を、酒の勢いでマイクが回ってくるたびに歌って踊った。
それが、実は楽しかった。
踊りは忘れていなかったし、声も驚くほど明瞭に韓国語を発音していた。
日照り続きでも、空は雨を降らせることができないわけじゃない。
「如月さんは、なんで辞めないの?」
「さあ、でも辞めてどうするの?」
「なんか向いていることあるかもしれないじゃん」
私に酔った息をかけてくる年下のできる男の子が、私を引きずり込もうとする。
「人ってのは、何もできないようにできているんだよ」
「なんかアジア的だな」
「欧米的で良かったタイミング日本にあった?」
「やりたいことやって金稼いだら、楽しいじゃん」
「やりたくないことやって、金稼ぐほうが、楽しいよ?」
「は?」
「私はK-POP踊って生きていこうとは思わないよ」
「如月さん、酔ってないなぁ?」
あの歌や踊りは、MVとして、つまりカメラワークがあってこその芸術作品だと思っている。
歌ったり踊れたりするのを素朴に楽しんでいたのは、漢字の書き取り帳の薄い字をなぞっているのと同じことだ。
「冷めてるね」
「まあね」
そう言いつつ、マイクが回ってくると、踊ってやった。
本気が高じて怖くならないくらいに、適度に素人感を出しながら、調節しながら。




