12-1 ハム野郎に結菜がいじめられた
「あーカレー臭え」
大声がした。日東ハム世田谷研究所味覚分析室。味覚分析計から顔を起こすと、ハム開発チームの連中が数人、入り口に立っていた。
「なんだよ。また底辺チームが偉そうに独占してるのか」
ハムチームの中堅がちっと舌打ちした。ハム開発統括辻元にヘコヘコして、ケツだけ舐めてナンバーツーに取り立てられたとかいうヒラメ野郎だ。
毎晩カラオケクラブに付き合ってるとかいう噂で、でっぷり太っている。飲み過ぎ食い過ぎだろう。たしか岡田とかいう、嫌な野郎。
もちろん、次の主任の座を狙っているんだろう。辻元岡田と二代続いてカスがハム開発チームを統括したらウチ、屋台骨が揺らぐんじゃないかと心配だわ。
「すみません。もう終わるので」
まだ俺達の予約時間内だから、文句付けられる筋合いはない。それでも一応、営業スマイルを浮かべておく。ここにいるのは俺と結菜のみ。西乗寺主任がいないところで、揉めたくないからな。
「コンペの開発だろ。結局お前らカレーかよ。困ったらカレー頼みとか、毎度毎度、工夫がねえなあ」
せせら笑ってやがる。けど俺らからしたら、代わり映えもしないハムばっか開発してるお前らのほうが、よっぽどワンパだけどな。
「ハムさんは凄いですよね。毎回度肝を抜く新商品、開発するし」
ムカついたんで、嫌味を言ってやった。ハム主任の辻元の影響受けてるんだかなんだか知らんが、あいつとそっくりじゃんよ。他人を見下す態度。
「なんだとぉ……」
じろっと睨まれた。
「お前らハムの奥深さも知らんで気楽だな」
鼻で笑われた。
「食ったことないだろどうせ。熟成レアルベジョータとか」
あるけどな。俺だって一応、ハム屋だし。そう言ってやると、かえっていきり立った。
「味がわかるわけないな。わかるなら俺達に楯突くはずないし」
「あんた馬鹿じゃないの」
よせばいいのに、結菜が参戦してきた。
「アレルギーだかベジータだか知らないけど、日東ハムが作ってるのは、そういう高そうな奴じゃないでしょ。日本人に愛される、安くておいしい定番品じゃないの」
「なんだと……」
高校生のバイトに反撃されて、面食らったのか、一瞬黙った。
「……カレーがそこまで行けばいいがな」
なんとか反論してくる。
「スパイス屋の製品に勝てるのかよ、ハム屋のカレーが。スーパーで棚取れるのか? そこに行くと俺達の開発品は、棚押さえ完璧だからな」
「それ、営業の人が頑張ったからだよね。あんたの力量じゃなく」
結菜は腰に手を当てている。
「うっせぇなあこいつ。バイト風情が生意気に……。どうでもいいけど早く終わらせろよ。俺達も使いたいんだからよ」
押され気味を感じたのか、話題を変えてきた。
世田谷研究所では、各開発チームが独自の研究ルームを持っていて、それぞれの業務に応じた機械を揃えている。ソーセージチームなら、サンプル作製用の腸詰めマシンとか。だが味覚分析計などの高価で汎用的な機械は各部署に揃えるわけにもいかないので専用室に置いておき、共通で使うルールだ。
「結菜ちゃん、サンプルのビーカー、洗ってくれ」
「うん」
テーブルに並んでいた大量のビーカーを、結菜が洗い場に運び始めた。
大学研究室レベルのガチ実験だと、器具の洗浄もおろそかにできない。いろいろ細かく決まった手順がある。ただ俺達食品メーカーの食味調査程度では、そこまで厳密な科学的洗浄法は求められない。カフェの洗い物程度のことなので、バイトの結菜でも問題なくこなせる。
「早くやれよ。トロいな」
「……あっ」
ビーカーの割れる音が、研究室に響いた。
「ごめん」
駆け寄った。
「怪我ないか」
「うん……」
結菜は顔を歪めている。
「ちょっと切った」
「見せてみろ」
小指の先が切れ、わずかに血がにじんでいる。シンクに落として割れたビーカーを、あわてて拾おうとしたせいだ。
「あーあ。汚しちゃってよ」
「底辺チームは、やることも底辺っすね」
大げさに溜息をついた岡田に、誰か知らんが腰巾着が同調した。
「あんたらが焦らせたからだろ。恥ずかしくないのか。女の子を脅して」
「俺達、急いでてもドジ踏まないよな」
周囲の連中が頷くのを、岡田は満足げに眺めている。
「お前の教育が悪いからだろ、木戸」
「ちょっと」
手を押さえたまま、結菜が声を張り上げた。
「あたしのこと言うのはいいけど、お兄に関係ないでしょ」
「よせ」
「あんたなんか、お兄の足元にも及ばないよ」
「お兄……だとぉ」
岡田は首を捻った。
「キモい呼ばれ方してるんだな、木戸」
「そういや西乗寺チームは、お兄さんだのお姉さん、菜々美ちゃんと呼び合ってるとか、噂で聞きました」
誰かがここぞとばかりにご注進する。
「へっ」
「あら」
岡田がへらへら笑っているところに、西乗寺主任が顔を出した。
「木戸くん。もう終わった、味覚分析」
サンプルが多くて予定より時間が掛かった。主任自ら様子を見に来たんだろう。用を頼める菜々美ちゃんいないし。今日は菜々美ちゃんはお休み。大学生が本業だからな。研究所アシスタントやるのは、週三日ほどだ。
「ええ主任。データを部内クラウドにアップロードしたところです」
「そう……」
気配を感じ取ったのだろう。チラっとだけ、部屋を見回した。
「……なんかあった」
「結菜ちゃんが、手を切っちゃって」
「すみません、西乗寺さん。あたし……」
結菜は瞳を伏せている。
「見せて……」
主任が傷を調べた。
「早くしてくれないですかねえ。次が詰まってるんで」
わざとらしい大声で、岡田が唸った。
「……研究室に戻って、結菜ちゃん。岸田くんがいるから、応急処置してもらって」
本社なら社内に診療所があるが、ここ世田谷研究所は小さな拠点なんで、そんなものはない。救急箱レベルの対応で足りなければ、近所の診療所を受診する手はずになっている。
「すみません」
「いいから早く。ここは私がやる」
「はい」
通せんぼするかのように入り口で仁王立ちする岡田の脇を、すり抜けるようにして出ていく。
「お騒がせしました」
西乗寺主任が、頭を下げた。
「五分で終わらせます。……木戸くん」
「はい」
頷くと俺は、味覚分析計の周囲を片付け始めた。慣れた手付きでビーカーを洗うと、洗いかごに主任が並べ始める。
「さて、行こうか」
主任がかごを抱えた。
「それは俺が」
かごを受け取った。女子の腕には重いからな。
「悪いわね。じゃあ私は資料持つわ。……すみませんね。もう終わりました」
軽くぺこりと頭を下げた。
「床濡らさないで下さいね。滑ったら大変だ」
「大丈夫」
洗いかごは受け皿付いてるからな。
「カレーなんて陳腐な製品、開発してる暇あったら、社員教育したらどうすか。バイトの小娘まで生意気な口、利くし」
「後でよく言っておきます」
よせばいいのに、主任は微笑んでみせた。
「わかればいいけどよ」
なんだこいつ。
そもそも岡田は平。職階上は主任である西乗寺さんの方が上なんだがな。なに偉そうな態度なんだよ。マジ腐ってやがる。
結菜に怪我させられてムカついたんで、部屋を出るとき岡田の出っ張った腹に、洗いかごぶつけてやったわ。濡れたとかで真っ赤になって怒ってたけど、知るか。
「ダメじゃない木戸くん」
部屋を出ると、主任が小声で言った。
「最後、わざとぶつけたでしょ」
「わかりました?」
「当たり前じゃない。わざわざ押し付けるようにしてたし」
「すみません。結菜ちゃんが怪我したの、あいつのせいなんです。焦らせて。……だからどうしても我慢できないで」
「木戸くん」
いきなり立ち止まった。俺をじっと見つめてくる。
「なんですか」
「あいつらには負けないわよ。今度のコンペ、絶対勝ちましょうね」
瞳が燃えている。
「はい」
「木戸くんには期待してるから」
洗いかごを持つ俺の手に、そっと手を重ねてきた。
「任せて下さい主任。必ずやあいつらを叩きのめしてやります。主任のためにも、結菜ちゃんのためにも」
「うん」
頷いた。
「木戸くん、たくましくなったね。私、感心したわ……」
俺の目を見たまま、西乗寺主任が微笑んだ。




