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13-4 西乗寺チームの失墜

「お兄は悪くないよっ!」


 大声に振り返ると、結菜が立っていた。目を見開いて。


「……座りなさい。伏見さん」


 西乗寺主任が、俺の隣の席を視線で示した。


「……」


 黙ったまま、結菜が席に着いた。


「伏見さん。どうして木戸くんは悪くないの」

「一緒に住んでるのがバレたんでしょ。お兄は悪くない。だって、お兄の家に押しかけたの、あたしだもん。別に誘われたわけじゃない。お父さんもお母さんも家出しちゃって、あたし……どうしていいかわからなくなって。それで……」


 結菜の瞳から、大粒の涙がぽろぽろこぼれ落ちた。


「それでお兄の家に……押しかけて……あたし」


 言葉に詰まった。腕で涙を拭う。


「が……学校だって辞めてないもん。休学しただけ。それもあたしがひとりで決めたことだし、お兄の家に行くま、前だもん」


 泣いて詰まりながらも、結菜は説明を続けた。俺との同居は、親も親戚も知っていて認めてくれていること。来年の春にはちゃんと復学すること。俺が結菜に勉強を勧めたこと。研究所前のコンビニも研究所でのバイトも、俺に黙って勝手に決めたこと。それは俺の毎日を見て、食品メーカーでの仕事に興味が湧いたからであること。


「そう……」


 ふうと、西乗寺主任は、息を吐いた。


「涙を拭きなさい」


 結菜にハンカチを渡してくれた。黙って頷くと、結菜は目にハンカチを当てた。そのままじっとしている。


「あなたたちの言い分はわかった。私も、その線で上に話してみる。木戸くんには、伏見さんのご両親絡みで、なにか頼むことになると思う」

「なら、お兄はこれまでどおり、ここで働いてもいいよね。みんなも。……あたしは辞めるからさ」

「そう単純なものでもないのよ」


 困ったような笑みを、西乗寺主任は浮かべた。


「まあ、今回のコンペが流れただけで、私も木戸くんも、別に首になるわけじゃないから。……ちょっと経歴に傷がついただけで」

「えっ。カレー、ダメなんですか」

「そうよ。もうコンペは始まってる。ちょうど、最初のチームが終わる頃ね」

「そんな……」


 結菜は泣き崩れた。


「なんでよー。関係ないじゃん。あたしが悪いんだから。お兄も岸田さんもみんなも、全然関係ないじゃん。みんなあんなに苦労したのに。どうして――どうしてよお」


 結菜の嗚咽は途切れなかった。


         ●


 お通夜のような研究室で、結菜は机に突っ伏したまま泣いていた。誰も仕事なんかしていない。全員黙りこくって、時計の針が動くのを見ている。今頃は、どのチームがプレゼンしているのだろうかと。


 結菜を慰めてやりたかったが、ここでは無理だ。真実がどこにあろうと、俺と結菜は、主任にも岸田にも、菜々美ちゃんにだって迷惑を掛けている。この場所で今、結菜を慰めるなんて、みんなの顔にまた泥を塗るも同然だ。


「決めたっ」


 時計の針が十三時を回った頃、菜々美ちゃんが突然立ち上がった。もうコンペも終盤のはず。誰も昼飯を食べていない。無駄になったスパイスの香りだけが、虚しく研究室に漂っている。


「あたし、おじさんに頼みます。木戸さんは悪くないから許せって。家庭に事情がある従姉妹いとこの保護者をやってるだけだって」


 菜々美ちゃんのおじさんは、日東ハムの法務・コンプラ担当役員だ。この手の問題には大きな影響力を持っているだろう。


「止めなさい、菜々美ちゃん」


 珍しく、西乗寺主任が声をあららげた。


「なんの解決にもならない、それ」

「でも、悪いことしてないのに、理不尽すぎますよね」

「菜々美ちゃんの言うとおりです、主任」


 岸田も同調してくれた。


「ウチのチーム、全力で反論しましょう。実は俺も、木戸と結菜ちゃんの関係を知っていました。その意味では、俺だって同罪です。知ってる立場で誓いますが、木戸は悪いことなんかしていない。結菜ちゃんだっていい子です」

「菜々美ちゃんのおじさんが動いてくれて、どうなると思うの」


 主任に鋭い語調で訊かれて、菜々美ちゃんはもごもごし始めた。


「そりゃ……木戸さんの謹慎は解かれるし、あたしたちだって仕事ができるし、それに――」

「そうなるでしょうね。でも評判はどうなる? 問題を起こした上に、研究所長とかの頭越しに本社の偉い役員に頼んで揉み消してもらった。真実はどうあれ、外形的には、そういうことになる」

「それは……」

「木戸くん、思いっきり嫌われるでしょうね。研究所長からも、上部からも。もちろん私も嫌われる。本社でも噂になるに違いない。そうでしょ」

「……」

「私は管理職だから結果責任で、それでも仕方ない。でも木戸くんは、これから何十年も、この会社に貢献してくれる人よ。そんな人の未来を、ここで潰してどうするの。今、この瞬間だけ我慢すれば、木戸くんもみんなも、ちゃんと業務に戻れる。……だって、従姉妹を預かっただけだもの。悪いわけない」

「でも、このままだと木戸さん……」


 菜々美ちゃんが、言葉に詰まった。瞳から涙がこぼれ落ちる。


「あたし……あたし」

「ありがとう。チームのことを考えてくれて。でも平気だから。私も木戸くんも大人。このくらいの逆風、なんてことないわ。――そうでしょ、木戸くん」

「はい。なんとなれば俺、辞めますし。もう覚悟はできてます」


 本音だ。結菜を部屋に迎え入れた瞬間から、こうなるのは運命だったのかもしれない。それでもいい。俺は結菜のためにベストの行動を取ってきた自信がある。それで糾弾されるなら、それだって構わない。


 ガタンと音を立てて、結菜が立ち上がった。


「お兄も、そんなこと言わないでいいよ。それは起こらないから」


 静かな声だ。


「トイレ……」

「トイレ?」

「もう漏れそう」


 走るようにして、部屋を出て行く。


 出社した途端に大騒ぎでトイレに行く暇もなかったから、そりゃそうだろう。でもなんというか。緊迫感のない奴だな。まあ結菜らしいと言えば、結菜らしいが……。


         ●


「結菜ちゃん遅いな。大丈夫かな」


 岸田が呟いた。結菜がトイレに立って、もう五分以上経っている。


「女子は長いですからね」


 言いながらも、菜々美ちゃんが立ち上がった。もう落ち着いて、いつもの菜々美ちゃんに戻っている。


「……でもちょっと心配なんで、トイレ見てきます」

「そうしてちょうだい」


 主任も懸念している表情だ。高校生は多感な年齢だからトイレで自殺未遂とか、一瞬想像したのかもしれない。結菜を知っている俺からすればありえないとわかるが、それでも俺も心配だ。トイレで泣いているのは確実だし。


 菜々美ちゃんが消えて数分後、ドタドタ廊下を走る音が響いた。


「大変ですっ!」


 ドアを開けるやいなや、菜々美ちゃんが叫んだ。


「ゆ、結菜ちゃん、コンペ中の大会議室に殴り込んでます。今ちょうど、ハムチームがプレゼンしてるのに」


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